第2話

 翌日の放課後。


 僕は伊都峰いとみねさんに呼び出しを食らっていた。


 女子に屋上に呼び出されるなんて!


 甘酸っぱい香りを想像せずにはいられなかっただろう。


 ……昨日の夕方のことがなければ、だけど。


 屋上につくなり、僕は壁ドンされ、今にいたるってわけ。


 いや、ホントになんでこうなっちゃったんだろうね?


「こっちが聞きたいんだけど?」


 なんて伊都峰さんが言う。その口調はいつものよりもずっと砕けている。砕けすぎていて、ガラス片みたいに突きささって痛い。


 腕を組んでるし、レンズの奥の目はタカみたいに鋭かった。


 神様仏様委員長様とか呼ばれたりしてる伊都峰さんには似つかわしくない。


「まさか、あなたがヴィジランテだなんて思わなかった」


「それを言ったら伊都峰さんがあのネコ女だったなんて――」


 ガン。


 耳元を何かが駆けぬけていった。


 首を動かし見れば、2度目の拳であった。その柔らかそうな手とは裏腹に、伊都峰さんの口は獰猛どうもうな肉食獣みたいにゆがんでいた。


「それを口にしないで。誰が聞いてるかわからないんだよ?」


「……言えないようなことしなければいいのに」


 手が引っ込んでいく。


 伊都峰さんはやれやれとばかりに肩をすくめた。


「委員長は大変なのです」


「はあ……」


「だからね。ストレス発散をしてるの」


 伊都峰さんは僕から離れて、手すりの方へと向かっていく。そこからは、騒々しさに包まれた放課後の校舎を見下ろせた。


「かったるいんだよね。みんなのお世話するの」


「そ、そうなんだ」


「そう。授業の予定とか聞きに行くじゃん? そしたら先生いなかったりするの。そのたびに探しまわって聞かなくちゃなの。わかる? ウソついちゃおっかなって何度も思ったんだけどさ、それだと内申点下がりそうだし」


「イヤならしなければ」


「じゃ、かわりにやってくれる?」


 うんともすんとも言えなかった。


 クラス委員長が何をしてるのか知らなかったし、そもそも大変だとも思っていなかった。


 伊都峰さんが笑う。意地悪な笑みだった。


「ほらね。ほかにもさあ、宿題はみんなの分集めて出さなきゃだし、いい大学にはいかなきゃだし、ほんっとに大変なの」


「だから、通り魔みたいなことを?」


「うん」


 はにかみながら伊都峰さんは言った。あの狂暴な姿からは想像できないかわいい反応だった。


「でもね、殺してはないつもりだよ? 盗みもやってない」


 僕は報告を思いだす。確かに、死者はおらず、気絶していた人間から物を盗られたという報告はなかった。


 けれど、ヴィジランテには、通報がやってきている。


「もっというならさ、強そうなヒトしか狙ってないし」


 コロコロと笑う伊都峰さんを見ていると、言葉が出なかった。


 夕日に照らされている横顔に浮かんでいるものは、一体何なんだろう。


「……襲うにしたって、モンスターだけにしてください」


 僕がいえば、伊都峰さんの口がぽかんと開いて、次第に弧を描く。


「意外。ダメって言われると思ってた」


「傷つけるつもりがないんならいいですよ、たぶん」


「ふうん。治安維持してる人たちがそんなんでいいのー?」


 ツンツンと伊都峰さんが突っついてくる。


 目を細める彼女を、僕は直視できなかった。






 カタカタと今回の報告書をまとめる。直接本人と話をし、これからはモンスターだけを狙ってもらうことに……云々。


 そうしていたら、電話がかかってきた。


 本部からだった。


 ネコ女が傷害事件を引きおこした、と。






 警察によれば、ことが起きたのは昨日の深夜だったらしい。


 被害者はそのときダンジョンを探索していたらしい。年は二十代後半で、フリーターらしい。その日も仕事あがりにダンジョンへ来ていたんだとか。


 被害者がダンジョンを歩いていると、女がやってきた。こんな夜更けに何をやってるんだろうと思って声をかけたら、襲われたらしい。


 警察の情報を、被害者の供述きょうじゅつを信じるのであれば、その女とやらは、ネコ女に違いない。


 ネコの仮面をしており、浴衣を着ていて、日本刀を振りまわし、カランコロンと下駄げたを鳴らす。


 先日見たネコ女の特徴と合う。写真でもあれば確実なんだけど、ダンジョンにカメラはない。


 警察は目下、そのネコ女とやらを探している。


 僕はネコ女がどこにいるのかを知っている。






「それ、偽物だから」


 ネコ女さんに事情を話したら、そんな言葉が返ってきた。


「に、偽物?」


「私ってば、有名じゃない。ネットでも妖怪とかミームみたいに扱われちゃってるし」


模倣犯もほうはんが出たって――それを信じろって?」


 伊都峰さんがうないた。


「あれー? 昨日は私のこと信じてくれたのに、今日は信じてくれないの?」


 悲しいなあ、とうつむきがちに伊都峰さんが言う。その目は全然悲しんでない。モルモットを見るような目をしていた。


 からかわれてる。


「嘘をついてる可能性も――」


「ヴィジランテとしては捨てきれない、と。うんうん、ただ単に私を信じてるわけじゃないっていうのは、うれしいね」


「うれしい?」


 僕は、なんだか複雑な気持ちだ。バカにされているとも、められているとも言えなくて。


 かと思ったら、伊都峰さんが耳を真っ赤にさせていく。


「なんでもないわ」


「いやでも」


「なんでもないって言ったよね?」


 圧がすごくて、僕は頷くことしかできない。


 正面に立っていた伊都峰さんがスタスタ手すりの方に行って、もたれかかる。


 しばらくの間、何事かを考えているかのように空を見上げていた。


 不意に、流し目がこっちを向いて、ドキリとする。


「ねえ、竹束たけたばくん」


 猫撫で声がやってくる。


 声だけじゃなくて、伊都峰さんも。


「ヴィジランテってさあ、困ってる人を助けてるんだよね?」


「まあ、そういうことになってますけど」


 離れようと後ずさりするけれど、伊都峰さんはクモのように絡みついてくる。


 気がつけば、逃げられない。


「ここに困ってる女の子がいるんだけどさ、助けてくんないかなあ」


 耳元で伊都峰さんがささやいた。

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