第四章 闇に蠢く者 その1

 カナタの住む廃墟の寺院には、礼拝堂の奥に隠された扉がありその先に地下の居住区があった。

 この地下は建設当時に神々と交信する場所として作られたらしいが、それをいつのころかわからないが、誰かが居住できる場所として改装し、今は大女神マジェスタが送り込んだ転生者カナタが生活の場として使用している。

 カナタに都合よく改装されていたのは、おそらく改装した者が大女神からの干渉を受けておこなったのだろう。

「それで、どうしたいの貴女は」

 リビングにあたる部屋の中央の壁に飾ってある絵画のボニーに向かって、ディールはひれ伏している。昨夜のように震えていたりはしないが、緊張はしているようだ。なにより驚いたのはディールが女の子だったということである。獣人族でも男女差は結構わかるものだが、ディールは短毛の大きな猫が服を着て二本足で立っている…といった姿なので、今一つわからなかった。

「は、はい… この度はわらしごときを救って頂き、心から感謝しておりますれす! つきましては女神ボニー様に誠心誠意お仕えいたしたく… どうかお側においてくださいませ!」

「信者が増えるのは良いことだけど…、カナタはどう思う?」

 うーんとカナタが答えあぐねていると、ディールはカナタに向き直って、足元にひれ伏し、いや足にしがみついてて願うのである。

「お願いします! カナタ様! 昨夜は大変な事をしてしましましたが、わらしの意志じゃなかったのれす! どうか、許してくらさい! お願いします! わらし、なんれもしますのれ! お願いしますぅ!」

 そう言って泣くものだからカナタもほとほと困り果てていた。ここのことはボニーを解放するまで極力知る人が少ないにこしたことはない。もっともすでにディールには知られてしまっている。こうなると一緒に暮らしたほうが安心できるし、なによりボニーがディールのことを気に入っている様子なので“彼女ディール”の申し入れを承諾した。

 それからのディールは、甲斐甲斐しくカナタとボニーの世話を焼くようになった。

 掃除に始まり、料理や洗濯も鼻歌まじりにこなしている姿は平和そのものである。あの夜、スキルを強要され泣きながら許しを請うた姿からは想像もつかない。

「ディールは家事が得意なんだね」

「はい、わらし、生まれ育った家でご主人さまのお世話をずっとしていまいしたから」

「ご主人さま?」

「はい、カナタ様と同じ人族のお年を召した方でした」

「家族は?」

「その方はお一人れした」

「いや、ディールのさ」

「…家族は…覚えてないのれす。…物心ついたころには…山の頂上の小屋でご主人さまのお世話をさせてもらっていましたのれす…」

「で、そのご主人って何してた人?」

 と、ボニーが話に入ってきた。

「ボニー様! お声がけいただき恐縮至極れす!」

 尻尾がピンと立ち、喜びに顔をほころばす。すっかり彼女はボニーに帰依していた。ボニーもまんざらではない。絵画の周りは今までにないくらい綺麗に、しかも飾り付けもされている。カナタは布で封印する手がもう使えないかもれいない…と思っていた。

「で、ご主人とやらは何してたの?」

「ご主人さまは…よくわからないのれす。入ってはいけない扉の向こうでいつもお仕事をしておりました。それ以外だと難しいご本をいつも読んでおりましたのれす」

 ディールは宙を見つめ昔の思い出を話す。

「でもある日、ご主人さまが動かなくなってしまい… そのときわらしは死というものを知らなかったのれす。しばらくしたら他の人がやってきて、わらしをそこから連れ出しました…」

「連れ出した連中って?」

「よくわかりません…。ただ、そのあと戦闘やスキル発動の訓練をされ…一年位前にあのシュトルムさ…のところに連れて行かれたんれす。」

 シュトルムに思わず[様]をつけそうになったのを止める。

「ディールの言うご主人って錬金術師かしらね。連れ出したのは奴隷商人っぽいけど。多分、キメラの研究はその錬金術師がやっていたんじゃないかしら」

「僕もそう思う。けど、キメラなんてそう簡単にできるものなの? こちらの世界の知識レベルってよくわからないんだよね」

「こちらの世界?」

 ディールが不思議そうな顔する。

「あ、気にしないでこっちのこと」

「少なくとも私が封印される前だったら、まず無理ね。知識としては邪神が行使するようなレベルだわ。数百年経った今でもどうかしら…、指輪でカナタの行く場所を一緒にみてるけど、現代も文明的には大差なさそう。…あまり考えたくないけどもしかして干渉があったのかも…」

