第27話 叡智写生一触

「くわあ」


 規則正しく敷かれた石畳の道を、二本の足で闊歩しながら、僕はあくびをしている。


 眠い。


 あれからキンヒメは宣言通り、その日の内にラクーン18GLDワンエイトへと帰還した。もちろん僕は自分の婚約者を再び危険に晒すようなマネをするダメ狸じゃあないから。鳳の姿に変化してラクーン18GLDまでひとっ飛びで送って行った。

 僕の変化した姿に、キンヒメも流石に驚いたようだったけど、表情は変わらなかった。並の狸なら鳳の姿を見ただけで気絶するんだけどねえ。さすが頭目の血筋だよう。

 もちろんラクーン18GLDに降り立った結果一悶着あったんだけど、そこはまあラクーン808で起きた事と大差はないから割愛するねえ。うんうん。僕の姿をみた狸は全員気絶してたから、きっと夢だったと思ってくれると思ってるよ。そう、期待している。


 そしてそれから二週間ほど経った。

 はじめに言ったように、僕は寝不足だ。眠いよう。

 なぜ眠いかってえと。


 僕はキンヒメと婚約したって事で一人前の狸という扱いになった。

 それと同時にママンとの添い寝から一人で寝るようになった。


 これが良くなかった。

 そこから頻繁に悪夢を見るようになって、夜起きちゃうんだよねえ。

 何の夢かは全く覚えてないんだけどさあ。とりあえず悪夢だって事は覚えてる。

 その結果、若干不眠気味になってしまった。


 ママンの安心がないとダメだったんだろうなあ。と、分析している。


 とは言っても、前世のように完全に夜が怖くて眠れないって感じじゃない。せいぜいが怖い夢で目覚める事があるくらいだから、まあ、寝れるのは寝れるし、目覚めた後もそのままもう一回寝る事が出来るから大丈夫だけどねえ。それでも眠りが浅いのか若干寝不足気味だよねえ。まあ大人になったのだからいつまでもママンとは寝ていられないし、これに慣れないといけないなあと思って我慢我慢。


 と言う事で。


 寝不足な僕は今、人間の姿で、人間の世界にいます。

 石畳の上を歩く足も、実に懐かしい人間の二本足であります。


 そして、ここにいるのはもちろん理由がありまあす。

 いやあ、婚約者の出現やら、不眠症やらで、この身体の人間の最期の願いを聞き届けてなかった事を思い出したんだよねえ。ずっと忘れてられればよかったんだけど、思い出したらむずむずしてきちゃったんで、もう仕方ないよう。ダメだよねえ。不眠症からは逃げられても、この性分からは逃げられない。


 だから来ちゃった。


 なんだか仰々しい都市の入り口に人間がいっぱい並んでて、あれに並ぶのはなあ、と一瞬尻込みしたけれど、そういえば僕は狸だったと思い出して、変化を戻して余裕で横をすり抜けたよねえ。狸でよかったあ。ちょっとあれに並ぶ気にはならないなあ。前世から思ってたけど人間社会ってめんどくさあいよねえ。なんで並ぶんだろ?


 めんどくさいと言えば、衣服や身分証もだよねえ。狸ならオス一匹裸一貫でいいけどさあ、人間は無理だもんねえ。念のためにこの身体の人間の服や持ち物やらを保存しておいてよかったあ。

 ラクーン808へ人間の姿で帰ってきた後に、いつの間にかママンの布団に成りかけてた冒険者っぽい服を救出してた自分を褒めたい。狸の布団になった布なんてビリビリのボロボロになるのが確定してるもんねえ。

 何せ変化の姿そのままだと素っ裸だからなあ。

 この服がなかったら危うく葉っぱ一枚を股間に装備して人間社会へデビューする所だったよう。


 そんな事したらどうなるかって?

