第一章 驚異のビギナーその4
この国では個々の領主が街の自治をまかされている。大まかな法体勢は中央である王権によって決められるが、実質、警察や裁判を司るのはその土地を治める領主の作った自治組織だ。
カナタは城塞都市メルンの知事であり、領主のオルソ伯爵の近衛兵に召し出されてしまった。てっきり厳しい取り調べがあるかと思ったが、身柄を拘束され城の特別牢に閉じ込められただけで、その後はなしの礫、放置である。
この世界で自分が投獄されることを想定していなかったカナタは、少しだけこの新たな要素に面白みを感じていた。この危機的状況を真剣に受け止めないのは[仮初の世界]というゲームをやりこみすぎた弊害であろう。
とはいうもののレベル1である彼の能力ではここから脱出する手段はなかった。
「鍵開けとか脱獄とか…そういうスキルでもあれば抜け出られるんだがな…。そういうのは一切取得しなかったからな…」
彼の言うスキルはこの世界では一部ではあるが特殊技能[スキル]として知られている。ただ、それらは獲得するのが非常に難しく、天性のものか、特別なアイテム、儀式などでしか得ることができない。
彼の場合、[仮初の世界]で獲得したものを持ってきており、周回時レベルは白紙になるが、取得したスキルは持ち越しできる。彼はゲームの周回プレイをしている状態と言えた。[仮初の世界]では戦闘ばかりしていたので、もっているスキルはどれも戦闘に特化しており、それ以外のことはまるでからっきしなのである。
「[仮初の世界]では敵を倒せば次に進めたからな。もっと色々な要素もやっておくべきだったよ…」
カナタは独り愚痴をこぼす。カナタはもっと色々な要素をやっておけばと言っているが実際のところゲームにおいてはやりつくしていた。ただ、持ち越される能力を意図的に戦闘にしぼっており、これは彼なりの「縛りプレイ」なのである。ただ、そう自らさだめたのであるがそのことを彼はすっかり忘れていた。それほどに[仮初の世界]を長い間やりこんでいたのである。
「こんな体たらくではマジェスタ様に怒られてしまうなぁ…」
「怒っているのはマジェスタ様でなく、このボニー様よ!」
突然、女神ボニーの声がする。カナタは驚いて飛び起きた。
「え? どこから声がしているんだ? ええ?」
「驚いた? 以前渡したお守りの指輪をつけているでしょ? それで会話ができるの」
「ああ、教会の宝箱にあったやつだ…」
カナタは左手の小指に付けている指輪をみた。小柄のカナタにも小さく、小指にしかはまらなかったものである。
「左手なら薬指につけるような代物よ! なにせ女神の加護が受けられる…つまり女神と婚約しているのと同じ意味をもつ指輪なのですから!」
「そんな大層なものとは知らなかった。こんど教会に帰ったらまた宝箱に入れておくよ」
「もー、ツレないわね。それよりなんでそんな牢屋に入っているのよ! 私をほおっておいて!」
「いや、理由ははっきりしないけど投獄された。ま、東の山関係だとは思うけど」
「何なのよそれ! とにかく一度教会に帰ってらっしゃい!」
「帰りたくとも帰れないのだが…」
「なら、私が女神の力でそこと教会の空間をつなぐわ。それなら出てこれるでしょ」
「そんなことできるの? 凄い!」
「そりゃあ、女神ですからね私は…それじゃ…」
と、意気込むがなにもおこらない。
「あー…私、絵の中に閉じ込められているから、女神の力はほとんど使えないんだったわ…ごめん…」
期待した自分が馬鹿だった…とカナタは思った。が、心配してくれることには感謝したいし、力になろうとしてくれる相手がいることで気も楽になった。
「あ、そういえば布をかぶせたままだったのに、なんでこっちの世界に干渉できるんだ?」
「ふふふ…それは我が従順なる下僕が布をとってくれたの」
「下僕?」
「ネズミよ、ネズミ」
要するに無造作にかけた布を、ネズミがかじったり引っ張ったりして力をかけたらたまたまずり落ちたのだろう。
「ネズミ使いの女神様とは知らなかったな」
「ま、布が落ちたのは偶然だったけど、近くのネズミを操るくらい絵に閉じ込められていてもできるわ。あとここら辺りでは…ゴキ…」
