第四章 闇に蠢く者 その3

 このダンジョンはもともと12階層あったが、どういうわけだか以前カナタが調査したときには11階層から降りる入口が崩れており、そこから先に行くことはできなかった。

 このことはベンドリックにも報告しており、このダンジョンは11階層が最下層ということになっている。だからシュトルム達は必ず11階層に入るハズである。しかし、11階層にはめぼしい宝物はなかった。これはカナタが確認している。

 彼らどこからか仕入れた情報だと究極のレベルアップのできる「何か」があるようなのだが、このダンジョンを直接調査した上に、前世ではこの世界を模したゲームの中であるハズの12階層まで行っているカナタもそんな「何か」のことなど知らない。

(12階層にあるのは魔王城に行くためのキーアイテム[二つ星の天鍵]とポータルポイントぐらいのハズなんだけどな…。ましてや11階層は普通の迷路で特に目立った宝物もない…。でも…経験値の実のことを考えるとまるっきりガセってわけでもなさそうな…)

 一行は今まで通り、カナタを先方にベンドリック達が後続しサポートする布陣であった。この先はデーモン系の敵が多くでるので不死系がほとんどの上層階より経験値の稼ぎは良くなっている。無論、その分レベルも上がり難易度も上がってはいる。

 しかし、カナタにしてみればここは初心者レベルのダンジョンでしかない。崩れた先にいたハズのレベル80であるレガシーデーモンも彼からすると準備運動程度の相手だろう。

 ダンジョンの風景は上層階とは変わらず薄暗い石畳の狭い通路が続いている。そこを飽きもせずに周回していた前世の自分を考えると「我ながら酔狂だったな」と自嘲する。

 ふとカナタの足が止まる。

 それに後続のベルモンドが気が付き、ベンドリックに合図する。キョロキョロとカナタが周りを確認しているのを見て、流石にきになってベルモンドが声をかけた。

「どうしたカナタ」

「いえ、ちょっと見てもらえますか?」

 彼がそう言うと後続の皆はカナタのいる場所に集まってくる。そしてそこには惨殺されたアグニデーモンの残骸が転がっていた。

 酷い有様である。引きちぎられ周囲にまき散らすように部位が転がっていた。獣や魔物でも獲物をここまで損壊しない。なにか残虐を楽しんでいるような気配すら見て取れた。ベルモンドもベンクリッドも眉をひそめる。しかし―

「あら、ずいぶんちらかしたわねー」

 レジーナは平気な顔だ。それどころか潰れた身体を探ろうとまでしている。すぐにイルマがそれを止める。

「レジーナ様。お召し物が汚れてしまいます。魔石をお探しなら私がいたしますので…」

「んもう! いつもイルマにまかせちゃってるから少しは自分でもできるようにしたいだけよ! でも殺された魔物達からはしっかり魔石は抜かれているっぽいわね」

「そのようだね。こっちの遺骸にもあるべき所に魔石はない。しっかり回収したみたいだ」

 カナタはアグニデーモンの頭を持ち上げ皆に見せる。アグニデーモンの魔石は胸部ではなく頭にある。頭のねじくれた角と角の間にあるのだ。頭蓋を割らなくてはいけないので面倒な魔物ではある。

 それを見てベンドリックの顔が引きつる。

(あ、しまった…。ギルド長はこの角にトラウマがあるんだったけ…)

 しかしそこは年の功。なんとか平静を装い体裁を保った。ただいつもより髭を触る仕草がせわしない。それを見てカナタは心配になる。

(相当に内心葛藤しているな…。早くここを後にした方がよさそうだ)

「先を急ぎましょう。おそらくこの先は魔物の襲撃はないでしょうから」

「どういうこと?」とレジーナ。

「シュトルム達はどうやら魔物から得た経験値を直接レベルアップに使えるようだから、なるべくとりこぼしなしに経験値を回収してレベルアップしたいハズ」

「なるほど、あやつらは欲深いからの。その分、わしらは楽はできるが…。あまりレベルを上げさせるのは得策ではない…。急ぐぞカナタ!」

 まだ少しぎこちないがベンドリックの判断は的確である。以前のように我を忘れるようなことはなさそうなのでカナタは安心した。

「じゃあ、ここからはみんな一緒に進みましょう。僕が先行する必要もないでしょうから」

 と、歩を踏み出そうとするとグッと抑えられる抵抗を感じた。何かがカナタのマントを引っ張っている。見るとディールであった。あの凄惨な状況を見てすっかり怯えている。フサフサのしっぱがタヌキのように大きくなりフルフル震えていた。そんなディールの背中をポンポンと軽く叩き「大丈夫?」とカナタが聞くと―

「だ、大丈夫…れす… れ、れもあ、足が竦んじゃって… ごめんなさいれす…」

「この子はここで引き帰らせた方がいいんじゃないか?」

 ベルモンドが言う。するとディールがハッと目をむいてすぐに首を大きく何度も振る。

「ら、らいじょうぶれす! カナタ様に付いていくれす! そ、そのために来たんれすから! 追い返さないで欲しいれす! わらし必ず役に立つれすから!」

 ディールが叫ぶ。ベルモンドとベンドリックは少し困り顔になった。そこに鋭い少女の声が飛ぶ。

「だったらしっかりしなさい! 一緒に行ってシュトルム達をぶっ飛ばすわよ! いいわね?!」

 レジーナが発破をかけた。もしかしたら自分に投影したのかもしれない。役に立ちたくても立てずいらない子扱いされる自分に。その姿をみてベンドリックも驚きつつも温かい目で見守る。

