第4話 義弟の変化

「義姉上。いつまでこのようなことをしているつもりですか?」


 オリヴァーが公爵邸にやって来て、三カ月が経った頃。神妙な顔つきで、執務室にやってきた。

 今日も今日とて、私は執務机にかじりついて、書類と格闘していた。


 なにせあのポンコツ旦那様。いくら前世を思い出す前の私に辟易へきえきしていたからって、経営まで使用人に丸投げして遊び惚けていたなんて! 許すまじき!


 お陰で、横領と脱税の温床おんしょうとなっていた。オリヴァーは私の代わりに現場におもむき、お灸を添えたり、酷い場合は憲兵に突き出したりしてくれた。


 本来なら私が行くべきなんだけど、悪い噂が消えていないとか、危ないからとか言って、結局叶わず。オリヴァーの手助けの下、経営が成り立っている状態だった。


 だから、彼が愚痴を言い出すのも無理はない。


「そうね。考えていなかったわ。子供が産まれてくるまでに、屋敷から出られる算段ができたら、と思っていたんだけど……これじゃぁねぇ」


 いつまでかかることやら、と思わず溜め息を吐いた。


「それならばいっそうのこと、残る算段をしてみませんか?」

「残る? オリヴァーが言ったんじゃない。『出て行かざるを得なくなる』って。忘れたの?」

「いいえ。憶えています。けれどあの時と今では状況が違います」


 そうね。今の旦那様は、愛人さんが住んでいる別棟に籠り、国の仕事。つまり、王城に登城していないと言う。まぁ、ラブラブなのは構わないんだけど……。


 まぁ杜撰な経営をしていたくらいだ。国の方も真面目に仕事をしていたとは思えない。


「自堕落な兄上の態度を、父上と母上に進言したところ、激怒されまして」

「無理もないわ」

「それで兄上を廃嫡し、俺に継ぐように言って来たんです」

「妥当な判断ね」


 オリヴァーはしっかりしているし、いい公爵になると思う。


「つきましては義姉上。俺と結婚していただけませんか?」

「うん。そうね。……って、え? 今、何て言ったの?」

「ですから、公爵を継いだ暁には、俺の妻になっていただきたいんです」

「私は既婚者よ」


 さらに言うと、貴方の義理の姉。悪妻と噂される私に求婚って、気でも触れたの?


「問題はありません。すでに兄上の噂は国王陛下の耳にも届いています。俺が進言したら、快く引き受けてくださいましたし」

「それはオリヴァーが公爵になる件でしょう」

「プラス義姉上の件もです。外の噂など耳に入って来ないくらい、仕事が忙しいのでお教えしますが、今の義姉上はこう呼ばれています。『賢妻』だと」

「三カ月よ? 『悪妻』が『賢妻』になるなんてあり得ないわ」


 人の噂も七十五日、というけれど、長年悪妻という評判だった私が、いきなり賢妻だなんて……。まさか……!


「旦那様の噂も流れているの?」


 愛人を別棟とはいえ、邸宅内に住まわせて自堕落な生活を送っている夫。彼に捨てられても尚、家を切り盛りする女主人、と世間が勘違いしていてもおかしくはなかった。


「えぇ。そういうわけで義姉上の評判がうなぎ登りなんです。故に、俺との婚姻も認めてくださいました。勿論、兄上が廃嫡になった瞬間、離婚が成立する手続きも、すでに済ませています」

「済ませているって、まさかっ!」

「はい。義姉上のご実家である、ユクントリー伯爵家の承諾を得たんです。黙ってやったことは謝ります」


 私は首を横に振った。

 エミリアの記憶が戻って来て知ったが、旦那様との婚姻は幼い頃、家同士が結んだもの。

 気が弱い旦那様を支えるのに強気な女性が必要、という理由で選ばれたらしい。


 強過ぎて悪妻になってしまったけどね。


 加えて子供の婚姻は、親が決めることが多い。たとえ、私が二十歳を超えていても、それは変わらないようなのだ。

 だから、オリヴァーが取った手段は正規の手順を踏んでいた。私の承諾を得ていないことを除けば。


「でも、わざわざ私を選ぶのは、止めた方がいいわ。オリヴァーの評判に傷がつくし。貴方ほどの人物なら、引く手あまたでしょう」


 兄のおさがりを貰うのは、爵位だけにしなさい、とあんに言ってみせた。が、オリヴァーは引かなかった。

 椅子に座る私の真横までやって来て、跪いたのだ。


「義姉上が俺に興味がないのは分かっています。けれど、それでも俺は義姉上がいいんです」

「そこまで分かっていて私を選んでくれるのなら、お受けするわ」


 追い出されて、別の誰かと結婚させられるくらいなら、オリヴァーの方がいい。そう、私を大事にしてくれる人が。


 旦那様と同じ、金髪の奥に見える緑色の目が細くなる。初めて見た、オリヴァーの笑顔。

 彼は懐から小さい箱を出すと、私の方に向けて開けた。


「では、これを受け取って貰えませんか?」


 私の瞳の色と同じ青い宝石、アクアマリンの指輪を。どこまでも用意周到なオリヴァーに向かって、私も笑顔で答える。


「勿論よ」

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