第4話

ドアの前で立ち止まった状態で右から左へ、すーっと視線を動かす。ここで見つからなかった場合は、歩いて探さなきゃなぁと考えたときだった。


「あっ……」


 声にならない声をあげてしまった理由――視界の一番左端にいたアイツと、バッチリ目が合った。ドアノブを握りしめた私に、彼が視線をロックオンしたことよりも、別の部署にいる仲のいい同性の同期と3人でお昼を食べていたことに、ひどく困惑する。


(ううっ、私がこのままここにいることは、絶対に不自然になる。なにがなんでも、アイツのところに行かなきゃ)


 アイツから放たれる視線を感じつつ、なんとか足を前に出して、ゆっくり歩いた。ぐさぐさ突き刺さるようなそれを意識してしまい、顔がどうしても変になってしまうのはいた仕方ない。


「おまえ、なにしに、ここに来たんだよ?」


 俯き加減でアイツの前に登場した私に投げかけられたセリフは、疑問に満ちていて当然だと思う。


 恐るおそる顔をやっと上げたら、ベンチに座っている3人が、揃って私をじーっと見ていた。逃げられない現状を目の当たりにして、ビビりまくりながらも、なけなしの勇気を振り絞る。


「あのね、これっ!」


 手に持っていた紙袋を、勢いよくアイツに押しつける。しかも若干怒ったみたいな言い方になったのは、心の内を晒さないための強がりだった。


「なんだ、これ?」


 すごくかわいくない態度で渡した紙袋を、アイツは眉根を寄せて受け取り、中を覗き込む。


「抹茶のシフォンケーキを作ったんだけど、たくさん作ったから、お裾分けしてあげる。食後のデザートにどうぞ!」


「これ、おまえが作ったのかよ?」


「うん……」


「へぇ、すげぇな。コイツらにやってもいい?」


「……いいよ」


 アイツのために作ったのに、この場では嫌だとは言えない。黙ったまま、ことの成り行きを見守った。


「食後のデザートだってさ。ラッキーだったな」


「ぉ、おう。サンキュー」


「ありがと」


 口々に感謝を述べられたけど、アイツからは『すげぇな』のひとことのみ。これを素直に喜んでいいのかな。


実に微妙な空気の流れる中で、アイツの隣にいる同期がいきなり頭を抱えた。


「ああっ、しまった! 先輩に頼まれてた書類、午後イチで提出しなきゃいけなかった」


「なにやってんだ。手伝ってやるから早く戻ろう。これ、あとからいただくから!」


 アイツの隣にいたふたりが、大騒ぎをしながら去って行く。突然のことに、茫然とその背中を見送った。


「あのさ――」


「なっ、なに?」


 屋上の出入口に視線を飛ばしていたため、いきなりアイツに話しかけられたことに驚き、体をびくっと震わせた。


「俺、甘すぎるお菓子、苦手なんだけど」


「知ってる。だけどそのシフォンケーキは甘さが控えめだから、きっと大丈夫だと思うよ」


「どうしてそのこと、知ってるんだ?」


 答えにくい質問を投げかけられ、ひゅっと息を飲んだ。途端に頬が熱くなっていくのを感じて、逃げ出したい気持ちに駆られる。


俯いてモジモジする私を見たアイツが、苛立つように口を開く。


「答えられないのかよ」


「たっ、たまたま偶然アンタの好みを聞いたからって、これを作ったんじゃないんだからね」


「そうなんだ、ふぅん」


 身構える私の目の前で、アイツは紙袋からビニールのラッピングに入ったシフォンケーキを取り出した。がさがさ音を立てて中身を引っ張り出すなり、親指と人差し指を使ってスポンジをぎゅっと押し潰す。


「ちょっ、なにやってんの!?」


「なにって柔らかそうだったから、つい」


「ついって、そんな……」


「すげぇな、これ。押しても戻ってくる」


(食べる前にこんなふうに遊ばれるなんて、想定外だよ――)


 頑張って作ったシフォンケーキを雑に扱われ、絶望に打ちひしがれている私の前で、アイツがそれをやっと口にした。


「んっ、甘っ!」


 告げられた判定は『美味い』でも『不味い』でもなく『甘い』――それは、失敗を意味するものだった。


 唇を噛みしめながら、両手をぎゅっと握りしめて、悲しさをやり過ごす。やっぱり渡さなきゃ良かったと後悔しまくった。


「……甘いけど平気だ」


「えっ?」


 もう一口、はぐっと噛みつくように食べて、嬉しそうに頬を緩ませるアイツを、まじまじと見つめた。失敗したと思って心底凹んだあとだったからこそ、喜びがじわじわと湧きあがる。


「すげぇしか言えなくて悪いんだけど、これなら甘くても食える。抹茶の風味と渋みが口の中に広がるから、うまいこと甘さを抑えているのかもな」


 告げられるシフォンケーキの感想に、無言のまま頷くのが精いっぱいだった。


「これなら店に出しても、文句の言う客はいないと思う。親に食べさせてやろうかな」


「親?」


「うん。俺の実家、ケーキ屋やってるんだ」


 ガーン! アイツの実家がケーキ屋だなんて、衝撃的すぎる事実なんですけど!


