第35話 可愛いキンヒメ、存在が禁じ手
「ただいまあ」
数日ぶりのラクーン808。
ほんの少しの間離れていただけなんだけど、なんだか帰ってきたと実感する。
きっとそれだけこの群れへの僕の思い入れが大きくなっているんだろうなあ。
前世では自分の帰る場所なんて認識はなかったからよくわからんけど。
家。
実家であれ、一人暮らしのアパートであれ。
多分他人が思うような家、という認識とはきっと違ったんだろう。
夜が怖かった僕には寝る場所という認識すらなかったし。
宿木というにも烏滸がましい。夜から身を隠す薄布程度だろうか。
家の中とて夜は僕に襲いかかってくるんだから。
それが今は全く違う。
野原と巣穴しかないくせに。
なぜだかここが自分の家だと腑に落ちている。
どれだけ前世の記憶に引き摺られても。
どれだけ人間の身体に思考を引っ張られても。
狸に帰ってここに戻るだけで。
元通り。
ああーー転生してよかったなあ。
あ、そうそう。
ちなみに今日はちゃんと狸の姿で帰ってます。ご安心ください。おやじにこっぴどく叱られた僕は二度あることは三度ないのです。仏だって三回やったらダッシュでぶん殴りにきますからねえ。
ほら。
おやじとママンがちゃんと優しい顔でお出迎えしてくれてますよう。
そう思って近づいてみると。
ほらねえ。
怒ってないでしょう?
そう思って近づいてみると。
えーと。
怒って、ないよねえ?
そう思って近づいてみると。
あれえ?
怒ってない?
「こらあリント! どこをほっつき歩いとったんじゃあ!」
あ、やっぱ怒ってた。
くそう理不尽だよう。
どうせ怒られるならバジリスク姿とかで帰ってきてやればよかったぜえ。
おやじの理不尽な怒りへの憤りを抱えながら、出迎えへとむすうとした顔をむけていると、横からママンの優しくて暖かい声が響いた。
「あらあら、リント、そんな顔しないで、可愛い顔を見せてほしいわあ。ね、お帰りなさい。ちゃんと元気ね? 後でちゃんとおしりを嗅がせるのよ?」
「う、うん、わかったよう、ママン」
もーやっぱりママン最高だぜえ。
おやじには絶対に向けないにっこにこの狸フェイスをママンに向ける。
するとママンからも最高の笑顔で返ってくる。
お互い微笑み頷いて。
「おかえり、リント」
「ただいま、ママン」
僕らの親子の仲は誰にも割く事はできないのだあ。
「おうい! 俺を無視するでないわあ! ヒメも! リントじゃなくてえ、俺をもっと見てくれえ!」
あら、いたの? おやじい。
うーん、仕方ないから、そろそろママンを返してあげるよう。
流石にこの夫婦の間には僕とママン以上の絆があるからねえ。
実は少し羨ましいよう。
「勿論ですようアナタ。私の大事な人なんだからちゃんと見てますわあ」
「うむう、そうか? それならばいいのじゃあ」
絆があるのはわかってるけどさ。
でもさ。
あのさ。
親のイチャイチャを息子に見せつけるのはやめておくれよう。
「ごほおん! そんなイチャイチャよりさ! 二人で僕を待ってるなんて何かあったの?」
頼むからそういうのは二匹の時にやってくれる?
用事、あったんでしょう?
「おう! そうじゃった!」
「あら、そうだったわねえ」
夫婦でおんなじような事言って頷いている。仲良いんだよなあ。
「そういうのいいからさ。んで? どうしたの?」
「キンヒメさんが戻ってきたぞう」
「キンヒメ!」
といえば、嫁入りに一度このラクーン808までやってきたが、僕が化け狸である事を知り、自分も化け狸になるべく、一度地元のラクーン18GLDに帰った僕の自慢の婚約者だ。
うちのママンとは系統は違うがとても可愛らしい狸なんだよなあ。
そっかあ。帰ってきたのかあ。
「会いたいなあ」
僕の言葉にママンがふふと笑った。
「ん? どうしたの? ママン?」
「いいえ、キンヒメさんも同じように言っていたわねえ」
「ええー」
何それうれしい。
「リントのどこがいいのかわからんなあ。おっかない姿に変化した状態でラクーンに帰ってきて、みんなを驚かすし、それの防衛に出てきた弟をコテンパンにするし、近年稀にみる悪狸じゃからなあ」
「あらま、それは本当に悪狸! どこの息子さんかしら!?」
知らない子ですねえ。
「お前じゃああ! そして俺の息子じゃあ!」
「ウヘヘ」
バレた。
そう、おやじの息子なのよう。ウヘヘ。
でもねえ。ちゃんと反省はしてるんだよう?
「ウヘヘじゃないのじゃあ。今回はちゃんと狸の姿で帰ってきたがのう。まだ油断ならんからなあ」
「えー反省してるよう。それならまた反省を示してペローンと地面に伸びようか?」
「もういらんわあ。伸びた所で、狸寝入りしとるだけじゃろうがあ」
おやじがむふんと鼻から息を噴き出した。
「あらあら、仲良しの親子喧嘩ねえ。でもそれもいいけれど、そろそろキンヒメちゃんの所に行った方がいいわあ?」
そんな僕らを見て、ママンが言う。
実際羨ましそうな顔だ。
確かに僕はママンを揶揄ったりしないしねえ。
そしてママンの言う通りで。
「おお、そうじゃったあ! 親子で馬鹿話してる場合じゃあないのじゃあ。キンヒメさんは、お前の巣穴で首を長くしてずっと帰りを待っとったんじゃぞう! はよう行ってやれえ」
おやじも僕を急かした。
そうだね。
僕も早くキンヒメに会いたい。
「うん! 急ぐよう!」
でもさ。
あれ?
