第10話

 がらがらがら……、とキャリーケースを転がす音が響く。


 スーツ姿の女性と、制服姿の少女が夜の住宅街を並んで歩いていた。


 桜子は歩幅が小さいようで、放っておくと置いていきそうになる。


 歩幅を合わせることを意識しているせいで、ふたりの間には無言が続いていた。



 桜子は緊張しているだろうし、こんな年上の女と話すことなんてないだろう。


 雅は雅で、今日日の女子高生ってなんの話をするの? と困窮していた。


 日本の高校生と話すなんて、本当に何年ぶりだろうか。


 いや、彼女は制服を着ているだけで、もう高校生ではないのだが。制服も、正装のつもりで着ているだけだろう。


 仕方なく、事務的な会話をする。



「……悪いね。家は何とかするって話だったのに、うちに来てもらうなんて」


「あ、いえ、そんな、ぜんぜん。むしろ、泊めてもらっていいのかなって……。雅さんの家に、お邪魔するなんて」 



 彼女はパタパタと手を振り、申し訳なさそうに肩をすぼめる。


 結局、桜子は雅の家に泊まってもらうことになった。



 担当アイドルを家に泊めるのはどうなんだ、という話だが、いい方法が見つかなかった。さすがに事務所で寝泊まりさせるわけにもいかないし。


 あからさまに嫌がられたらホテルに行ってもらおうと思ったが、桜子は素直についてきた。内心でどう思っているかはわからないが。


 駅から少しだけ歩いて、雅のマンションに辿り着く。


 一人暮らしだけど、狭い部屋には耐えられないかもしれない……、と1LDKにしておいて助かった。



 マンションのエントランスに入っていくと、桜子は子犬のように辺りを見回している。


 エレベーターを経由し、部屋の鍵を開けたところで、失敗したことに気付く。


 雅自身も冷静ではないのかもしれない。


 その動揺を隠しながら、桜子を部屋に招き入れた。



「どうぞ。片付いてないけど」


「お、お邪魔します……」



 桜子が、そろそろと部屋に上がっていく。


 雅は、我ながら殺風景だと思う部屋を見やる。引っ越してきたばかりで仕方ないのかもしれないが、最低限のものしか置いていない。



 リビングには、テーブル、ソファ、棚、テレビ……、せいぜいそれくらいだ。広いリビングがより広く感じてしまう。端っこに置いてある段ボールがなければ、その印象はより強くなったに違いない。あとの一部屋は寝室として使っているが、そこも寝具くらいしかなかった。