「いや、それは良いから。そいつらはむしろ教会から出ていってもらった方がありがたい!」
カナタはきっぱりと言った。
「ねぇ、カナタ、あなたの牢の近くに人が近づいてくるわよ」
「え?」
耳を済ますとたしかに足音がする。
「なんでわかった?」
「今いる牢屋とその外の階段辺りまでは見通せるわよ」
「それは便利だな。ときに声を出さないでも会話できたりしない?」
「できるわよ。心の中で私に向けて話せばちゃんと私に聞こえるし、あと、私の声は指輪を付けているカナタにしか聞こえないわ。もしかして私役に立ったりする?」
「もちろん!」
鉄格子の向こうのこの牢獄に出入りする唯一の鉄製のドアが開いた。この特別牢は鉄格子を挟んで尋問できるようになっている。鉄格子の向こうには机や椅子が用意されており、壁には武器や物騒な拷問用具も飾られていた。
中に入ってきたのはオルソ伯爵の近衛兵に連れられた黒いフードをかぶった女性と黒服の男であった。
扉を開けた近衛兵はすぐにドアの前で見張りに立ち扉を閉めた。黒いフードの女性はフードを下げる。彼女は爬虫類系の亜人であった。カナタは瞠目した。
「あら、ドラゴニストは珍しいかしら…」
カナタは獣人や亜人にはつい見入ってしまう。戦闘する場合はともかく人として対するのはやはりなれていないからだ。コーシカにも同じように言われたことを思い出す。視線からわかってしまうものなのだろうな…とカナタは思った。
「ええ、初めて会いますから」
素直に返す。それにしても妖艶で美しい。身体のラインは人と同じだが、所々キラキラした鱗が見える。それが得も言えない美しさを醸し出していた。
「そう。私は城塞都市メルンの審問官ライチル。あなたには今、国境侵犯について罪を問われていわ」
(やっぱり東の山か)
「本来なら開発もされてない手つかずの山への侵入なんて問題にもならないのだけど、ビフィル伯爵が強く抗議してきてね…それでとりあえずは拘束させてもらったわけ…で、あなたはそこで何をやっていたの?」
「ギルドでゴブリン討伐を依頼されて、村に行ったらゴブリンの襲撃を受けていたので駆逐。で、東の山に入ってゴブリンの巣を見つけて殲滅した…というところです」
「ゴブリンね…確かに村に襲撃があったのは聞いているし、ギルドの依頼も間違いない…しかし、それだけで東の山に入ったの?」
「そうですよ」
「ホントに?」
ライチルは身体を動かすたびに鱗をキラキラと光らせる。
「他に何があります? 大体、土地の所有者が放置していた問題をギルドが受けて解決したのです。その場合も国境侵犯で問題になるんですか?」
実はこの件は非常に曖昧だ。本来なら土地の所有者である領主が問題を解決しなければならないのだが、面倒でもありコストもかかる。余程のことがないとその重い腰は上げない。だから直接被害にあっている者が冒険者に依頼し、勝手に解決することに対し領主は口を挟まない。それが一般的なルールであり、領主からするとむしろありがたく思っているくらいだ。しかし、だからといって土地を良いようされては領主も困る場合もある。
そんな訳でそこに罪を問うのは領主次第であり、つまりは何らかの意図が隠されていると考えるのが妥当なのだ。
おそらくこのライチルもビフィル伯爵の抗議にきな臭さを感じていたのだろう。だから東の山でカナタが何をやっていたのか、そしてそこで何を見たのかが気になるのである。
「そうね…、別段あなたの行動は咎められるようなものではないわね…ただ…この魔石はどこからもってきたの?」
カナタが持っていた月光トカゲの魔石である。
「それはゴブリンの巣に出現した月光トカゲのものです。討伐したので取り出して持ってきました…何か問題でも?」
「月光トカゲですって?!」
ライチルの声が裏返る。それにはカナタも後ろで立っている黒服の男も驚く。
「ちょ、ちょっとまって…このサイズの魔石を持っている月光トカゲって…かなり巨大な…」
「ええ、10メート…じゃない10キュルドンはありましたかね」
1キュルドンは1メートルに相当する。
「10キュルドン?! そんな魔物が東に山に?!」
「ええ、人里に来る前に始末できたのは幸いです」
「あなた…本当にそれを一人で倒したの? 他に誰かいたんじゃないの?」
