第2話. 崩れる日常



村に住んでいるとはいえ、二人が暮らしている家は村の集落から少し外れた、辺鄙へんぴな場所にあった。


「お父さん!お母さん!ただいま!」


エルナは息を切らしながら家の扉を勢いよく開け、大声で挨拶した。


「お姉ちゃん...扉壊れちゃうよ...」


追いかけてきたセシルが、息ひとつ乱さずにエルナに話しかけながら、手に抱えていた果物をエルナの籠にひょいっと入れた。


「おかえりなさい」「二人で走ってきたのか。元気だな」


料理の準備をしていた両親が手を止め、笑顔で迎えた。


(お姉ちゃん、遠慮なく果物落としながら走るから大変だったな...)


そんなことを考えながら、セシルは腰にかけていた剣をそっと外し、棚にしまいに行った。


一方のエルナは、誇らしげな顔で果物の入った籠を両親のもとへと持っていった。


「じゃーん!今回ね、クロノスからこんなに立派な果物をもらったの!後でみんなで食べよう!」


エルナは自慢げに籠を突き出し、その中身を見せびらかした。


「これはまた見事なものだな」「ええ、本当に立派ね。今度お礼を言いに行かなきゃね」


両親は籠の中の果物をそれぞれ手に取り、まじまじと眺めながら感心した様子で話していた。


父親の言葉に母親も頷き、果物を籠に戻すと、柔らかく微笑みながら提案した。


「じゃあ、この果物を使って後でパイを作りましょうか」


その言葉を聞いた瞬間、端で剣を棚に片付けていたセシルが、勢いよく振り返った。


「えっ、パイ作り?はいはい!一緒に作ります!」


突然の大声に、家族全員が一瞬動きを止めた。


「うわ、びっくりした!」


エルナが思わず肩をすくめると、セシルはいつの間にか彼女の隣に駆け寄り、目を輝かせながら手を挙げていた。


その顔には、まるで美味しいものを前にした子どものような、純粋に嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


「セシル、ちょっと急すぎるよ。剣片付けてたんじゃないの?」


「片付けた!だから、次はパイ!早くやろうよ!」


エルナは思わず一歩下がりながら苦笑いを浮かべた。セシルのいつもの勢いには、さすがの彼女も少しだけ圧倒されていた。


「がっはっは、元気だなセシル」「えへへ」


その様子を見ていた父親は豪快に笑い、セシルの頭をわしゃわしゃと撫でた。セシルは恥ずかしそうにしながらも笑顔を浮かべている。


「もう、セシルは料理のことになるといつもこうなんだから」


エルナは苦笑しながら、台所横の棚に果物の籠をそっと置いた。その背中に、セシルのはしゃぐ声がまだ響いている。


「ふふ、後で作ろうね。でも、まずはご飯にしましょう」


母親が優しい声で促すと、テーブルの上に次々と料理を並べ始めた。その香りが部屋いっぱいに広がり、家族全員の表情がほころぶ。


「さあ、座ってくれ」


父親はデーブルに近づき布巾を手に拭き始めた。


その仕草にはいつもの落ち着いた優しさがあり、エルナとセシルはほっとしたように笑顔を交わした。


やがて家族全員がテーブルに集まり、手を合わせて一緒に祈りの言葉を口にする。そして食事が始まった。


「お母さんの味付け、最高!」


セシルが大げさなほどの声で褒めると、エルナもすかさず笑顔で応じる。


「お父さんの切り方も相変わらずきれいだよね。ほら、この野菜の形、見て見て!星形ー!」


まるで一面の星空のように綺麗に並べられた料理を指さしながら、二人は互いに褒め合った。


家族の会話は弾み、食卓には温かい笑い声が響く。それぞれが互いの頑張りを認め合うこの時間は、何よりも幸せなひとときだった。


だが、その静かな温かさを破るように、突然くしゃみの音が響いた。


「くしゅん!」


笑い声が途切れ、全員がそちらに目を向ける。


すると、母親が手で口元を押さえ、少し申し訳なさそうに微笑んでいた。


「あら、やだ、失礼」


エルナが心配そうな声で話しかけた。


「お母さん、寒いの?」


「寒くなんてないわよ」と母親は慌てて手を振り、気にするなと笑ってみせる。


それでも、少し考え込んだような仕草で、上着を取ろうか迷う様子を見せていた。


(寒いのかな...。よし、上着を持ってきてあげよう!)