(少しは成長しおったな… レジーナ…。わしもトラウマとか言っておれんな)

「さあ! 行くわよ!」

 ディールは勇気を奮い起こし、足で石畳の地面を四股のように踏みつけた。そして力強く「わかったれす! いきましょう! みなさん!」と言った。

 皆はその姿に安心し、一行は先を急いだ。


 果たしてカナタの言った通り道中の魔物は全て狩られていた。最初のころより戦い方は淡泊になってはいったが、人の戦い方でないのだけは変わらなかった。

 武器とかではない。強烈な膂力で惨殺されている魔物達。どれだけ強くなっているのか。このままレベルアップされたらカナタでも倒せないのではなかろうか。そんな考えがベルモンドの頭をよぎる。

「ギルド長… やはりここはカンダ伯の援軍を待った方が良いのでは…」

 ベンドリックに耳打ちする。ベテラン冒険者としては正しい判断である。力量が分からない以上無理な戦闘は避けるのは当然と言えた。それに対してベンドリックは表情を変えることなく―

「いざとなればお主らを逃がすことぐらいできよう。この老骨が滅びようともな」

 言葉には凄みがあった。ベンドリックの決心を知りベルモンドは言葉を継ぐことができなった。

「それにな…、今後の戦いのためにもやつらの様子を確認しないわけにはいかぬしの」

「そ、そうですね…」

「若い連中を頼むぞ。ベルモンド」

 ベルモンドはその言葉に強く頷く。前代未聞の人の魔物化。そんな信じがたい現象がいまこのダンジョンで起きているのだ。恐るべき恐怖以上にその未知に対し冒険家としての血が熱くたぎるのを彼も感じていた。いや、ここにいる皆が同じ様に感じていたかもしれない。


(この階の魔物を全部倒して… それで上がるレベルはどれくらいだろう…。ゲームではそんなことはあまり考えたことなかったからわからないけど…。あのバーストデーモンを倒した段階で60は超えているだろう…。そこから三階層分の経験値… とはいえ高レベルになればなるほどレベルアップは遅くなる… 精々レベル70位だろうか?)

 カナタにとってレベルの高低はあまり関係なかった。プレイヤースキルだけでゲーム内の魔物は全て倒すことができたからだ。

 彼が懸念しているのは例の期間限定の魔物化で起こした運営の不始末のことであった。魔物化したプレイヤーとそうでないプレイヤーのパワーバランスがあまりに不適切で速攻でPVPは中止になり、さらには魔物化自体を封印したのだ。

(あのときは自分も結構苦戦したな。もし、あれと同じようなことが起きているのであれば、相当気を引き締めていかないとならない…。出し惜しみをしている場合じゃなさそうだ)

 カナタはマントの中のアイテムを手で確認する。正直、今まではダガ―一本で十分であった。アイテムを使う必要はなかったのだ。しかし、ここにきて力押しでは済まない心構えを要求されているように感じた。

(…不安も大きいけど… なんか…久しぶりに燃えて来た…かも)

 知らず知らずのうちにカナタの口角が上がる。ディールがそれを不思議そうに眺めている。その視線に気が付くカナタ。

「ディールどうした?」

「い、いえ… カナタ様が笑っていらしたようれすから… なんか不思議らな…って」

「不思議?」

「らって、これから怖い魔物と戦うことになるんれすよ? 怖くはないのれすか?」

「うーん… 少しは怖い…というより不安はあるかな… でも… 大丈夫この世界が僕の知っている世界なら…。マジェスタ様の作った世界ならどんな相手でも切り抜けられる自信はあるよ」

「ふぇえ~ さすがカナタ様! よくわからないれすけどこのディール絶対お役に立ちますれす!」

「あ、そのことなんだけど。僕に君の能力は効かないから他のみんなのサポートをお願いしたいんだけど… できる?」

「はい! わらしのスキルは魅惑[チャーム]だけらなく、能力を向上させる状態強化[バフ]を使うことができますれす! おまかせくらさいませ!」

 にこやかにディールは言う。それをみてカナタは安心した。

「れ、れも… なんれカナタ様には状態異常が効かないんれすかね…」

「それはね大きな加護を頂いているから…。ボニーやマジェスタ様に」

「やっぱり! 女神様の加護を受けられているなんですごいれす!」

「加護だけじゃない…。マジェスタ様は僕に居場所をくれた…。この愛すべき世界へ導いてくれた…。その恩に報いたいんだ」

「導いて…?」

 ディールはまた不思議そうな顔でカナタの顔を見る。その視線にカナタは微笑で返し再び暗いダンジョンの通路の先に向かう。


「よろしいですか。私より前にには絶対に出ませんように」

「わかっているわよ! いつもちゃんとやってるじゃない」

 イルマが珍しく厳しい声でレジーナに注意する。もちろん普段、二人のフォーメーションはタンク役のイルマが前に出て、レジーナの魔法攻撃を支援する。

 しかしレジーナはつい前に出たがる癖があるのだ。

「レジーナ様の魔法の大半は距離に比例して威力変化します。近づけばその分威力が上がります…。なので前に出たがるのはわかりますが…」

「…わかってるわよぉ… 8階層でこりたもの…」

「なら良いのですが… とにかく今回の敵はカナタ殿に任せ、われらはあくまでサポートに徹しますので、そこはよくご理解ください…」

「だからぁ、わかってるって… イルマもしつこい…」

 そう言いかけ、レジーナのすぐ後ろを歩くイルマに視線をうつすと困り顔で怒っていると思っていたイルマの顔は少し涙目になっていた。

「…ど、どうしたのよ…」

「もし…、もし…です… レジーナ様に… 何かあるようなことがあれば私は…」

 彼女も8階層でバーストデーモンに手も足も出ずにレジーナを失いかけたことはもはやトラウマなのである。レジーナはフウと深く息をつき、イルマの横に移動し、背中をポンと叩こうとして背の差でイルマの丸いお尻を叩く。