「干渉?」

「邪神からの…よ」

 大女神マジェスタによる干渉があるように、邪神からも干渉ができる。ただし、神々が干渉できるのはそれぞれの陣営だけであり、邪神が干渉するのは魔物だけで人間であるその錬金術師に干渉するのは難しい。しかしそれしか考えられないとボニーは言う。

「ディールは魔物とのハーフなんだろ。そういう人間がいても不思議じゃないんじゃないか?」

「両方の特性をもっているとどちら側からも干渉できないのよね。特に人間は神様の加護を強く受ける生物だから、邪神の影響の大きいダンジョンに入っても影響されることはまずないの。それに人族が影響され闇堕ちしたら理性や知性を維持できることはないからキメラの研究なんて絶対にできない」

「うーん、でも研究させることはできるんじゃないかな。知能のあるデーモン種とかなら…」

「なくはないけど…。まぁ、私を罠にハメる位には頭の回るヤツもいるから、これは大問題ね。この世界の危機かもしれない! 可及的速やかに女神ボニーの復活と宗派の振興が必須よ! カナタ! 今まで以上にお願いね!」

 ボニーは絵の中でふんぞりかえる。いつものことと、カナタはスルーしているが、ディールは興奮した面持ちで絵画のボニーを仰ぎ見ていた。おまけにその周りには例のネズミたちまでいる。新ボニー教はどうやら獣向けの宗派らしい。


 ディールがこの廃教会にきてまだ数日であるが、ずいぶんと教会の様相が変わってきた。カナタはもともと身の回りのことに無頓着であったし、ボニー自身は結界などの加護は行えても当然のことながら、物理的に教会に干渉はできない。

 なので荒れ放題の教会は以前のままであったが、ディールは雑草を抜き、瓦礫を片付け、壊れた戸や壁を修理する。おかげで廃墟から古びた建物ぐらいにはバージョンアップしていた。ディールは甲斐甲斐しくよく働いた。

 今は入口の所を掃除している。身長100cmぐらいのディールは自分より大きなほうきで器用に地面の塵を掃いている。フードをかぶったその姿は、まるで小人が踊っているようであった。

「ちょっと! そこの小さいの、あんたこの教会の人?」

 少女の声がディールに向かってかけられた。ディールははっとしてそちらを向くと、ディールより少し背の高い位の少女と、その後ろに成人女性が控え、さらに横には見上げるような長身の老人が立っていた。

 ディールは少女よりその長身の老人を見上げて固まってしまった。

「バカモン! よいか、レジーナ、人にものを訪ねる時にはもう少し丁寧に声をかけるものじゃ! 見よ、その子が委縮してしまっているではないか」

「いえ、おそらくはベンドリック様の容貌に怯えてるかと推測されますが…」

 ディールをしっかり観察していたイルマが横から口を挟む。ディールの目は完全にベンドリックにくぎ付けになっていた。

「そ、そうか? ならばそこの幼子よ、ワシを怖がる必要ないぞよ。ワシは優しい爺じゃからな。ここに住んでおるカナタの知り合いじゃ」

 と、穏やかに言いフォフォフォと笑う。ディールもカナタの知人と聞いて警戒心を解き、フードを下ろし挨拶をする。

「ようこそおいでくださいました。わらしはカナタ様の従者のディールと申しますれす」

 ちょこんと頭を下げる。それを見てベンドリックは笑みをこぼす。

「そうか。ワシはギルド長のベンドリックという。カナタはご在宅かの…」

 そう言いかけたとき、ベンドリックの目はディールの頭から生えている特徴的な角をみて凍り付ついた。

「どうなされました? ベンドリック様」

 異変に気が付いたイルマが問うが、年老い魔術師は押し黙ったままであった。それどころか顔は日ごろ見せないような険しい顔に変化していた。さすがにレジ―ナもこれには慌てる。

「ど、どうしたのよ! …この子になにか…」

 長身の老人からは魔力があふれ出る気配。いや、魔力というよりかはもうそれは闘気と言ってよいものだった。

「ベ、ベンドリック様! いかがなされましたか! 街中でそのような…」

 イルマも慌てる。しかし彼は何かに憑りつかれたように聞く耳を持たない。持っているワンドを振りかざし、攻撃魔法、それも特大なものを放つ姿勢に入った。ディールはぽかんとしいる。何が起きているのかまるでわからないようで、逃げだそうともしなかった。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 レジーナは止めに入ろうとするが、イルマがそれをさえぎる。

