【 2 】

 前世、ここではない世界で、俺は「勇者ケイン」として生きていた。


 もうひとつの世界では、魔物と呼ばれる存在が人間に危害を加え、社会の秩序を乱していた。

 そこで俺は、善良な人々を魔物から救い、世界に平和を取り戻そうと考えて、日々戦いの中に身を置いていた。


 前世の世界では、人間なら皆、修行次第で剣や魔法を扱うことができる。

 俺は努力の末にそれらを修得すると、各地の町や村を救いながら世界を旅して回っていた。

 そうするうち志を同じくする仲間が集まって、皆で魔物討伐を続けるようになっていく。

 やがて俺はメンバーの中でも、様々な場面で中心的な役割を引き受けていたため、「勇者」の称号を与えられるに至った。



 ……そうしていつしか、俺と仲間たちは「魔王」のことを知った。

 魔物たちの親玉で、すべての邪悪な者を統べる存在だ。


 ――魔王を倒せば、世界に平和が訪れるでしょう。


 吟遊詩人が語る伝説の中で、そのような真実を知り、俺たちは魔王打倒を目指すようになる。

 とはいえ「魔王はあらゆる魔物より強く、邪悪で、人間が戦って勝てる相手ではない」……

 などという風聞も、同時に耳にしていた。



 まさしく、そのような折のことだったのだ――

 俺たちが「誓いの精霊」と出会ったのは。


 謎に満ちた地下古代遺跡の最深部。

 自らをグラディスと名乗る「誓いの精霊」は、全身が青白く輝く思念体のような存在で、人間の成人女性とよく似た外見だった。ただし服装は、薄い羽衣を身に帯びただけで、半裸に近い。豊満な身体付きで、肢体をくねらせつつたたずんでいるから、目のやり場に困った。


「まあウチがちからを貸せば、キミらも魔王を倒せるようになるかもわからんね。何たって誓いの精霊の加護は、魔王の防御力を光のちからで低下させちゃうかんね」


 何やらグラディスは、やたらと怪しい言葉遣いで語り掛けてくる。

 しかし有益そうな情報なので、俺は一も二もなく飛び付いた。


「ほ、本当ですか誓いの精霊グラディス!? だったら、どうか協力してください!」


「いやーしかしなー、これだけの加護やから無料ちゅうわけにはいきませんわ。世の中大抵等価交換、痛みなくして得るものなしっていうやろ? せめて加護の恩恵ボーナスを受けているあいだぐらいはな、それなりの弊害ペナルティを引き受けてもらわんといきません」


「恩恵の弊害……それはどういったものでしょう?」


 パーティーメンバーの一人である神官のアリサが、精霊に問いただした。

 ちなみにアリサは、転生後にもうひとつの世界で再会する、天宮あまみや有紗の前世の姿だ。

 このときも俺の幼馴染なのだが、容姿は随分ずいぶん違って、金髪碧眼の女の子だった。


「ウチは誓いの精霊グラディス。聖なる光の加護を与える以上、その対象者は無垢でけがれなく、潔癖な状態でいてもらわんと困ります。そう、男も女も分けへだてなく――」


 アリサの質問に対し、グラディスは(やはり口調は怪しかったが)厳かな声音で答える。

 そうして長く波打つ頭髪を、やたら色っぽい仕草でき上げると、きっぱり言い放った。



「なので!!」



 俺たち一行のあいだに衝撃が走る。


 え、えっちなことができない……だと……? 



「ちょ、ちょおーっとゴメンナサイ。それって、メルにはよくわからないんですが~……」


 パーティーメンバーの一人で、戦士のメルが曖昧あいまいな笑みを浮かべて言った。

 メルは、驚くべき膂力を持つドワーフ族の少女だ。ドワーフの女性は男性と異なり、まったく毛深くない上、五〇歳ぐらいまでは人間の一〇代前半に見違えるほど童顔で、可愛らしい。

 もっとも戦闘能力は高く、ちいさな身体に不釣り合いな戦斧バトルアクスで戦う。


「えっちなことができない。そのままの意味です」


 グラディスは、アンニュイに微笑し、甘い声音で続けた。


「ええですか、キミらは『魔王を絶対倒す』て誓いを立てるわけでっしゃろ? ほならね、そういう立派な人はえっちなことしてたらあきまへん。結婚するまでは好きな人かて、そない簡単にえっちなことさせたらあかんからね。覚悟決めるいう点から言えば、魔王と戦うのも女子と結婚すんのも同じようなもんやろ」


「は、はあ……同じかどうかはともかく、けっこう古風な恋愛観ですね精霊さん」


「何言うてんの同じよ。えっちなことするなら結婚しなきゃダメ。わかってんの勇者ケイン?」


 思わず素直な感想を漏らすと、グラディスは断定的な口調で言った。


 あ、この精霊さん、きっとメッチャ恋愛失敗してきたタイプのお姉さんだ……

 お色気で男を釣っていい仲にはなるけど、グイグイ行き過ぎて逃げられちゃうやつ……

 と、俺は直感的に察し、いったん口をつぐむことにする。理想とする愛の形態が重くて怖い。



「あの、精霊様。もう少し具体的なことをうかがいたいのですけれど――」


 次いで質問したのは、やはりパーティメンバーの魔法使いカレンだ。

 元々は貴族のお嬢様なのだが、幼少期から文化資本の高い環境で魔法に対する関心を刺激され続けた結果、古代魔法探求の旅に出た女の子である。そうして行き掛かり上、俺たちに同行することになった。枯葉色の髪やすみれ色の瞳からは、育ちの良さが滲み出ている。

 疑問点を確認する声音も、かなり恥ずかしそうだった。


「え、えっちなこと、というのは、どこからどこまでが該当するのでしょう? まさかそのぅ、キ、キスすることさえ許されないのですか……?」


「はあ、せやなあ。本来ならそれぐらい厳格に取り決めときたいところなんやけど」


 グラディスは、ひとつ溜め息いてから、寛大さをアピールするように言った。


「でもまあチューとかいうても色々あるし、国によっては挨拶あいさつ代わりの地域もあるからね。この際ほっぺにするのまではギリセーフ、おクチとおクチはアウトいうことにしときましょ。問題は、例えばラッキースケベ。わかる? ああいう場合は状況次第で、適宜てきぎ罰則も調整することにします。どっちが被害者か加害者か判定難しいことだってあるやろし」


「わかるような、わからないような感じですが……けっこう恣意的に罰則が発動しそうだというのはわかります」



 アリサは、眉間にしわを寄せてうなる。いまいち条件が納得できないようだ。

 だがグラディスは、かまわず続けた。



「しかしキミらね、何にしても赤ちゃんできるようなことしたら一発アウトよ。蘇生不可の即死ペナルティが自動発動します」

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