「大丈夫。きっとみんな無事ですむわよ。慎重にやりましょう。ね。イルマ」

 レジーナの言葉に笑顔が戻るイルマ。でも、いざとなったら以前のようなヘマを踏まずにしっかりレジーナの盾になる覚悟を秘めて未知の怪物との戦いに向かうのであった。



 11階層の終点。12階層への入口であったところ。前にカナタがここに来たときは壁や天井が崩落しており、瓦礫の山となっていた。しかし、今はカナタが良く知っている入口の扉が鎮座している。ただ、瓦礫の痕跡は残っており、単純に12階層への道が戻っただけとも思えなかった。

「瓦礫を無理やり排除した感じじゃないの。どちらかというと、何か不思議な力で扉が下から生えて来た感じじゃ」

「初めてみるが、ダンジョンの中には入る度に変化するものもあるらしいからな。その類か?」

 瓦礫の様子を観察するベンドリックの言葉にベルモンドが続いた。カナタもこんなのは初めてである。ゲームではダンジョンは固定だった。このような変化はカナタを不安にするのと同時に新たな要素として気持ちが熱くなるのを感じていた。

「ベルモンドさん。そんなダンジョンがあるんですか?」

「いや、あくまで噂だ。冒険者の間でささやかれる都市伝説のようなものだな。だが、カナタの報告が正しく、そしてこの状況を見ると…。あってもおかしくはないかな…」

「…そうですね」

 自分の知らない“この世界”がどこかにあるかもしれないことに思わず口元が緩んだ。

「なに思い出し笑いしてるのよ… 気持ち悪い…」

 よこからレジーナがカナタの顔を見て不満をつぶやく。カナタは緩んでいた表情を改め、少し顔を赤くしながらレジーナとは別の方向に顔を向けた。

「さて、12階層がどうなっとるかわからんが、ここから先は本当のダンジョン探索じゃな… みな気を引き締めよ!」

 一同はその言葉に頷くが、カナタの知っている12階層であるならここは8階層と同じボス部屋。広い闘技場のような一部屋があるだけだ。ただ、彼の記憶ではこのダンジョンのボスが座る玉座があり、その裏にポータルが隠されている。

 扉はあっさり開く。なんの仕掛けもない。そうして中に入るとそこはカナタの良く知っている12階層であり、扉と対象の位置に玉座もあった。だが違う点もあった。このダンジョンのラスボスであったレガシーデーモンの座っていたが、今玉座にはシュトルムが座り、横にかつてアドンであったろう巨大な怪物が控えている。シュトルムもずいぶん様変わりしていたが、まだ見た目は人の範疇であり、巨大な玉座に似合うほど大きくはなっていなかった。だが、上半身の鎧はほぼ残っておらず皮膚の一部は青黒いウロコになっていた。

「よくきたな…。贄ども」

 驕慢な性格が形になるとこれほど醜悪になるのかと、思わず目をそむけたくなるような気色の悪い笑いを口元にたくわえシュトルムはカナタ達に向かう。

 誰もがその異様さに酷く緊張し、見たくはない醜悪さから目を離せずにいた。その視線にシュトルムは愉悦を感じていた。自らに恐怖する愚かな贄。そう思えたからだ。しかし、カナタだけは違った。彼はキョロキョロと周りを確認していた。無論、シュトルムとアドンにも視線を送ってはいたが、それはあくまで何か部屋の様子の一部としてしかみていない。そんな感じであった。

(レガシーデーモンは最初からいなかったようだな。流石に奴らでもレベル80の魔物相手に無傷では済まないだろうから…。それに… 戦った後もなさそうだし…)

「相変わらず…。イラつかせるガキだ…」

 シュトルムは苛立ちを隠そうともしない。その苛立ちにアドンは反応する。彼もカナタには酷い目にあわされており、自らのうっ憤と兄への忠誠を果たすために一足飛びにカナタに襲い掛かる。

 その動きにベンドリック達は反射的に飛びのく。ベンドリックはディールの首根っこを掴み自分の後方へ下がらせた。そしてベンドリックの前にベルモンドが構え、レジーナの前にはイルマ。前衛後衛に分かれたもっとも基礎的であるが効果的なフォーメーション。しかし、カナタだけはそこから動かない。スピードもパワーも自信のあるアドンはカナタの半身もあるかと思える拳をふるった。

 しかし、カナタは最初からわかっていたように避ける。そしてダガ―で切り付ける。いつものパターンだ。大した傷ではない。だが、何度もアドンが腕を振るううちに傷が増え、そうしているうちに傷つけられた拳から大出血する。

「おごあああああ!」

 怪物の咆哮である。カナタはその様子を静かに見るているだけであった。あまりの鮮やかさに緊張した面々の顔に喜色が浮かんだ。

「さがれ! アドン!」

 シュトルムが怒鳴る。アドンは傷ついた拳を抱え再びシュトルムの後ろに下がった。

「相変わらず奇術好きな小僧だな。どんな手段を使っているか以前は興味があったが…。もうそんなことはどうでもいい。力でねじ伏せる! 今の俺にはそれができるだけの力があるからな!」