「いけません! レジーナ様まで巻き込まれてしまいます! おさがりを!」

「で、でもこのままだと…」

「不浄なるものよ…砕け散るが良い! グレーターフラグメンツライジン…」

 いよいよワンドに集まる巨大な魔力がその威力を顕現する…が、その直前に鋭い一本の投げナイフが呪文を邪魔した。ワンドに刺さったナイフは轟轟たる勢いをもった魔力のうねりを一瞬で霧散させてしまったのだ。

 ちょうど渦巻く暗雲が一瞬で晴天になるように、充満していた禍々しい魔力が晴れやかな何もない空間に変わったのだ。

「何してるんですかギルド長!」

 そのナイフを投げたのはカナタであった。魔力を霧散され毒気を抜かれたベンドリックスはようやく我に返った。

「い、いやこれは…その…」

「まったく…、説明してもらいますよ。ディール大丈夫だったか? あれ?ディール?」

 ディールはぽかんとした表情のまま気絶していた。


「いや、まったくもって面目ない…」

 教会の聖堂脇にある小部屋でカナタと相対するベンドリックが平謝りする。原因はディールの特徴ある形の角である。この角はベンドリックが最も苦手とする魔物[アグニデーモン]だけが持つ螺旋くれた角と同じなのだ。彼はこれを見ただけで血が逆流すると語っている。

「私は出会ったことはないけど、そんな厄介な魔物なの? 経験値は沢山もらえるのかしら」

「レジーナよ、この世には出会わない方が良い相手というのもあるものじゃ。ワシらがどれほどのものに苦しめられたか…あの角が怪しく輝くとき…ワシらは…ぐぐ…その時のことを…今思い出しても…」

 ベンドリックの握りしめた手の甲に血管が浮き出てくる。

(これはダメだな…。理屈じゃないみたいだし…。ディールには必ずフードをかぶせておこう)

「それにしてもあんな獣人見たことないけど、どこで捕まえてきたの?」

 歯噛みしているベンドリックをよそにレジーナが聞く。

「ま、先日いろいろあってね。僕の所で預かることになったんだ」

「ふうん。まさかあんた獣人の小さい子が好きって趣味じゃないわよね…」

「な、なにを言っているんだよ! そんな趣味あるわけないだろ!」

 コーシカと同じことを問われて内心ギクリとした。

(この世界の住人にはそんな趣味の持主が多いのか?)

「…なら良いけど…、でも、フェニックスの件と無関係じゃないみたいね」

「え? …な、なんでそんなことが…」

「何言ってるの、あの子の服の大きな前ボタンはフェニックス団のものじゃない」

 なるほどディールの着ているベストのような上着を前で止めている大きなボタンは確かにフェニックスの紋章に見える。

「気が付かなかった」

「ばかねー。もしかして連中とのいざこざはバレてないとでも思っていたの?」

「いや、それは…」

「あの薄らバカのシュトルムはああ見えても、貴族の子息よ。それと揉め事起こしてただで済むと思っているわけ? 世間知らずもいいところね!」

 レジーナの言う通りであった。この世界は基本王政。封建的社会において上位者である貴族と諍いを起こしてただで済むわけもない。

(…たしかに…ちょっと考えが甘かったかもしれない…ゲームでのNPCとの衝突とは訳が違う… 一応、人との諍いは避けていたのだけど…調子にのりすぎたか…)

 忸怩たる思いに目をふせていると、レジーナは我が意を得たりとばかりに追い打ちをかける。

「少しはわかってきたようね! あなたのような冒険者風情なんて、貴族に抗えるわけもないのよ!…そこで…私に考えがあるの」

 レジーナは机にのしかかり顔を近づける。

「こう見えても私は公爵家の令嬢! 私の力ならばあなたを救ってあげられるんだけど…」

「そ、そんなことできるのか?」

「もちろん! まだ爵位も持たないボンボンなんて逆に処分してしまえるわよ! ただし! 私とパーティーを組んでくれたらの話だけど…どうする?」

 要するに鎖でつなごうというわけだ。かなり過酷な話ではあるが、今、この社会からはじき出されるわけにはいかない。少なくともボニーを解放するまでは…。

「さあ、どうする?」

(うむむ…、かなり行動が制限されてしまうが…ここはレジーナの力を借りるしか…)

