第36話 歪んだ感情はもうたくさんだ

 これはリントが化けたハニガンの弟。


 マーティンの話。


 限りなく他人の話。

 袖振り合った他生の縁にも満たない因縁。


「ハアアアニガアアアアアアンンンンンン」


 俺は叫ぶ。


 ありったけの怨嗟を込めて。この呪いがどこにいるかわからない裏切り者に届くように。


 リント(ハニガン)を殺せと命じた暗殺者は、身体の自由を奪われたまま、お口を縫い付けられて、半死半生の状態で我が屋敷の庭に転がされていた。

 それを屋敷の暗部はわかっていて放置していた。

 翌朝、家令が見つけ、父上に報告。


 当然、まだ寝ている俺の部屋に怒鳴り込んでくる。

 それは仕方ない。きっと俺でもそうする。

 そこからはいつもの説教だ。他人は何を言ってるかわかんねえってぼやくけど、俺にはわかる。俺と父上は似ている。怒り方も似ている。見た目も似ているし、何よりも思想が理解できる。

 だからずっとこの家を継ぐのは自分がふさわしいと思っていた。

 でも俺には目の上にたんこぶどころじゃない。

 汚物が居座っていた。

 兄と呼ぶのもおこがましい、いまや平民となったハニガンだ。

 それがこの間、死んでいなくなったと思ったら、ふらっと戻ってきやがった。


 あの時の怒りがわかるか?

 わかる?

 お前にわかる訳ないだろうが!!! バカが!


 幸い、父上はハニガンを戻す気はないらしく一安心したのだが、あの野郎、サバラ侯爵家に無断で女王の求める品を献上しやがった。あれはサバラ家の物で、俺が王になるために必須な物だったのに。


 あの盗人が!


 ふざけんな!


 そっちがその気ならこっちもきちんと対応させてもらうぞクソが!

 そのままの勢いで俺は暗殺者を雇った。

 俺はまだ侯爵じゃないから家の暗部は使えないし、父上に言ったとしてもコストがかかるからと使ってもらえないのはわかる。これも俺が父上の事を深く理解している証拠だ。ハニガンの野郎には無理だぜ。


 決して安くない金額を払って俺はその暗殺者にハニガンの暗殺を依頼した。


 その暗殺者はいま俺の足元に転がっている。


 その情けない顔を見て、父上の怒り狂った顔と、家令の悲しんだ顔と、家の暗部のイヤミな顔が、繰り返し頭の中を走り回る。


「あああああああああああああ!!!」


 あまりの苛立ちに激情は言葉にもならず。

 溢れた怒りはただ無感情に、足元に転がった芋虫を蹴り上げるためだけに動く。


 身体の自由を奪われて、口も縫い付けられているこれは、蹴ろうと焼こうと声にならない叫びを上げるだけだ。


 その情けない声と動きに少しだけ溜飲が下がるが。


 それでも怒りがおさまる事はない。


 絶対にない。


 サバラ家の正統血統である人間の怒りは、こんな芋虫を蹴り上げただけではらされる物ではないのだ。


 朝の記憶が走る。


「えdrftgyふじこlp!!!」

 怒り狂った父上に怒鳴られた。


「坊ちゃん、これからは一つ、わたくしめにもご相談ください。力になります」

 ずっと俺の味方だった家令に悲しまれた。


「坊ちゃん、金をケチった挙句に、こんな五流を使用されるとは……」

 サバラ家お抱えの暗部にもイヤミを言われた。


「うるせええええ。関係ねええええだろうがああああ。俺が当主になったらお前ら全員首にしてやるからなああああ」


 怒りに任せて何度も何度も足元の五流暗殺者を蹴り上げる。

 これはこれでいいおもちゃだ。

 音が鳴らなくなるまで遊んでやる。


 後始末は暗部に任せればいい。


 それにしてもハニガンだ。


 この怒りの主な原因は全部あの出来損ないだ。


 大人しく死んでおけば良いものを。

 生かしておいて歴史あるサバラ侯爵家の血をばら撒かれても問題しかないからせめてもの情けで殺してやろうと思ったのに。本来なら! 侯爵家を裏切り、鳳王の霊羽を女王に献上し、自分の評価だけを上げるような奴は拷問の挙句に鉱山で奴隷兼肉奴隷として監禁してやる所だ!

 それを温情で死を与えるだけにしてやろと言うのに!

 恩を仇で返すとはなんてやつだ!

 こうなったらもう怨を与えてやろう!


「どこまでもお前を追って、あらゆる苦しみを与えてやるぞ! ハニガン!」


 歪んだ感情はハニガン(リント)へと一直線に向かう。


 ◇


 これはリントが化けたハニガンの元主君。


 ヤンデの話。


 限りなく他人の話。

 袖振り合った他生の縁にも満たない因縁。


「ハニガアアアアン」


 妾は叫ぶ。


 ありったけの愛を込めて。この愛情がどこにいるかわからない愛しい人に届くように。


 あの日。

 鳳王の霊羽をハニガンに献上されたあの日。


 あの日。


 妾はワケの分からない病気にかかった。

 ずっと頭がぼうっとして、頬が熱く、胸がモヤモヤしたり、暖かくなったり、四肢に行き場のないエネルギーがこもるが、それを発散する術がわからず、ただただ身体の中を駆け回る。


 心の中は一人の男で埋め尽くされている。


「はああああ。もおおおおおお。なんで! あの人の事しか考えられないのおおお。何? なんなの?

