第7話 疑惑

 「おたく、相手が15歳の小娘だと思って、ナメてませんか?」

 机の対面に座って電話で話す五十嵐を、椅子に座る綾がジッと見ている。


 「この件は、検察官に話しますから…――、え?…、関係なくないでしょ!」

 顔をしかめて怒声を上げる五十嵐を、少しビビって見ている綾である…




 しばし痴漢の男についた弁護士と通話していた五十嵐は、ふぅ~ッと一息ついて、受話器を置いた。

 「――ど、どう…、だった?」

 上目遣いで綾が、五十嵐を見ている。


 「じゃあこれで、立ちんぼすんの、やめてくれっかなぁ?」

 「なっ?!――…」

 予想していたとはいえ、いきなり出してきた条件に、今度は綾が顔をしかめている。


 「――キッタねぇなぁ~…」

 「おいおい、ひでぇ言い方だねぇ」

 机の上の書類を整理しながら、苦笑いをしている五十嵐である…


 ★


 駆琉と真っ昼間からセックスしまくっていた綾は、思いついたその足で、五十嵐が代表理事を務めるNPO法人『マザーポート』の事務所に来ていた。


 事務所は歌舞伎町二丁目にあるマンションの2階にあり、明治通りに面している。

 中では電話が度々たびたび鳴り、数人のスタッフが忙しそうに仕事をこなしている。

 その事務所の窓際にある五十嵐の席で、二人はにらみ合っている…




 「とにかく…、あんな芹澤に関わるのは、止めときな」

 「――あんなぁ?…」

 五十嵐を、キッとして睨みつける綾。


 「ア――、アンタにカケルのっ!!」

 ガタッと座っていた椅子を後ろに倒して、綾が勢いよく立ち上がる。


 「カケルの何が、分かるって――?!…」

 五十嵐がスッと伸ばした手で示す写真を見て、綾は荒げた声を詰まらせてしまう。

 駆琉の顔写真だ。


 「芹澤駆琉、18歳、トー横キッズの当時はグループのリーダー格…」

 眼光鋭くすごみを効かせて五十嵐が睨みつけてくるので、綾は言葉を発せず、身動き出来ないでいる…

 「こいつは、止めとけ…」




 「――アンタ…」

 長い沈黙のあと、呆然自失の呪縛じゅばくがようやく緩み、綾が言葉を発し始めた。

 「――アンタ…、何者?」


 「キミらのような少年少女を立ち直らせることに、命を賭けるオトコ――」

 いきなり早口で言い放つ五十嵐に、綾は圧倒されてしまい、唖然としている。

 「――…って、トコかな?」

 さっきまでの迫力がウソのように、ニッコリと笑う五十嵐。


 「――どうしてぇ…」

 五十嵐の机の前で呆然として立つ、綾の涙腺るいせんがウルウルし始める。


 「どうしてぇ、カケルがぁ…、ダメなの?…」


 ★


 毒をもって毒を制す――


 もらった名刺を頼りに、綾は『マザーポート』の事務所を訪ね、五十嵐に痴漢の弁護士からの示談案を相談した。

 五十嵐は厄介なヤツだが、厄介な弁護士には厄介なヤツをぶつけるという、綾が考えた目論見もくろみだった。


 その目論見は、見事にハマった。

 綾と駆琉が違和感を覚えたとおり、弁護士はあり得なく安い示談金額を提示していた。

 五十嵐が弁護士に抗議したことで、綾への示談金額は上積みされたのだが…




 「…泣きたきゃ、泣いていいよ」

 五十嵐は腕組みをして、椅子の背もたれにドスッともたれ掛かる。

 「か…、カケルのどこが…」

 嗚咽おえつしながら、ようやく声を発している綾。


 「…カケルのどこが、ダメだって――」

 「全部だ」

 あまりにハッキリと五十嵐が切り捨てたので、綾の嗚咽がスッ――と収まってしまう。


 「…そんな――」

 「理由を知りたいか?」

 「――き…、決まってんじゃん!」

 綾が憤然と、五十嵐に言い放つ。


 「――か、カケルは愛人の子でっ…、ママが死んじゃって孤独なんだ!」

 腕組みをして、仏頂面で聞いている五十嵐。

 「ホストになって、ナンバーワンになってやるって、頑張ってるんだっ!」

 口からつばを飛ばして、ムキになって叫ぶ綾。


 「ナンバーワンになって、大人たちを見返してやろうって――」

 「――五十嵐さん、そろそろ…」

