第9話 葉月

 綾が葉月と知り合ったのは、北澤高校に入ってからだった。

 物静かに席に座り、無表情でスマホを見ている、ボルドーカラーでレイヤーボフヘアの少女…


 姿恰好かっこうから、同類と確信した愛莉は、躊躇ちゅうちょなく声を掛けた。

 綾を含めた三人が打ち解けたのは、すぐだった。




 共働きの家庭で、特に不自由なく育てられた葉月…

 とはいえ、両親と話せるのは平日は仕事を終えた夕方以降なので、小学校の放課後保育が葉月の寂しさをまぎららわしてくれる、数少ない場所だった。

 そこで、母親が仕事を終えて迎えに来るまで、友達と遊んで過ごしていたのだが…


 小学3年生の時、放課後保育の男性保育士から、葉月は性的虐待を受けてしまう。

 トイレの個室に連れ込まれ、下着を脱がされて…――


 その後、男性保育士は、複数児童への猥褻わいせつ行為で逮捕された。

 葉月にも女性カウンセラーがついて、心的ケアを受けることになる。

 しかしカウンセラーは、大人の都合を葉月に言い聞かせる。


 このことは誰にも…、学校でも話しちゃダメ…――


 大ごとになるのを恐れた関係者たちは、事件をひた隠そうとする。

 マスコミに、痛くもない腹を探られるのは嫌だ――

 責任の所在が問われ、我々の地位がおびやかされかねない――

 関係者は児童たちのケアより、自分たちの保身を優先したのだ。


 一旦は素直に聞き入れた葉月だが、心のわだかまりはこうじる一方だった…




 学校の同級生は事件を知っていて、葉月へ近寄らなくなり遠巻きにヒソヒソするだけ。

 葉月はクラスで浮く存在になり、憂鬱ゆううつつのるばかり。

 事件のことは誰にも話しちゃダメだし、両親はなぐさめてくれるだけで――


 ――どうして私に、冷たくするの?…

 ――私は悪いコト、何もしていないのに…

 ――私は、優しくしてもらいたいだけなのにィィ…


 追い詰められた葉月は、不登校になって引きこもってしまい、ついにリストカットをしてしまう…


 ★


 大人たちは、信用できない…

 でも、優しさだけは欲しい…――


 引きこもる葉月がネットでパパ活を知ったのは、そんな時だった。

 ――どうせ自分の身体は、けがされてしまったのだし…

 ――オトコとセックスしたって、どうってことない…

 ――それで、優しくしてもらえるのなら…


 大人の関係で味わう優しさにあこがれた中学3年生の葉月は、パパ活に走ってしまった。

 過去に受けた性的虐待が、葉月の性への向き合い方をゆがめてしまったのだろう。


 父親よりも年上である男性から、優しくされるうえにお金までもらえる。

 しかし男たちは、ただ葉月の若い肉体が目当てなだけ…




 パパ活で稼いだ金で、葉月はさらなる優しさを求めて、メンズコンセプトカフェに通うようになる。

 チェキを沢山撮ってあげれば、推しメンが喜んでくれて、自分に優しくしてくれる。

 その満足感で、葉月はリストカットをしなくなっていたのだが…


 しかし、パパ活相手の男性もメンコンの店員も、葉月のパーソナリティを全く考慮していない点で同類だ。

 店員は葉月を、単なるカネヅルとしか見ていない…


 ★

 ★


 「――…葉月?」


 焼き肉店を出て、下北沢の街を歩く葉月に、前を歩く綾が振り向いて呼び掛けた。

 「――あ?…」

 もの想いから引き戻され、バツが悪そうな顔をしている葉月。


 「はあァ~、めっちゃ腹いっぱいだぁぁ…」

 はぐらかすように葉月が、歩きながら黒の編みバンドブレスレットをしている左手で腹をさすっている。

 ブレスレットは、リストカットの跡を隠すため…


 怪訝けげんそうに見ている綾だが、まぁいっかと、前に向き直っている。




 三人の少女たちは、夜の下北沢南口商店街を、駅の方に向かって歩いている。

 高校の制服の上にジャンバーやパーカーを羽織るだけの、ラフな恰好かっこうの少女たち。

 美少女偏差値が高い少女たちを、家路を急ぐ男たちがチラ見しながらすれ違って行く…


 「マジでいいのぉ?割り勘でぇ?」

 「ガチで、しつけぇって!」

 隣を歩く愛莉に小突かれ、綾がフラついてしまっている。


 「だってぇ、初めはあたしがオゴるって――」

 「その10万、とっときなよ!」

 愛莉が綾に、大声で告げている。

 「そ!そ!綾がヤな目に遭って、もらったんだしぃ」

 二人から少し遅れて歩く葉月が、後ろから話し掛けている…


 ★


 昨日、綾の口座には痴漢の弁護士から、示談金の50万円が振り込まれていた。

 相場より上乗せしたのは、五十嵐の脅しが相当効いたのだろう。

 それから10万を引いた残りを、綾が駆琉の口座に振り込んだことを、愛莉と葉月は知っている。


 しかし、それについて愛莉と葉月は、あえて綾に突っ込んでいない。

 少女たちの間の、忖度そんたくなのだろうか…


 「――じゃあ、そろそろ行くねぇ」

 葉月が右手を振りながら、先に駅の方へ小走りで行く。


 「バイバイぃ~」

 綾と愛莉が立ち止まって、右手を小さく振りながら見送っている。


 葉月は、これからパパ活なのだ。




 「愛莉は?」

 「んん~…」

 歩きながらスマホを見て、言い出しづらそうな愛莉だが…


 本来なら今日は週末金曜なので、綾と朝まで一緒にいたい所なのだが――

