第3話
何度目かわからない、気の抜けた声が雅の口から飛び出す。
安心院は気の毒そうにしながらも、淡々とした口調で続けた。
「社員はすべて退職しました。あぁ、ご安心ください、円満退社です。再就職先の面倒もきちんと見ています。そして、所属アイドルもすべて移籍か、退所しております。社員、タレント含めて、この会社に残っているのはわたしと……、新しく来た雅さんだけです」
「…………………………」
状況が飲み込めず、ただただ混乱する。
社員もアイドルも、ここにはいない。
完全な空っぽ。
そして、社長は少し前に他界している。
そこまで考えて、自分でも驚くほど冷静な質問が出てきた。
「……会社を、畳むつもりってことでしょうか」
「はい。社長の指示で、こうしてわたしたちは動いております。死期を悟った社長から指示を受け、とにかく社員とアイドルをほかに移すために、奔走しておりました。それも先日、どうにか終わりましたが」
スゥー……、と雅は小さく息を吸う。
いっそパニックになれたら楽だったが、冷静になった頭が次の疑問を紡ぎ出す。
「わたしは会社を継げと言われて、帰国したのですが」
安心院はそっと目を伏せて、それでもよどみなく答える。
「はい。承知しております。それも、社長の指示でした。自分が死んだあと、雅さんに会社を継がせるため連絡をしろ、と」
「ですが、既に会社はないも同然です。どういうつもりで、父はわたしを呼び戻したんでしょうか」
まさか、嫌がらせ? 葬儀にも出ないだろう娘に逆恨みして、死んだあとに一矢報いてやろうと思っていた?
そこまでされるほど、そもそも関係があったわけじゃないんだけど……、と考え、ある結論に至る。
それと同時に、安心院は雅と同じ考えを口にした。
「おそらく、ですが。会社の後始末を雅さんにお願いしたかったのではないでしょうか」
それくらいしか、思いつかない。
他人に面倒を掛けることに抵抗があっても、家族に対してはそうでもない人は多い。
父親の始末は家族が付ける、娘に任せる。
あとは頼んだ。
なんとも身勝手だが、そういったことを家族に行う人は往々にして、いる。
なにせ相手は、家庭を蔑ろにして、会社を大きくすることに躍起になっていた人物だ。
何をしてきても、そこまで驚きはしない。
そこに仕事が絡んでいるのなら。
ただ、一言くらいは言いたい。
「あんの、クソ親父……ッ!」
なんで二十年も離れていた親にこんな仕打ちを受けなきゃならんのだ、という話である。
思わず顔を覆って、言ってもしょうがないのに安心院に愚痴ってしまう。
「わたし、会社を辞めて帰国してきたんですよ……。そのうえでやらされるのが、潰す会社の後始末って……。勘弁してくださいよ……」
安心院は無表情ながらも少しシュンとした様子で、小さく呟いた。
「騙して、申し訳ありません。社長きっての願いだったんです。詳細を伏せて、とにかく雅さんを呼び戻すことが」
「……………………」
彼女の言葉に、やや冷静になる。
わからないことがあるとすれば、そこだ。
父親が雅を呼び戻したのは、死後だ。
死に際に娘に会いたい、せめて葬儀は見届けてほしい、という願いならわかるが、わざわざ死んだあとになんて。
さらに言えば、目の前の女性にも疑問が生じる。
「安心院さんが残っているなら、後処理に問題はないのでは?」
二十年も秘書を務めあげ、最後のひとりとしてこの会社に残っているあたり、父からの信頼を強く感じる。
それだけでも、彼女がいかに有能なのかが伝わった。
どこで何をやっているかわからない娘よりも、よっぽど適任だろう。
その疑問に、安心院はこくんと頷く。
「えぇ。わたしひとりでも、問題はありませんでした。ただ。これはわたしの予想ですが……」
安心院は事務机に近付き、パソコンのモニターに目を向ける。マウスを動かしたあと、画面を雅へ見せた。
そこには、数多くの数字がずらりと並んでいる。
「これは?」
「今のスターダスト・ブロッサムの総資産です。会社の資金としては心許ないですが、個人の資産としてなら結構なものです。これを、雅さんに残したかったのではないでしょうか。雅さんは、黙って遺産を受け取るタイプではないでしょうから」
「………………………………」
図星だった。
父が死んだのだから、遺産は子供に入る。離婚した母に権利はないが、娘の雅にはある。父は再婚もしなかったようなので、まるっとそのまま雅に相続されるのだ。
『遺産が欲しいなら、別にもらってもいいんじゃない。雅の好きにしたら。あ、そのお金で親孝行とかは勘弁してね。わたしはいらない』
実家の母と、「そういえば、遺産ってどうなるの?」と話した際、母はそう答えていた。
雅の好きにしていい。
そう言われると、「ならまぁ、もらわなくてもいいかぁ」という結論になってしまった。
父とは他人だ。
母は養育費をもらわずにひとりで雅を育ててくれたし、父が雅の人生に関わることもなかった。雅が会いたいと思うこともなかった。他人より他人の間柄だ。
父の遺産が雅の懐に入れば、間違いなく人生は雅のものではなくなる。
金がどれだけ人を狂わせるのか、この仕事をやっていれば嫌でも思い知るというもの。
この歳になって、父親からの横やりで人生がおかしな方向に行くのは避けたかった。
――ならば、なぜ父親の会社に来たのか?
それは自分でも矛盾していると思うが、それは――。
「雅さん?」
安心院に声を掛けられ、はっとする。思わず考え込んでしまった。
咳払いをしてから、彼女と目を合わせる。
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