 こ れ は な ん な の よ ! ! !」


 生まれてから今まで妾はこんな感情知らなかった。

 どこまでも狂おしい。

 胸を焼くこの激情と言ってもいいほどの感情。


 常に冷静だった妾。


 冷静に国を憂い。


 冷静に兄を陥れ。


 冷静に父を引退させ。


 冷静に王位についた。


 今回だって冷静に考えて、王配の座を餌にして貴族の力を削ぐつもりだった。

 これに喰いつくのは基本的に無能な貴族ばかりだから、なんならそのままお家を取り潰してもいいくらいに考えていた。


 途中までは順調だった。


 無能で有名なサバラ侯爵家を筆頭に、それらの家は順調に資産を食い潰していた。


 でもある日。一通の手紙で。

 妾は手痛いしっぺ返しを喰らう事になった。


 ダンジョンにて行方不明になり、死亡認定の上、貴族籍を剥奪された男。

 ハニガン・サバラからの手紙。


 鳳王の霊羽を持っている。それを献上したい。お目通りを願いたい。

 それは暗に、王配の座をいただきたいと仄めかしていた。


 無理。絶対に無理。今のこの状況でサバラ家を王配につけるなんてあり得ない。


 冷静に考えて。

 王配の座に着くのはアークテート王国の国力とほぼ同等のミーテック魔法帝国かサイオーン公国あたりの第三子あたりだ。国内の貴族からなんてあり得ない。

 彼らの誰かを婿にとって近隣諸国との関係を深めるという外交的理由以外で妾の結婚という手札を使うなんて考えられない。


 冷静な頭で。

 ずっとそう考えていた。

 今でも頭だけはそれが当たり前だと考えている。


 でもそれ以外の身体は違う。


 身体の中を暴れ回る熱情は違うと必死で訴えていた。


 ただただ一人の男。


 ハニガンを求めて、熱が身体を蝕む。


 いや、いやあ。こんな熱は耐えきれない。


 辛い。苦しい。気持ちいい。熱い。溶ける。


 病気かと思って医者を呼んだが、病ではないという。

 呪いかと思って呪者を呼んだが、呪ではないという。


「じゃあ! なんなのよ!」


 苛立ちまぎれに侍女に問えば。


「それは恋です」


 と答えた。


「恋?」


 と問い返せば。


「少々、私の知っている恋とは形が違いますが……おそらくは……」


 と答えた。


 そうか。


 と、途端に腑に落ちた。

 全て冷静な頭で理解できた。


 これが恋か。

 全てを捨てても。

 全てを壊しても。

 全てを焼き尽くしてでも。

 手に入れたい。

 手に入らないなら殺してもいい。

 こんな気持ちが。


 恋だったのか。


「ならば冷静に考えて、全てを手に入れるまで止まるわけにはいかなくなりましたね」


 歪んだ感情はハニガン(リント)へと一直線に向かう。


 ◇


 ラクーン808やおやのリントの巣穴。


 顔を出して寝ている。

 二頭の狸。


 もちろん、リントとキンヒメ。


 一緒の巣穴で寝るようになったあの日から、巣穴の外に顔を出して寝るのが二頭の恒例になっていた。

 リントはひっくり返ってへそ天で寝ており、その顔の横にはキンヒメのふっくらとした優しい顔が並んでいる。


 そんな二頭の巣穴の入り口の周りには下草が生い茂っており、それらの葉の先に珠のような露が絶妙なバランスで乗っている。


 その中の一枚、割と大きな葉。

 それが寝返りをうったリントの鼻息によって大きく揺れた。

 当然、それによって、葉と朝露の絶妙な均衡は崩され、大きめの朝露がリントの鼻の上にポトリと落ちて、いまだ寝ているリントの鼻を刺激した。


 目覚めの時間だと自然が告げている。


「くしゅん」

 自分のくしゃみでリントは目を覚ました。

 しかしまだ目が寝ぼけている。


「あら? リント、くしゃみなんてどうしたの?」

 横から隣で寝ているリントの寝顔を薄目で見ていたキンヒメがいい頃合いかと考えて声をかけた。


「なんだろう? 狸風邪かな?」

 キンヒメの優しい声に反応し。

 まだ少しむずむずする鼻先をキンヒメの首すじに擦りつけながらリントは答える。

「あら、巣穴とはいえ、ひっくり返ってへそ天で寝てたから、お腹が冷えたのかもしれませんね」

 そこから見ていたのかキンヒメはにっこりと笑ってから鼻先をリントのお腹に擦り付けた。


「ええー? そのお腹には可愛くて柔らかくて暖かい、金色のキンヒメ布団が乗っかってたから大丈夫だよう」

 少しくすぐったいらしく。リントはもそもそと動いたが。

 声はとても嬉しそうだ。

「あらあら、バレてました?」

 いたずらっ子のようなキンヒメの声。

「ふふふう。バレてるよう」

 それに答えるリントの楽しげな声。


 歪んだ二つの感情は、まだ狸の鼻にくしゃみをもたらす程度である。


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