第5話 石像キツネが僕らを迎えに来た。

夏休みが始まった。僕はほとんど毎日、時折ときおりの実家である旅館・鷺影屋さぎかげやで合宿状態だった。昼間は宿の手伝いをし、暇があれば時折とアイスを食べ、岩場の見回りをした。


夜、鷺影屋で僕に割り当てられた部屋で、ちゃぶ台の上に宿題を広げたまま、だらだらしていた。時折も宿題を一応持ってきて、一緒に勉強をするという体でだらだらしていた。


「ねみぃ・・・・・・」

時折がついにちゃぶ台に突っ伏した。

「自分の部屋、帰って寝たらどうだ?」

「もう、それもめんどくさい」

昼間の仕事はわりに力仕事で、朝も早いので僕らはだんだん睡眠不足で疲れがたまってきていた。まぁ、睡眠不足でない高校生など、いないと思うけど。


その晩は満月で、縁側に面した障子ごしに外が明るいのがわかった。


ふと、部屋に影がよぎった。僕が顔を上げると、障子に二つの影が映っていた。


「時折・・・・・・」

やつに声をかけたが、熟睡していた。


僕が立って、そっと障子を開けると、そこに二体のキツネの石像が立っていた。石像なのだが、ゆらりと動いていた。


元々、石像というのはキツネなり、犬なり、人間をしているわけだが、僕の目の前に現れたそれはまるで、古い特撮映画に出てくる怪獣のような奇妙な作り物だった。そこに立っていたのは、あえて言えば、奇妙なクリーチャーだった。


二人(? 二匹?)とも顔に鮮やかな隈取くまどりをしていて、目力がすさまじかった。


開いた障子から風が吹き込んでいた。時折!と僕がゆすると、やつは目を開け、明るく月光が差す方へ、ゆるゆると視線を向けた。


「な、何か来てるよ、時折」

「ん? キツネ?」

時折はまるで警戒心なく、まだ寝ぼけた様子で外を見ていた。


「私たちは噓つきでなない」

片方のキツネが、丸めた紙を僕らの方へほうった。広げてみると、それは前の日に時折が”FRAUD!”と赤いマジックペンで書いた紙だった。


僕らは顔を見合わせた。

「嘘じゃ、ないんだってさ」

僕らは、どちらともなくつぶやいた。


「五分後の世界はある。わたしたちはそこからやってきた」

キツネたちはを切るようにして、自信たっぷりに告げた。


鷺影屋の裏手には運河が流れていた。上流の鉱山で採れた鉱物を河口まで運ぶために作られ、江戸時代からあるらしかった。もちろん今は、鉱山は閉山しているけれど。


その晩、月の光に照らされた運河からは、静かに白い水蒸気が上がり、あたりには濃い霧が流れ始めていた。


二匹の石像キツネたちを先頭に、僕らは黙って歩いた。不思議なことに、夜とは言え、コンビニの前には誰かがいただろうし、バイクですれ違った人もいたはずだ。なのに誰も僕らの奇妙な行進に気づかなかった。


「夏、だいじょうぶか?」

時折は僕に声をかけてきた。

「あいつら、顔、すごいよな。夏なら何か知ってるだろ? クマドリっていうんだっけ」

「チャグマ、かな。鬼とか精霊とかのつもりなんだろ」

「だけど、その本当の正体は不明、と」


僕たちは部屋にいた格好のまま、何も持たずに出てきていた。スマホだけはポケットに入れた。


「朝までに帰れるかな? 宿の仕事いっぱいあるしさ」

「帰んなかったら、あとでお袋にめちゃめちゃ怒られるぜ」


僕は時折のいつもどおりの平気な声を聞きながら、しあわせな気がした。こんな非常事態に。やつが一緒なら大丈夫な気がしていた。いつもそうだった。


運河の上流から小さな舟が近づいてきた。


「あんな舟、見たことないな」

時折がつぶやいた。僕たちは子どもの頃から毎日運河を見ていたが、そんな舟は行き来していなかった。


キツネたちは右手を上げて舟を止めると、先に乗り込んだ。


「さあ、二人とも乗ってくれ」

キツネのと盛り上がった隈取が禍々まがまがしくて、僕は思わず顔をそむけた。


キツネがまず時折へ手を差し出した。時折は俺の顔を無言で見て、そしてキツネの手をぐいと引いて、船へ乗った。

舟は大きく揺れた。次いで、僕が乗った。

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