2 体の構造
パンを焼いただけの簡単な食事を終え、部屋に戻る。念の為ノックをすると、死は「はーい」と返事をした。これじゃあ僕の部屋なのに、僕の方が客人みたいじゃないか。ドアノブに手をかけて扉を開くと、死は僕のベッドに寝転がって本の続きを読んでいた。その本を奪い取って閉じると、死は口をへの字に曲げた。
「しおり挟んでないのに」
「僕が借りてきた本だぞ」
「いいじゃん、読みたいんだもの」
死はぐうと伸びをすると、僕のベッドに寝転がったまま僕の顔を見上げた。光のない瞳からは感情が全く読めない。ここまで黒い瞳を見るのは生まれて初めてだ。白い肌やまつ毛が黒さを引き立てているのはいうまでもないが、それを差し引いても黒い。真顔だと余計に。
「綺麗だろう?自慢の目なんだ」
死は目をパチパチさせて自慢げに口角を上げた。瞬きのたびに揺れるまつ毛は音がしてきそうなくらいにふさふさだ。顔の雰囲気はとても冷たくて、綺麗な女にも、可愛らしい男にも見える。
「お前は女なのか?」
「んー?いや、性別ないんだよね」
「ないのか。なるほど」
「あっさりしてるなあ。もっと驚くかと思った」
「触ったら手がめり込むようなやつなんだぞ?体の作りや性別が人間と異なるのは想像がつく」
「なんか、意外と冷静なんだね。怖くないの?こんな化け物が家にいるのに」
「別に、化け物なんて何度も見たことある。僕は霊感が強いんだ」
「ふーん、目が覚めたらお化けがいるなんて、もっと怖いものだと思ったんだけどな」
「知らない人間が家にいる方がよっぽど怖いだろ。化け物の方がマシだ」
「はは、確かにそうだね。それはそうとして、君には申し訳ないことをしたよ。こんなにも綺麗な顔だし、彼女にしたいと思って性別聞いたんでしょ。ごめんね」
死は僕を挑発するみたいに不適な笑みを浮かべた。僕に触られてあれほど喚き散らしていたくせに、余裕そうな表情をされては面白くない。僕は手に持っていた花を死に見せた。さっきリビングの花瓶から引っこ抜いてきた赤色の花だ。まるでプロポーズみたいだなんて思いながら膝をつき、片方の手を胸に当てて微笑んで見せた。すると死は驚いて目をまんまるにした。こいつは目が死んでいるおかげで一つ一つの表情が大袈裟なくらい豊かに見える。
「本気?……綺麗な花、もっとよく見せてよ」
近くで見ようと、死はベッドに手をついて花に顔を近づけた。僕は依然として動かない。鼻先が花に触れそうな距離まで近づいた頃、僕はその花を死の頭に突き刺した。花は簡単に死の頭に減り込んだ。頭の上で花が咲いているみたいだ。
「え、なに!?」
死に突き刺した花は程なくして枯れてしまった。あんなにも綺麗に咲き誇っていたのに、どうやら死に触れすぎると死んでしまうのは本当らしい。僕はこいつの言葉を信じていなかったせいで2度も命の危険に晒されていたのか。納得する僕をよそに死は状況が理解できていないらしく、目が点になっている。ポカンとしながら頭に花が突き刺さっている姿は非常に滑稽で、僕は耐えきれず大声で笑った。床をバシバシ叩きながら爆笑していると、死はだんだんされたことがわかってきたのか小さく震えている。
「なんてことするんだ!」
「っははは!よく似合ってるよ!鏡でその姿を確認してみたらどうだ?ああ、映らないのか、こりゃ残念だ!」
「君友達いないだろ!いきなり花を突き刺すなんて!もし痛みを感じる体だったらどうするつもりだったんだ!」
「そうじゃないことがわかってたから刺したんだ。刺しても問題ないかの確認もしたし。はは!これは傑作だ!」
「まさか、そのために性別を聞いたのか!?この綺麗な顔に魅了されたからじゃなく!?」
「僕も男として女に花を刺すのはどうかと思ったんだが、性別がないなら問題もない。それより、その素敵なアクセサリーはそのままでいいのか?気に入ったならそのままにしていればいい。とても似合っているからね」
「男の子にもやっちゃダメだろこんなこと!どっちでもないけど!もうなんなんだよ君は…!無遠慮に触ってきたかと思えばこんな酷いことを…」
気が済むまで笑った後、僕は呼吸を整えて死の方を見た。てっきり真っ赤になりながら怒っているのかと思ったが、死は花が刺さったまま膝を抱えて丸くなっていた。死の感情と連動しているかのように萎れてしまった花を引っこ抜くと、死はゆっくりと顔をあげた。その顔は想像通り真っ赤だったが、想像と違ったのは死が泣いていたことだ。ギョッとして持っていた花を放り投げると、死はまた俯いてしまった。
