10:ブリ夫
仕事帰りの電車。だけど今日は、自宅とは反対方向に向かっていた。帰宅ラッシュ間近でなかなか込み合ってはいながらも、座席をゲットできてラッキー。
向かう先は、加藤精肉店。
電車の揺れに眠気を誘発されながらも、事故現場へ、せめて花を手向けに行くのだ。
これまで、転生者のところになんてほとんど出向いたことはないが、あれほど現世に未練が残っていた子を見るのは初めてだったから、ちょっと衝撃的だった。
だからまあ、俺が俺の心に踏ん切りをつけるための儀式みたいなもんだ。
どうか異世界でも元気にやってくれよ。と、お祈りして、気持ちの整理をつけたかったのだ。
あと割と近場だし。
最寄り駅まで20分揺られて、うたたねもしつつ、無事に到着。商店街は、トラックの爪痕は未だに残るものの、既に活気を取り戻しつつあるようだった。たくましい限りだ。
そんな商店街の花屋から、適当な花束を見繕ってもらった。ちょっと歩いて、すぐに目的地を発見する。
一棟だけ潰れた店は、改修工事の真っ只中。
店のすぐ前に設置された献花台には、山程の花やお供え物のお菓子やジュースで彩られている。
間違いない。ここが加藤精肉店だ。
「いらっしゃい! お客さん!」
ついまじまじと眺めていると、店主らしき親父さんが気前よく挨拶をしてくれた。俺はなんと言ったらいいか分からず、ペコと会釈をして、持ってきた花束を差し出しす。
親父さんは「ああ、君もか。ありあとうね……」と、その声音はたちまち弱く寂し気なものへとなってしまった。
そうだよな。
残された親族は、そりゃ寂しいよな……。
そして、それでも健気に店を切り盛りする姿勢が、こりゃまた哀愁がひとしおだ。
なんだか気まずくなっったので、いそいそと献花台に花を添えて、よし。これで俺は満足。
申し訳程度に、肉でも買って帰ろうかと考えていた矢先、不意に、背中から声を掛けられるのだった。
「おい、拝みもしないのかよ。だったら持って帰りな。ミーハーが聖地巡礼気取りで記念に供えた花なんざ、何の供養にもならねえよ! さっさと消えろバカ野郎!」
男子学生的なハリのある声とともに背中にバサっと軽いものを投げつけられる。
すぐにそれが、自分の供えた花束であることに気付いた。花屋で包んでもらったばかりの、まだ瑞々しい花の水滴が背中に入って「ひゃっ」となった。恥ずかしい。
「痛っ! なんだなんだ?」
思わず痛いふりをして、振り返る。
目つきが悪い学ラン男子。それが第一印象だった。
「ああ、ヒロト君。来てくれたんだね。ありがとう」
ああー。彼がヒロト君か。咲姫ちゃんが異世界転生する条件として、異世界転移することになったのが彼なのか。
でも今のところ、まだ転移してないようだが……。
「もちろんっすよ。全然元気ないのに無理しちゃって。そんなしょぼくれたおじさんの働き――」
加藤精肉店の親父さんと気軽に話をしだすヒロト君だが、全部を言い切る前に、唐突に、ふわりと浮いた。
――否、落ちたのだ。
地面の下に、突如発生した魔法陣の光の中へと、あっという間に消えていった。
「ぶりを」
この言葉が、この世界における彼の最後の言葉となった。
……ブリ夫?
「は? え? ひ、ヒロト君!? ええ!? ひ、ヒロトくーん!? は? ブリ夫!?」
親父さんが困惑して地面に叫ぶ。俺も、開いた口がふさがらない。
いや親父さんを鎮めるのがまず先決だ! このままじゃ、娘さんを失った悲しみから機でも狂ったんじゃないかって思われそうだ!
「お、落ち着いてください! 親父さん! ブリ夫君は無事です! 大丈夫ですから!」
「いやブリ夫君って誰!?」
「あああ間違った! ヒロト君! ヒロト君!」
「WHY!? ドーシタノ! オトーサーン!?」
店の奥からドタドタと現れたベルギー人! 咲姫ちゃんのお母さんが現れる!
めっちゃ美人! 咲姫ちゃんは母親似だったんだなあ!
もうテンパってしまっている親父さんはベルギー人妻に任せて、俺は一応、名刺を渡してこの日は帰ることにした。
ここまで関わってしまったなら、もう乗り掛かった舟だ。
あれだけ弱りきってる人を放ってはおけないし、俺が知ってる真実を教えて、少しは心を楽にしてもらおう。
……二度と会えないことには変わりないが、娘もブリ夫君も生きているということが分かれば、安心感は得られるはずだ。
その際、女神についてきて貰うつもりでいるのだけれど……なんて言うかな。そう易々と一般人に流布されては困ります! とか、怒られるかな?
別に怖くねーしいいけど。
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