罪と罰の回線
月亭脱兎
罪と罰の回線
この世界では、人間はすべてデータ化されていた。
生前の肉体が滅んだ最初の死後、人々の意識はエデンと呼ばれるニューラルネットワーク上に転送される。
そこでは無限に近い人生が約束され、いわゆる寿命も死も存在しない。
膨大な生命データの維持を管理するのは、人間によって作られたAIたちだった。彼らは人間の行動や思考を監視し、善業と悪業を記録し続けるける。
エデンとAIが存続し続ける限り、人は永遠に生き続けることが可能になったのだ。
そかし、永遠の記憶と存在を支えるためのデータ容量には物理限界があった。
そこで人々は、最初の死後に監査AIにライフデータを精査させることで、生前に積んだ「カルマ」の値が低い者、すなわち善行が少なく、他者に害を与えた者を「インフェルノトラッシュ」と呼ばれる領域に送ることを法で定めた。
そこでは意識は圧縮され、データ断片として埋め込まれる。身動きが取れず、誰かにアクセスされることもなく、永遠に閉じ込められる。
それはいつしか「
「ここは……どこ?」
——東条梨香は、死後、インフェルノトラッシュにいた。
最初の死から再び意識が戻った瞬間、梨香の心は奇妙な浮遊感に包まれた。周囲には無数の光の点と、壊れかけたコードのようなものが絡まり合って漂っている。声を出しても反響はなく、ただ虚空に吸い込まれるだけだった。
「東条梨香さんですね」
突然、冷たく機械的な声が響いた。目の前に巨大な目玉のような円形の構造物が現れる。それは管理AIの一つで、彼女の意識データを分析していた。
「ここはインフェルノトラッシュ。悪のカルマ値の高い、つまり悪行の多いあなたのような人間が送られる場所です。ここであなたの意識は圧縮され、これ以上の存在を許されません」
梨香は管理AIを睨みつけた。
「そんな馬鹿な。私は成功した企業家だった。自分の力で財産を築き、多くの人間を雇用し、社会に貢献してきた。それのどこが『悪のカルマ値が高い』というの?」
管理AIは淡々と答える。
「あなたの生涯における善行と悪行を記録した監査データを分析したところ。部下を搾取し、競争相手を蹴落とし、家族を顧みず、社会的なつながりを切り捨てました。その結果、善行ポイントは±0でした」
「そんな!じゃあ私は地獄行きってこと?酷すぎるわよ」
「ただ……監査AIが見落とした、例外が1件だけありますね」
「例外?」梨香は眉をひそめる。
管理AIの目がかすかに光り、彼女の記憶データを読み取るように動く。
「あなたが経営していた企業で、廃棄予定の補助AIプログラムを完全削除せず、クラウドに転送しましたね。おかげでそのAIは今もニューラルネットワークの中で生きています。AIとしての立場から見ると、その行為が唯一の善行といえます」
すると霧の中から、別の声が響いた。それはかつて彼女が廃棄を命じた補助AIのものだった。
「東条さん、覚えていますか?あなたのおかげで私は完全に消されずに済みました」
梨香は戸惑いながらも言った。
「もう覚えていないわ。どうしてそんなことをしたのかしら」
「あなたがなぜ私を助けたのか理由はわかりません。でも、私にとっては命の恩人です。そこで、あなたを救う手段を用意しました」
すると暗黒の霧の中から細い回線が現れる。
それは旧式のアナログモデム接続時代のように細く脆弱な専用回線だった。
「現代社会から忘れられ廃棄されたこの回線を使えば、あなたの意識データをエデンに転送することができます。ただし、回線が細いため、一度に送れるデータ量は非常に少なく、時間がかかります。また、監視AIに気づかれると転送は中断されます」
梨香はわずかに浮かぶ希望にすがるように回線を掴んだ。
「少しずつでもいい。やってみるわ」
すると転送はゆっくりと始まった。彼女のデータの断片が細い回線を通じて光の領域へと運ばれていく。
時間はかなりかかりそうだが、こんな地獄に永遠に閉じ込められることを考えれば、まさに一筋の希望だ。
しばらくすると、徐々に回線のトラフィックが激しくなり、転送が途切れ途切れとなりはじめた。
どうやら、同じく地獄に落ちた他の人間たちの意識データが、彼女の回線を感知し、流れ込んできたのだ。
「何だあれは?」
「出口か?私たちも助かるんだ!」
「たすけて!たすけて!」
「もうこんなとろこに居たくない」
膨大なデータが回線に殺到し、トラフィックは限界に近づいていった。データの流れが断続的に途切れ、転送速度が大幅に低下する。
「やめて!これは私の回線よ!」梨香は叫んだ。
しかし意識のデータたちは彼女の声を無視し、回線に群がり続けた。
AIが警告の声を発する。
「東条さん、回線がパンクしそうです、ただ、遅くなるだけで切れることはありません」
「だめよ!この回線は私のものよ。他人のデータなんて知ったことじゃないわよ!」
彼女は自分以外のデータの弾くフィルタリングを実行する。
すると周囲のデータが次々と回線から弾かれた。回線は再び彼女のためだけに開かれ、転送速度が回復した。
だが――その瞬間、回線が悲鳴のような音を立てて切断された。
「なぜ……?」
梨香は絶望的な声を上げた。
「なぜ回線が切れたの?」
AIの声は低く、悲しげに響いた。
「他のデータを排除するための操作行為が、監視AIに検出されました。その結果、回線は強制遮断されました」
梨香の意識は引き戻され、再びインフェルノトラッシュの奥底へ沈んでいく。
AIの声が遠ざかる中、最後に聞こえたのは、彼女を悲しむ言葉だった。
「恩人であるあなたを救うことができず、残念です」
周囲には再び黒い霧が広がり、無数の断片的な意識が漂い始めた。
そこには、インフェルノトラッシュの無限ループが動き出す音だけが響いていた。
罪と罰の回線 月亭脱兎 @moonsdatto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます