わかれ愛

中田ろじ

わかれ愛

 死にたいと呟いた分だけ世界は私に冷たくなる。だからもう呟かない。そんな決意は七秒後には砕けていて、気づけば口先だけの無気力な少女が鏡の前に映っている。

 不細工が目の前にいる。泣きはらした真っ赤な目。涙の後は申し分なくついていて、アメンボなら水泳大会開けそう。というかまだ流れる。涙よ涙、超えてゆけ。現実なんて超えてゆけ。

 よく泣く女の子だ。小さい頃からそう言われていた。超ド級に泣いていたのに、生まれて初めての刺身(中とろ)を口に入れたら泣きやんだという。酔っ払いママの思い出話。その話を聞くたびに、この頃から食い意地張ってんなーとか思っていたけれど、いまなら違う思いが頭に浮かぶ。きっと、逃避先ができたことに安堵したから。だから涙が止まったんだよ。

 口にする食べ物全般に感動を覚えられる幼少期なら、そりゃもう逃避するには絶好の場だ。食べ物の味。美味しいものへの貪欲な探求心。生きていくためにも必要なわけで、そりゃあ感動もひとしおだろう。でも十七年も生きて来れば、全てとまでは行かないまでも、だいたいの味は範囲内に収まってしまう。そうすると自然、逃避先がなくなるのだ。だからその分、悲しみからの逃げ道が狭まってしまう。

 この世の悲しみへの対処の仕方というものを大人は教えてくれない。でもきっと。懇切丁寧に教えてもらえば、んなわけねーだろと反発することは必至なわけで。だとしたらどうしたって習うより慣れろということになる。

 でも。だからって。そう簡単に慣れるものではない。いやむしろ。慣れてはいけないとすら思う。その代わりに死を呼び寄せたくなる私は、巷で言うところの『重い女』の代表格なのだろう。

 だけどさ。人を想うってのは。基本、命懸けなんじゃ、ないの?

 二度と来ないと思っていた涙との再会。ていうかそろそろ。二度と来ないと誓って欲しい。涙には。

 付き合い始めの頃がもはや思い出というより夢の世界みたいになりつつある。駆け引きは上手い方だ。メールはすぐに返しちゃダメって。ママはカラオケでよく歌う。

 付き合いに至るまでの過程を、できれば私はすっ飛ばしたい。そんなのあり得ないと言う女の子は多いだろう。でも私としては。付き合ってからが始まりなのだ。好きな人とは恋仲にならなければ意味が無い。結果より過程が大事などというのは、こと恋愛に限って言えば何寝言ほざいてんだよって本気で思う。モノにしなければ。付き合うという約束を交わすことで他の女を寄せ付けないようにしなければ。恋の中身は心だろ? 下心だろ? だったら本能の赴くままに向かうのが恋愛の作法なのではないか。

 恋に恋するのは少女漫画の中だけで充分だ。リアルな恋愛は手に入れてからの方が楽しいに決まっている。そういうわけで攻防を仕掛けながらようやく手にした意中のお相手だというのに。

 別れましょうってどゆことよ。

「だって。重いんだもん」

 いま気づいた。中学から遡って。歴代の彼氏の別れ話の内容が、いつも同じであることに。

「え。なにそれ失礼な。私そんなに太ったかな」

 再び気づいた。そんな別れの言葉に対して、冗談ですよねアピールの返しがいつもワンパターンであることに。その時のひきつった笑みを、なんなら顔面の筋肉が記憶してしまっていることに。

 だからさ。人を想うってのは。基本、命懸けなんじゃ、ないの?

「ああ。死にたい」

 別に死にたいわけじゃない。なんなら死にたくなんかない。でも死にたいのだ。空虚な死で紛らわせたいのだ。生きていたことを無かったことにしたいのだ。

 三たび気づく。私の恋はここまでがワンセットなのだ。惹かれて、付き合って、別れて、死にたい。惹かれて付き合って別れて死にたい。

 悲しみへの抗議として死を選ぶ。どうしてそこまで考えてしまうか。本気だったからだ。私には彼しかいないし、彼以外に考えられないし、なんなら彼のためだったら命なんて惜しくない。

 本気。それがなかなか伝わらなかったりするのがもどかしい。どうやったら本気を示せるのか。毎度毎度そこに頭を悩ませることが多いのは事実だ。結果としてドン引きされたことしかないから、基本自重はしている。

 彼氏と一緒にいてさ。冷めることとかないの?

 その問いに対してはむしろ問いで応えたい。

 冷める瞬間を見て冷める愛情なんて本当の愛情じゃないんじゃない?

 彼が好きということは。彼が好きだということだ。彼が好きだということは。彼の全部が好きだということだ。なんなら彼の吐瀉物だって排泄物だって。全てを愛せる覚悟が無ければ、そもそも想いを伝えることすら失礼なんじゃないだろうか。

 ブーブー音がする。私の主張へのブーイングかと思って聞き流そうとしたけれど、実際はスマホの震えだった。

『やあ。ご愁傷様。もしかして死んだ?』

「まだ死んでない」

『そっか。そろそろ生き返ったら』

「まだそんな余裕ない」

『うんうん。それでいいと思うよ』

 コバチの声は電話越しでもあっけらかんとしている。人の失恋などお構いなしに私の傷口に塩を塗りたくってくる。

『どうせまた重いから別れてって言われたんでしょ。あはは。だっせぇ』

 切ってしまいたい。電話ではなくコバチの頸動脈を。

『もちろん。だっせぇのはみゃーちゃんを振った男のことだよ。勘違いしないでねん』

「…………ホントにそう思ってる? 気休めじゃなくて」

『私が嘘を吐けないのはみゃーちゃんが一番知ってるでしょーに』

 惹かれて付き合って別れて死にたい。このワンセットにはまだ続きがあった。

「そっか。最後にこうやって生き返るから。私はまた死にたくなるのか」

『みゃーちゃん』

「なあに」

『死にたくなったら電話して』

「掛けてきたのはコバチじゃん」

「ああ。そっか」

 コバチがあっけらかんとそう言った。

 夜中の電話が終わる頃、私は生き返っているのだろう。




【了】

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