第6話



「どうぞ」


「ありがとうございます……」



 ひとまず応接間に場所を移すと、安心院がコーヒーを入れてくれた。


 桜子は安心院にぺこりと頭を下げるが、その表情は明らかに暗い。


 仕切りの奥に、テーブルと椅子が並べてあるだけの簡素な応接間だが、話をするだけなら十分だ。



 雅の隣には安心院が座っており、向かいに座る桜子を観察している。


 彼女は多少落ち着いたようだが、気落ちした様子でコーヒーカップに手を伸ばしていた。


 雅は、安心院に渡されたタブレットに目を落とす。


 オーディション合格、という文字とともに添付してある、彼女のプロフィール。



 ぎこちない顔の写真が貼ってあるが、やはり顔立ちは整っている。かわいい。


 しばらくそれを眺めてから、彼女に尋ねた。



「それで、月森さん。あなたは、オーディションに合格し、この事務所に所属することになった。その連絡を受け取り、指示どおりにこの場にきた。それは間違いないですね?」


「はい……」



 桜子はしょんぼりしながら、小さく答える。


 彼女の言葉を信じるなら、「オーディション合格です!」と言われて事務所にやってきたものの、事務所に人はぜんぜんいないし、残った人からも「もう畳むんだけど……」「何かの間違いじゃない?」と言われているのだから、悲惨としか言いようがない。


 詐欺に遭ったようなものだ。



 彼女の心持ちを考えると胸が痛くなるが、こちらにできることはあまりに少なかった。


 それを安心院が口にしていく。



「先ほど、雅さ……、大河内が申し上げましたが、この事務所はもう畳むことになっています。社員もアイドルも、残っておりません。わたしたちは廃業の手続き、片付けを進めています。申し訳ないのですが、月森さんが所属したと言われましても、わたしたちには何もできないんです。その話を聞いておりませんし、関係者も既にこの会社にはおりません」



 つまりお手上げ。


 その返答に、桜子はさらに肩を落とす。


 目に涙を浮かべて、膝の上に載せた手をきゅっと握りしめた。



「そんな……。わたし、この事務所に懸けていたんです……。ほかの事務所のオーディションには全部落ちちゃって、やっぱりアイドルなんてわたしには無理なのかなって……、諦めかけたところに……。スターダスト・ブロッサムさんだけは合格を出してくれて……。せっかく、アイドルになれると思っていたのに……」



 うう、と彼女は深く俯く。


 さらりと揺れる髪はとてもやわらかそうで、触れたいと感じるほど。


 励ます意味も込めて、雅は正直な気持ちを述べた。



「何の慰めにもならないと思いますが……。月森さんなら、どこにでも入所できると思いますよ。それだけ、あなたの容姿は愛らしい。ほかの事務所に落ちたのが信じられません」



 雅のまっすぐな賛辞に、桜子は頬を薄く赤く染める。すぐに照れてしまうのも可愛かった。


 けれど、桜子はぶんぶんと首を振ってしまう。



「そんなことないんです……。わたし、本当にたくさんのオーディションを受けました……。でも、軒並みダメだったんです。合格をくれたのは、話を聞いてくれたのは……、スターダスト・ブロッサムさんだけでした……」



 そこが疑問だ。


 これだけ容姿が整っているうえに、性格に問題があるとも思えない。


 だというのに、スターダスト・ブロッサムだけが合格するなんてありえるだろうか?


 普通に受け答えしているだけで、いくつかは受かるだろうに。



 ……と、いうことは、ほかに何か問題がある。


 雅は改めてプロフィールを確認した。


 すると、横から細い指がスッと伸びてきた。



「雅さん。ここ」



 囁き声で指摘され、その一文を見る。


 備考欄には、『ダンス ×』と記してあり、動画ファイルが添付してあった。


 雅は迷わずそれをタップすると、タブレット上に動画が再生され始める。



 こことは別の、会議室のような場所が映る。真ん中には、制服姿の桜子が立っていた。


 しばらくすると音楽が流れ出し、彼女がそれに合わせて踊り出した。



「………………ぉぉ」


「これは…………」


「あう…………」



 動画内の彼女の動きに、雅と安心院が絶句し、桜子が恥ずかしそうに肩をすぼめる。


 ひどい。


 ひどすぎる……。



『は、はい、はい、は、はい、あ、あれ? え、は、はい……、はい……』



 全くリズムに乗れていない様子で、桜子がひたすら右往左往している。パタパタと手を振り、力の使い方がわからないかのように、自分の身体にひたすら振り回されていた。


 地上で溺れているかのようだ。


 もしくは、なにかに憑りつかれている。



 何も知らない人がこれを見て、踊っているとは決して思わない。下手をすれば、救急車を呼ばれてしまうかもしれない。いや、警察か?