 失ったハズの右手を前に出し拳を握る。その拳はまるで鋼鉄でできているような迫力があった。色も艶のある鈍色で、そこに不気味に脈打つ血管が浮き出ていた。まさに異形の右腕といえた。その上、シュトルムがさらに強く握るとその腕は炎を纏う。薄い炎だがそのような現象など見たこともない。サラマンダーという火トカゲが炎を纏うが、そういう生物由来のものとは違う禍々しさがあった。

 その異様な右腕を見て皆々の緊張がさらに高まるが、カナタだけは静かにその様子を見ていた。

(どこかで見た様な… いや、あれに比べれば貧弱かな?)

 シュトルムが玉座から立ち上がる。背は以前は180cm位であったが今は2メートルを優に超える。アドンが3メートルを超えているし、巨大な王座に座っていたのであまり大きく感じなかったが、改めて見ると異様な大きさであった。

「ククク…。いかに奇術をこらそうとこの力の前には意味はない。俺にはそれが分かる。それがこの力だ!」

 両拳を胸の前で思いっきりぶつけ合わせる。そこからは巨大な波動が生じ、部屋を揺らす。バラバラと天井のタイルが落ち、両拳は炎を纏い、シュウシュウと辺りの空気を焦がした。

「両腕に炎属性をもち…近寄るだけでスリップダメージを与える灼熱腕。そういうスキルをもつ魔物を知っているが…。人ではそんなスキルを持つ者はいない。お前は一体何なんだ?」

 カナタが睨む。シュトルムは嘲笑を口元に浮かべ―

「新たなる神だ!」

 そう言い切った。

「魔物のような強靭さと人の聡明さ。そして殺した相手はその場でレベルに変換できる能力…。それらを持ち合わせた新たなる存在。それが俺たちだ。今はまだレベル75程度だが、魔物と人を狩り続け、この世の全ての経験値を得ればどれだけ強くなれるだろう! それは間違いなく神の領域!」

 シュトルムは目を見開き、口からは酷く涎を飛ばし、高説垂れる表情には狂気が感じられた。

「狂ってる…」

 思わずレジーナが履き捨てる様につぶやいた。だがそれは皆が思っていたことである。そんな中、カナタだけはシュトルムの狂気などは気にも止めない。ただ戦いになったときにどのように立ち回るかだけを考えていた。

(鑑定でもレベルは75。それは間違いない。前世のゲームでは魔物化してもスキルまでは得ることはできなかった。ただ、レベルとステータスのふり幅が通常と全く違うことが問題だった…。あまり鑑定での結果は真に受けない方がいいな…)

 カナタは静かにシュトルムを観察する。バランスの悪い膨張した筋肉もどんな動きをするかわからない。先ほどのアドンはシュトルムより肥大化しているが、普通の魔物程度の動きだった。だがシュトルムはどうだろう? そう考えながらカナタはいくつかのアイテムを左手に仕込む。

「その神の領域に赴くための第一歩がこのダンジョンの最下層から始まるのだ…。タイヤールがここにくれば素晴らしい道を得ることができると言っていた意味がわかる…。俺は神になるために生まれて来たのだと!」

「タイヤール?」

 カナタが反応する。コーシカにそんな名前の者に気をつけろと言われたことを思い出したのだ。

「もしかして経験値の実もそのタイヤールってヤツからもらったのか?」

「そうだが? それがどうした?」

「何者だ? そいつ」

「ただの錬金術師さ。まぁ、ヤツは使い道があるからな。これからも俺のために働いてもらう…。そんなことより始めようじゃないか…。俺が神になる儀式を!」

 そう言うと凄まじい勢いでカナタとの間合いを詰める。灼熱腕を振るいカナタを切り裂きに来た。だがかわされ腕は地面を酷く殴ることになった。足元の石畳は轟音と共に砕け、すぐに消えるものの燃えるハズのない石に火が着き、火の粉が舞った。

 かわしたカナタのマントに大きく焦げた跡がついた。意外とスリップダメージは大きいようだ。カナタは左手の仕込んだアイテムの一つ「耐火の薬」で耐火能力を上げる。

「ふん。今のを避けるか。しかし、俺の速さはこんなものじゃない…。行くぞだんだん早くしていくからな」

 ニヤリといやらしく笑うシュトルム。それに対しカナタは―

「もし隠している能力があるなら早めに使った方が良いよ。使わずに倒しちゃうかもしれないからね」

 こちらも不敵に笑う。顔にいびつな血管が浮かぶシュトルム。何も言わずに踏み込みカナタを襲う。それをスキル[完全回避アドバンス]で避けまくる。しかし、シュトルムの攻撃は地面を削り、炎は避けきれずに衣服を燃やす。レベル1のカナタが一撃でも喰らえば即死であろう攻撃。見ている者の方が息が詰まってしまうようなやり取りが続く。

 実際、ベンドリック達はあまりの攻防に手を出せずにいた。アドンだけが兄の勝利を疑わず下卑た笑いを浮かべている。しかし攻防を重ねる側の感想はまるで逆であった。

「どうした?! レベル75の攻撃はこんなものか?」

「ぐっ… くそったれ!」

 カナタには相手を煽る余裕があった。そしてシュトルムは当たらない攻撃に酷く焦燥していたのである。

 そんなシュトルムは怒りに任せ両腕でカナタを潰そうと拳を振り下ろす。それを避けるカナタ。しかし地面を叩くその両腕からは地面からの衝撃と共に巨大な炎が立ち上がった。

(爆炎柱?!)