 少なくとも人間社会のデビューと同時に、牢獄デビューになるだろうねえ。


 そして荷物も大事。

 荷物に入ってた身分証明書を見たら、この人の名前はハニガン・サバラと言うらしい。

 そしてこの身分証明書の発行元が冒険者ギルド。と言うわけでまずは僕が目指すのは冒険者ギルドって事になる。これがわかるだけでも相当進め方が楽になる。

 とは言っても、僕はその冒険者ギルドがどこにあるかわからないんだけどねえ。


 わからないからとりあえず人間の街の中でも一番大きい街に来て、その中の一番大きな通りをとりあえず歩いているんだけど。石畳の広い道は大きな城に向かって伸びているだけでどこがどこやらわからない。


 あらためて辺りを見回してみても。


 うーん。

 わからん。

 わかる事は町並みの様子が実に中世エセヨーロッパって感じって事だけ。

 石造りの街並みに商店らしき建物には木造りの看板が垂れ下がっている。大体は前世の知識でその看板を見れば何屋かはわかるかなあ。


 えっとお。

 剣と盾の看板は武器屋でしょう? パンが描かれているのはパン屋さん。うーん、瓶の模様が描かれているのは何屋かなあ?


 あれでもないこれでもない、うーんうーんと僕が迷っていると。


『叡智が発動しました』


 いきなり声がした。


「ぎゃあ!」

 なんだあ! 頭の中で声がしたあ! 思わずびっくりして声が出ちゃったよう。周りの人が変な目で見てるじゃないかあ! なんなんだよう。

 もう怖い怖いい。

 気を取り直して瓶の模様の看板を見ると、その下に『薬屋』とテロップが表示されていた。

 は? なんだこれ? さっきの言葉の影響か?

 えっちって言ってたっけ? 前世で陽人種の同僚が、同じく同僚女性から、「田中さんったらーもーえっちい」って言われてたやつかな?


『のっとえっち。どんとたっち。叡智とは人智を超えて、人間の集合知にアクセスする事により知識を引き出すスキル』


「ぎゃあ! またあ!?」

 頭の中で声がした。今度はちゃんと聞き取れた。説明を聞くにえっちじゃなくて叡智か。そういえばこの人間を変化対象にした時に人智を統合して叡智を取得しました。とか文字が出てたなあ。頭痛くてそれどころじゃなかったから忘れてたあ。

 なるほどう。簡単に言ってしまえば「何でも知ってるわ、知らない事も知ってるわ」状態かあ。

 やべえヤツじゃん。


 とはいえですよう。

 確認は絶対に必要です。わけわかんない情報をソースなしに信頼するようなんてのは忍者として失格ですよう。


 てなわけで。


「ねえ、そこのお姉さん。このお店は何屋さん?」

 通りすがりのお姉さんに問うてみる。

「え、きゃあ! ハニガン様! 何で! 生きて!? え? 違い! 私、あああ、ハニガン様に悲鳴なんて! し、失礼いたし、しました。どうか、罰だけは、罰だけはおやめ、ください。何卒ぉ」

 声をかけられたお姉さんは驚いて悲鳴をあげ、その一瞬後にひどく狼狽して、そのまま地に平伏した。

 ええ……? なんでえ?

「いやあ、僕はここが何屋さんか聞きたかっただけなんだけどう?」

「ははははは、はいい。直答、しし失礼致しますう。この店は、くく、薬屋でござい、ますう」

 平伏したまま顔を上げる事なく震える声で答えるお姉さん。

 道端で叫んでた僕がやべえ奴だから刺激しないようにかなあ? でもまあとりあえずここが薬屋だって事はわかったから、この叡智ってスキルはある程度信用できそうだねえ。

「そっかあ。ありがとう」

 平伏している娘に礼を言ってから、その姿を見ると『町娘:サラ 状態:恐慌 職業:バニラ食堂店員』と記載されていた。

 うん。見ればわかるよねえ。名前と職業まではわかるのは便利だけど。

 これ以上やべえ奴に付き合わせるのもサラさんに可哀想だから冒険者ギルドは自分で探そうっと。


 僕は視界の中に『王都メインストリート:ローズ通り』とテロップが出ている道を真っ直ぐに進んでいった。


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