 少し離れた所から、女性スタッフが申し訳なさそうに割り込んできたので、五十嵐は左手首の腕時計を見る。




 「スマンな。これから、人と会う約束があるんだ…」

 椅子の背もたれに掛けてあった、ネイビーカラーのジャケットを手に取って五十嵐が立ち上がる。


 「今度、埼京線の戸田にある、ウチの適応支援ハウスに来るといい」

 「え?」

 「そこに来れば、色んな事が分かるよ」

 「な、何が?」

 「芹澤駆琉が、どんな奴なのか――だよ」

 不満げに座っている綾をよそに、五十嵐は女性スタッフと一緒にスタスタと歩いて行く。


 「――ああ、それから…」

 首だけを後ろに向けた五十嵐を、あ?という具合に綾が睨む。

 「週明け早々の月曜からサボってないで、明日はちゃんと高校へ行けよ」


 ――クソが…


 苦虫を嚙み潰したかのように顔をしかめた綾が、五十嵐が出て行った事務所出入り口の扉を、長々と睨み付けていた…


 ★

 ★


 同じ頃、新宿歌舞伎町にあるホストクラブ『得夢』では――

 駆琉がセッセと、店内をモップ掛けしている。


 「翔琉ぅ」

 源氏名で呼ばれた駆琉が顔を上げると、テーブルをいているリョーマと眼が合った。


 「ホントおまえ、いい上客、釣ったよな」

 「――リョーマさんこそ…」

 苦笑いをした駆琉は、再びモップの先へと視線を向ける。


 「だって、あの愛莉は、おまえの綾が連れて来てくれたんだぜ」

 右手で謝意を示すリョーマを、モップ掛けしながらチラと横目で見る駆琉。

 「ホント、金払いのいい客は助かるよ」


 「だって翔琉は、売掛うりかけほとんどねぇだろ?」

 「――まぁ、少しは…」

 「俺なんかに比べりゃあ、微々たるもんじゃないか」

 「その分リョーマさんは、客取ってるじゃないスか」

 「取ったって、売掛のマンマじゃあ、売り上げになんねぇじゃん」

 レザーのソファーを拭きながら、ボヤいているリョーマ。


 「大丈夫っスよ。リョーマさん、売掛の回収キツいっスから」

 「当たりめぇよ。散々遊んどいて、カネ払わねぇなんて道理はねぇからな」

 互いに顔を上げて、ニヤけ合う駆琉とリョーマ。

 「罪なヒトだなぁ」

 「ヒトのこと、言えんのかよぉ?翔琉ぅ」




 ホストは、あの手この手で客から売掛金の回収を図る。

 店によっては締め日までに回収しないと、ホストの自腹になってしまうことがあるから尚更だ。

 なので売掛金の回収は、苛烈を極めることもある…


 売掛金を返済せるために、女性客に売春行為をさせるのは常套じょうとう手段だ。

 客が成人女性であっても、言いくるめて親に立て替えさせることもある。

 しかし、そこは話術巧たくみなホストたちである。

 自分たちに火の粉が降り掛からないように、上手く立ち回るのだ。


 それでも回収しきれない場合は、どうするのか?

 そこは、裏社会とつながりがある業界である。

 風俗に売り飛ばされる女性が、後を絶たない現実がある。

 そこで女性たちは、ドラッグ漬けにされたりして、さらなる深みへと沈められてしまう…―― 




 「翔琉ぅ」


 駆琉が顔を上げると、今度は黒スーツを着る店のマネージャーが手招きしている。

 「藤井さんが、お待ちだぞ」


 駆琉が店の事務所に入ると、人相の悪い小柄な男が、煙草をくゆらせながら立って待っていた。

 駆琉と眼が合うと、藤井がニヤリと笑う。


 「上手くさばいてるようだな」

 「はい、まぁ…」

 返事を聞いた藤井は、満足そうな笑顔をしている。




 「この間、沈めたしおり、いい稼ぎしてるらしいぜ」

 「――どうも…」

 「また、いいオンナを頼むぜ」

 神妙に立っている駆琉の右肩を、藤井が左手でポンポン叩いている。


 そして藤井が、事務机に置かれた大きくふくれ上がっているレジ袋を、右手で取り上げて駆琉へと差し出した。

 駆琉が、差し出されたレジ袋の中へ視線を落とす。

 中には目一杯に詰め込まれた、市販の風邪薬の小箱が――


 それを見た駆琉は眼を細めて、不気味な薄笑いを浮かべていた…

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