 カナタは目を疑った。これは魔物のスキルで人が使えるものじゃない。そしてその炎の柱は何本も立ち上がるのだ。それを前後しながらカナタはかわす。しかしスリップダメージが酷い。即、回復ポーションでフォローした。

「ふはははは! 拳が当たらずともお前を殺すことが俺にはできるのだ! これが俺の新しい力だ! 喰らえ!」

 再び爆炎柱を放つ。しかも今度はその柱が渦巻き状に変形し、火炎渦をいくつも作った。それらがカナタを襲う。

「い、いけませんれす!」

 思わずディールが炎軽減の耐火魔法をカナタにエンチャントしようとする…が、突然飛んできた瓦礫がワンドに当たり魔法はキャンセルされる。発動しても状態異常の一種であるエンチャントはカナタには効果はなかったろう。それよりその瓦礫の飛んできた先が問題であった。

「い、今は… い、一対一の…決闘だぜ… て、手出しは…無用…」

 瓦礫を投げたアドンが不細工なニヤケ顔で言う。


 先ほどカナタに負わされた手傷はすでに回復しており、暇を持て余していたアドンはディール達の前に進み出る。その異形の姿にレジーナが「な、なんなのよコイツ…」と怯えた顔を見せた。

「ま、人と魔物の中間ってとこじゃな…。上の階層にいたデーモンよりかは手ごわそうではあるが…」

「お、俺のれ、レベルは65…だ…あ、あんなデ、デーモンなんか…より、強くて、当然だ…も、もちろん、お前らなんか、て、敵じゃ、な、ない…」

 身体は青黒く膨れ上がり、下半身の防具以外はつけていない。もともと大柄であったが、それでも精々2メートルぐらい。今は優に3メートルを超える。

 ベルモンドとイルマが前にでて構える。アドンの異様さに流石に緊張しているが、引くつもりはない。レジーナもディールも最初は怯えた表情をみせていたが、しっかり戦闘態勢に入っている。ディールはすぐに周りの味方にエンチャントをかけた。

 全員の防御力を上げ、さらに戦士なら筋力や敏捷性、魔法使いなら魔力や詠唱時間の短縮する。もともと状態異常を得意とするが、味方には逆に能力上昇のバフをかけることができるのである。

 だが、そのバフも精々10~20%程度であった。無論、それだけ上げられるエンチャント使いは滅多にいない。が、今のアドン相手ではあまりに足りない。

「やるわねちびっ子! 私も…!」

 周囲に触れると爆発する魔力の罠と壁を張るレジーナ。防戦になりそうなのは理解しているあたり成長していると、師匠のベンドリックは「ほう」と感心したものだ。

 だがこの魔法でもとても防げるものではない。

 アドンは真っすぐに踏み込んで罠の爆発をモロに受けつつ、魔力の壁を突き抜けレジーナを狙った。しかし、イルマがそれを辛うじて阻止する。アドンの攻撃を受け流したイルマの小盾があっさり切り裂かれた。イルマも戦士のもつスキルで守りの術を使っていたが、かすっただけでこの被害だ。

 その瞬間、ベルモンドがアドンの隙をついて攻撃する。が、両手に持っていた片手剣の一方が、アドンの後頭部に当たって砕け散る。

「ぐ! なんて硬さだ!」

 アドンは防具をつけていない。青黒い皮膚が普通の防具よりはるかに強くなっていたのだ。ベンドリックスは人と魔物の間と言っていたが、これではもう完全に魔物である。

 レジーナ達は一旦引き、再びフォーメーションを組む。

 そんな様子をみてアドンは笑う。レベル30~40程度の冒険者が数人集まった程度では自分とのレベル差は埋まらない。なにより体で、本能であっさり彼らを狩り殺せると感じているのだ。少し体を動かしただけで、自分の体内からあふれ出る力を感じ、それが薄汚い笑いにつながっていた。

「そ、そんな緊張する…なよ…ぐげげ…あ、あっさり、こ、殺したり…は、し、しない…な、なぶり殺しにし、してやるから…げへへへ」

 その不気味な笑い声と余裕にレジーナ達はより緊張を強いられた。しかし…。

「65か、なんじゃ中途半端じゃな」

 ギルドマスターのベンドリックスが気の抜けた声で言い放った。アドンが「はぁ?」という顔になる。

「せめて切りよくレベル70にでもなっていれば、わしらを倒せたかもしれんがな。お主、ホントに中途半端な奴よの」

「な、なにを、い、イイやがる! お、おまえより、れ、レベルは、た、高いんだぞ!」

「たしかにレベルは高い。が、こちらはパーティーじゃ。個々が劣っていても、一体多数ならこちらに分がある…それに」

 ベンドリックはなにやら高級そうな小瓶を何本も懐から取り出し、他の者に渡した。

「今回は大盤振る舞いじゃ! 経験値の実のような恒常性はないが、一時的ならレベルアップするよりステータスアップに効果があるぞ!」

「き、強化…の薬か?!」

 皆が一気にそれらを口に含む。力が魔力があふれ出る。

「な、なにこれ… こんなの初めてよ! 何なの? これただの薬じゃないわね」レジーナが驚く。

「いかにも! これらは国宝級の一品ばかりじゃ! さらに! わしの最秘術!エンチャント! 偉大なるグレーター大女神の愛深き祝福グレイスベイス!」

 今度はイルマが驚く。

「そ、それは教会の最秘術の一つ! 大司教ですら使うことがかなわないと言われた奇蹟を魔術師のベンドリックス様が何故!」

「伊達に長く生きとらんわ! わしは元々司教じゃったからな! だが向いとらんで、魔術師に転職したんじゃよ! さあ! 準備は整った! 獣狩りの時間といこうかの!」

 この秘術は肉体や魔力を一時的に数倍に引き上げる効果がある。もともと魔王の軍勢と戦うために女神が作りだした奇蹟と言われていた。しかもこの奇蹟は薬で強化した部分や魔法で強化したバフにもその効果が乗る。それらの上昇効果が重なれば一時的にレベルを20位アップすることができた。

 つまりはレベル50並みの戦士と僧兵と魔術師。そしてレベル70の元司祭の魔術師のパーティーを相手にすることになったのである。まさに形勢逆転とはこのことであろう。


 新しい力を見出したもののシュトルムの焦りは消えていなかった。この小さな若輩者がいつまでも倒せない。最初は有り余る力を振り回しているだけであったが、本気で狙ってもサラリと交わされてしまう。今までカナタに与えたダメージは地面に当たった際にはじけ飛ぶ石礫とスリップダメージの炎位だ。こんなダメージではいつまでたっても倒すことはできない。怒りが更に別の力を呼び起こした。魔物の力である。

「ふんぬ!」

 激しい勢いで地面を殴ると爆炎柱が今度は地面に平行に、しかもまるで獲物を狙う蛇のように蛇行し走ったのだ。辛うじてカナタはそれを避ける。マントだけでなく衣服の一部まで燃えてしまう。これもデーモン種、それも一部の高位魔物だけが使うスキルであった。そんなことはシュトルムは知らない。だからこれは天から与えられた自分の力だと信じた。

「見たか! これが俺の力だ! ああ、すごいぞ!」

 力に酔って連打する。恐るべき炎の柱と蛇行する炎の大蛇が幾重にもほとばしる。そしてその炎自体を体からも打ち出せるようになっていた。

「ハハハハ! これはいい! どうだ! これだけの力をもった俺を馬鹿にし敵に回したのだ! 後悔し、怯えろ! 小僧!」

 カナタにかわしまくられていることにも気づかず炎を乱射するシュトルム。近接も遠距離もこなせ、あふれ来る体内の力にすっかり酔っていた。が、マントを焼かれ、息も絶え絶えになりながら逃げていると思っていたカナタから反撃があった。

「ぐお!」

 繰り出し、伸びきった拳にざっくりと刃物の後が付く。

「まだ隠しているんじゃないか? 力を。なら今の内出しておいた方が身のためだよ」

 不適にもカナタが煽る。その言葉を一瞬理解できなかったが、コケにされたとシュトルムは爆発的な炎を纏った。

「い、いいだろう…。全力でお前をぶっつぶしてやる…」

 文字通り怒りに燃えるシュトルムの前に、カナタはただ静かに立つだけであった。


落雷撃滅ライトニングフォール!」

 ベンドリックの放った凄まじい稲妻がほとばしり、アドンの体を焼く。青黒い皮膚は焼けただれ血がにじみ出る。そこにベルモンドが切りかかる。その刃は先ほどの剣と同じであったが、青白い炎を纏っていた。レジーナによる武器へのエンチャントであった。

「どりゃああ!」「ぐぉああああ!」

 ベルモンドの気合とアドンの悲鳴が重なる。エンチャントされた刃は砕けず皮膚を切り裂いた。

結晶針撃ニードルスパイク!」

 さらにレジーナの結晶魔法がベルモンドの切り裂いた傷をさらに深くえぐる。よろめきつつその場から飛びのくアドン。

「流石にタフじゃのう」

「でもあと一息よ! 激流針撃ストロームスパイク!」

 先ほどのニードルよりさらに細い針のような閃光が広範囲かつ高密度にアドンを襲う。これではかわしようがない。痛みと怒りで人であることを本気で忘れたようにアドンは叫んだ。その咆哮が終わるころアドンの前には一人の女性が立っていた。イルマが間合いを詰めてきていたのだ。反射的にアドンは拳を振るう。しかし―。

「打ち滅ぼす法…打壊滅殺デストストライク!」

 イルマはメイスを両手持ちにし、上段からアドンの攻撃に合わせて振り下ろした。アドンの拳はグシャリと潰れる。そしてまたアドンの咆哮。いや、これは悲鳴であった。

 イルマが使ったのは僧兵が使う打撃術だ。その中でも最も強力なもので、神の加護をうけ、身を投げ出してメイスの一撃を放ち敵を撃ち滅ぼすというものだ。通常なら攻撃力の1.5倍程度だが、様々なバフが重なり合って、レベル65の拳を潰すまでの威力まで強化されていた。

 さらにベルモンドのエンチャントがかかった片手剣がアドンの片目につきささり、打壊の後のイルマの大きなスキをなくす。パーティ―の理想的なコンビネーションであった。その上後衛からの魔法攻撃が続く。アドンは退くが、まだ決定的なダメージは入っていない。

「うむむ…ちとまずいの…そろそろ止めをささんと」

 ベンドリックが口の中でつぶやく。薬や加護の効果はそれほど長くはない。というかここまで強力なバフは短くて当然なのである。

 ベンドリックスの独り言をを聞いていたわけではないが、レジーナが止めを刺そうと前に出てしまった。

「いかん!」

「これでとどめよ! 爆炎撃破弾エクスプローションバレット!」

 爆炎の魔力を込めた弾を放つが、アドンにかわされてしまう。流石にこれは見え見えすぎたのである。今まで嬲るつもりが、逆に嬲られていたアドンの怒りは前にでたレジーナに向けられた。

 凄まじい速さでレジーナに向かう。ここでもイルマが間に入るが迂闊な入り方をし、逆にアドンのタックルを正面から食らう。

「ぐは!」

 バフがかかりまくっているので戦士職のイルマには致命的なダメージではなかった。が…。次の瞬間、イルマに潰された拳と逆の無傷の拳でレジーナは殴られ、小さい体は軽々と宙に浮く。

「ぎゃぶっ!」

 小さなレジーナの声が聞こえた。イルマもベンドリックスもベルモンドも彼女が死んだと思った。もちろん、アドンもそう確信していた。

「ハハハ! クソガキ…が! お、思い…知ったか…! カハハハ!」

「レジィナさまあああああぁあ!」

 イルマは倒れたレジーナに駆け寄ろうとしたが、彼女自身もはじかれてダメージを追っていた。それでもはいずり無様な様を晒しながらも急ごうともがく。

 鎮痛なベルモンドの表情に、怒りに燃えるベンドリックの顔。それらをみてアドンは気が晴れた気持ちになった。が、しかし、次の瞬間目を疑った。

「い、いったぁ~…レディになんてことすんのよ!」

 倒れたレジーナがあっさりと上半身を起こしたのだ。

 誰もの頭に「?」がついた。確実にアドンの拳はレジーナの腹に直撃したし、レベル65の戦士、いや魔物の拳ならば、レジーナの体にバフがついて強化されていても内臓は破裂し、ぐちゃぐちゃになっているのが当然。

「ケホ、ケホ、まったく! 痛いったらありゃしないわ!」

「レジーニャさみゃぁぁぁ!」

 涙目のイルマが叫ぶ。すぐに近くにいたベンドリックスが手を貸し、それで普通に立つレジーナ。

「ど、どういう… こ、こと…だ」

 アドンは困惑した。

「もう、あんたの攻撃はわらしたちには通用しないれす」

 ディールが言う。ディールのねじくれた角が真っ赤に輝いていた。全力で力を使うときの輝きだ。

「ベンドリックス様のおかげでわらしの力も何倍にもなっているのれす。その力を全てデバフ方向に向け今あんたに使っているんれすよ。相当なデバフがかかっているハズれすから、今のあんたは精々、レベル20程度れすね」

「な、なんだ…と…」

「ギリギリ間に合ってよかったれす。この力は効果が出るのに時間がかかるれすから」

 ちょうどアドンがレジーナに拳を放つ直前、効果が発揮されたというわけだ。様々なバフが積まれたレベル50位の魔術師のボディに、レベル20程度の戦士の生の拳が入ったわけで、おそらく素人の本気パンチが普通の人のボディを叩いた程度の衝撃にしかならなかったのだろう。

 最大級の状態異常で防御力も攻撃力ももう使い物にならなくなった。自分を囲んでいるパーティーの誰か一人の攻撃でアドンは確実に死ぬだろう。それがわかったときアドンは負けを悟った。

 そのとき彼にはもう逃げると言う選択しかなかった。


 カナタの方は形勢が逆転していた。防戦一方からいつもの素早く鋭い攻撃を繰り出しつつ、まるで来るのがわかっていたように攻撃をかわしていた。

(こいつの攻撃はほぼデーモン系統の魔物の攻撃と変わらないな…。タイミングも予備動作も同じ…。ただ、一応PVPだからどこかでディレイとかかけられてタイミングずらされるとこちらは命取りになる…。徹底的に慎重にやるしかないな)

 確実に攻撃が入るところでしかカナタは手を出さなかった。そのためなかなか[出血致命ダッドリーブラッド]のスキル発動に至らない。レベル75もある以上、HPも相当に多い。カナタのダガ―では大したダメージは入らず、下手をすると回復されてしまう。だが、カナタは焦らなかった。この粘り強さが前世の[仮初の世界]でトッププレイヤーでいられた大きな要因であったのだから。

 それに対してシュトルムは焦り始めていた。

(こいつはどうなっているんだ? これだけのレベルがあれば一撃でも入れば確実に葬れる。にも関わらずまるで当たらない。まるで幽霊でも相手にしているようだ… いやゴーストなら瞬殺できる。コイツは一体なんなんだ?)

