第4話
「……そうですね。受け取るつもりはありませんでした。父とは、もう何の関係もないので」
「はい。ですが、これは言ってしまえば報奨金なのでしょう。手間賃。雅さんは会社を畳む報酬として、このお金を受け取る。仕事を辞めさせたうえに、再就職の面倒も見ないのは悪徳すぎますが……、代わりにこの金額がもらえるなら、納得できるのではないでしょうか」
安心院がモニターに目を向けて、雅はつられる。
会社を畳む代わりに、この手間賃を受け取れ。
これでは押し付けられたようなものだが、突っぱねるには状況が悪かった。
近いうちに雅は無職になってしまう。金があるに越したことはなかった。
父親の思惑に乗るのは、面白くはないが。
「ちなみにわたしは、既に退職金を受け取っていますので、ご心配なさらず」
安心院がぱっと手を広げて、軽快にそう言う。お茶目な仕草にもかかわらず、無表情だ。
目の前の資金は、まるっと雅が受け取っていいらしい。
はあ、と大きなため息を吐いてから、雅は頭を掻く。
「わかりました。やります。そうと決まれば、さっさと潰してしまいましょう」
やけくそ気味に雅は言い放つ。
騙されたようなものなので、こんな言い方になってしまうのは仕方がない。
だが気遣いのない言い草のせいで、安心院の心を揺らしてしまったらしい。
彼女は少し寂しそうに目を細めて、雅を見つめた。
「……まさか、会社を畳む作業を雅さんと行うとは思いませんでした。もしかしたら、いっしょに働ける日がくるかも、と夢見たことはありましたが……。こんな形になるなんて」
その声に温度は感じられないが、感情は感じられる。
雅は口を滑らせたことに気付く。
二十年以上も一途に働いていた会社が、ともに駆け抜けていた社長が死亡すると同時に、なくなってしまう。
若い雅には想像がつかないほどの、悲哀があってもおかしくない。
安心院はそばにある事務机に手を置き、ひっそりと言葉をこぼした。
「わたしはこの会社に入って、いろんな人たちを見てきました。スターダスト・ブロッサムと言えば、芸能界で知らない人はいません。アイドルの最先端として、社長は様々な子を送り出しては、輝かしいステージへ導いていきました。しかし、終わってしまうのですね……」
安心院は目を瞑り、やるせなさを滲ませている。
アイドル時代の栄華を極めたこの事務所が、人知れずなくなってしまう。その没落を目の当たりにすれば、関係者としては思うところはあるだろう。
もし、雅が何も知らない女の子のままだったら、励ましの言葉を掛けていたかもしれない。
けれど、雅は既に現実を見ている。
プロデューサーとして、芸能界を駆け抜けてきたのだ。
自然と、関係者としての発言になる。
「……仕方がありません。もうそんな時代ではないのですから」
雅の声に、安心院はハっと顔を上げる。
それに気付かないふりをして、雅は言葉を並べていった。
「本物のアイドルは、もう生まれない。平成の時代から言われていたことです。昭和で熱狂を生んだソロアイドルは、時代の移り変わりによって作ることが難しくなった。それからグループアイドルが最盛期を迎えました。けれど、それももう限界です」
雅は窓の外に目を向けて、独り言のように続ける。
「今や、アイドル声優やヴァーチャルアイドルのように、アイドルに何かが付随して当然の時代です。いや、それすらあと何年持つか……。どうにか今活躍しているアイドルも、大手が独占。個人で発信する子たちもたくさんいる。身近に感じたいなら、地下アイドルに会いに行けばいい。数少ないパイは、細分化されたアイドルで取り合いです。今さら普通にやっても、見向きもされない。アニメの世界ですら、アイドルは厳しいジャンルになっている……」
そのひとつひとつの言葉に、自分で息苦しさを覚える。
数年前からずっと感じ続けていた、ひっそりとした不安。
徐々に足が重くなっていく感覚は、歩むごとにはっきりしてきた。
ため息とともに、安心院に目を向ける。
彼女は物言わぬ瞳で、まっすぐに雅を見つめていた。
その瞳の奥を見ながら、雅は続ける。
「わたしたちの知るアイドルは、時代遅れになってしまいました。だから、父がこうして事務所を畳むのは潔いと思います。かつてのアイドルの時代を十分に生きた。それだけで、十分ではないかと」
雅は胸に溜まっていたものを吐き出し、身体が軽くなるのを感じていた。
父の会社に呼ばれ、真っ先に考えたのは、「もうアイドルだけでは厳しいだろう」というもの。
アメリカに住んでいるとはいえ、日本の動向はチェックしている。その中で、かつて栄華を極めたスターダスト・ブロッサムが日に日に影が薄くなるのは、嫌でも感じられた。
それどころか、アイドル文化自体が陰りを見せ始めている。
完全にアイドルはピークを過ぎていた。
偶像としての幻影、その魔法が解けかけている。
それでも幻影を求める者は別の世界に歩み出し、時代はともに変化しつつあった。
スターダスト・ブロッサムが力を失ったのではない。
アイドルが、力を失ったのだ。
スターダスト・ブロッサムは時代とともに変わっていくのか、それともアイドルに固執して沈んでいくのか……、それも興味の対象だったが、父が出した答えはある意味、最も正しいものだった。
潔く、身を引く。
ここで終わり。
仕事上だけならば、やはり彼は尊敬に値する人物だ。
「……もう、そんな時代ではない」
安心院の声に顔を上げると、彼女は小さく微笑んでいた。
「わたしが先ほどと同じことを社長に言ったとき、社長は同じ言葉を口にしました。もう既に、我々の知る時代ではない、と。やはり、親子ですね」
「……………………」
さすがに、そうまとめられるのは面白くないが。
安心院自身も失言だと感じたらしく、話の矛先を変えた。
「雅さん。どうしましょうか。今日は顔合わせのつもりでしたし、業務の話は後日でも構いませんが」
「そうですか。んん。いえ、確認したいことがあるので、いくつかお伺いしても?」
「構いません。どれですか――」
そうして、互いに仕事の話に没頭したところで。
こんこん。
控えめな、ノックの音が事務所に響いた。
安心院と顔を見合わせる。ほかにもだれか? と表情だけで尋ねると、安心院は小さく首を振った。
「宅配便かもしれません」
安心院はそう答えたあと、扉に向かって、はい、と声を投げ掛けた。
すると、扉がおずおずと開く。
そうして入ってきた人物に、雅は目を見開く。
おそろしく可愛らしい女の子だったからだ。
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