第6話 トー横

 中学2年生の時に思い立って、新宿区歌舞伎町にある東宝ビル周辺の路上、いわゆるトー横に初めて出掛けた綾。

 そこで、半グレ男子から絡まれて戸惑っていた所を、同い年の愛莉が助けてくれた。


 愛莉と出会ってから綾は、母親が外泊するたびにトー横に出掛けるようになった。

 同年代の少年少女たちと、東宝ビル西側のシネシティ広場に座り込んで、朝まで他愛ない話で盛り上がる…

 そして始発電車で帰れば、母親にバレる事はない。


 三年以上引きこもっていた当時の綾にとって、何もかもが新鮮だった。

 聞けば仲間たちは皆、似たような境遇ばかりだ。

 子への不理解や放任、暴力や性的虐待、いじめで不登校、人間不信等々…


 そんな仲間たちとは、包み隠さず何でも話せる。

 誰もが共感し合い、慰め合い、いやしの時を過ごしている…




 「ダメだよぉ、学校は行かなきゃぁ」

 「えぇ~っ、なんでよぉ?」

 隣に座る愛莉へ、不満げな顔を向ける綾である。


 「中学卒業しなきゃ、高校行けねぇじゃん」

 「――んなの、当たりめぇじゃん」

 対面に座っているキャップを被った少年が、愛莉を小馬鹿にしている。


 「高校行かなきゃ、JKになれねぇじゃんかぁ」

 「ハァァ?」

 座り込んでいるグループの皆が、愛莉へ軽蔑けいべつの視線を一斉に向ける。

 「JKブランドになれねぇじゃんかぁ、JKにぃ~」

 「――おまえ、それ…」

 当時15歳の、リーダー格の駆琉が苦笑いしている。


 「なによぉ~。大変なコトだよぉ、それぇ~!」

 立ち上がりムキになって叫ぶ愛莉のことを、皆が一斉に笑い転げる。


 バッカじゃあ~ん(,,꒪꒫꒪,,)!…

 ナニ、それえぇ~(꒪ꇴ꒪ ;)!…


 笑い泣きしながら、綾は考えている。

 ――そっか…、それでイイんだ…


 「なぁんで、笑ってんだよぉ~?!」

 顔を赤くした愛莉が、皆の頭を小突いて廻っている。


 ――軽く考えときゃ、イイんだ…


 「お~い、盛り上がってんなぁ~」

 ふいに誰かが大声で呼び掛けるので、皆が一斉にそちらを向く。


 ★


 「おいおい、みんなしてさぁ、そんな怖い眼で見ないでくれよぉ~」

 「――なんの用?」

 おどけて両手を広げている青年を、駆琉がにらみつける。


 「夜は何気に冷えるからさぁ、大丈夫かなぁ~って…」

 青年の後ろに立つ、アルミバックを持つ若い女性が前に出る。

 女性がアルミバックから缶コーヒーを取り出して、駆琉に手渡す。


 「…あざっス」

 表情がなごんだ駆琉が、缶コーヒーをかざして青年に礼を言う隣で、若い女性が他の仲間たちにも手渡している。


 「ありがとう…」

 受け取りながら、礼を言う綾。


 ――温かい…

 綾もだが、皆が一様に、久しぶりにヒトの温かさに触れたような気がしている…


 「このグループでは、ODオーバードーズとか、やってなさそうだけど?」

 「いねぇよ、そんなバカ」

 青年の問い掛けを、駆琉が一蹴いっしゅうしている。

 「なら、よかった」

 青年が、ニッコリしている。


 このグループでは、仲間内のルールでODは禁止されている。

 しかし、それはあくまで表向きであったことが、のちに露呈するのだが…




 「何かあったらさぁ、遠慮なくソコに相談してなぁ」

 青年と若い女性が、手を振りながら立ち去って行く。


 綾が缶を見ると、24ミリ幅の白色テプラが貼られていて、文字が印字されている。


 【少年少女よろず相談 マザーポート】


 名称の下には、住所とフリーダイヤルの連絡先が標記されているが…

 ――怪しい…


 せっかくの善意ある大人の行為を、トー横キッズたちは容易に信じられなくなっている。

 それだけ彼ら彼女らは、大人たちからしいたげげられてきたのだ。

 そのうえ、キッズたちを薬物のとりこにしようなどと、悪意を持って接して来るやからが大勢いる。


 テプラの連絡先に相談する者は、綾がいるグループでは、後に一人しかいなかったのだが…


 ★

 ★


 ――あん時のかぁ~…


 どうして綾がここまで鮮明に覚えていたかというと、その日を境に不登校を止めたからだ。


 ――何も考えずに、登校すればいい…

 中学校に行けば、愛莉と同じ高校に行けるとも考えた。

 ――何を聞かれても、何をされても、受け流すだけ…

 生徒や教師たちとは極めて希薄な関係性の中で、綾は中学時代を過ごしきった。


 友人といえるのは、トー横に集うキッズたちだけ…




 「お~ぃ…」

 五十嵐が呼び掛けたので、綾は回想の世界から引き戻される。


 ――うっぜえなぁ…


 「ほぉんと、よくボーッとしてくれちゃうよなぁ~」

 呆れ顔で腕組みをする五十嵐を、キッと睨み返している綾。


 「いい加減、名前ぐらい言ってくんないかなぁ?」

 「――…リカ」

 「違えだろぅが」

 いきなり五十嵐がすごむので、綾がハッとしている。

 「キミとは、ウソの関係でありたくないんだ」


 ――こいつ、何者…


 毅然きぜんとして腕組みをしている五十嵐を、おびえて見ている綾。


 ――偽名っての、知ってるってか?

