9:女心ヤバい

 バラの聖女。

 私立霞ヶ原高等学園の二年生。加藤咲姫の異名である。


 ベルギー人とのハーフで、異国情緒溢れる美貌。

 お人形さんのような銀髪。

 蒼い宝石をはめ込んだような瞳に、長いまつ毛が大きな目をさらに際立たせた。


 ここまで美人だと、なんだか高飛車な性格を想像してしまうが、それとは裏腹に、彼女はよく微笑んでいた。いつでも誰に対しても、彼女は明るい、いや眩しいまでの笑顔を提供してくる。

 彼女を狙う男達が、加藤咲姫の元へと集まるのは無理もないことだった。


「咲姫ちゃん、今日もかわいいね。200g頼むよ」


「こんにちは、加藤さん。500gいいかな?」


「加藤の嬢ちゃん、いつも偉いね。わたしゃ100gでいいよ」


 男ばかりか女性にも彼女はよく話しかけられた。

 いつもの人にも、初めて会うのに距離感が近い人にも、バラの聖女、加藤咲姫は、笑顔を振りまいて、こう答える。


「お買い上げ、ありがとうございますっ!」


 ここは商店街の一角。加藤精肉店。

 看板娘の咲姫ちゃんは、今日も豚バラを手際よく包んでお客さんにご提供する――。




 ――そんな咲姫ちゃんが亡くなったと報道されたのは、今朝のニュースだった。

 商店街にトラックが突っ込み、加藤精肉店にめり込んだという。


 ……まあ、俺が知ったのはニュース由来ではなく、本人直々になんだけどね。


「お願いします! 私、異世界になんて行きたくない!」


 彼女は、広い空間で、必死にそう訴えかけた。

 その申し出に、女神も困り果てていた。


「いやあ、そんなこと言わず、異世界行きましょうよ。楽しいですよ? チート能力で無双するの。これまでの転生者たちだって、めちゃくちゃ満喫してますしぃ」


「別に私は……ただただ平凡で、平和な暮らしができればよかったんです。ただ、今までのような毎日が送れれば、それたけで、幸せだったのに……」


 ……これまで見てきた転生者と彼女とでは、考え方がどうも違う。

 ここまで現世に未練がある子は初めてだな。

 しかし、だからと言って、異世界に行かないとなると……。


「でもですねぇ。異世界に行かないなら、このまま成仏ですよ?」


「う……っ! どうしても……私はこのまま、死ぬしかないのですか?」


 バラの聖女は苦い顔をしながらも、食い下がる。

 自分がトラックに突っ込まれて死んだこと自体は理解はしているようだが、どうも踏ん切りがつかない。

 ……理由はおそらく、この白い空間。その一角に開いた四角い穴の先に見える、俺の生活感あふれる一部屋の存在だろう。


 あれ? あそこ現実世界じゃね?

 あそこから普通に出ていけるんじゃね?

