第3話 義弟、現る

 新しいメイドが言うには、私はエミリア・ザイーリというらしい。そういえば、初めて旦那様を見た時に、そう言われたような気がする。

 その後に聞いた『夫人』という単語で忘れてしまったけれど。手前についていた『ザイーリ公爵』の名前を憶えていたことは、褒めて欲しい。


 状況を再び整理すると、私は旦那様こと、ザイーリ公爵から愛人の妊娠と屋敷への滞在を聞かされた直後に、前世の記憶が蘇ったってことだ。

 それ以前の記憶が吹っ飛ぶほどのショックだったのかしら。


 いや、ほんの少しだけなら記憶はある。今世と前世の記憶が混濁して、脳が処理できていないのだ。

 時間が経てば経つほど、ザイーリ公爵邸で過ごした記憶が蘇る。


「どれも酷いものばかりね」


 旦那様ではない。エミリアだ。


 私は横になっていたベッドから起き上がり、脇にあるサイドテーブルに手を伸ばす。引き出しを開けると、輝かんばかりの宝石。宝石、宝石の数々だ。


 そう、エミリアが悪妻と呼ばれた要因の一つ、浪費癖。


 屋敷に宝石商や仕立て屋を呼ばず、直接買いに行っているため、止めるものがいないのだ。勿論、侍女や護衛はいる。

 けれど、主人の機嫌を損ねて職を失うくらいなら、目をつむるだろう。


 次に、彼女は嫉妬深かった。今回、どうやってバレずに愛人を孕ませたのかは知らないが、裏の人間たちを使ってまで嫌がらせをする。

 さらにザイーリ公爵家という権力を使って、旦那様の浮気相手の家を潰すのだ。


 これを悪妻と言わずに何と言うのだろう。しかも、女主人の仕事をしないと言い張ったって?

 まず、これが許せない!


「働かざる者食うべからず、よ!」


 私は自分が何の原因で死んだのかも忘れて、決意した。


「見ていなさい。その性根を叩き直してやるんだから」


 いるのかどうかも分からない、エミリアに言い放った。



 ***



 それからは大変な騒ぎだった。何せ、悪妻という評判は、領地と商会にも知れ渡っていたからだ。


「今度はザイーリ公爵の悪妻が、経営にも手を出して、荒そうとしている!」


 そんな噂が瞬く間に広まり、屋敷にある人物がやってきた。旦那様の愛人ではない。


「経営に手を出すとはどういうことですか、義姉上あねうえ


 そう旦那様の弟、オリヴァー・ザイーリだ。因みに愛人さんは、その間にちゃっかりやって来ていた。

 私の騒動の方が大き過ぎて、皆、気にも留めていなかったけど……。


「おかしいことはないでしょう。女主人としての仕事をやり始めただけよ。今更だけど」

「今更だから、どういうことか聞いているんです!」


 オリヴァーの声が、執務室に響き渡る。気の弱い旦那様とは正反対。


「そうね。理由は二つ。まずは旦那様への罪滅ぼしね。今、身重の方がこの屋敷にいるのは知っている?」

「はい。義姉上が許可を出したと聞き、さらに驚かされました」

「第二に、無事に後継者が産まれたら、私の立場はどうなる?」

「そんなもの、決まっています。肩身が狭くなり、出て行かざるを得なくなるでしょう」


 本当に旦那様とは正反対だわ。私の問いに、戸惑わずにハッキリと受け答えする姿は、一層清々しい。だからなのか、敵意を向けられても、全く気にならなかった。


「分かっているじゃない。やることがないんなら、そこにあるのを宝石商に持って行ってくれない?」

「これって、義姉上が散財した宝石じゃないですか」

「えぇ。それを売ってきてほしいの。私は今、手が離せないから」

「こんなの使用人に任せれば……」

「何を言っているの!」


 私は机を叩き、その勢いで立ち上がった。


「これは元々、ザイーリ公爵家のお金で購入した宝石なのよ。ネコババをされてもいいって言うの!」

「お、俺がしないという保障もないぞ」

「あぁ、そこは大丈夫」

「どうして」

「だってオリヴァーは、ザイーリ公爵家の人間じゃない。元の持ち主に戻るだけよ」


 でも使用人はダメ。そもそも私に盾突いたり、バカにしたりしている連中の懐に入るのなら、オリヴァーの方がマシだわ。


「そういうわけだから、よろしくね」


 私は唖然としているオリヴァーを無視して、再び執務机に向き直った。

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