 ――なんで…


 ザワザワしている喫茶店の店内で、二人の間には沈黙がただよう…




 「――…あたしを」

 「ん?」

 「あたしを、どうしたいっての?」

 「木村綾、16歳。私立北澤高校2年生」

 「――えぇっ?!…」

 綾の顔が一瞬で、サッと青ざめてしまう…


 「やめて欲しいんだ、立ちんぼを」


 ★

 ★


 じっとりと汗で濡れた裸体を、布団の上に寝転んで、綾と駆琉が冷ましている。

 ここは、駆琉の住まいであるマンションの部屋。

 薄暗い部屋の中に、陽射しがカーテンの隙間から差し込んでいる…


 実の父親名義で借りていた駆琉の住まいを、以前はトー横仲間のシェアルームとしていたのだが…

 仲間のグループが解散して使われなくなったので、今は元に戻っているという按配あんばいだ。


 仰向けで大の字で寝転び、ボーッと薄暗い天井を見ている綾…

 頭が真っ白になるぐらい激しいセックスの後は、いつもこうしている。

 何もかも忘れて、何も考えていない時間は最高だ。




 「――当分は、店に来ない方がいいな…」

 思い立ったようにつぶやくく、右隣に寝転がる駆琉の方に、綾が不安そうな顔を向ける。


 「でも…、それじゃあ――」

 「大丈夫だよ、オレは」

 顔だけを向けて、綾を優しげに見つめている駆琉。

 「指名だって、綾のほかに2人取ってるし…」

 「――…そっかぁ~」

 2人だけじゃん、と言いかけて止めた綾は、ため息をついて天井を見た。


 「しょうがねぇよ。五十嵐って奴は、綾が『得夢えるむ』に来てんの、知ってんだろ?」

 「――うん…」


 綾は顔を上に向け直して、五十嵐に言われたことを想い浮かべている…――


 ★

 

 ≪キミが、ホストクラブ『得夢』に出入りしてるのは知っている≫

 深夜の喫茶店の席で五十嵐に言い放たれ、ますます怯えてしまっている綾…


 ≪たぶらかされてんだろ?そこのホストに――≫

 ≪違うっ!≫

 バンッとテーブルを叩いて、綾が前のめりになる。


 ≪カケルは、そんな汚いコト、しないっ!≫

 ≪――え?…カケル?≫

 慌てて両手で口をふさぎ、顔を真っ赤にしている綾。


 ≪エルムには、『翔琉』って源氏名のホストがいるが…≫

 ≪なっ?!…なんでアンタが、カケルを知って――≫

 ≪――まさか『翔琉』は、芹澤駆琉なのか?≫

 ≪ちっ――、違うッッ!!≫

 ≪芹澤は、やめとけ≫

 ≪なっ?!――、なんでアンタに、そんなコト言われなきゃ――≫

 ≪まさか…、芹澤のコトを、信じてるのか?≫

 ≪あっ――、当ったり前でしょっ!≫

 ≪そこまで、だまされてんのか≫

 ≪なっ――、なに言ってんだよッッ!!≫

 五十嵐へ顔を突き出す綾のほほを、涙が一筋ツーッと流れる。


 ≪――か…カケルは…、カケルわぁ~…≫




 突然バイブとともにスマホの、けたたましい着信音が、物想いにふけっていた綾の枕元で鳴る。


 仰天した綾が駆琉を見ると、軽くうなづいているのでスマホを手に取る。

 「――はい?…」


 ★


 ひとしきり通話をした綾は、途中でスマホの保留ボタンを押す。


 「弁護士?」

 布団に片肘をついて上半身を起こしている駆琉が、怪訝けげんな顔をしている。


 「そう。こないだの痴漢の弁護士だって」

 「そいつが、何だって?」

 「あたしと、示談してくれませんか?って…」

 「へえ…」

 「示談って、なに?」

 何言ってんだコイツ、という表情の駆琉。


 「金で解決しませんか、ってコトだよ」

 「解決って?」

 「それで、許してくれってコト」

 「――…、お金…、くれるってコト?」

 「そうだよ」


 思案をしている綾が、何かを思いついたかのようにして、スマホの保留を解除する。

 「いくらくれんの?」

 素っ裸のまま布団の上で女の子座りをして、通話している綾だが…――




 通話を終えた綾が、電話を切って駆琉の方を向く。


 「10万?」

 「そう…、10万だって」

 「――…、なんか、ビミョーな…」

 「それが、痴漢の示談金の相場なんだって…」

 見つめ合ったまま、思案している綾と駆琉。


 世間知らずの二人に分かるはずもないが、迷惑防止条例違反の示談金は、概ね20~40万円が相場とされている。

 親権者である母親から、娘にいてくれと言われたのをいいことに、弁護士は綾が世間知らずだろうと、タカをくくっているようだ。


 「誰か詳しいヒト、知らない?」

 綾が駆琉に問うが、

 「痴漢の示談に詳しいヤツなんて、いねぇよ」

 苦笑いをしている駆琉。


 思案にふける二人の間に、沈黙が漂う…




 「…――そうだ!」

 パッと顔を上げて、急に明るい表情に変わった綾。


 「誰か、いんの?」

 「毒をもって、毒を制すよ!」

 「なんだ、その――、ど…、毒って?」

 「昨日、授業で習ったんだ!」

 ハァ?という具合でいる駆琉。


 「そしたらお金、ぜんぶカケルにあげる!」

 「――え?…、そんな――」

 「そしたら、あたしが『得夢』に行けなくても、大丈夫じゃん!」

 勢いよく立ち上がった綾が、意気揚々として下着を身に着け始めた。


 「――ど…、どうしたんだよ、急に?」

 「その毒のトコに、行って来んのよ!」

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