第37話 現世.蛤が気を吐きて楼となす

「くわあ」

 誰かが狸みたいなあくびをしている。

 でも僕じゃあないよなあ。

 だって僕寝てるしねえ。

 知らない男の声だなあ。


「おい、シャッキリしろよ」

 誰かが狸みたいなあくびをしたヤツを叱っている。

 叱られてるのも僕じゃあないよねえ。

 あくびどころか僕寝てるしねえ。

 これも知らない男の声だなあ。


「だってよう。こないだの半覚醒のせいでよ、忍者が常駐することになっちまったからよう。どうしても寝不足で眠いんだよな。忍者不足で常駐できる奴は少ねえし、家族持ちは拒否するしよー」

「それもこれも、お前がバイタルをしっかり見てなくて、この間の半覚醒事件を起こしたからだろうが」

 この間?

 半覚醒?

 なんの話だろう?


「へへへ。いやあ、こないだはやばかったなあ」

 知らない男がおどけた調子で言う。

「やばかったどころじゃねえよ。下手したら実験失敗になってたんだぞ?」

 別の知らない男がため息混じりに言う。


 ふーん。

 やばかったのねえ。

 なんだろう?

 野鼠でも逃したのかなあ。


「違いねえ。実験失敗なんて考えたくもねえや。憧れのボーナスがすっ飛ぶわ」

 見えないけど肩をすくめてんだろうなあ。


 ボーナスねえ。

 いいなあ、ボーナス、欲しいなあ。

 ん? 狸にボーナスなんていらないよなあ。なんで僕はそんなの欲しがってんだ?

 月と酒とツマミと腹鼓さえあればいいんだよう。


「は、馬鹿だなお前は……んなコトになったらボーナスどころか、この研究所がなくなるわ」

「マジで?」

「マジだよ」

「やべえじゃん、俺、こないだバイト忍者から正忍者登用されたばっかなんだぜ。下忍なのは変わんねえけどなー」

「じゃあ、こないだみたいにならねえように、しっかりとバイタル確認しとくんだな。てか、そもそも正規登用時の初回ってボーナス出なくね?」

「え? まじ? ボーナス見込んで買い物してんだけど?」

「ばっかだな、お前は」

「はーマジかー。じゃあ残業か、宿直増やすしかねえなー」

「おー頑張れよー。哲人もしっかり異世界で頑張ってんだからよー」


 哲人?

 僕はリント。

 異世界?


「だけどよ、こいつを異世界に繋いでなにしてんだ? なんかエネルギー量の計測とかしてっけどさ、これってなんなのよ?」

「お前……なにも理解してないでこの仕事やってんのかよ」

「へへ、講習は寝ちまった」

「よく、そんなんで正忍者登用試験に受かったな」

「それがよ、ここだけの話にしてくれよ……どうもよう……こないだの事件で人手が不足してるらしいぜ。それで特別に下忍でも正規で契約してくれたらしい」

「カッ、これをこないだの事件を起こした張本人が言ってんぜ。マッチポンプじゃねえか」

 馬鹿二人が笑い合う。


 エネルギーの計測。

 異世界。

 哲人。

 繋いでる。

 これは夢なのか?


「んで、このエネルギーってなんなんよ?」

「あー、それか? 魔力ってやつらしいぞ」

「は? 魔力? ラノベの読みすぎでは?」

「ま、そう思うよな。俺もそう思ったけどよ。どうやらこれがマジもんらしいわ。お前さ、最近できた浮遊忍法知ってるか?」

「ん? ああ、アレだろインチキだって騒がれてたやつ。あぐらかいて浮くなんてカルト宗教じゃあるまいしよう。やるならもうちっとしっかりやった方がいいぜ」

「それがな、あれは本物なんだよ。魔力ってやつをこちょこちょってすると、この世界の重力が反発するらしくてよ。その結果があの浮遊忍法だ」

「はー? 俺がバカな元バイト忍者だからって嘘ついてるんだよな」

「いやいや、マジマジ」


 そんな感じで男二人の掛け合いはまだ続く。

 僕は考える。


 魔力。

 異世界。

 リントじゃなくて哲人。

 あーこれはもしかして夢じゃないのかー。


 うん、少しだけ、なんか意識がしっかりしてきた。

 そっかー。

 忍者。忍法。転生。異世界。あったなーそんな忍法。研究してたやつがいたよ。


 異世界にパスを繋いでそこのエネルギーを吸い出し、それを用いて忍法のレベルを一段階上げるんだって言ってた奴。バカなやつ。


 そっかここはやつの研究所かー。


 そして僕はあいつの実験体かー。


 いやーなーんかむかつくなー。


 怒りで段々と視界がはっきりしてきた。


 薄暗い部屋。


 たくさんの機械。


 点灯する赤い光。


 所々、手元を照らすオレンジ色の光。


 リノリウム。


 ガラス張りの窓?


 その先にいる人間。


 同室にいる白衣の男、二人。


 そのうちの一人の男が僕の脇に来て手元の計器を覗き込んでいる。


「さってと、本日もバイタルバイタルうっと……」

「だからよ、サービスサービスうみたいに言うなよ、毎回毎回うぜえんだって」

「……は?」

「おい……そのは?ってのやめろよ」

「いや、マジでやべえわ」

 うん。そう。やばいよ。

 だって僕はお前を見ているよ。


 視線があった瞬間に。

 バカな男は後ろに飛び退った。


 さすが腐っても忍者だね。


 もう一人の男も事態を認識したのか。

 核兵器でも発射しそうなほどに大きなスイッチを叩いた。


 それと同時に室内にアラームがけたたましく鳴り響く。

 不安を煽る音。

 危険を知らせる音。


 その後も室内の二人は慣れた様子で機械をいじっている。

 警報音の中でピピピとした音が聞こえる。


「リィーンカーン薬液、増量!」


 その声と音に比例してしっかりとしはじめていた意識が揺れて解ける。

 あ、やばい。

 目が霞む。

 霞んだ目で見ていたガラス窓の外。

 そこにいた人間の数があっという間に十人以上になっている。


 その中にいた一人の男。


 僕はその男を知っている。


 男は印を結ぶ。


 それに合わせて周りの男も印を結ぶ。


 緑のリノリウム。

 警報の赤い灯。


 やつらの足元に陣が浮かび上がる。


 させてたまるか!


狸隠神流たぬきいぬがみりゅう忍術! 風手裏剣かぜしゅりけん!」

 僕は痺れたような唇と。

 かろうじて動く指先を男に向けて。

 風手裏剣を放った。


 それと同時にガラス窓の向こうで声がした。


「「「「「────忍法! 異世界転生!」」」」」


 同時に。

 僕の風手裏剣は霧散し。

 僕の意識も同様に霧散した。


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