 バラエティとしては面白い動画だし、こんな場じゃなければ、不器用な彼女の愛らしさに微笑んだかもしれない。


 けれど、桜子がアイドル志望と考えると、この動画は絶望的な意味を持つ。



「……これは……、今の環境じゃ、致命的だ……」



 雅は背もたれに身体を預け、口の中だけでそう呟く。


 この動画だけで、確信を抱く。


 月森桜子は、アイドルにはなれない。



 先ほど安心院と話したばかりだが、今はもうソロのアイドルが売れる環境ではない。


 グループの力を使ってようやく、土俵に上がれる時代だ。


 アイドルと言えば歌とダンスがつきもので、なにより協調性が重んじられる。


 周りに合わせて、踊れる技術が絶対に必要なのだ。


 当然、ここまでダンスが苦手な彼女をアイドルグループに放り込めば、たちまち崩壊する。



 これだけ顔がいいのに、オーディションに落とされる理由が明確に見えた。


 もしかしたら、ダンスレッスンをこなせばまともになるかもしれない。


 けど、ならないかもしれない。



 そこまでのコストを懸けて博打を打つくらいなら、いくらでも代わりがいる。


 彼女は百点の可愛さを持っているが、かわいいのは当たり前の世界だ。ほかにも百点がゴロゴロしているのだから、マイナス要素を持つ彼女を取るメリットがない。


 桜子は、アイドルには向いていない。


 その事実に雅自身も気が滅入るが、どうしようもなかった。


 会社もなくなってしまう今、彼女には帰ってもらうしかない。



「……申し訳ないですが、お引き取り願えますか。残念ですが、あなたに合格を出した人はもうこの会社にはいない。この会社もなくなる。だから、本当に申し訳ないんですが……」



 それ以外に伝える言葉がない。


 おそらくオーディションを行ったであろう社長は既に他界し、事情を知る社員もいない。


 何もできないというのは、事実だった。


 社員として責任を感じているのか、安心院は深々と頭を下げる。



「大変申し訳ありませんでした。こちらの事情で、月森さんに大変なご迷惑をお掛けいたしました。心よりお詫び申し上げます」



 それは、とても真摯な謝罪ではあったけれど。


 これ以上は何もできない、どうしようもない、という突き放すものでもあった。


 それは桜子にも伝わっているようで、この世の終わりを見るような顔になっていく。


 唇を震わせて、背中を完全に丸めてしまった。



「そんな……、わたし……。アイドルがずっとやりたくて……、今度こそ、できると思っていたのに……。だから、だから……」



 彼女はきゅっと目を瞑り、とんでもないことを言い出した。



「高校も、やめてきたのに……っ」



 な。


 なんだって………………………………?


 その衝撃たるや、今までの比ではなかった。


 雅はあんぐりと口を開けて、固まってしまう。父が死んだときも、この会社を畳むと言われたときも、これほどまでに驚かなかった。



 心臓が急速に嫌な音を立て始め、冷や汗が流れていく。息も荒い。


 何かの間違いであってくれ、と彼女に尋ねた。



「こ、高校……、やめちゃった、の……?」


「はい……。自主退学しました……。家から通える距離ではなかったので……。不安だったけど、アイドルになれるなら……、学校は諦めて頑張ろうって……。なのに……」



 こ、高校はやめないで欲しかったなァ……っ!


 その言葉に、冷や汗がどんどん増えていく。背筋が冷たい。


 さすがの安心院も絶句して、何も言えなくなっていた。


 彼女が絶望的な顔をしていたことに、さすがに大げさでは? と正直思ってしまった。だが、決して大げさではなかったのだ。



 アイドルになるために高校をやめて、だけど事務所はもうないなんて言われて。


 これでは彼女は、意味もなく中退して無職になっただけだ。


 この世の終わりみたいな顔にもなる。



 クソ親父……っ! なんてことしやがる……っ!



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