ライチルの鱗が怪しく光る。
「たしかに一人で倒しましたよ」
カナタを見つめるライチルが力尽きるようにハアとため息をつく。
「どうやらあなたの言っていることは本当のようね… ハイゼ!」
ハイゼと呼ばれた後ろの男はカナタの手錠を外す。
「もう帰ってもらって結構。この魔石は少しの間だけ預かるけど、ギルドを通してちゃんと返却するから安心していいわ」
「でも、ビフィル伯爵の抗議は…」
「大丈夫、逆にこちらが要求出来る案件になったから…」
「え?」
「ビフィル伯爵は領地で凶悪な魔物が発生していたにも関わらず放置! それを我が街のギルドメンバーが討伐したのはこちらの功績! しかるに倒した魔物の遺体はわが街のもの! 月光トカゲの遺体を要求し逆に色々ふんだくってやるわ!」
「(なんか人が変わったような…)…無茶しないでくださいね…」
「任せなさい! 月光トカゲの皮は絶対わたさないから!」
「え?」
「あ… ゴホン! 大丈夫よ。まかせておいて」
ライチルは鼻息荒く牢を出ていった。カナタも衛兵にうながされて城の外に出る。牢にいれられてから三日が過ぎていた。思ったよりやっかいなことにはならなかったがボニーは「もっとカナタの力になれるかと思ったのに」と不満をこぼす。カナタからすると見守ってくれただけで十分ではあった。
ともあれ、まずはギルドに報告することにした。
ギルドの扉を開けると正面の受付にいるソフィアと目が合う。その途端、彼女はカウンターを乗り越えカナタの元に駆け寄り抱きつく…ハズだった。
その前にベルモンドがカナタの小柄な身体を持ち上げ抱きしめていた。
「いやー良かった良かった! 心配したぜカナタ! ようやく解放されたんだな! ホントに良かった!」
と、むくつけきおっさんのハグをうけ、カナタは意識が飛びそうになった。そんなカナタをドレスデンから引き剥がすソフィア。
「ドレスデンさん…こんな所にいて良いのですか? カナタさんが無事帰ってきたことを…ギルドマスターに報告しないといけないのではないでしょうか?」
やけに迫力のある声でドレスデンを追い払う。後ろで同僚のアイリが…
「あちゃ~ 位置が悪かったね…残念…ソフィア」
そうつぶやきつつ笑う。
この件に関しギルドが当然動いているとは思っていたが、実のところ昨日の段階で決着はついていたのだ。
「ビフィル伯爵としては隣接するこの街の領主オルソ伯爵への牽制の意味も込めてギルドメンバーの処分を要求してきたの」
ソフィアがカナタに話す。
「けど、そのメンバーがバフォメットの魔石の持ち主とわかり態度を軟化させてきてね…代わりに値引き交渉はじめたのよ。セコいったらありゃしない」
ふくれっ面したアイリが続けた。
「あれ? 国が買い取るって話じゃなかったの?」
「国…というより、正確には第六王子が買い取るって話でその後見人のビフィル伯爵が直接出張って来たってわけ」
「…なるほど… で、それで値引きして手打ち?」
「まさか! その態度にうちのギルドマスターがブチ切れちゃってさ…、“おまえの領地の不始末を片付けてやったのにその態度はなんだ!”ってね。全ギルドを敵に回すつもりかと逆に恫喝して、抗議を不問にした上に買取額を大幅に上げさせちゃったわ。あれは見ものだったわね、アイリ」
ソフィアの言葉にアイリもニンマリする。
「なるほど、それで簡単な取り調べで釈放されたってわけか。ライチルって人も意外とあっさりしてておかしいと思ったんだ」
「「ライチルですって?」」
ソフィアとアイリが声を揃える。
「もしかしてその人ってドラゴニアの女性?」
「う、うん…審問官って言ってたけど…」
「そんな大物が出てくるなんて…形式だけじゃないわね…」
「カナタさん! なにか酷いこととかされませんでした? ホントに大丈夫ですか?」
ソフィアは半泣きになって、カナタの身体をさすりながら傷がないか確かめる。
「別段…何もないけど…どうして?」
「審問官ライチル。この城塞都市メルンの影の公安とも呼ばれ、あらゆる手段を使って問題のある人物を洗い出し、粛清を加える。一度目を付けられたら逃れる術はないって恐れられている人よっ!」
アイリが真面目な顔をしてカナタに説明する。