 まぁ帰国したばかりだし。


 今の会社に長居できないとわかった今、この部屋もこれからどうなるかわからないが。



「最近、引っ越してきたばかりなの。殺風景で申し訳ないけど」


「あぁ、いえ……、ぜんぜん……。とっても綺麗です……」



 桜子の言葉に苦笑する。段ボールが積みっぱなしだが、確かに綺麗ではあるかもしれない。


 桜子はリビングをきょろきょろと見ていて、初めての場所に警戒する小動物のようだった。


 雅は鞄をソファに置きながら、寝室のほうを指差す。



「そこに一部屋あるから、桜子の私物はそこに置いといて」


「あ、は、はい、ありがとうございます……っ」



 桜子はペコっと頭を下げて、キャリーケースを寝室に仕舞う。そのあとは、そわそわと視線を彷徨わせていた。


 気持ちはわかる。雅も落ち着かない。


 これはお互いに慣れるまで苦労しそうだな……、と雅は聞こえないよう嘆息してから、お腹を擦った。


 間が持たないし、さっさと生活を進めよう。



「桜子。お腹減ってる? 食事にしようか」


 そう言いつつ、雅はスマホを取り出す。


 手早く、使い慣れたアプリを立ち上げた。



「何か食べたいものがあったら、言って。適当にウーバーで頼もう……」



 スマホをパタパタ操作しながら、失敗だったな、と考える。


 外に出ていたのだから、外食なり買ってくるなりすればよかった。


 ウーバーを使うにしても、帰ってくる途中で注文しておけば、すぐに食べられたのに。


 そこまで考えが回らなかった自分に若干のイラつきを抱いていると、桜子は慌てた様子でこちらに寄ってきた。



「ま、待ってください、雅さん。それ、余計にお金が掛かっちゃうんですよ。それもすごく」



 学生らしい心配に、雅はふっと笑う。



「持ってきてもらうんだから、それくらいのチップは当然でしょう。手間賃と考えれば、決して高いものではないと思うけど」


「い、いえ、でも、も、もったいないです……」



 シュンとしながらも、納得いかないと訴えている。


 せいぜい数百円にそこまで感情を出さなくても……、と思いつつも、高校生の金銭感覚からすると当然かもしれない。


 彼女もアイドルとして活動するにつれ、やがて食事代はマネージャーに出してもらうもの、自分が気にするものではない、という感覚が生まれる。それを思えば、今だけしか見られない可愛らしい姿とも言える。


 ならここは引こう、と雅はスマホをポケットに仕舞う。



「なら、どうする? 外に食べに行く? 戻ってきてすぐに出るのは面倒だけど……」


「外食……。でもわたし、あまり手持ちが……」



 桜子は気まずそうな顔で、目を伏せる。


 そこで、はた、と気付いた。


 あぁなるほど。自分で支払うつもりなのか、彼女は。



 仕事先でマネージャーとともにいるなら、食事代はマネージャーが支払う、会社の経費で払う。それは雅にとっても、ほかのアイドルにとっても、当たり前のことだ。


 だが、彼女はまだそれを知らない。それほどお金がないのも事実だろう。


 外食を渋っても仕方がない。


 もちろん自分が出すから、好きなものを食べなさい、と雅が言おうとしたところで。


 桜子は、ちらりとキッチンを見た。



「もしよろしければ、キッチンを借りてもいいですか? 二人分ですし、そっちのほうが安く済ませられますし……」


「……あなた、料理ができるの……?」



 雅が目の前の少女をまじまじと見ると、彼女はきょとんとした。


 口元に手を当てて、くすくすと笑う。



「そんな、料理ができるくらいで、そこまで驚かなくても……」



 おかしそうに笑う彼女は、まるで花が咲いたようだ。


 緩められた口元から漏れ出る声が、ふわふわと花びらを散らしている。


 一瞬で温かい空気に包まれて、雅はむしろ困惑した。



 雅の前にいる制服姿の少女は、本当に可愛らしい。


 何度目かわからないが、改めて再認識した。


 しかし、見惚れている場合ではない。ごほん、と咳払いをする。



「……失礼。あなたくらいの年頃の子が、料理ができるなんて驚きで。わたしは、ほとんどしないから」


「あ……、なら、調理道具自体、なかったりします……?」


「いや、あるにはあるんだけど」



 ある程度の調理道具は念のため揃えてあるものの、「本当に使うのかなあ」と自分でも半信半疑だった。


 料理はできるものの、たぶんしないんじゃないかと。


 桜子はほっとすると、胸の前で手を組んだ。



「なら、わたしが何か作ります。食べたいものってありますか? そんなにおいしくないかもですけど……」


「……」


「雅さん?」



 いや、気にしないで、と雅は手を振る。


 制服姿の美少女に、「食べたいものはありますか?」と訊かれることに、妙な背徳感があっただけだ。


 担当の子におかしな感情を抱くんじゃあない、という自戒と、ファンにアピールすべき点だな、という感情が混ざり合う。


 その思考は脇に置いておいて、彼女の質問にううん、と唸った。



「そうだね……。せっかくなら、和食が食べたいかな……。自分では絶対に作らないし……」



 自炊したとしても、手軽に作れる一品料理をさっと作って、さっと食べて終わりに違いない。


 面倒なものを他人に任せるなんてどうなんだ、という話だが、桜子はむしろ嬉しそうに微笑んだ。



「わかりました、和食ですね。頑張ります」



 きゅっと手を握る彼女は可憐で、またも妙な感情に襲われそう。


 雅は目を逸らして、冷蔵庫のほうを見た。


 その中身を思い出すと、なんとも情けなくなる。



「……ま、とにかく買い出しだね。うち、何もないし」



 結局、外に出ることに変わりなさそうだ。




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