 とでも思っているのかもしれない。

 ちゃんと戸締りしててもニュースの音声とか俺たちの話声とか、こっちに筒抜けなんだもんな。防音してや……。俺にだってプライベートくらいあるんだぞ。


「転生したくないならそうなりますね。というか、転生させるのが私のお仕事ですから、あなたにはぜひとも転生してほしいですけど」


「うう、でも……でも……」


 よほど、現世に未練がるようだな。

 稼業を思う気持ち。お客さんとの温かな交流が、それほどまで彼女にとってかけがえのないものだったのだろう。

 まだ高校生。人生これからだ。そりゃ未練がない方がおかしいんだ。

 これまでの転生者の潔さが異常だったんだよ。


 うーん、かわそうだな。

 だけどトラックに轢かれてペチャンコになって死んだ人間が、五体満足で現れるのも大問題だ。彼女はもう、これまでの生活には、戻れない。

 けど決意が固まるまで、せめて俺の部屋でテレビを見るくらいはさせてあげてもいいんじゃないかと思う。


 かわいいし。

 バラの聖女と呼ばれるだけの美貌である。


「なあ女神よ。この子もいきなりのことで混乱してるみたいだし、少し心の整理ができるまで、時間をおいてあげてもいいんじゃないか?」


「ダメです。だって抱き枕くん、エッチなことするじゃないですか」


「ししし、しねーわ」


 本当にしないのに、女神が変なことを言うもんだから動揺してしまったではないか。

 そんな俺の心の機微を勘違いして、咲姫ちゃんもドン引きしてしまった。いつもお客さんに見せる聖女スマイルは、俺には二度と向けられないだろう。悲しい。


「――あなたたちには呆れたものね。女心ってものがどうしてわからないの?」


 平行線の話に一筋の光をもたらしたのは、そんな声だった。

 白い空間に四角く切り取られた自室。その奥から現れたのは、青白い顔をした女性。

 鬼塚春子――! 未婚で彼氏なしで、学生時代はモデルをやっていた鬼の女部長!

 絶賛二日酔い中!


 この前の一件以来、部長と女神は仲良くなり、こうして時折俺んちで酒盛りをする仲なのだ!

 ちなみに奥にはまだヘスティアクアも転がっているぞ!


「女心……ですか?」


 尋ねると、部長はこくりと頷いて、頭痛の苦しみに小さく唸った。

 女神と目が合うも「さっぱりです」と肩をすくめる始末。やはり神は人の心がわからないようだな。やれやれ。


「さっきから聞いてれば、なんで転生したくないかなんて、そんなのわかりきってるでしょ!」


 やはりお客さんとの絆が大事だから……? 家族に会えないのが辛いから……?

 そんな女心検定ゼロ点の回答は、ため息と共に一刀両断される。


「好きな人にまた会いたいからでしょ!」


 ぴしゃりと突きつけられた。まさに青天の霹靂。

 ええええええっ!?

 こんなかわいい子にも好きな人とかいるの!?


 事実、咲姫ちゃんは途端に顔を真っ赤にするのだった。図星のようだ。部長すげぇ……!

 そして、ここで我慢の限界を迎えたバラの聖女の目から、涙が溢れ出す。


「うう、ヒロト君に会いたい……! ヒロト君のお嫁さんになりたかったよぉ……! うわーん! でも死んじゃったー! うわーん!」


「なんだ、そんなことですか。それならその子もあとで、あなたと一緒の異世界に転移させてあげますよ」


 女神が即座にそんなことを言ってのける。

 いやそういう問題じゃないだろ……。それにそんなことしたら、咲姫ちゃんは自分が無理やり連れてきたって、責任を感じてしまうんじゃないか?


「え……っいやそれは……」


 だから俺は彼女のためにも口を挟んだ。


「本当ですか! よかった……また、彼に会えるんですね……! 嬉しい!」


 あ、いいんだ。

 否定しようとしたら間髪入れずに咲姫ちゃんの二つ返事。俺は口をつぐんだ。

 女心って、わかんねー。


 こうして、バラの聖女、加藤咲姫は、無事に異世界へ転生した。

 チート能力は【前世のプロフィールが見える右目】と【前世の力を引き出す左目】になった。


 ヒロト君の転移はたぶん時間軸に誤差が出るだろうということで、長寿のエルフ族に転生もしたし、これで一件落着だな。


「ここまで女心がわからないとは、先が思いやられるわね……じゃ、おやすみ……」


 部長はそんなことを言いつつ、また部屋に戻っていった。

 俺も、昨日は付き合わされて、ほとんど寝てないのだが……。


「それじゃ、私たちも寝ますか。抱き枕くん!」


「え、いや眠いけど、せっかくの休みだし、買い物とかしたいんだけど」


「何言ってるんですか! 私が眠いんです! 寝ましょう! さあ私を癒してください! ギューってして!」


 女心はアレだな。

 男の意見はとりあえず問答無用なんだな……。

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