第15話



 街は静かだ。


 今日は土曜日で、平日の朝のような忙しさはない。歩く人たちの速度も、心なしか普段よりゆっくりに感じた。


 ふたりで事務所に向かっていると、スマホが震える。


 持ち上げると、安心院からの着信だった。


 土曜の朝から? と首を傾げながら、電話に出る。



「もしもし、大河内です。安心院さん、どうかされました?」



 雅のような仕事は、土日も祝日もあまり関係がない。だが、安心院は基本的に土日休みなのだという。なので、変わらず今日も休みのはずだ。


 休日の電話となると、それなりに危機感を煽る。


 予想どおり、普段より早口で安心院が用件を伝えてきた。



『雅さん。お伝えしたいことができました。今日、出勤すると仰っていましたよね』


「はい。今、向かっておりますが」


『でしたら、わたしもすぐに行きます。詳しいことは、そのときに』


「…………?」



 ただでさえ問題だらけのこの会社に、さらにトラブルが起きたのだろうか。


 不安を感じつつも、「会って話す」と言われれば、それ以上は聞き出せない。


 すぐさま電話を切られたので、雅たちも事務所に向かった。



 相変わらず、ビルには人気がない。安心院から預かっている鍵を使って、事務所の扉を開けた。


 事務所はそれほど大きくはないが、空っぽのせいでどうにも広く感じる。


 廃業の準備も進めないといけないな……、と考えながら、とにかく安心院を待った。


 すると。


 扉が、ノックされる。



「……ノック?」



 安心院なら、そのまま開けて入ってくるはずだ。


 かといって、来客の予定があるとも思えなかった。


 こんな終わりかけの事務所に、しかも土曜日の午前中に。


 そうなると、どうしても先ほどの電話を思い出してしまう。



「はい」



 不穏な空気を感じながら、固い声で雅が返事をする。


 すると雅の声とは真逆の、元気な明るい声と――、雅よりも固い声が重なった。



「おはようございまーすっ。今日からよろしくお願いしまーす」


「お、おはよう、ございます……。お、おねがい、します」



 扉を開けて現れたのは、ふたりの少女。


 片方は、見るからに清楚そうな女の子だった。


 髪は長く、腰まで伸びている。髪の手入れにとても気を遣っているのか、揺れるだけで絵になるほど綺麗な髪だ。これほどまでに美しく、長い髪をした少女は珍しい。


 顔立ちも涼やかで品を感じさせる。穏やかな目をしていて、その奥の輝きは静かに揺れていた。自己主張の少なそうな唇も鼻も、雰囲気に実によく似合っている。



 なにより、美しかった。


 なんて綺麗な顔と髪をした女の子なんだろう、と雅は目を奪われる。


 黒いセーラー服を着込んでいるのが、楚々とした空気をより強めていた。


 彼女が歩きながら髪をそっと耳にかけるだけで、恋に落ちる男子は無数にいるに違いない。



 深層のお嬢様。良家の子女。大和撫子。


 彼女を見ていて、いくつも言葉が並んでいく。


 実際、彼女が着ている制服は、この辺りでも有名なお嬢様学校だった。


 女子高のお嬢様が、なぜこの場に来ているかはわからない。



 ただ、その美しさに見惚れていると……。


 ばんっ、と足で扉を閉めた。



「……………………………………」



 スカートのポケットに手を突っ込んで、がに股で歩いてくる。



「あれ? 今日ぜんぜん人いないんすね。土曜日だから? ふたりだけすか?」



 彼女はきょろきょろと無遠慮な視線を向けながら、スカートの後ろからぽりぽりとお尻を搔いていた。


 が、がさつぅ……。



 この子がだれなのか全くわからないが、お嬢様なのは見た目だけらしい。


 容姿は本当に美人なだけに、もったいない。尻を掻くな。


 呆れつつ、彼女の隣にいた少女にも目を向ける。



「……っ」



 彼女は、すぐに雅から目を逸らし、前髪をサッサといじった。


 背の低い少女だった。どこかこぢんまりした、小動物を連想させる。


 それはきっと、顔立ちがやたらと可愛らしいことと無関係とは言えない。


 髪は低い位置で両脇にくくっているだけの、シンプルなもの。長さはせいぜい鎖骨を隠すくらい。


 姿勢は丸く、きょどきょどと瞳はあっちこっちに向かっていた。決して目は合わない。


 印象としては、陰気な子だな、というのが先行する。



 ――だというのに、かわいい。



 雰囲気イケメンという言葉があるように、雰囲気である程度はかっこよさも可愛さも作れる。


 逆に言えば、どれだけ元がよくても、雰囲気がダメなら全体が崩壊するのだ。



