第16話



 雅は、ふたりの少女に応接間に行くよう促す。


 すると、そこでお嬢様のほう――、詩織が声を上げた。



「あ、その前にあたしトイレ行っていいですか。ずっとおしっこ行きたくて」


「……廊下に出て、左手にありますよ」



 あざーすと返事をして、たったかったか廊下に出て行った。


 はぁ、とため息を吐いてから、四人で応接間に向かう。


 雅が真ん中、隣に桜子、なぜか安心院は座るつもりはないようで、雅と桜子の後ろで控えていた。



 前髪の長い少女――、葵は雅の向かいに座り、落ち着きなく視線を彷徨わせている。


 安心院が淹れてくれたコーヒーを一口飲んでから、雅は彼女のプロフィールを眺めた。



「田川、葵さん」


「あ、え、は、はい。田川、です……。よろしくお願いします……」



 名前を呼ぶと、彼女は驚いたように顔を上げ、目が合うとさっと顔を逸らし、髪をいじりながら物凄く小さな声で返事をした。


 呆れるほどの人見知りのようだ。


 確かに、彼女はかわいい。完璧な美少女だと言い切れる。きちんと整えれば、強者だらけの芸能界でも通用するほどの顔面を持っている。それは認める。


 ただ、これほどまでにコミュニケーション能力が欠けているのは、かなり厳しい。



 アイドルは、客と対話をする職業だ。


 それは、直喩的な意味でも、隠喩的な意味でも。


 ファンサービスが素晴らしいアイドルが圧倒的な人気を誇るように、彼らはただ顔面のいい女性を求めているわけではない。



 己と対話ができる偶像を欲している。


 そういう意味では、田川葵はおそろしくアイドルに向いていなかった。



「……田川さんは、なぜアイドルに?」



 詩織がトイレから戻っていないのに、本題には入れない。


 世間話のつもりで、葵に尋ねる。


 きょどきょどと視線をあっちこっちに向けていた葵だが、そこだけはまっすぐに答えた。



「あ、アイドルになれば、楽にいっぱい稼げると思ったから」


「…………マジ?」



 あまりの衝撃に、普段使わない語彙が飛び出してしまった。


 いやまぁ、そう考えている人がいても、おかしくない仕事ではあるのだが……。


 本当にそう思っていても、たいていは口に出さずに思っているだけなのに……。



「そんなに甘い仕事じゃないよ……、ナメていると痛い目に遭う」



 ここはさすがに否定しておく。


 この仕事に携わっている先輩としての、本気の警告だ。


 なぜ、父が彼女を合格させたのか、強い疑問を覚えた。 



 この場で明言するくらいなのだから、オーディションの場でもそう答えたのだろう。


 彼女の様子を見ているかぎり、器用に嘘を使い分けられるタイプにも見えない。


 アイドルは、嘘を器用に使い分けてこそ。


 そういった意味でも、葵はアイドルには向いていない。



 雅の様子が変わったことに葵は戸惑ったようだが、それでも意見を主張した。



「で、でも……。か、かわいい子は、アイドルになるべきだ、って、いろんな人に言われた……」


「それは一理あるとは思うけど。でも」


「わ、わたし、かわいい。すごく」



 その短い言葉に、虚を突かれる。


 桜子も安心院も同じだったのか、きょとんと黙り込んでいた。



「……な、何かおかしなこと言ったか、わたし」



 だれひとり声を発しなくなって不安を覚えたのか、葵はおどおどとそう言う。


 なんと答えたものかと思っていると、安心院が静かに答えた。



「いえ。仰るとおり、あなたはとても可愛らしい。ですが、失礼ながらそういった自己肯定感が高い言葉を使う方には見えなかったので、少々面喰らいました」



 安心院が淡々としながらも、端的に説明する。


 すると、葵はあらかさまにほっとしていた。



「よ、よかった。だって、わたしかわいいから。ひ、否定されたらどうしようって」



 決して視線を合わせず、どぎまぎしながら言うにしては、あまりに自己肯定感が高い……。


 彼女はもじもじと手を擦り合わせ、独白のように続けた。



「わ、わたしは昔から、かわいいかわいいって周りに言われて、育ってきた。世界で一番かわいい、って。わ、わたしもそう思う。周りにわたし以上にかわいい人、いなかった。田舎だからかと思ったけど……、テレビのアイドルを見ていても、わたしのほうがかわいい。わたしよりかわいい人、み、見たことない……」



 自信がなさそうに、物凄く自信のあることを言っている……。


 自己肯定感の高さが容姿に反映したタイプか……?


 アイドルをやっているうちに、どんどん可愛く、綺麗になっていくパターンは見たことあるが……。



 反応に困ってちらりと扉を見るが、まだあの少女は帰ってこないようだ。


 仕方なくプロフィールに目を落とすと、備考欄に気になるものを見つける。



『歌 ×』



 ……またか、と思わずにはいられない。


 顔を上げて、葵の目を見る。当然のように逸らされた。



「あなたは、歌は苦手?」



 その質問に、葵は肩をきゅっと上げる。そのままいやいやをするように、ぶんぶんと頭を振っていた。括った髪がふらふら揺れる。



「む、むり。人前で、歌うなんて、絶対。む、むり。死ぬ」



 その小さい声や、挙動からなんとなく察してはいたが。


 とてもアイドルには向いていない――、桜子よりも。


 歌えない、人前が苦手となれば、アイドルとしてできることなんて本当に限られてくる。



 最悪、ファンの前できょどきょどしているだけなら、小動物のようでかわいいと受け入れられるかもしれない。なにせ、彼女は顔がいい。ぶっちぎりで。 


 だが、その顔の良さを相殺するほど、ほかの負債が大きすぎる。


 本人自体も、その顔面の良さに甘えている。「これだけかわいいんだから、何もせずに売れるでしょ?」と驕るかぎり、彼女に芽はない。


 これならば、もっと優れた子はいくらでもいる。



「田川さん。ほかの事務所のオーディションは受けた?」


「う、受けた。全部、落ちた」



 だろうな、と思う。 


 むしろ、なぜ父親は彼女を合格にしたのか、全くわからない。


 そこで、備考欄にもうひとつ書かれていることに気付き――。



「すんません、お待たせしました~」



 少女の声で顔を上げる。 


 もうひとりのオーディション合格者、北条詩織だ。


 トイレから戻ったらしい彼女が、足で扉を閉め、濡れた手をスカートで拭いながら、「思ったより、めっちゃ出ちゃった」とあけっぴろげに言っていた。


 が、がさつぅ……。



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