そう考えたセシルが立ち上がるのと同時に、隣に座っていた父親が椅子を押し戻して立ち上がった。


「みんなはご飯を続けてくれ。セシル、君は座っておけ」


父親はセシルの頭を軽く押して座らせながら、優しく笑った。


「上着の場所、わかるの?」


セシルが不思議そうに尋ねると、父親は笑いながら首を振った。


「違う違う。寒いのは薪が足りなくなってきたせいだ。だから、集落の方に分けてもらいに行くだけさ。ほら、パイを焼くにも薪がいるだろ?」


「そっか...薪がないと火が起きないもんね」


セシルは少し恥ずかしそうに笑い、再び椅子に腰を下ろした。


父親は帽子を被りながら、テーブルに向き直り、片手をひらひらと振った。


「じゃあな!セシル、俺の分、食べるんじゃないぞー!」


「食べないってば!」


セシルの元気な声に家族全員が笑い、父親はその様子を楽しそうに見ながら陽気に外へ出ていった。



◇◇◇



あれからしばらくして、父親が戻ってくる前に、セシルとエルナは食事を終えていた。


「ごちそうさま!」


そう言いながら、二人は食べ終わった皿を持ち上げて、立ち上がった。


「お父さん、遅いね。本当にお父さんの分、食べちゃおうかな...」「ふふ、やめなさいよ。帰ってきたら泣きつかれちゃうわよ」


そんな他愛のない話をしながら、エルナがキッチンの蛇口に手を伸ばし、きゅっと捻った。


ボタボタッ


「きゃっ!なに...これ...」


蛇口からは、水のように赤黒い液体が滴り落ちてきた。


あまりの衝撃に、エルナは蛇口を掴んだまま立ちすくみ、セシルもその異変を見て、呆然としたまま蛇口を覗き込んでいた。


すると、後ろから母親が駆けつけ、鬼のような形相で叫んだ。


「ちょっと、二人とも!離れなさい!」


異変に気づいた母親が急いで駆け寄り、二人の肩を掴んで、蛇口から慌てて引き離した。


「あれ...水じゃない...まさか、血?」


エルナは唇を震わせながら、遠くで未だに流れ続ける赤黒い液体を凝視していた。


「さっきまで普通だったのに...なんで...?」


セシルは混乱しつつも、震えを抑えながら母親にしがみついた。しかし、母親の震えが次第に大きくなり、その異様さにセシルは気づいた。


「お母さん?」


セシルが顔を見上げると、そこには顔を真っ青にした母親が震えながら、口を開いた。


「蛇口の水は...村の川から来ているのよ...」


「え...?まさか...」


母親の言葉に、エルナは凍りつくように固まった。


(え、なに?どういうこと?)


一方、セシルは訳がわからず、母親にどういうことかと聞き出そうとしたが、その前に母親が声を張り上げた。


「何突っ立ってるのよ、二人とも!!」


「え...ちょっ!」


その瞬間、グイッと母親に腕を引っ張られ、訳も分からず家の玄関をくぐった。


外に出た瞬間、嫌でもすぐに状況を理解した。


「......うそ、なに...これ」


村中には人々の阿鼻叫喚の声と、魔獣の咆哮が遠くから鳴り響いており、遠くの集落は烈火のように燃え上がり、その炎の勢いに夜空すら赤黒く染まっていた。


「うっ、...ひどい匂い」


大量の血の臭いが空中に漂っとぃる。魔獣を倒した経験があり、それなりに耐性のあるエルナでも、耐えきれずに思わず鼻を押さえていた。


セシルが周りを見渡し、母親の顔をもう一度覗き込むと、勢いよく家から飛び出した母親は、予想を遥かに超える惨状に足を止め、セシルとエルナの手を掴んだまま硬直していた。


「お母さん...お母さん!」


「......っ!」


セシルの呼びかけで、ようやく母親は正気を取り戻したのか、二人の手を強く握り直し、言った。


「いい?二人とも...ここから逃げるわよ!」


「え、でも、お父さんが...!」


「そんなこと...!」


母親は大声で何かを言おうとしたが、途中で言葉を飲み込み、口をギュッと閉じ、俯いていた。


「...セシル、ここはお母さんの言うことを聞こう。ね?」


その様子を見たエルナが何かを察したのか、セシルの顔を見えるように体を少し傾け、優しく諭した。


「...走るよ」


涙をこらえ、母親は真剣な顔つきで二人を引き寄せ、そのまま手を離さず走り出した。


方向は集落の中心とは反対の森の方へ。セシルは突然の勢いに驚き、軽くよろけながらも転ばないように走り出した。


叫び声と魔獣の咆哮が次第に近づいてきており、背後には炎と血の匂いが迫り、恐怖が一層深まった。


母親は涙をこらえながら、振り返ることなく進んだ。絶対に離さないと決意を込め、二人の小さな手をしっかりと握りしめていた。


「お父さんは...無事だよね...?」


走りながら、セシルが震える声で呟いたが、母親は言葉を発しなかった。


ただ、手の力だけが少し強くなったように感じられた。


胸の奥を締め付けるような恐怖と不安。家族が再び揃う日が来るのかどうか、その答えは誰にもわからない。



◇◇◇



「あそこだな~。こんな所に暮らしてたのか~」


セシルたちが村とは反対の方向に逃げ出してから数分後、二人の男が家の前に到着した。


一人は嬉しそうに鼻歌を歌いながら歩き、空中に音符が浮かぶような楽しげな様子だった。


一方、もう一人は村の惨状を目の前にして、言葉を失っていた。


「...」


「なーに黙ってんだよ~、やっと才能ある器が手に入るんだ。もっと嬉しそうにしろって~」


男は軽く手を叩きながら、まるでこの状況を祝福するかのように言った。


「...」


「ん〜、流石に逃げ出しちゃったか〜♪あいつらの親父は目の前で襲われていたから、もうどうでもいいとして〜」


「...」


「おい、いつまで黙ってんだよ。しらけるわ~立場をわきまえろよ、たーちーばー。わかってんだろうな、この後の動き――なぁ?クロノス?」


男は顔を俯けたクロノスを下から覗き込むようにして立ち、軽く足で蹴りながら話しかけた。


「...はい...わかっています。すぐにあの二人を...」


クロノスは俯いたまま、かすかな声で答えた。


「はいはい、いいよ、わかってんなら」


男はクロノスに背を向け、クロノスの顔を見ずに片手で空中の虫を払うように振った。


しばらく村の方を向いていた男は、クロノスの方に首だけを向け、にっこりと口を開いた。


「けっけっ、楽しみだな〜あの二人の――」




「精霊様実験♪」

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