 なのに、なんだこの圧倒的な可愛さは。


 たとえば、桜子は控えめながらもメイクをしているし、自分の可愛さを頑張って伸ばそうと努力している。


 先ほどの残念お嬢様も、動かなければ美少女だったし、あの髪を保つには相当な努力が必要だ。清楚な見た目に振っているのも、それが一番美麗に映るからだろう。



 言うまでもないが、桜子もあの残念お嬢様も元がずば抜けて良い。


 だが、彼女の素質は群を抜いていた。


 慄くほどの美貌を彼女は持っている。



「あ、あんまり……、見ないでください……、お、落ち着かないので……」


「え、あぁ……、ごめん……」



 目の前の小動物は、不安そうに苦言を呈してきた。


 さっきから漏れ出る声は小さく、何度も言葉に詰まっている。しゃべるのは得意ではないようだ。


 雅が視線を下に降ろす。


 彼女もまた、制服姿だった。深いブラウンのブレザーで、首元にはリボン。どこか野暮ったい印象を与えるのは、一切着崩していないからだろうか。スカートの丈もかなり長い。オシャレなのは、せいぜい耳元に光るピアスくらいだ。


 小さな身体には似合わない、ギターケースを背負っていた。失礼な話だが、あまりギターをやるとは思えない容姿だ。



 なんだか、不思議な二人組である。


 結局、この子たちはなんなんだろう、と雅が訝しんでいると、お嬢様のほうが口を開いた。



「で、あなたがあたしらのマネージャー? さん? それとも、別のなにか? この子はなに? 所属アイドル? 先輩っすか?」



 残念お嬢様は、長い髪を揺らしながら、雅と桜子を指差していた。人を指差すんじゃありません。


 念のため桜子を見ると、目を白黒させている。知り合いではなさそうだ。


 友達が勝手に来た、とかだったら、どれだけよかっただろう。


 雅はずうん、と腹に重いものを感じながら、少女ふたりを見比べる。



「ええと、あなたたち。先ほど、お世話になる、とかよろしくお願いします、とか言っていたけど……?」



 おそるおそる問いかけると、片方は嬉しそうに笑いながら、もう片方はおどおどと落ち着かない様子で答えた。



「うっす。今日からここに来いって言われました。北条詩織です。オーディションに合格したアイドルっす」


「お、同じく。田川葵、です。よろしくお願いします……」



 雅は、額に指を当てる。


 スゥー……、と息を漏らした。


 どういうことだ。どういうことなんだ。


 これか? 先ほどの安心院からの電話は……、と雅が実に渋い顔をしていると、扉が開いた。



「おはようございます。……あぁ、もうふたりとも、来ていましたか……」 



 事務服に身を包んだ、安心院文である。


 彼女はいつもの無表情顔ながらも、若干疲れた雰囲気を滲ませていた。


 雅が無言で安心院を見ていると、彼女はタブレットを取り出し、こちらに差し出す。



「北条詩織さん、田川葵さん。月森桜子さんと同じく、間違いなくオーディション合格者です」



 実際に言葉にされると、くらりとした。


 その場に崩れ落ちたくなる。


 桜子だけだと思っていたオーディション合格者が、まだふたりもいた……。



 どういうことだ、クソ親父……、と嘆く気にもならない。


 抱える問題が増えたことに頭を重くしていると、安心院が雅のそばに来て囁く。



「すみません……。念のため、桜子さんのような方がいないか会社のデータを調べていたところ、奥深くに眠っているプロフィールを見つけて……、それで先ほどご連絡を……」


「……安心院さんが謝ることではないです。悪いのはクソ親父ですから。それに、ワンクッションあったので助かりました」



 ぼそぼそとふたりで言葉を交わし合う。


 彼女からタブレットを受け取ると、桜子と同じようにプロフィールが並んでいた。


 雅の表情はますます険しくなるが、これ以上ひどくならないよう安心院に尋ねる。



「念のために聞くのですが、このふたりで最後でしょうか」


「はい。それは間違いありません。確認しております」



 その言葉にほっとする。この調子で何人も増えられたら、どうしようかと思った。


 雅は頭を切り替える。


 来てしまったものは、仕方がない。



 あとはどれだけ穏便に、帰ってもらうか、だ。


 桜子と違って、このふたりの面倒を見る理由はない。



「……すみません、おふたりとも。少し、お話させて頂いてよろしいでしょうか。よろしければ、あちらに掛けて頂いて」



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