「えっと、その、なんだ」
「…君なんか嫌いだ」
「わ、悪かったよ。だから、ほら、涙拭け」
箱ティッシュを差し出すと、死は乱暴に僕から奪い取り、涙を拭いて鼻をかんだ。ゴミ箱を近くに置いてやると、使い終わったティッシュをそこに捨てた。どうしよう。泣かせてしまった。
「…ごめん。そんなに傷つくと思わなかったんだ」
僕が声をかけると、死はしゃくりあげながら真っ赤になった顔を手で覆った。
「お前を信じてなかったことも、面白半分で花を突き刺したことも、本当にごめん」
「なんなんだよ君は…いきなり酷いことをしてきたと思えばそんなに素直に謝って…君の方がよっぽど化け物みたいだ…」
ぐうの音も出ない。僕は少し考えた後、部屋に常備してあるペットボトルを手に取り、蓋を外して死に手渡した。死は震えた手でそれを受け取ると、大量にこぼしながら飲んだ。半分以上が口の端から溢れてしまっているので、ほとんど飲めていない。けれど懸命に喉を動かしている。
「ごめん、すごいこぼした…」
「そんなの拭けばしまいだ。それより、落ち着いたか?」
死はペットボトルの蓋を閉めると、小さく頷いた。しばらくの沈黙が流れる。話すことも特にないし、なんとなく死の横に腰を下ろした。死は恐る恐る僕を見上げると、なんで、と呟いた。
「なんで、なんで隣に座るんだよ。危ないよ。見ただろ、本当に、死んじゃうんだぞ」
死の声は泣いていた時よりも弱々しく震えている。何かに怯えているみたいだ。
「ほら、本当は怖がってるんだろ。平気なフリしなくていいよ」
「怖がっているのはお前のほうだろ。もう花は刺さないし、無理やりお前に触ったりしない。約束だ。ほら、指切り」
小指を差し出してん、と声を出す。死は心底驚いた顔で僕を見ている。
「だから、触ったら死んじゃうんだよ」
「お前からなら問題ないんだろう?僕は手を動かしたりなんかしないから。ほら、約束。やり方わかるか?」
死はなんとも言い表し難い表情をした。怖がっているようにも、安心したようにも見える。死は恐る恐る小指を差し出すと、探るように僕の小指に引っ掛けた。なるべく動かさないように手を静止させると、死は小さな小さな声で歌いながら軽く手を揺らした。
「指切りげんまん、嘘ついたら、えっと、なんて言うんだっけ」
「お詫びとして綺麗な花を一本プレゼントする」
「あれ、そんなんだっけ。まあいいや。指切った」
死と指が触れ合っていないことを確認すると、僕は手を下げた。さっきまであれだけ泣かされていたというのに、なんて幸せそうな顔をするのだろう。特別なことなんて何もしていないのに。僕が宣言通り手を動かさなかったことを喜んでいるのだろうか。どうしようもない死の単純さ(純粋、と言った方が正しいのかもしれない)に胸が締め付けられる。
「お前、これからこの家に住むのか?」
「うん。そのつもり」
「部屋は用意してやれないぞ」
「ずっと君と一緒にいるから大丈夫」
「僕は大丈夫じゃないんだが」
「あ、家族に紹介しなくていいよ。君以外からは見えないし、食べたり飲んだりしないから」
「え、でもさっき水飲んでたじゃないか」
「初めて飲んだ」
「はあ?じゃああの涙はどこから出てきたんだよ」
「さあ、知らない」
「さあって」
死は他人事のように言った。まるで興味がないみたいに。こいつの体の構造が全くわからない。本当に、こいつはどんな生き物なんだ。ああ、そもそも生きていないのか。そんなことをぐるぐると考えていると、隣から小さな笑い声が聞こえてきた。死の顔を覗くと腫れていたはずの目も真っ赤な顔もすっかり元通りで、手で口を押さえながらくすくすと笑っていた。
「君が笑ってた理由がわかった気がする」
「どういう意味だ?」
「自分の言葉で誰かが、ていうか、君が困ってる姿を見るのはちょっとだけ面白いもの」
死は少年のように無邪気な笑顔で笑った。
僕の死、または、彼/彼女について 桑田憧 @syo_kuwata
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