第5話

 少しウェーブの掛かった髪が肩にかかり、そのままさらりと降りている。その一本一本が美しく、陽の光に反射する光景に目を奪われた。胸に届くくらいの長さで、なんて魅力的な髪なんだろう、という感想が雅の頭を揺らした。


 綺麗なのは髪だけじゃない。整った顔立ちにも心臓が跳ねる。くりくりの大きな瞳は宝石の輝きを思わせ、吸い込まれそうになった。長いまつ毛がピンと立ち、瞳をさらに美しいものへと飾りつけする。


 ちょこんと上を向いた鼻が可愛らしく、頬のやわらかさとともに幼さを感じる。リップを塗られた唇もその要因だろう。



 だが、幼いからこそ、その未完成さに猛烈に心を奪われる。


 服装は制服だ。水色のラインがが特徴的なセーラー服で、スカートは濃い紺色。


 白を基調にした制服が彼女にとても似合っており、爽やかな風を纏っているようだった。スカートから伸びる白い脚はすらりと細く、視線をそちらに向けないようにするのに苦労した。



 もし彼女が教室の窓際に座っていたら、間違いなく見惚れてしまう。


 しかし、彼女の手にあるのは学生鞄ではなく、キャリーケースだった。制服姿でがらがらと転がす姿はどこかおかしな光景に見えた。



 ――やけに、かわいい子が来たな。元所属アイドルが、忘れ物でも取りにきたのか?


 それにしては知らないアイドルだったので、雅はしげしげと観察してしまう。


 そのせいで、雅は隣の安心院が困惑していることに気付かなかった。


 突然現れた少女にふたりが視線を注いでいると、彼女は一生懸命な様子で声を上げる。



「ほ、本日からお世話になります、月森桜子です! ど、どうぞよろしくお願いしますっ!」



 彼女の発する言葉ひとつひとつに、緊張が滲んでいる。


 手をぎゅっと握って、目を瞑って、とにかく挨拶することに全力なのも可愛らしかった。


 可愛らしい、のだが。


 聞き捨てならないことを言われて、雅は安心院を見る。



 ……今、本日からお世話になるって言ったけど。


 どなた?



 どういうことですか、と安心院に訊きたかったが――、彼女の無表情がわずかに崩れていることに気付く。



「えっ」


「え……」


「……え?」



 三者三葉の、疑問の声が出る。


 お互いに、見合ってしまった。しばらく、その姿勢で固まる。


 その混乱からいち早く立ち直った安心院は、彼女――、月森桜子におそるおそる問いかけた。



「……月森さん、と仰いましたね。先ほど、なんと仰ったのか、もう一度言って頂いてもよろしいでしょうか」



 安心院の要求に気を悪くした様子もなく、桜子は慌てて挨拶を繰り返す。



「は、はいっ。本日からスターダスト・ブロッサムに所属する、月森桜子です! よろしくお願いします!」



 どうやら、会社を間違えたわけでもないらしい。


 思わず、雅は怪訝な顔で安心院を見てしまう。


 まだ、自分の知らない何かが隠されていると思ったのだ。


 けれど、安心院は予想に反して、静かに首を振った。本気で戸惑っている。



 何かを隠しているようには見えず、雅に困惑が感染する。


 この会社を知る者は安心院だけ。


 安心院がわからないのであれば、だれもわからない。


 とにかく何かの間違いだろう、と雅が引き取った。



「いや……、あなたの勘違いだと思う。この事務所はもう畳むことになってるの。アイドルの募集なんてしていないし、既に所属アイドルも存在しない。社員だってそう」



 ですよね、と隣の安心院に確認すると、「そのとおりです」と頷いた。


 すると、桜子は固まってしまう。


 見る見るうちに表情が変わっていき、おどおどと大きな瞳を揺らした。


 可哀想なくらい狼狽しながら、彼女は慌てて答える。



「そ、そんなはず……っ。だ、だって、わたし、オーディションの合格通知をもらいました! メールでも、電話でも……! み、見てください、今、出します……っ」



 桜子はポケットからスマホを取り出し、落としそうになってあわあわしている。


 今、今、出します……、と一生懸命操作しながら、泣きそうな声で訴え続けた。



「わたし、わたし、社長さんからオーディション合格、って言われて……っ、この日から来てくれって言われて……、やっと、やっとアイドルになれるって……っ! じ、事務所がなくなるって、そんなわけ……っ!」



 うう……、と顔まで泣きそうになっている。


 彼女の必死な思いは伝わってきて、その熱が疑問を呼び起こす。


 目の前の少女が、とても嘘を吐いているようには見えなかった。


 だが、彼女の話を鵜呑みにはできない。



 この会社はもう廃業予定であり、終わりに向かっている。新しいアイドルを所属させるはずがなかった。


 なら、どんな誤解が生じている? と雅が眉を寄せていると、安心院も同じ考えを抱いたらしい。


 机からタブレットを取り出し、慣れた手つきで操作し始めた。



「こ、これです! み、見てください……っ!」



 桜子がこちらに近付いてきて、スマホの画面を見せてくる。


 香水とは違う、ほのかに甘い香りに少しだけドギマギしたが、雅はその画面に目を向けた。


 なにやらいろいろと文章は羅列してあるが、確かにオーディション合格の通知のようだ。



 ならば、何か詐欺にでも引っ掛かったのか?


 それとも、いたずら?


 雅がさらに眉間のしわを濃くしていると、安心院が「嘘でしょう……?」と声を上げた。



 彼女を見ると、安心院は愕然とした様子でタブレットをこちらに向ける。


 そこには確かに、目の前の少女と思わしき写真と、プロフィールが載せられていた。


 安心院自身も信じられないようで、硬い声で結果を口にする。



「月森桜子さん……。確かに、今日付けでうちに所属しています……」


「は……?」



 何がどうなっている? 


 困惑した空気が漂う中、桜子が泣き出しそうな顔でふたりの大人を見ていた。



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