時の狭間、運命の出会い
格子窓から差し込む光をあてに日付を数えるようになってから12日経った。看守さんにねだって猫を貰ってから3日。今日は12月25日。
本当なら一昨日、日本に帰国する予定だったんだけど……。急に豚箱行きになってから12日経ってしまった。
小説によくあるように、一生地下牢とかになってしまったらどうしよう。私15歳になったばっかりなのに。16歳になったら大恋愛をする予定だったのに、18歳になったらその人と結婚するつもりだったのに。
床は冷たいけれど猫のお腹は暖かい。名前はルーシー、もっぱらルールーって呼んでいる。金色に白の斑毛の猫。私と同じ青い目。この子はジェスチャーで看守さんに貰った。外から鳴き声がしたんだ〜。幸いなことに看守さんがミルクをくれるから、ルールーの餌には困っていない。
ルールーは揺れるものが好きみたい。だから普段は私の髪をおもちゃにしている。巻き毛だったころの名残で私の毛先はまだクルクルしているから、大層お気に召したみたい。ツルツルだった私の手も何度がルールーに引っ掻かれて可哀想なことになっているけど、この子と離れたくない。どんなに寒くて怖くて不安でたまらない夜もルールーがいれば耐えられるから。この子は私の仲間だから。
セミロングの髪を猫じゃらしのように持っていると、ルールーがぴょぴょんと舞い始める。
外で靴音が響く。また誰かが連れ出されるのかな? この間連れ出されたけど戻ってきた人は息絶え絶えだった。夜、うめき声が聞こえたから拷問を受けていたのかな? 先進国では拷問は禁じられているけど、この国を同じ尺度で測ってはいけない。だって、この国は先進国とは言い難いから。格子窓からボーと音が響く。
なぜ21世紀の今、蒸気船が? 帆船もチラホラと見かける。一度、港で見ただけだけど、服装も古い気がする……ひょっとしたら正装として着ているだけであって普段は違うのかもしれない。でもなぜ祭りもなさそうな日に正装を?車でなく馬車が闊歩していた。タイムバックしたの?私?
靴音が近くなり、私の独房のドアがガチャガチャとなる。私は慌ててルールーを膝に座らせ——少し苦戦した——髪を手櫛で整えて後ろに流した。
ギィィィーーーと鳴り、ドアが開いた。
看守さんと40代くらいの——たぶん——かなり身なりがいい栗色の髪の男性と、20そこそこって感じの暗いアッシュブラウンの髪の男性。20そこそこくらいの男性はこちらをジッと見たきり戸口から動かない。看守さんはドアの前に待機しているが、40くらいの男性に私を指差し何かを言われた男性はハッとしたのかこちらに近づいた。
私はワンピースをパッパと払ってから立ち上がった。目上らしき人には目を合わすのが礼儀だと思ったから。ルールーを抱き抱えたままのことに気づいたけど、今さら下ろすわけにもいかない。どうしよう。
「私はヨハネス•ウィリアム•ド•ハイド。其方の名は? 年はいくつになる?」と20そこそこの男性、改めハイドさんは流暢なフランス語で尋ねた。フランス語が話せるってことはこの人が「何とかって伯爵」か。
「アケミ•エリザベス•エアリーです。ひと月前、15歳になりました」
本当はあと2つミドルネームがあるけど、言わなくていいよね? そもそも伯爵様があんなに短い名前のわけがないし。
ハイド伯爵は鷹揚に頷くと「ヴィンス7世の末裔というのは事実か?」と尋ねた。
やっぱりその件か〜、と思いながら「そう伺いました」と頷いた。
「其方の祖母、という女性はどこにいる?」
イギリスに居ます、なんて答えたら連行されてしまうのかな……。
「もう死にました」となるべく瞬きを増やさないように意識しながら答えた。もちろん嘘。「祖母は……祖父方の遠縁の親戚に託しました。祖父も父もとうの昔に死んでいますので」最後の一言だけは本当。
「其方はスヴェトラーナ-ジョセフィン后の子孫か?」とハイド伯爵が尋ねた時、40くらいの男性が私の顔をジッと観察し始めた。
「スヴェトラーナ后は存じ上げません。ですが父方の高祖母の名はジョセフィン•デイヴィスだと伺いました」
「そうか」と伯爵はこめこみをトントンと突き始めた。苛立っている?「其方の国では15の年で成人するのか?」
急になんで? 私の祖国って……うーん……。日本? イギリス? 日本の法の中で生きているから日本人。だけど日本人から日本人として見られることはほとんどないからイギリス人。でもイギリス人として生きていたことはない。父は死んでいるから日本の方でいいのかな?
「20歳で成人します」
伯爵は何かを40くらいの男の人言った。40くらいの男の人は手で何かを払う仕草をすると、2人は出て行った。私はヘナヘナと床に座り込んでしまった。不安でルールーをキュッと抱きしめた。
私の言葉遣い、問題なかったかな。
あの40くらいの男性は誰だったんだろう? 服装や動作、2人の立ち位置、伯爵への接し方を見るにかなり上の人。公爵? 王族? お貴族様の序列はよく分からないのが困る。
あの客室係め。客の情報をポンポン漏らしちゃダメでしょ!
ドアは閉められていないから2人の話し声はよく聞こえてくる。だけど何を言っているのかはさっぱり分からない。分からないけれど耳を澄ませた。私が習得している言語のうち、どれかと似ていたら少しでも分かるかもしれない。
どことなくフランス語と似ているけれどオランダ語やドイツ語にも似ている。ん? ロシア語っぽくもある。ヨーロッパ諸言語を混ぜた感じだけど、エスペラント語とも違う。
お手上げ! 紙とペンがあれば発音記号をメモして、後日に解読できたのに。
私はぷすーとむくれ、ベッドに顔を埋めた。その間にルールーは私の膝から脱出し、ベッドに登り、私の髪で遊び始めた。
「ルールー、きみだけが癒しだよ」とフランス語でも日本語でもない言語で呟いた。
ハァと息を吐くと、ハイド伯爵が入ってきた。
私が立ちあがろうとすると、伯爵は「そのままで」と手を横に振り、1.5人分のスペースを置いて私の隣に座った。
そして事務的と温かみの混ざる声で「其方は私の屋敷に置いておくことになった」と。
ん? タイムスリップしたんじゃなくって異世界に行ったの?
伯爵は大声のゴーディラック語で何かを言った後、フランス語で「2019年12月6日、午後2時49分をもって其方をハイド邸に軟禁する」と言った。テノールの低い声はよく響いた。
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