 できうる限りの攻撃をカナタにしかけるシュトルム。最初は気付かない能力もあったが、今や全ての能力を全力で出しているのを自覚していた。が…。この忌々しい小僧には届かない。もう怒りを通りこして焦りと恐怖が入り混じった感情を持ち始めていた。

 そんなとき二人の戦いに割って入る者がいた。アドンだ。

 アドンがベンドリック達から逃げ出し、シュトルムに助けを求めたのである。巨大な体躯はもうボロボロになっていた。まさに命からがら兄の元にたどり着いた感じである。

 カナタはその時距離をとった。何か仕掛けてくるかもしれないと考えたからだ。だが、そんな考えは当然ない。ただみっともなく怪物が兄に助けを求めるだけだ。

「あ、アニ…キ… だ、だずげで…」

「アドン! なんだその様は! お前はレベル65の戦士だろうが!」

「じ、じか…し… あ、あいつらは…も、もっと強かった…だ」

 正確には戦士ではもうない。レベル65の魔物である。だが、今は瀕死の魔物といったところだろう。シュトルムはカナタに向けていた怒りや焦りより、この情けない兄弟の方に大きな怒りを覚えた。そしてその怒りは彼の中の本能を突き動かした。魔物としての本能。経験値を得るために相手を喰らう。という。

 シュトルムはアドンの頭を食いちぎる。彼の顎は大きく二つに開かれ、もうその姿は人の姿ではなかった。そして、食いちぎった頭を咀嚼する。顎が動くたびに身体が変化した。筋肉はさら肥大化し、皮膚はさらに分厚いうろこ状に変質していく。そして経験値を吸収し、己のレベルを上げていった。

 その残虐な光景に誰もが眉をひそめる。

「う…ぬ…。不味いぞ! あの魔物のレベルは…90?」

 ベンドリックが呻く。鑑定で誰もがシュトルムだった魔物のレベルを確認し驚愕した。過去に討伐された魔物で最大のものは85であり、そのときは王国の最精鋭が軍を率いてようやく倒すことができたのである。そのとき、ベンクリッドも戦いに参加していた。それ故に、高レベルの魔物の恐ろしさは良く知っていのである。

 ベルモンドやイルマは戦士職特有の勘というか感覚、いわゆる肌で底知れぬ強さを感じ取っていた。レジーナも自分の魔法が効かない相手というイメージを感じていた。

 ディールに至ってはすでにデバフ効果を向けていたがまるで効かない。ナチュラルにレジストされてしまっていたのである。

 さらにはアドン戦で魔力も体力もアイテムすらも使い尽くしていた。かけてあった様々なバフももうすぐ切れてしまう。先ほどのアドンではないが、もう逃げるしか道はないとベンドリックは思った。

「やむを得ん… こうなれば最後の手段じゃ。ワシが自爆魔法で時間を稼ぐ! 皆はダンジョンから非難せよ!」

 ベンドリックがワンドを掲げる。

「ギルド長! そ、それは…!」

「ベルモンド! 口論しとる時間はない! あ奴が完全に変態する前に皆退避するのじゃ!」

「い、いやよ! ベンドリック! 私も戦う!」

 レジーナが叫ぶが、イルマが抱え自由にはさせない。だがイルマのその表情は苦悶に満ちていた。ベルモンドはディールを抱え出口に急ぐ、しかし、流石にそんな隙を見せることはなかった。今までよりはるかに速い動きで出口を塞ぐシュトルム。

 彼の変化はまだ続いている。身長は4メートルになろうとしていた。身体は上半身が巨大で、下半身は獣のような姿になり、完全にデーモン特有のプロポーションに変化していく。

 ベンクリッドは急いで魔物とレジーナ達の間に入りワンドをかまえた。こうなっては皆を逃がすのは無理だ。それに自爆魔法の詠唱はすでに始まっており、黒い魔力がベンクリッドの回りを漂い始めていた。おそらくレベル50のベンクリッドが自爆すれば魔物にも多少のダメージを与えるだろう。ただ、それも致命的なものにはならない。むしろその衝撃で下手をすると出口を潰してこのフロアごと封印した方が良い…とも思い始めていた。

(ワシらの犠牲でこ奴を封印できるなら…それもアリか…)

 デーモンと化したシュトルムは人の面影はもうない。だが人のころからの特徴的な増長慢な笑い方はデーモンの口の動きから見て取れた。

 ベンクリッドの回りには黒い魔力が渦巻いており、その状態のまま魔物に突撃し自爆するのであるが…。魔力を含んだ鋭いナイフがベンクリッドの構えていたワンドに命中し、呪文がキャンセルされてしまった。

 ナイフの飛んできた方向を見るとそこにはカナタがいた。

「な、なにをするカナタ! も、もう呪文を詠唱する暇はないぞ! 最後のチャンスじゃったのに!」

 ベンドリックが困惑する。しかしカナタは他の面々と違って先ほどよりリラックスした表情で言う。

「そんなことする必要ないですよ。あれは僕が退治します」

「し、しかし、先ほどのシュトルムにも苦戦し、倒せなかった以上あ奴に勝つ見込みなど…」

「さっきはちょっと慎重になりすぎていただけですよ。別に倒せなかったわけじゃない」

「す、すると一体…」

 ベンクリッドはまるで要領を得ない感じである。それは他の面々も一緒だ。それこそ対峙している魔物となったシュトルムも何を言っているのかわからなかった。カナタはスタスタと魔物と化したシュトルムに近づいていく。以前、都市内部や近郊で魔物を倒したときと同じだ。

「シュトルム…。お前は完全に魔物になってしまった。もう人の様な自由な動きはできない。魔物は魔物の動きしかできないのがこの世界の理だ。だから…こっからはPVPじゃないPVEだ。存分にやらせてもらうぞ“レガシーデーモン”!」

 そう言うといつものようにダガ―で魔物に挑む。レガシーデーモンと呼ばれたシュトルムは訳も分からずカナタに襲い掛かる。しかし、ここからはカナタにとって作業でしかなかった。過去に何十回と倒してきたダンジョン12階層ラスボスをいつものように料理するだけなのだから。

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