第15話 こんな父と母っていいよなあ

 変化を解いた僕を見ておやじの表情は驚きを通り過ぎていた。


 当然だろう?


 旧友がいきなり現れたと思ったら、それが息子の変化だったのだ。

 あんぐりと口を開けている。


「おまえ、リントか?」

 うん。

「僕……リント」

 おやじがさらに問いかけてくる。

「さっきの姿は?」

 声と視線。ちょっと怖い。

 虎になっている時よりもよっぽど迫力があるんじゃないだろうか?

「あれ、は……前鳳王さんの姿……」

「それはわかっている。いや、前、ってなんだ? ダークは鳳王だったはずだ」

「うん、色々あった」

 一昼夜でほんとに色々あった。

 鳳が死に、鳳になり、鳳が殺されかけ、鳳が大勢死んだ。

 鳳、死にすぎい。

「説明できるか?」

 おやじの中で色々と飲み込めない疑問と感情が渦巻いているのがわかる。

 声でわかる。

 いつものふざけたおやじじゃない。

「うん」

 僕もふざけない。

 だから。

 ただ一言だけで応える。

「そうか、じゃあ夜、いつも俺が酒を飲んでる小山にこい」

「え? 今からじゃ……」

 真剣な狸とか辛いんで……さっさとこの複雑な話を終わらせたいんですが?

「ばかたれえ、おまえが一晩帰ってこんかったからな、ヒメが心配しとるんじゃ。心配するヒメも可愛いがのう、俺だって心配するだろうが! ばかたれえ!」


 一喝された。

 ばかたれえって二回言われた。

 でも。

 ……うん。


「そっかあ……心配してもらえるんだったなあ」

 そうだ。

 まだ僕は若狸で、今世では心配してくれる家族がいて、安心して帰れる家があったんだった。

 なんだか昨日から殺伐としてたから前世の記憶に引きづられてどうにも孤独な感じになっていたが。

 違うんだった。

「なんじゃあお前は! 随分あっさりしとるなあ! 息子が一晩帰ってこなかったら親が心配するのが当然じゃろう! 俺だってヒメだってお前が心配じゃあ! そうじゃあ、帰ってきたらまずは言う事があるじゃろう!」

 うん。

 あるね。

 前世ではその言葉を言ったら棒手裏剣が飛んでくるような家庭だったからいつの間にか言わなくなったけど。

 ここでは言っていいんだよな。

「あ、うん。そだね……え、っと……た、だいま、でいいのか?」

 言葉にすると暖かい言葉。

「おう、おかえり!」

 返ってくるのはもっと暖かくて嬉しい言葉。

 幸せが何倍にもなって帰ってくる。


 おかえりとばかりに、僕の頭をペロンとなめたおやじの口。


 やっぱり臭かった。


 でも。

 暖かくて湿ってて臭いけど。

 それでも愛されている感じがする。


「おやじ、臭いよ」


 僕はなんだか生臭くて照れ臭くって、緩みそうになる頬をぶっきらぼうな言葉でなんとか隠す事に成功した。


「グハハハ! そうかそうか! 臭いか! さっき朝飯で野鼠食ったからのう! すまんすまん! ほれさっさとヒメの所に顔を見せて安心させてこい!」

「うん、行ってくる!」


 ゆるむ頬を隠すのに限界を感じて、僕はおやじからさっさと逃げ出す事にした。

 狸は逃げるが基本だよ。


 ◇


「リントぉ!」


 僕を見つけたママンが駆け寄ってくる。

 美しいねえ。もっふもっふの毛並みが、一生懸命駆けているその動きに合わせて、ふさふさと揺れ動き、天に昇った太陽の光を跳ね返し、ツヤツヤと煌めいている。

 我が母親ながら実に美狸である。

 そんなママンは僕の前までやってきて、頬を僕の首筋に軽く擦り付けてから僕の後ろに回る。

 ママンのスッと通った鼻筋は程よく短く、美狸さの中に愛くるしさを演出している。

 今はそんな鼻が、僕のまあるいおしりから始まり、全身の匂いを嗅いでくる。

 顔の周りもスンスンと嗅いでくるが、おやじの口と違ってママンのは全く臭くない。

 柔らかくて、暖かくて、むしろいい匂いで、シンプルに溶けそうになる。


 でも僕も今や立派な若狸で化け狸だ。こんな簡単に溶かされるわけにはいかないぞう!


「ママン、くすぐったいよう」

 軽く拒否するように身震いをしてみる。

 言っておくが本気で拒否する気はないい! もっとママンにかがれたいい!


「だめよう。どこか怪我したり、病気になっていたりすると困るわあ」

 うん。そうだようねえ。じゃあ仕方ないよねえ。

 身を任せるよう。

 ママンの口調は柔らかいが、頑としてこっちの要求を聞く気はない、そんな意志の強さを感じる。こういう我の強さもママンの魅力であったりする。

 柔らかい口調に関してはリケイに受け継がれている気がするなあ。


 そんな事を考えながら、僕はすでに脱力している。しばらく続くであろう入念なママンチェックに僕は抗うフリをするのはやめたのだ。いつもの感じでのびーんと地面に伸びてママンのなすがままになっている。


 ああ、幸せえ。


「うん、大丈夫そうねえ。どこもおかしな所がなさそうでよかったわあ。心配したのよう、リントぉ」

「ごめんね、ママン。ちょっと出かけるだけのつもりが一泊する事になっちゃった」

「仕方ないわねえ。リントは強いから大丈夫だとは思っていたけれど、やっぱり心配はするわあ」

 のびーんと伸びた僕の体。その首筋の上にママンの顔がぽふんと乗っかってくる。ほどよい重みを感じさせながら寄り添ってくるママン。


 リラアックス。

 親子でこうやって寄り添っていると、途端にのんびりした空気が流れる。

 春の暖かな日。新緑の緑。湿った土の香り。

 なんだか帰ってきた感じがする。


「ママン、僕さ」

「なあに?」

「友達ができたんだ」

「あらあ、それはよかったわあ。リントってば家族以外とあまり関わろうとしなかったでしょう? 心配していたのよう」

「あ、そういう感じに思われてたの?」

「そうよう。リキマルは他の家のお子さんを力でねじ伏せていつの間にか派閥のリーダーになっているし、オリョウだって男の子たちを侍らせてるし、リケイはお隣のリーサちゃんと仲良しよう。ぼっちなのはリントだけだったのよう?」


 うん。


 刺さる。

 ママンのシンプルな心配と優しさが身に刺さるよ。


「う、うん。でも友達ができたよ。心配しないでね。そ、それでね。その友達になった子のトラブルに巻き込まれたから昨日は帰れなかったんだよ。ごめんね」

「無事に帰ってきてくれればそれでいいのよう。おかえり、リント」

 ママの舌が僕の耳の後ろをペロンと舐めてくれる。

 ふわあ。

 うれしい。


「た、ただいま、ママン」

 不慣れな幸せが照れ臭い。


「おかえりなさい、リント」

 でもこの当たり前の幸せがそこにあるから。


 僕は帰ってこられるんだ。


 だって僕は一人じゃないから。


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