「うう…、そんな人に審問されてたなんて…大変でしたね… これも私があんな仕事を斡旋しなければ…」
ソフィアはもう泣き出している。
「い、いや僕は全然大丈夫ですし、これからも安くても良いから魔物討伐をまわしてくださいね!」
カナタにしがみつきわっと泣き出すソフィア。さすがに照れくさいが、むくつけき男にしがみつかれていた先程に比べればはるかにマシである。ソフィアの髪からは得も言われぬ良い香りが漂っていた。
「伯爵様…ビフィル卿の件、報告書をまとめました」
ライチルは都市の中央にあるオルソ伯爵の城の中、彼の執務室に来ていた。栄えている街の長のわりには質素な部屋であるが、間取りは広く天井も高い。調度品も派手さはないが品の良い価値のあるのもので飾られていた。
「うむ。きゃつめ第六王子の後見人という立場を利用して色々胡散臭いことやっているようだな… 隣接するこちらとしても事は荒立てたくないが、ここらで逆に牽制しておいた方がよい…」
オルソ伯爵は書類に目を通しながらライチルに言う。もう初老だが身体は大きく、気勢に衰えは感じさせない偉丈夫であった。そして、その頭には角があり、口元の犬歯も人のものではない。彼はオーガという種族と人とのハーフなのである。
「で、例の冒険者はどうであった?」
「は、まだ少年ですが歳に見合わない熟達した気配を持っていました。もしかしたら見た目通りの歳ではないかもしれません」
「ほう。しかしギルド登録では16歳であることは間違いないようだが」
「は…。しかし、あの検査では肉体的なことしかわかりませんので…素性は…」
「ふむう…なにやら面白そうなコマが手元に舞い込んできたようだな…しかしその様子だといつものように洗いざらい聞き出したわけではないようだが…」
「は…今は強引にせぬ方が得策かと愚考いたしました故に…」
「よい…それでよい。我が地位を脅かすようなものでなければ味方につけるが良策… ときにビフィルめに月光トカゲの遺体を要求したとのことだな」
「は…貴重な素材…となるものですので…」
少しライチルの歯切れが悪くなる。ニヤリとオルソ伯爵は笑う。
「よい、よい、きゃつめには不要なものだ。きっとそれをこちらへの“貸し”と思うだろうが、そう思わせておくのが良い。ククク…」
「嘘殺しの鱗?」
「気がつかなかったの? 呆れちゃうわね」
カナタは教会に戻ってきており、久しぶりにボニーと対面している。こちらの世界にきてからはほぼ毎日会っていたのでたった5日ぐらいの留守であったが、妙に懐かしい。
「あの審問官のドラゴニストは鱗を使って相手の嘘を見破るのよ。ずっとカナタにそのスキルを使っていたわ」
「あの鱗がキラキラしているのがそうだったのかな?」
「そうそう、あの光を目にすると嘘が言えなくなるの。しかも自分の意思で会話をしていると相手は思うので術を使っているとはまるで気づかない。あんなスキル持ちがいるのは意外だったわね」
「ま、嘘は言ってないから大丈夫だとは思うが…」
「何言っているのよ! 私がずっとレジストしてあげていたのよ! 少しは感謝しなさい!」
「え? そうなの?」
「ま、女神の加護ってところかしら、お供え一つ増やしなさいよね!」
ボニーは絵の前に置いてあるお供え物を指差す。まんじゅうのような形をした揚げお菓子でる。ここで供物を増やしてもなんの功徳もないが…気持ちなのだろうな…ともう一個のせるカナタ。
「よし! それじゃ下僕共! ありがたくいただきなさい!」
「え? 何の話?」
カナタが不思議がっていると数匹のネズミたちが現れる。頭に兜のようなものをかぶっており、二本足でちょろちょろと走ってきた。そして供物のお菓子を持っていく。最後のネズミが兜を脱いでペコリとお辞儀し、再びネズミの巣にもどっていった。
「なにあれ…」
「ふふーん。布を取り除いてくれたネズミを帰依させたのよ! 女神ボニーの復活の第一歩よ!」
「復活したらねずみの女神とか呼ばれそうだな…」
このときカナタは、もし次に彼女に布をかけるときはネズミでは取り外せないようにしないといけないな…さてどうしようか…と思いを巡らせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます