記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由

黒月セリカ

第一部. 悪魔と精霊の交差点:忘却の契約と廻る運命

第1話. 運命の歯車が狂い始める



「お願い。あなたの記憶を消す代償に、わたしの記憶を消して」


ボロボロに汚れたみすぼらしい服をまとい、傷だらけの手足、泣き腫らした目。


その懇願する少女は震える膝を地面につけ、目の前の男に懇願するような目を向けていた。


「......あぁ、わかった。その願い、受け入れようではないか」


男は一瞬迷うように目を伏せたが、すぐに覚悟を決めたようにその表情を引き締める。彼は静かに少女に向き合い、自らの手を赤黒く光らせた。


(なんで...こんなことになっちゃったんだろう...)


胸の奥に浮かぶ悲痛な思いも、部屋中を満たす赤黒い光に飲まれ、跡形もなく消え去った。





数年前 ―――



「セシルー!!」


木々の間を駆け抜ける風と共に、元気な声が響いた。


自分の名前を呼ばれたセシルは腰に下げた剣がかすかに音を立てるのも気にせず、黒髪を揺らしながら満面の笑みで振り返った。


すると、スカートをなびかせながら果物が詰まった籠を片手に持つ少女がこちらに向かって走ってくる。


「あ、エルナお姉ちゃん!」


エルナはセシルに追いつくと、ほっとしたように息をつき、セシルを真剣な眼差しで見た。


「やっと見つけたよセシル!一人だと危ないってお父さんたちに言われてるでしょ!」


「えへへ、ごめんねお姉ちゃん。でも、なんか一人で散歩したい気分だったからさ」


セシルは反省していないかのように、手を合わせながら小さく舌を出して笑っていた。


それを見たエルナは思わずため息をつき、持っていた籠をそっと地面に置く。


「もう...たしかにセシルは下級の魔獣を倒せるくらいの力はあるけどね。でも、それだって誰が鍛えたと思ってるのー!」


そう言いながら、エルナはセシルにぎゅっと抱きついた。


「ちょ、ちょっと、お姉ちゃん!痛いよ!」



この世界では魔獣と呼ばれる存在が身近な脅威だ。


一部地域では魔獣との共存を試みる者もいるが、多くの場合、それらは敵対的であり、特に森や自然に囲まれた村では、自らの身を守るために護身術を学ぶのが当たり前だった。


セシルとエルナの暮らす村も例外ではなく、セシルは日々エルナに教わりながら剣術の訓練をしていた。



「でも、セシルは大好きな妹なんだから。いくら強くてもお姉ちゃんとしては心配しちゃうんだよね」


エルナはしみじみとした表情を浮かべると、ふと地面に置いた籠に目を向けた。


「あっ、忘れてた!これ、一緒に食べよう!」


エルナは自分のスカートが広がらないように抑えながら、芝生が生い茂っている地面の上に座った。


そして、籠から取り出したのは、鮮やかで瑞々みずみずしいリンゴのような果物だった。


「わぁ、こんな立派な果物どうしたの?」


セシルはエルナの隣にピタっと座りながら、果物を受け取った。


「ん?これね、クロノスにもらったのー」


「クロノス様が?最近、色々貰っちゃってるね」



クロノスとは同じ村にいる男だ。


外部から来たことが影響しているのか、村にそぐわない貴族の様な格好をしているため、セシルは勝手に“様”付けで呼んでいる。



「まぁまぁ、とりあえず食べましょ。で、お礼はあとで言いに行こうね」


エルナは笑みを浮かべながら、早くセシルと果物を食べたいのかうずうずしている。


「うん、じゃあいただきます!」


セシルとエルナは声を揃えて果物に大口でかぶりついた。


シャクリ。


「んー!美味しい!」


「本当ね、こんなに美味しい果物は初めてかも...どこで手に入れているのかな...」


二人はは顔を見合わせて目を輝かせながら、もう一口かぶりついた。


「なんだろう...蜜かな?すごく甘くて美味しいな」


エルナは果物を見つめながら、首をかしげて考え込んでいた。


一方、セシルは先に果物を食べ終え、「もう一個...」と籠に手を伸ばした。


しかし、手を止め少し考え込んだ後、隣で黙々と果物を食べているエルナに顔を向けて言った。


「ねえ、お姉ちゃん!余ったこの果物、お父さんとお母さんにも持って行こうよ!」


エルナはその言葉に目を輝かせ、頷きながら答えた。


「そうね!せっかくだから、届けに行きましょう!」


両親にもこの味を楽しんでもらいたい一心で、エルナは持っていた残りの果物を慌てて口に放り込むと満足げに笑った。


「美味しかった~!よし、じゃあ帰ろうか、セシル」


二人は地面から立ち上がると、それぞれ帰る準備を始めた。


エルナはスカートを軽く払い、セシルは腰の剣を直しながら準備を整えた。


「よいしょ...いっぱい入ってるわね」


そして、エルナが果物の詰まった籠をゆっくり持ち上げる姿を見て、セシルはふと笑みを浮かべながら口を開いた。


「やっぱりクロノス様、お姉ちゃんのこと好きなんじゃない~?」


「なっ?!」


その言葉に、エルナはびっくりして動きを止めた。


「な、そ、そんな、ち、違うよ!もう!変なこと言わないで!!」


顔を真っ赤に染めたエルナは動揺したせいか、持ち上げた籠から果物をいくつか落としていた。


(ふふ、お姉ちゃんの反応可愛いな...)


セシルがそんなこと考えていると、エルナは真っ赤な顔を隠すように籠をぎゅっと抱え直すと、転がった果物を拾おうともせず、慌てて家の方向に駆け出していった。


「あっ!ちょっと、待ってよー!」


セシルはエルナが落とした果物を素早く拾い集めると、腰の剣を押さえながら姉の後を追いかけた。





セシルとエルナが家に向かって走る背後の茂み。その奥から、不気味な気配が静かに忍び寄っていた。



この瞬間、彼女たちの運命の歯車は音もなく回り始め、やがて狂い出すことになる――。

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