第5話 厳しいって。やり方は先に言って欲しかったわ

 虎の姿から元の化け狸になったおやじは心なしか僕の視線に怯えているように見える。


 失敗失敗。

 殺気を出しすぎるとよくないよね。

 仕方ない。話を進めて誤魔化すとしよう。僕の疑問に答えるのだおやじよ。


「それで、おやじよう、これは虎に変身したら実際の虎の力は出せるのう?」

「ふん? それは無理じゃな。そこまで力を引き出すすべは既に失伝しておるわ。遠く昔、我らラクーン808やおやの始祖狸であられるシャドウゴッド様ならば変身した生き物の能力を自在に使えたというが、あれだ、お前もわかっている通り我ら狸は怠惰であるゆえ……察せ」

「あーそれはお察しだねえ」


 狸だもの仕方ないじゃない。って事だろう? 狸の性分であれば、そんな力を使って何かと戦う位なら逃げ出して、別の場所で月を見ながら腹鼓を打ちたい。

 よってそんな力は失伝して、他の狸やら人間やらを驚かして楽しめる変身能力だけが残ったってわけだ。


 よくわかります。


「うむ。では、お前はこの変身能力を受け継ぎたいか?」


 秘傳なんて言われたらそりゃ受け継ぎたいだろうよ。これは狸の本能よりも前世である忍者の魂が叫んでいる。秘傳なんてなんぼあっても良いですよ。前世でも片っ端から秘傳は貰っときましたから。

 それがたとえハリボテの変身能力であろうと、だ。大体忍者やらの秘傳なんてカビが生えていてもらっても大して役に立たないやつばっかだった。けどたまにある大当たりが気持ちええんです。


 ここは二つ返事だ。


「うん! そりゃあもちろんだよう!」

「おお、そうか。お前ならきっと受け継いでくれると思っておった!」


 え? 僕だけ?

 お前らは?


 不思議に思って後ろで気配を絶っている弟妹を振り返る。

 全員がどうぞどうぞと促している。いや、お前らも貰っとけや、便利だぞ? 鼻先でもらうように促してみるが、全員が大きくかぶりを振っている。オリョウやリケイなら理解できるがリキマルもか。変なの。まあ良いか。

 後で羨ましくなってもあげないんだからね。


「で、どうやってくれるのう?」

「おうおう、そうだな。ちょっとこっちに寄れえ」


 おやじはニコニコと嬉しそうな顔で笑っている。

 相変わらずキンタはでっかい。


「はあい」


 僕は頷いて一歩近寄った。


「いやいや違う違う。わしの膝の上にくるのじゃあ」


 膝? 俺は目の前にある親父殿の姿を見た。信楽焼の狸が胡座をかいて眼前に座っている。ていうか、膝どこだよ。狸の短い手足で胡座をかいているのだが膝なんてないに等しい。胡座の中央には肥大化したキンタが鎮座している。まさか! そこに乗れと? 目を見開いておやじを仰ぎ見ると、こくんとした肯定が返ってきた。


 そこは膝ではないぞう。おやじよう。


 ……はあ。


「わかったよう」


 嫌だけれど俺は意を決して八畳敷きはあろうかというキンタの上によじ登る。


「おうん」


 毛穴に爪を引っ掛けて登ると、おやじが変な声を出した。やめろ。キモいんじゃ。僕は声を無視してよじよじとよじ登る。BGMと化した道中のおやじの喘ぎは無視する。


「ふい。来ましたよう」


 毛むくじゃらで少しだけぶよんとした山に登った俺は四つん這いで上を見上げる。

 パンっとでた腹鼓越しに、袋に毛が生えるタイプのおやじの顔があった。いらぬ知識だよ。


「うむ」


 そんなおやじは厳かに一つ頷いて、僕の胴を両手で掴み、僕の顔とおやじの顔が並ぶ高さまで持ち上げた。


 見つめ合う父と息子。


 何も起こらないはずがなく。

 背景には薔薇が咲き誇る。


 おいやめろ、散れ散れ。薔薇族は来んな来んな。


 しかし、そんな僕の抵抗むなしく、父の顔が少しずつ近づいてくる。


 これはもしやしなくても、あれだ。

 あれだろ?


 嫌な予感が、獣臭い口臭と共に近づいてくる。

 やめ、あ、やめて、僕は前世も含めて初めてなの。

 ほんと、初めてなのよお。


「あー」


 僕の心中とは裏腹に父の少し尖った鼻先の下にある口が頬に吸い付いた。口の脇から漏れてくる口臭が臭い。実に生臭い。絶対この狸おやじは野鼠を食べたばかりだ。

 生臭いおやじのくちづけは軽く三十秒ほど続いただろうか。永遠にも思われたそれはちゅぽんっとおおよそ狸らしくない音を伴って終わり、持ち上げられていた僕はおやじのキンタの前にスッと下ろされた。


 くせえええええ。僕のほっぺくせえええええええ。


 なんだか精も魂も吸い尽くされたような気がする。

 僕は二本足で立ち、キンタにもたれかかるようにぐったりと項垂れた。


「よし、これでお前も普通の狸から化け狸になったぞ」

「え、これだけでえ?」


 精神的な被害こそ大きかったものの、三十秒のチュウで終わる秘傳の伝授など聞いた事がないぞ。


「うむ、これだけじゃあ。化け狸の契約を交わせば狸の細胞が化け狸のそれに置き換わる。そうすれば変身が可能になるし、寿命も伸びるし、二本足で立ち、前足を人間の手のように使えるようになる」

「随分と簡単なのに破格の性能だけどさあ。こんなに簡単って事は、上の世代の兄姉も皆、化け狸になっているのう?」


 と聞いては見たが。

 僕が見る限り、ラクーン808やおやには普通の狸しかいないような。


「いいや、ここ最近ではお前だけじゃなあ」

「ん? こんな簡単なのにい? 僕だけえ? 去年の世代とかは?」

「みな断りおった」

「なんでえ?」

「俺と同じ姿になんてなりたくないと言いおったのじゃあ」

「は? 同じ姿?」


 何それ聞いてない。後ろにいる弟妹らをかえりみるとみな一様に目を逸らした。


「おう、化け狸になるとなあ。段々と普通の狸の姿から俺のようないかにも化け狸な姿になっていくのじゃあ。というかさっき全部説明したぞう? 聞いとらんかったのか?」


 はい。聞いてませんでした。

 キンタ袋の毛穴に潜む、貴方のセイよう。

 まあ自分の所為ですね。わかってます。ここは開きなおろう。


「そんな話、聞いてないが?」

「うん。知ってたのじゃあ。俺の話をまったく聞いてなかったからのう! これはいけると思って。ささっとやったったのじゃあ。てへ」


 おやじがキュルンって小首をかしげる。いや、化け狸が急に可愛い感じだしても可愛くないんだよ。もふもふ冬毛のノーマル狸になってからやり直せ!


「聞いてないと思ったのなら! ちゃんと声かけろよう! やだよ! こんなキンタが大きくなるってわかってたら断るわあ! そして得られる能力がただの変身じゃ割に合わないよう!」


 僕は怒りながら二足歩行になり自由を得た前足で、目の前にある八畳敷きのキンタを叩く。

 ぽんこぽんこと音が鳴る。


「いた、いたたい、やめいやめい。まあまあ、そう怒るな、リントよう。俺はお前が俺の後継者となり、この群れ、ラクーン 808を率いていくようになると思っているんじゃあ。だから何がなんでも断られるわけにはいかんかった」

「はあ? なんでえ?」

「なんでも何もないじゃろう。お前は誰よりも優秀じゃあ。狸のくせに勤勉だし、力も強いし、頭もキレる。同世代はおろか、上の世代にだって負けとらん。俺はお前を始祖シャドウゴッド様の再来だと思っておる」


 うひひ。

 やめろやめろそう褒めるなあ。照れるじゃないかあ。


 そうねえ。

 確かにおやじの言わんとする事もわかる。

 僕は転生してきた元人間だ。狸社会の中では飛び抜けた知能がある。怠惰の極みみたいな狸たちに比べたら勤勉でもあろう。うん。そうね。そうね。うれし。

 まあね。どうであれ、なんであれ、褒められたら嬉しいじゃない。


「えー」


 僕は照れ隠しに思いっきり嫌そうな顔をして嫌そうな声をあげる。


「そう、嫌がるな。最近は人間がこの魔の森に侵攻してくるなんて話もある。結果として逃げるにしたって戦える狸がいない事には逃げる隙もないじゃろう。俺も歳じゃ。助けてくれえ」


 おやじがぺっこんと頭を下げた。


 もー仕方ないなー。

 ちょっとだけだよう。


 後ろから弟妹らのちょろい兄を見る視線をビシビシと感じながら。

 僕はおやじの提案を了承した。



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