第11話

 桜子を連れて、近所のスーパーに向かう。


 当たり前のように桜子がカートを引いてきたので、「しっかりしてるなあ」と雅はぼんやり思っていた。


 既に夜は深くなり始め、店内のお客さんの数はピーク時より少ない。


 カートをカラカラと押しながら、食材を吟味する桜子の隣で、雅は手持無沙汰になっていた。


 ご飯を作ってくれる人の隣で、どんな顔をしていていいのかわからない。



 つい、ひらひらと揺れるスカートを目で追ってしまう。


 彼女は真面目そうではあるものの、年頃の女の子らしく、スカートはそれなりに短かった。


健康そうな脚と膝の裏が見えている。スカートが揺れるたび、白い太ももさえも。桜子の髪は毛先がウェーブがかっており、いっしょになって揺れる姿が妙に目を惹く。


 雅はなんとも言えない気分になり、彼女に尋ねた。



「……桜子って、今いくつ?」


「はい? あ、十七歳です」


「高三?」


「高二です。あ、もう高校生じゃないですけど……」



 桜子は照れくさそうに、頬を搔いている。


 その仕草と言動に胸が痛くなるし、父親への憎悪も強くなるが、その数字自体にも破壊力があった。


 じゅうななさい……。こうに……。


 未成年か……。



 今さらながら、未成年の女の子を家に引っ張り込んで大丈夫だろうか、と心配になる。


 それこそ、悪徳芸能事務所のやり口では……?


 家は何とかすると言って、自分の家に呼び、デビューをちらつかせて、なんて……。


 どこまで堕ちるんだ、わたしは……。



「雅さん、お魚好きですか。……雅さん?」



 桜子がこちらを覗き込んできて、はっと我に返る。


 慌てて、彼女に応えた。



「ええと、魚は好きだよ」


「それはよかったです。焼き魚とか、どうかなって。鯖がよさそうです」


「おいしそうだけど、うちのキッチンに魚焼きグリルあったかな」


「ありましたけど……」



 あったらしい。


 あんまり余計なこと言うのやめよう。


 とにかく必要なものは適当に買って、家に何もないから、と伝えると、桜子は意外にもカゴにほいほいと食材を放り込んでいった。



 そのままレジに進んでいったので、雅はスマホを取り出す。


 すると、慌てて桜子が財布を鞄から出した。



「あ、あ、あ、わたしも出します、わたしも食べるので……」


「バカを言わないで……。なんで担当の子にお金出させるの……。いや、そもそも料理作らせるのもどうなのって話なんだけど……」



 とりあえず財布を仕舞わせて、決済を済ませる。


 カゴを移動させながら、彼女に伝えた。



「基本的に、仕事中の食事代はわたし……、というより、会社が出すから。そういうものだから、覚えておいて」


「でも今は、仕事中ではないですよ……?」


「桜子にとっては、仕事中みたいなものでしょ。会社の人と寝泊まりしなきゃいけないんだから」



 桜子に説明しながら、スーパーの袋の中に買ったものを入れていく。(マイバッグを持ってきてないと知ったときの、桜子の信じられない、といった顔はすごかった。数円で買えるならよくない?)


 桜子はそれでも釈然としていないようだったから、続ける。



「仕事中じゃないにしても、十代の子にお金なんて払わせられない。大人だよ、わたし。これでも」


「……はい」



 しぶしぶと言った様子で、桜子は引き下がる。


 案外、頑固者なんだよな、この子。


 なんだか納得していないので、別の部分を指摘した。



「言っておくけど、桜子、ほとんど無職みたいなもんだからね。今は収入ないってことを忘れないように。あとでアルバイトの話もしようね」


「……は、い」



 痛いところを突くと、桜子は苦悶の表情で頭を傾けた。


 そこでようやく、この話は終わり。


 ふたりでマンションに帰ってくると、桜子はさっき買ったばかりのエプロンを早速身に付けた。


 キッチンに立つ姿は、かなり様になっている。



「それでは、すぐに作りますから。もう少し、待っていてください」


「はい」



 思わず敬語が出てしまう。


 どこかのんびりした雰囲気を持つ桜子だが、キッチンではテキパキと動き出す。


 何かわからないことがあったら訊いてね、と言おうとしたが、訊かれたところでわからなさうなので黙っておいた。



 料理は彼女に任せて、自分は自分のできることをやろう……。


 雅はテーブルの前に腰を下ろし、ノートパソコンを起動させた。


 月森桜子のプロデュース方針を決めなくてはならない。


 彼女のプロフィールデータと、会社のデータを見比べながら、彼女に対して何ができるかを考える。


 月森桜子を別の事務所に引き渡すには、「彼女を引き取ってもいい」と思わせる価値を付随させなくてはならない。


 そのためには、桜子に仕事の基礎を覚えさせ、できればダンスレッスンで弱点を克服して、別会社でも即戦力として活躍できるようにする。



「やっぱり、デビューは必須か……。そうなると、ソロアイドルとしてデビューさせることになる……。この令和の時代にソロアイドル……。ううん……」


 ぶつぶつ言いながら、画面と睨めっこする。


 ソロアイドルとしてデビューさせたとして、そのまま通用する環境ではない。彼女に付加価値が付いたとしても、別の事務所に行けばグループに入れられる確率は高い。



 ソロとグループでは、必要な技術がまるで違う。


 ダンスレッスンで彼女が踊れるようになるかと言えば、だいぶ希望的観測だ。不確定なものにはあまり期待しないほうがいい。



「桜子は歌が上手い……、でもそれは、グループには必要がないもの……。調和の取れないアイドルに価値はない……。ソロアイドルとしてデビューすれば、彼女の歌の上手さは注目されるかもしれない……、でもそれは、足枷に成り得る……?」



 歌が上手いアイドルとして桜子に価値が付いたとしても、グループアイドルに入ればその価値は腐る。ひとりが目立つより、周りに合わせることを重んじるからだ。


 ソロアイドルとして価値を付けられたとして、それをグループアイドル主体の別の事務所が引き取ってくれるだろうか?



「かといって、今のスターダスト・ブロッサムでは、グループアイドルの育成はできない……。せめて、ほかにアイドルがいれば……。いや、潰す会社にアイドルがいても困るんだけど……」 



 手っ取り早いのは、アイドルを集めてユニットを組んで、そのまま活動させることだ。


 そのグループに価値を付ければ、引き取ってくれる事務所はきっと出てくる。


 けれど、社員ふたり、アイドルひとりのスターダスト・ブロッサムが取れる手段ではない。



 グループは作れない。


 ソロでデビューさせても、ほかの事務所が引き取ってくれるかわからない。



「……手詰まりでは?」



 ぐるぐる考えていると、そんな結論が出てしまう。


 こんな環境でアイドルが育てられるわけがないだろう、と言われれば、そのとおりなのだ。


 親父は、一体何を考えていたんだ?


 ひとりの女の子と、ひとりの娘の人生を狂わせて、何がしたかったんだ?



 あぁダメだ、よくない方向に思考が引っ張られている。



 少し休憩しようか、と桜子を見ると、彼女は慣れた様子で包丁を動かしていた。


 とんとんとん、と小気味いいリズムが聞こえてくる。


 後ろ姿しか見えないが、彼女が動くたびに髪とスカートが揺れて、目を奪われた。


 セーラー服の上にエプロン、というのも、なかなかに目の保養になる。



「……かわいいんだよな、やっぱり……」



 さっきから独り言を繰り返していたせいで、そんな言葉がこぼれる。


 頬杖を突いて、彼女を観察しながらしみじみと言ってしまった。


 危なすぎるな、この構図……。


 我に返り、料理を作ってくれる彼女のためにも、もう一度考え直した。


 そうして、しばらく計画を練っていると。



「雅さん。ご飯、できましたよ」

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