「毎日売れ残った商品がおやつだったし、ケーキの焼ける匂いが家の中に充満していたせいで、甘いものが好きじゃないんだけどさ」


 そう言いつつも、大きめにカッティングされたシフォンケーキの一切れ分を、ぺろっと平らげてくれた。


「おまえの作ったこれなら、食べることができる」


 手に持っていた空のラッピングを紙袋に入れるなり立ち上がり、いきなり私の頬をぎゅっとつねる。


「いっ、痛いってば」


「さっき食べたシフォンケーキと、おんなじ柔らかさだよな」


「だからってわざわざ、こんなことして確かめるなんて酷い!」


「おまえの頬が、ショートケーキの上にのってるイチゴみたいに真っ赤になってて、美味そうにみえたから。つい……」


(イチゴみたいに真っ赤って、そんなに赤くなってるの!?)


「そっそれは今日はなんだか、いつもより暑いから。そのせいだって」


「じゃあどうして、いつもより髪の毛が綺麗にまとまっていて、顔も不細工じゃないんだよ?」


「それは――」


 顔全部が、さらにぶわっと熱くなる。摘まれてる頬の熱が、アイツの指先に伝わってるかもしれない。


 しかもアイツらしい、ぶっきらぼうな言葉遣いで、私が綺麗にしたことを指摘されるとは思いもしなかった。


「こんなことされたり、赤くなってる顔を見たら、期待してもいいのかなって思うだろ」


 告げられた言葉に返事をしようとしたら、自分よりも背の高いところにあるアイツの顔が、音もなく近づいた。つままれている頬の指先に力が入った瞬間、唇が重ねられる。


 信じられない出来事の連続で、思考停止状態になる。目を開けたまま、キスを受け続けた。


「ずっと好きだった。一目惚れって感じで」


「一目惚れ……」


 アイツの顔に焦点があったときに告げられた言葉を、オウム返しするのが精一杯だった。頬をつまんでいた手が唇に移動して、なぞるように優しく触れる。


「おまえさ、他のヤツらと喋るときは楽しそうにしてるくせに、俺とは全然だったろ」


「それはっ! ……それはアンタが、私を馬鹿にするようなことばかりっ!」


 今度は文句を言う私の唇を、きゅっと摘む。たったそれだけのことなのに、心臓が跳ねるみたいに弾んだ。


「しょうがないだろ。好きすぎて、素直になれなかったんだから。おまえの気を惹こうと必死になってた、俺の気持ちなんて知らないだろ」


 なにか言いたくても、唇をつままれた状態なので、自分の想いを伝えたくても伝えられない。


「だけどさっき、屋上の戸口のところで、真っ赤な顔で俺を探しているおまえを見て、素直になろうと決心したんだ。そしたら事情なんてなにも知らないアイツらが、気を利かせていなくなったのはビックリした」


 ちょっとだけ頬を染めたアイツが、私の唇をやっと解放した。


「私はラッキーって思っちゃった。ふたりきりになれるから」


「ハハッ! おまえ、まんま顔に出てたもんな。あんた達は邪魔よって」


「嘘っ!?」


「本当だって。アイツらがいなくなった途端に、ほっとした顔になったもんな」


 そのときの心情を言い当てられ、複雑な感情に苛まれる。だけどここで、怯んでばかりはいられない。


「ほっとするに決まってるでしょ。だって――」


 美味しそうにシフォンケーキを食べただけじゃなく、堂々と告白してくれたアイツの想いに報いたい。


「大好きな人の笑顔をこうやって独り占めできる時間を、ふたりで過ごしたかったし」


「ぉ、おう」


 照れて頭を掻きながら視線を彷徨わせる見慣れない姿に、思いきって告げてみる。


「これからもこういう時間を一緒に共有したいので、私と付き合ってくださいっ!」


 アイツの顔をしっかり見上げて大きな声で言った告白に、目の前にある顔がみるみるうちに歪んでいく。


「なんでおまえが、それを言うんだよ。俺から言おうと思って、いろいろ考えてたのに!」


「そんなの、アンタがさっさと言わないのが悪いでしょ」


「こういうのは、タイミングが大事なんだって。いいムードを見事に壊して、いきなり言う感じは、ガサツなおまえらしいよな」


「いいムードなんて、全然なってなかったよ。もう!」


 言いながら、アイツに体当たりしてやった。体の小さい私がそんなことをしても、大柄なアイツはびくともしない。そのことに余計苛立ち、ぷいっと背を向けたら、突然右手を掴まれる。


「ガサツなおまえの相手をできるのは、この俺くらいなんだから、これからはこうやって手を繋いでやる」


 明後日のほうを見ながら告げたアイツの耳は、パイに使うラズベリーみたいに、すごく真っ赤になっていた。返事の代わりに、繋がれた手に力を入れて握り返す。


「ほら行くぞ。お昼休みが終わる前に部署に戻らなきゃ、また先輩にどやされるだろ」


 ふたりきりの時間を少しでも堪能したくて、足が重たくなっている私を、アイツは強引に引っ張りながらも、歩く速度をゆっくりにしてくれる。そんな優しさに甘えつつ、隣に並んで歩いた。


 これからふたりそろって、仲良く並んで歩く未来のように――。


 Happy End


最後に男性目線をお楽しみください♡

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