ていうか、急げとか、早く行けとか、それはおやじが偉そうに言う事じゃなくなあい?
そもそも話の腰折ったのっておやじだよねえ。
そんな腑に落ちないまま気持ちはキンヒメに会えるという喜びにあっという間に霧散したのだけれど。
◇
「おかえりなさい、リント」
急いで巣穴に戻った僕をキンヒメはこんな優しい言葉で迎えてくれた。
巣穴の出口から首だけをぽふんと出してこっちを見ている。
ふっくらとしていてとても柔らかい表情をしている。見ていてとてもドキドキする。見ていてとても安心する。ドキドキと安心が混ざった香りが僕の鼻をくすぐる。
なんだか毛並みの金色とあいまって、キンヒメ自体がキラキラと発光している様に見える。
ほあああ、可愛いい。
「……ただいま、キンヒメ」
言葉だけなら。
紋切り型の、おかえりとただいま。
でもスペシャル。
ママンとのソレとも違う。
誰とのソレとも違う。
二人だけの言葉。
狸の酒よりも人間の酒よりも。
酩酊しそうな会話。
目がとろけて、身体がふらふらになりそうだ。
「ふふ、リント。どうしたの? そんなにフラフラして?」
キンヒメの柔らかい声が僕の鼓膜を鈴のように鳴らす。
「えっと……ね、う、うーん。うん……なんだかさ、久しぶりのキンヒメに酔ってるみたい」
なんと言おうか迷った挙句。
正直に理由を答えた。
それにキンヒメの表情がハッとしてからすぐに艶やかな微笑みに変わる。
「ねえ、リント? いつからそんなに口説き文句が上手になったの?」
そう言って僕をからかう様に笑ったキンヒメの笑顔は、さらにさらに妖しく艶やかな薫りを放つ。
柔らかさを残しつつ。
それでいて魅了してくる。
まさに蠱惑。こんな顔も出来るんだあ。
「口説き文句じゃないよう。正直な気持ち……その笑顔にもっとフラフラしそう……」
もうダメだ。
ノックダウン。
魔物にも、暗殺者にも負ける気はしないけど。
ママンとキンヒメには勝てる気がしない。
「ねえ……リント、こっちにきて」
もそもそと動いて巣穴の入り口を開けてくれる。
「うん」
僕も素直にその誘導に従う。
二頭がぴっとりと重なる。
キンヒメのふくよかな身体と僕の筋肉質な身体が折り重なってまるで一つの毛玉の様に。
一頭用の巣穴は二頭で入るには少し手狭だが。
でも今はその狭さが。その密着が心地いい。
「ねえ、リント」
「なんだい? キンヒメ」
キンヒメが鼻チュウをしながら、何か言いたげに僕を呼んだ。
そこから少しだけ間があったが、意を決したようにキンヒメは言葉を続ける。
「あのね……私、化け狸になったわ」
「おお! 早くない? 結構修行が大変だって聞いてたよう?」
「うん、でもリントに会いたくて頑張ったわ。これでずっとリントと添い遂げられる」
化け狸と普通の狸では寿命が違う。
だから化け狸の僕と生涯添い遂げるにはキンヒメも化け狸になる必要があった。そのためにキンヒメは実家に戻っていたのだ。
「そうか……嬉しい」
僕のためにそこまでしてくれるキンヒメの気持ちが嬉しくて。
言葉が出てこない。
「あら? それだけ?」
あ、しまった。
不安にさせたか。
「え!? ううん! すっごく嬉しいよ! これで死ぬまでキンヒメと一緒にいられると思うと嬉しくてさ。言葉が出てこなかったんだよう! それに急いでくれたのもすっごくうれしい! 僕も早くキンヒメと暮らしたかったんだあ!」
あらん限りの感謝の言葉を。
やっぱり感謝や気持ちは言葉にしないといけないよねえ。
「ふふ、言わせたみたいになっちゃった」
「そんな事ないよう! 本心だから!」
「それならうれしい。リント、会いたかったわ」
キンヒメの愛らしい鼻が僕の鼻にチュッと触れる。
「ぼ、ぼくもだよう」
甘い言葉。
柔らかい香り。
ドキドキする毛並み。
うへえ。全部でとろけるう。
「ね、リント。私が修行してた間に人間の世界に行っていたんでしょう? その時のお話してくれる?」
「うん! いいよう! 僕が取得した人間の姿ってやつが貴族のイヤなヤツだったらしくてねえ……」
こうやって僕とキンヒメは会えなかった時間を会話で埋めていった。
途中、アークテート王国のヤンデ・ローズ女王の話に少しだけキンヒメの機嫌を損ねたりしたけれど、僕の気持ちを一生懸命語ったらなぜか逆に喜ばせる事になったり、間抜けな暗殺者の話をして余計に心配させてしまったりしているうちに。
夜空には月がのぼっていた。
煌々と辺りを照らす月夜の中。
風に乗ってどこかから狸の腹鼓が響いていた。
「リントも疲れているでしょう? そろそろ寝ましょうか?」
「うん、そうだね」
夫婦になった僕たちは、少し狭いけれど、一緒の巣穴で寝る事にした。
話をしている時と同じように。
巣穴から顔を出して。
二人で月を見ながら。
自然と。
同時に。
眠りに落ちた。
僕はママンと離れて以来はじめて。
完全に安心して熟睡できたのだった。
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