第3話 名前
「ジブンらを買ったんわ駒を増やす為や。そのためにジブンら鍛えて立派な武士にしたるから」
駒か。九蓋がなぜ俺たちを買ったのかは理解できた。もしここで慈善活動であるかのように話始められた方が不気味というものである。問題があるとすればその教育方法であろう。どの程度の危険があって、この男が俺たちを切り捨てるラインがどこにあるのかを正確に知りたい。
「初めは体力作りからや。僕がいいゆうまでこの場所をぐるぐる回り」
初めから無理難題を言われることはなかった。最悪堕獣を狩って来いと言われるかもと思っていた分少し拍子抜けであった。周囲の子の中には今の言葉、つまり俺たちを人ではなくただの駒としてみているという言葉に不満を持っている奴もいるようで、小声で九蓋の不満を口にしている。その行為に対して俺は不安を抱く。もしも、この行為に対しての責が連帯ならばどうなるだろうか。最低でも同室は連帯となる可能性もあるのかもしれない。しかし意外にもその小言に対して九蓋が罰を与えることはなかった。
それから
周回遅れになりほとんど走れていない奴が出始めても九蓋は止める気はないらしい。俺たちの回っている場所の中心に立ちながら俺たちのことを見ている。
遂に初めの脱落者が出た。一番後ろを普通に歩くよりも遅い速度で走っている奴がぶっ倒れたのだ。それに対して九蓋はゆっくりと近づいていき、コースの外へと蹴り飛ばした。邪魔にならないようにするためだろう。そのまま声を張る。
「いつ僕が止まってええってゆーたん」
折檻が始まる。九蓋の醸し出す険悪な雰囲気で子供たちはそれを理解した。だがこれで九蓋の指標はなんとなくだが理解でき始めてきた。つまり、初めの言葉通り九蓋は自分に従順な駒が欲しいんだ。勝手な行動をせず、唯々言われたことをするそれだけの存在。だからあいつは止まるまでは許された。どこまで遅くなろうとも、走るというやつの命令だけは守っていたからだ。回っている関係上、男の折檻現場に近づくタイミングが来る。少し速度を緩めながら横目で確認する。
「何かってなことしてるん。価値のないジブンみたいなごみをわざわざ僕が武士にしてやるゆーてんねんから、頑張らな。わかるやろ。なあ」
軽く蹴りを入れながら淡々と言葉を使っている。疲れているときにあんなふうに自分の価値を否定されたら心に来るものあるだろう。それに純粋に暴力もつらいだろう。だが、それに対して文句をいう者はいない。ここを通るときにもうすでに何回も見ているはずだが、皆が一様にひたすら走ることに集中していた。
その中で目を見張るのはやはりあの初めの少年だろう。彼は俺のいるところよりも後ろを走っていた。それはその隣のどんくさそうな少女を守るためだろう。少女の隣で後ろから軽く押し励ましながらこの鍛錬をやっている。恐るべき身体能力だ。それに対して九蓋の叱責は飛んでこない。これをやり切るという能力よりも俺はあの光景の前でこれをやり続ける胆力の方に関心が良く。
この走り込みの鍛錬は結局どのくらいやっていたのか考えることはできないほどであった。ただ、日が上を通り抜けていることは確かだ。すでにまともに走り続けられているものはいない。ほぼ歩くような速度で走っているようなやつが八人、それ以外は脱落し折檻を受けている。それが恐ろしく俺は止まることができていない。
「止まってええで」
ようやく九蓋からの許しが出た。足を止めると膝が笑ってしまい言うことを聞かない。倒れ込むと目の前がちかちかしてくる。まともに考えをまとめることさえ難しい。
「はいこれ飲んで」
何かを渡された。それを受取ろうとするが手を持ち上げることさえできない。するとその様子を見て俺の頭を持ち上げ、口の中に水を流し込んでくれた。命の水だ。多少呼吸が安定してくるのを感じる。
「あ、あり……が」
上手く舌が回らず感謝を口にすることもできない。見ればそこにいたのは同室の少年であった。
「大丈夫?」
心配そうにするその瞳には朝に見たときのように人のよさが見て取れた。よくこんな状況で人に意識を割くことができるなと感心する。とはいえこいつの汗のかき方からして早々に脱落してはいそうなものだが。しばらくそのまま過ごしているとだんだんと体に力が戻ってきた。
「今日は初日やしこの辺で終わりにするわ。明日も朝同じ時間に集合や」
九蓋はそれだけ言うとその場から立ち去り自分用の他よりも大きい家の中に入っていった。やっと終わった。しかし、初日だからという言葉が気になってしまってしょうがない。つまり明日以降はこれに加えて別の鍛錬もあるということだろうか。体がもつとは思えない。
「終わったみたいだし、家に戻ろうよ」
「ああ」
少年に肩を貸してもらいながら家に戻ろうとすると、そこに声がかかった。見ればそれは初めの少年であった。どうやら彼はこの集団のリーダーに名乗りを上げたいらしいと思ってしまうのは少し穿った見方だろうか。
「少しいいか。ここにいる者はこれから苦楽を共にする仲間だ。それで自己紹介でもしておかないか」
その提案にはほとんどの者が賛成したが、中にはそれを無視して帰ってしまう者もいた。しかしそんな奴はこっちから無視しても構わないだろう。この場所は危険だ。精神的にも肉体的にも。人間は弱い。とても一人で耐えられるとは思えない。ここで仲間や手下をつくることに意義は存在しているだろう。
「俺は
初めの少年。水仙が気にかけている少女は妹だったようだ。兄妹同時に売りに出すというのは相当金に困っていたのか、それとも別の事情があるのか。
この世界に来てからの俺には名前はなかった。どうすればいいのかと悩みながら自己紹介を聞くことになる。一人、また一人と自己紹介は進んでいく。ついに俺の隣にいる少年の番になった。
「えっと、僕は
少し緊張気味に彼岸は挨拶を終えた。そのあとは順番的に俺の番だろう。広場にいる子供たちの視線が俺に集まる。皆、緊張からかどもることはあったが名前を答えられないということはなかった。名前はもらっているのだろう。いやもしかしたらこの体の少年も名前はあったのかもしれない。ただ俺が知らないだけで。
「俺は……
結局出てきた名前は前世の俺の名前であった。この世界でもこの名前を名乗り続けなければいけないという事実に吐き気がする。せっかく与えられたチャンスなのに、俺は結局囚われてしまうのか。あの何者でもない空虚な自分に。
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