「いい加減にせんか!」

 ベンドリックがレジーナの首根っこをつかんで席に戻す。

「あんな小競り合いなんぞ日常茶飯事よ。気にするほどのこともない」

「し、しかし… 腕を切り落としたのは流石に…」

「どうでもよいわ。そんなこと。大体にして四対一で戦って負けとるんじゃ。恥ずかしくて家に協力など求められん。なにより、カナタはギルドの一員じゃ。ギルドの者に不当に手を出してきた以上、文句をつける筋合いはむしろこちらにある! 気にせんでよい! 何かあるならギルドが受けて立つわ!」

 ほっと息をつくカナタ。

「ちぇっ… もう少しだったのに…」

 ふくれっ面でぶつくさ言っているレジーナ。

(危うくひっかかるところだった…。もしかしてこの娘、話術とかなんらかのスキル持ちなんじゃなかろうか…)

「まぁ、今回お前さんの所に訪ねて来たのは、それとまるで無関係というわけでもないのだがの」

「どういうことです?」

「あやつら退散するかと思いきや、例のダンジョンに向かったようなのじゃよ」

「ええ? あの傷で?」

「そこがよくわからん。腕一本位なら魔法義手でもつければさほど戦闘力を損なわずに活動できるが、流石にこの短時間で義手をあつらえるのは無理な話じゃ」

「そんなものもあるんですね」

「ああ、知らんのか? 冒険者で身体を欠損する奴らは多いからな。錬金術師たちがそういう者のために魔法技術で自在に動くものを作っておるのじゃ。中にはそれらに武器を仕込む者もおるぞ」

(ゲーム内でも敵対NPCに、機械のようなものを仕込んだデザインの魔物がいたけど、案外、それらが反映されているのかも…。いや逆か。こちらの魔法技術がゲームに反映されてたんだろうな)

「カナタも、もし手足を失ったら言ってくれ。うちの錬金術師は腕が良いぞ」

「い、いや、結構です… そんなことにならないように気をつけます…」

 慌てるカナタを見てフォフォフォと笑うベンドリック。レジーナはまだふくれっ面のままだ。

「やつらがダンジョン内で野垂れ死のうと別段かまわんが、下手に破壊活動などをされるとせっかくの優良狩場を失うことになるでな。そこで、あそこに一番詳しいお前さんに調査とことによっては侵入者の排除を頼みに来たというわけよ」

「わかりました。すぐにでも見にいってきます」

「頼むぞ」

 ちらりとレジーナがカナタの方を向き、思わず目があってしまった。あきらかに「連れていけ」と言わんばかりの目だった。しかし…

「わかっているわよ。私は足手まといだから、連れてけとかわがまま言わないから安心して」

 不満そうではあったが自分を抑えることができているようで、以前より成長している。カナタはホッとしつつもその成長が微笑ましく感じられた。

「ほう、なかなか聞き分けがよいな」

「まぁね。私だっていつまでも子供じゃないくてよ」

「そうか、それじゃお主は留守番ということで、ワシはカナタに付いていくことにしようかの」

「はぁ?」

 カナタとレジーナがハモる。

「まぁ、奴らを説得できるならそうしたからの。カナタでは確実に戦闘になる。もちろんそれで叩き潰すのは良いが…。それでも少しはバカ貴族に気を使ってやらんとな。領主のオルソ伯からも言われておる」

「嘘くさ…」

 レジーナはオルソ伯の話は完全に嘘と見抜いていた。単にこのジジイはダンジョンに冒険に行きたいだけなのだと確信していたのである。

「そ、それなら私も付いていくわよ! ベンドリックだけじゃ心もとないわよ!」

「師匠に向かって心もとないはないじゃろ」

「ふーんだ。引退して何年も経っているじゃない。いつも腰が痛いとかで私を連れて行かなかったくせに!」

 直接教えていたころ何度もレジーナの「冒険に行きたい」の要求を身体の不調で断っているのだ。確かに不調はあったが基本は仮病である。幼かったレジーナの面倒をみるがしんどかっただけだ。

「ちょ、ちょっと待ってください! ぼ、僕は一人の方が…」

「オルソ伯がな…」

「ベンドリックが行くなら!」

 二人はまるで引き下がる気配はない。カナタは仕方なく承諾した。

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