 パパ活相手の"おじ"から会いたいと迫られた愛莉は、ホスト遊びをしなくなっていたゆえ夜は暇だったので、いいよと返答してしまっていた。

 今日が週末であることを忘れていた、バツの悪さで一杯の愛莉だが…


 「…いいって、あたしに気ぃ使わなくってぇ」

 笑顔で話す綾に、愛莉が申し訳なさそうな顔をしている。

 「あたしは、駆琉のマンションに行くからぁ」

 苦笑いしながら、右手でスマンスマンとしている愛莉である…


 ★

 ★


 同じころ、新宿歌舞伎町では…――


 歌舞伎町交番裏にあるプラザハイジア15階の一角に、東京都がトー横で徘徊はいかいする若者たち向けに設けた、総合相談窓口『きみまも@歌舞伎町』がある。

 開設時間は午後3時から9時までと限られているが、一人掛けソファーが多数配置されたフリースペースではスマホが充電出来るとあって、常に大勢の少年少女たちでにぎわっている。


 そのフリースペースとは、観葉植物で仕切られた四人掛けテーブルでは、百人町を徘徊中に倒れそうになった所を五十嵐に助けられた少女が座っている。

 ここには簡易ベットと常備薬が置いてあるので、具合の悪かった少女をかつぎ込むのには、もってこいの場所なのだ。


 助けられた時は酩酊めいていしていた少女だが、今はすっかり正気を取り戻していて、対面に座る五十嵐と『きみまも』の中年女性相談員を、上目遣うわめづかいでジッと見ている。

 フリースペースはガヤガヤと賑やかだが、打って変わってこの場は、静寂な空気で占められている…




 「――もう…、いいでしょ?」

 耐え切れずイラついたように、少女が口を開く。


 「――そうは、いかないよ」

 テーブルに両腕を置き、毅然きぜんとして応じる五十嵐。

 「やっぱり、身元が判明しないことには…」

 女性相談員が、懇願こんがんするようにいている。


 「――ウッゼぇなぁ~…」

 ソッポを向いて顔をしかめた長い黒髪の少女が、手に持つスマホをいじりながら毒づいている。


 「――きみと芹澤駆琉は、どういう関係なんだ?」

 五十嵐の核心を突いた質問に、少女の表情が一瞬動いたようだが――

 足を組みなおして、無表情をつらぬく少女。


 「マンションの芹澤の部屋で、ODオーバードーズしてたんだろ?」

 「してねぇし」

 「じゃあ、なんであんなにフラフラ――」

 「気持ち悪かっただけっつッてんじゃん」

 少女が正気を取り戻してから、こうした押し問答がずっと続いている…


 ★


 「スマホの電話番号だけでも、教えてもらえないかしら?」

 女性相談員が懇願しても、少女はソッポを向いたまま。


 ――こういう場面では話すなって、言い聞かされてるんだろう…


 内心でイラつきつつも平静を装う五十嵐が、ジッと少女を見ている。

 電話番号さえ分かれば照会をかけて、身元を割り出せるのだが…


 少女の年齢は、いっても18歳であろう。

 あどけなさが残る顔のほほは、ODを繰り返している影響であろう、せこけてしまっている。


 ――こんな年端としはもいかないを…

 平静を装う五十嵐であるが、はらわたが煮えくり返る想いを内心でつのらせている…




 「――松野さん…」

 重い沈黙が支配する打ち合わせテーブルの所に、若い女性相談員がやって来た。


 「――え?」

 耳打ちされた中年女性相談員の表情が、サッと変わる。

 何ごとかと五十嵐が視線を向けると、そこには駆琉が立っているではないか。


 「――すみません。妹が、ご迷惑お掛けして…」

 ――妹ぉ?…

 駆琉の言葉に、五十嵐が眼をむいている。


 ――こいつに妹なんて、いないはず…

 ――でも…、そう言われちまったら…


 フンと鼻を鳴らして、対面の席から少女が立ち上がる。

 立ち上がるが早いか、すぐに駆琉のもとへとすり寄る少女。


 ――こいつは今、『得夢』で仕事をしてる時間だろ?

 ――この娘がスマホで、呼んだのか?


 残念ながら触法行為でもしない限り、現行法では誰であれ身元引受人が来た以上、この少女を引き留めることは出来ない。

 少女は五十嵐と眼が合うと、フッと不敵な笑みを浮かべていた。


 ――クソッたれがぁぁ…


 ★


 「…五十嵐さん、お久し」


 五十嵐からするどい眼光を向けられても、シレッと挨拶している駆琉。

 二人は過去に、少なからぬ因縁がある…


 「妹がお世話になりました」

 ペコッと形式的なお辞儀をされるが、五十嵐は駆琉をにらみ続けている。

 すると駆琉は、五十嵐の許へと歩み寄る。


 「やだなぁ~。オレ、何かしました?」

 「――いや…」

 「こうやってオレは、礼を言ってるんだしぃ…」

 わずか50㎝ほどの間隔で対峙たいじする、五十嵐と駆琉…




 「――でもさぁ…」

 「――あ?」

 ささやきかける駆琉を、五十嵐が睨み返す。


 「お節介も…、大概たいがいにしといた方がいいっスよ」

 「なにぃ?」

 「アヤの事とかぁ…」

 五十嵐がクワッと眼を見開くと同時に、駆琉がクルリときびすを返す。


 腕を組んで出口の方へと立ち去って行く駆琉と少女の後ろ姿を、五十嵐はジッとガン見し続けていた…

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