第六話 「間違い」

 取引を行った翌日の放課後、善は不良生徒たちを探していた。昨日の話の裏付けを取るためだ。もう一度念を押しておきたかった。何せこちらは万引きまでしたのだ。

 どうやら話を聞くに彼らグループは男女で集まって教室を出たあとだったらしい。善はまた体育館裏へ向かってみることにした。

 そうして、すぐに体育館に繋がる連絡路まで善が到着するとやはり昨日の仲間の男子生徒一人が体育館裏手に繋がる道の角壁に寄りかかってスマートフォンを眺めているところだった。

 善は通路とその柱の陰に隠れながら遠目で観察してみた。

 

 嫌な予感がする、なぜあの場所に一人で立って暇そうにしているのか? “見張り”ではないか、あの道の奥には体育倉庫しかない。なんの見張りだ?

 何の、ではない。嫌な想像は善の思考を支配した。楓はどこだ? そういえば今日は授業が終わるとすぐ姿を消した。……待て、決まったわけではない。彼らが約束を反故にした? しかし楓は今日もバイトなのかも。そうだ、そうに決まっている。奴らに絡んでいってまた殴られたらこちらもたまったものではない。

 

 善はその場で楓の携帯電話にメッセージだけ入れてみた。

 そして、待つことにした。何もないことは知っている。あの不良生徒は「偶然」に「体育館裏」で「見張りっぽい」ことをしているだけだ。なにもない、あるわけがない。だが心配だからここで待つだけだ。善は自分にそう言い聞かせた。ずっと、言い聞かせ続けた。

 

 

 

 ──。


 一時間も満たない時間が経過した。

 不意に騒いでいる声が聞こえてくる。見ると、体育館裏手の道からやはり男女数名からなる不良グループがなにやら談笑しながら現れた。彼らは見張りらしき男子生徒と合流すると、笑いながら帰っていく。

 

 善は彼らが完全に去るのを見届けてから彼らが来た方へ、体育倉庫へ走った。

 大丈夫だ、何もない。何もないが、一応見ておかなくては。しかし善の嫌な予感は大きくなる。自覚は無いが、呼吸もやけに上がっていた。

 


 

──。 


 そうして体育倉庫まで到着すると、楓と鉢合わせるのだった。夢中になっていたので彼女とぶつかりそうになる。それを何とか寸前に踏みとどまって静止することができた。

 

「あ」

 

善は楓を不意にみつけたことで思わず声が漏れた。瞬間に安堵と不安が押し寄せる。なぜ、彼女がここに?

 楓も当然、善には気がついたようだが何も言わず足早に去ろうとする。善は引き留めた。

 

「待ってよ、どうしたんだ。こんなとこで」

 

「別に」

 

「いや別にってことはないだろ」

 

楓はため息をつくと、ゆっくりと顔を善に向ける。その顔の左側は青く腫れ上がっていた。

 善はもはや、声が出なかった。

 

「──で、満足?」

 

楓がそう言って再び去ろうとするので、今度は腕を掴んで止めた。この時、初めて楓に触れたのだった。

 

「待てって、それ誰にやられたんだよ。何かされたのか、あいつらだよな? 今すれ違った不良みたいな奴ら」

 

「何もされてないよ。顔殴られて、服脱がされて、写真撮られただけ。最後まではされてない。だから平気、脅されても戦うだけだし」


 

──平気なわけがない。

 楓は泣いていた。

 何もないわけがない、善だって分かっていた。怖かったからだ、怖かったから異変に気がつきながら止めにいけなかった。楓が乱暴されているかも知れないなんて一番最初に危惧されたことだ。でも、動かなかった。我が身可愛さに理由をつけて待った、何もせず。全てが終わるまで、善は動かなかった。

 

 善が何も言えないでいると、楓は笑いかけてくれた。

 

「あいつらに聞いたよ。麦原、私のこと何も話さなかったんだってね。あんたのこと色々と悪く言ってたけど私は信じてないよ。麦原は私を守ってくれた」

 

 違う、やめてくれ。

 

「私のために怒ってくれたんでしょ? 麦原も殴られたんだよね、もう傷は痛くない?」

 

 痛いのはそっちだろ。

 

「麦原、ありがとう」

 

 やめろ、お礼なんか言うな。

 

「私は平気だからさ、明日からまた一緒に──」


 楓の優しさが痛い。とても、痛かった。

 ついに、善の中で“何か”が切れる。

 あまりに悔しくて、みっともなくて、善は今すぐ死んでしまいたくなった。気がつけば声を荒げてしまっていた。

 

「……やめろよ、平気だなんて言うなよ。俺は何もできてない、何もしてない、あいつらに従って万引きさせられただけだ。くだらねえ取り引きゴッコをしただけなんだよ!」

 

善が突然声を荒げたので、楓は驚いたように目を見開いた。しかし、もう善は止まらなかった。

 

「俺は気づいてた、奴らが体育倉庫にいるだろうって、蒼井に何かあったのかもって、なのに何もしなかったんだ! 怖かったから、何もしなかった! お礼なんか言われる筋合いはないんだよっ」

 

「麦原、どういう」

 

「俺は嘘つきだ、蒼井のこと助けるって言ったのに、助けられたかも知れないのに、何もしなかったんだ。何もなければ良いなって思ってただけの馬鹿だ。感謝なんかするなよ、俺を責めたら良いだろ、嘘つきって……!」

 

 善は自分の顔が悔しさに歪んでいることすら気がついていなかった。もうとにかく、この苦しさから解放されたい。その一心で楓に向かって全て押し付けるように吐き出していた。

 

「なんでそんなに強いんだ、こんなことされてどうして平気だって言えるんだ、やめてくれ、気持ち悪いんだよお前。助けを求めろよ、助けてって言えよ、そんなに強いと俺は、俺は……」

 


「俺は、自分がみじめになる……」

 

 

 ほんの一瞬の間、全てぶつけた善は、言い切った後で冷静になり、血の気が引き、後悔した。何を言ったのか、何を楓に八つ当たりしたのか。

 しかし楓は善の言葉に目を逸さなかった。そして、じっと善を見つめたまま静かに言うのだった。もう涙は乾いていた。

 

「──分かったよ、麦原」

 

「あ、蒼井。そうじゃなくて」

 

「“うそつき”」

 

楓の言葉は善の胸に深く突き刺さった。息が苦しい。本当に心臓を刃物で突かれたような気がした。

 

「別に、何でも良かったのに。麦原なら」

 

「え?」

 

 小さい声だった。善には聞き取れず、返事をすることができなかった。

 そうしている間にも時は待たない。楓は既に善から視線を外していた。

 

「ダサい」

 

 それが交わした最後の言葉であった。

 楓はそれから振り返らず、一人で帰っていった。

 善はそれを見送るだけ、その場から動けないでじっと、自分の言った言葉と楓に言われた言葉が頭のなかでぐちゃぐちゃに混ざり合って目眩がしていた。

 

 

 ──その日を境に、楓は学校に来なくなった。

 



──第七話に続く

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