第14話
桜子は家から持ってきたシンプルなパジャマ、雅はスウェットを着て、思い思いに過ごしていた。
とはいえ、桜子は特にすることもないようで、リビングでぼうっとしていたが。
雅はパソコンを打つ手を止めて、桜子に目を向ける。
「桜子。わたしに気を遣わないで、先に寝ていいからね。ベッド使っていいし」
どうやら既に眠たくなっていたらしい桜子は、はっとする。
パタパタと手を振りながら答えた。
「いえ、そんな。わたしが床で大丈夫です。ベッドは雅さんが使ってください」
「遠慮されても困る。年下の女の子を床に転がして、ベッドで寝るほどわたしも図太くないよ。ソファも毛布もあるし、気を遣わないで」
「でも、ここは……、雅さんのお家なんですし……」
しゅん、として桜子は声を小さくさせる。
今まで散々遠慮してきた彼女が、すんなり頷くとは雅も思ってなかった。
かといって、「会社が家を用意する」という言葉を信じてやってきた女の子に、ベッドを使わせないなんてことは雅にはできない。
雅はパソコンに目を向けたまま、できるだけ軽く聞こえるよう伝える。
「どうせ、わたしはもうしばらく仕事をするつもりだし。リビングにいるから、ソファで寝られるとむしろ気を遣うの。寝室に引っ込んでもらったほうがいい」
そこまで言って、ようやく桜子はふっと肩の力を抜いた。
小さく微笑んでから、ぺこりと頭を下げる。
「わかりました。ベッド使わせてもらいます」
「そうして。おやすみ」
軽く手を振ると、桜子は寝室にてとてとと移動していく。
ただ、扉が閉まる直前で、雅の名を呼んだ。
「雅さん」
「なあに」
「ベッド、入ってもらっても大丈夫ですからね」
雅がその声に振り返ったときには、既に扉が閉まっていた。
「……………………」
とにかくパソコンに向き直り、カタカタと打ち込む。
安心院に相談しなくてはならないこと、桜子の移籍先探し、デビューさせるまでの道筋など、考えなくてはならないことが山のようにある。
しばらくひとりでパソコンを触っているうちに、頭がぼんやりしてきた。
軽くストレッチしても頭の中の霞は消えず、さすがに眠るか、とパソコンを閉じる。
音をたてないように寝室の扉を開けると、真っ暗な部屋にほのかに光が差し込んだ。
桜子のキャリーケースが部屋の隅に置いてあり、その本人はきちんとベッドの上で眠っている。
すぅすぅと穏やかな寝息を立てて、深い眠りに落ちていた。
さすがに疲れていたらしく、雅が部屋に入っても起きる気配はない。
今日一日、桜子の表情はずっと緊張で強張っていた。
けれど眠っているときは力が抜けていて、赤ん坊のような無防備な寝顔に「ふふっ」と笑ってしまう。
そこで、彼女の隣のスペースに気が付いた。
彼女はわざわざ端に寄って、人ひとり眠れるスペースを確保している。
セミダブルのベッドは、女性がふたり並んでも収まるサイズではある。
桜子の手前、強がってはいたが、ソファとベッドならそりゃベッドのほうがいい。
多少は狭くて寝づらいだろうが、相手は女の子だ。いい香りまでする、やわらかい女の子。
彼女が温めた寝床に潜り込めば、すとんと眠れるに違いない。
だがまぁ、当然ながらそういうわけにもいかない。
雅はクローゼットから毛布を取り出すと、「おやすみ」と告げて扉を閉めた。
ソファで横になると、雅も随分と疲れていたらしい。
あっという間に、眠りへ落ちた。夢を見ないくらい、深く。
それこそ、物音に気付かないほどに。
「雅さん。起きてください。今日、朝から事務所に行くって仰ってましたよね?」
肩を揺らされ、ハッと目が覚める。
ぼんやりした視界の中に、美しい少女がこちらを覗き込んでいた。
だれだ……、この美少女は……。
重すぎる瞼の中で困惑していると、彼女が小さく噴き出す。
「雅さん、寝ぼけてます? 大丈夫ですか?」
「だい……、じょぶ……、うん……」
ようやく現状が理解できてきて、身体を何とか起こした。
どうやら、一瞬で朝を迎えたらしい。
全く寝た気がせず、ソファの上で頭をぐわんぐわん揺らしていた。
そのまま意識が飛びそうになっていたが、いい匂いに引っ張られる。
顔を向けると、桜子がキッチンでなにやら動き回っていた。
どうやら朝ご飯を作ってくれているらしい。
「雅さん、大丈夫ですか? 二度寝してません?」
「大丈夫……、起きる……。起きるよ……。ちょと……、煙草吸ってくる……」
担当アイドルに朝ご飯を作らせておいて、ぼんやりしている場合ではない。
よろよろと煙草を掴み、ベランダに出て行く。
さすがに未成年の前で堂々と吸う気にはなれなかった。
春になって随分と温かくなったが、部屋着のまま朝の空気に触れると、少しばかり肌寒い。
煙を肺に送り込んでいると、どうにか目が覚めてきた。
重い身体を引きずって、部屋の中に戻る。
すると、キッチンの前に立つ桜子と目が合った。
「おはようございます、雅さん。朝、弱いんですね」
「あぁ……。朝はこんなものなんだ……。それより、朝ご飯まで作ってくれるなんて」
「といっても、簡単なものですよ。わたしもさっき起きたので」
桜子はさらっと言っているが、テーブルの上に運んでいるのは立派な朝食だ。
バターを塗ったトースト、スクランブルエッグにカリカリのベーコン、コーンスープ。
朝が苦手な雅からすれば、朝からフライパンを使うこと自体考えられない。
温かい料理の数々がいい香りを運んできて、胃袋が珍しく朝から主張する。
朝ご飯をちゃんと食べるなんて、物凄く久しぶりだ。
コーヒーを出してくれたので、ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んだ。
朝は使い物にならない、と雅は自己評価しているが、ここまで丁寧な朝にされるとさすがに頭も起きてくる。
朝食をふたりでつつきながら、今日の予定を話し合った。
「桜子、今日はどうするの?」
「まずはバイトを探そうと思っています。この近所で、なるべく早く入れるバイトに。雅さんは、このあと事務所に行くんですよね?」
「うん。ちょっと会社の中のデータを見たくて。たぶん、夜まで帰ってこないから、部屋は好きに使ってていいよ」
「なら、わたしもついていっていいですか。事務所の中をゆっくり見たいですし、バイト探しならどこでもできるので」
わざわざついてこなくてもいいのでは? とは思いつつも、頷く。
この部屋にひとりでいて、落ち着くかと言われればそうとも思えなかった。
ふたりで手早く準備を終えて、マンションから出て行く。
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