愛と欲と裏切りと…
kouei
愛と欲と裏切りと…
「だ、旦那様ぁっ 好きぃ! もっとぉ…っ もっと愛して!」
「ああ…っ すごくいいよ!」
そこは使われなくなった北棟地下の物置部屋。
古くなった木の扉の隙間から見えたのは……裸で交わる男女の姿。
激しく
まるで獣の交尾のように女に
女は二か月前に雇用したばかりのメイドのリヴィ。
いつもセットされている夫の黒髪は振り乱れ、柔らかいグリーンの瞳は妖しく輝いていた。
あの
いつも私を包むようにそっと抱きしめ、
私はやっとの思いで地下から這い上がった。
「あっ!」
最後の一段を上り切るとナイトドレスの裾を踏んでしまい、その場に倒れ込む。
慌てて身を起こし、壁際へと隠れ下の様子を
出てくる様子はない。
ホッとした自分が情けなかった。
『なぜ、私がビクビクしなければならないの…? 裏切ったのは彼なのに…』
「うぅ…っ」
涙が後から後から頬を伝う。
夜中に執務室から出て来た夫。
周りの様子を伺う夫の行動に違和感を覚え、声をかけるのを
自室とは反対の方向に歩き出した彼が気になり、後を付けた事を後悔してももう遅い…
私は涙を拭きながらゆっくり立ち上がると、胸に痛みが走った。
「…っ!!」
発作が…
薬……薬…っ!
ガウンのポケットに入れているはずの薬を探すがなかった。
部屋に置き忘れたの?!
こんな所で絶対に倒れたくない!!
私は胸を抑えながらふらつく足取りで何とか自室へと戻り、やっとの思いでベッドに倒れ込んだ。
「くぅ…っ…あ…」
胸が締め付けられる圧迫感。
サイドテーブルに入れている薬を震える手で取り出し、飲もうとしたが…
ザラザラザラ………コトン……
薬を全て床に捨て、空になった小瓶を落とした。
「はあ…はあ…」
……生きて何になるの…?
「はあ…はあ…」
夫に裏切られ…それでもそれを責める事も出来ない…
これからも続くであろう夫の不貞を知りながら、彼の傍で生き続けていくの…?
「い…や…っ…そんなの…っ はあ…はあ…」
両親はすでに
私は生まれた時から心臓が弱かった。
そんな私を両親は、兄よりも優先してきた。
だから兄は、身体の弱い私を疎ましがっている。
離婚し、実家に戻れたとしても厄介者になるのが目に見えていた。
かといって、こんな身体を抱えて、一人で生きていける訳がない…っ
頼れる人は……
――――誰もいない――――
だったら…このまま……目覚めない方が……いいのか…もしれな…い…
私はゆっくりと目を閉じた。
最期の時まで時間があるのか…もう身体は動かないのに、私の意識はまだ続いていた……
頭の中には先程見た、夫とメイドの光景が浮かぶ。
いつからなの…?
…ただ…彼が私以外の女性と関係を持ったのはこれが初めてではない。
夫が娼館に出入りしていた事は前から知っていた。
でも私は黙認していた。
だって…私は夫と交わる事が出来ないから…
心臓が弱い私は、激しい運動は出来ない。
無論、夫婦生活に関しても…
ストーンズ子爵家の令息である夫のルシアンドとは病院で出会った。
もう四年前の事。
私は数日の検査入院をしており、彼は友人の見舞いに来ていた。
花束を持ったルシアンドが、数本落とした花を私が拾い上げた事がきっかけだった。
その後、『友人の見舞いに来たついでに…』と、私の病室に顔を出すようになった。
「本当は、君と初めて会った日に友達は退院していたんだ」と私が退院した後に、恥ずかしそうに話してくれたルシアンド。
あまり出歩く事のできない私の為に、いろいろな国の写真を持ってきてくれた。
若い令嬢の間で流行っているみたいだ…と珍しい食べ物や本などを持ってきてくれた。
私に寄り添ってくれる彼の優しさに魅かれるのに、時間はかからなかった。
けれど、自分の事は分かっている。
こんな身体の私にまともな恋愛ができるはずがない。
ましてや結婚なんて…!
だから彼から結婚を前提に付き合って欲しいと言われた時は、断るしかなかった。
まともな結婚生活を送る事はできないし、子供なんて望めそうにもなかったからだ。
けれどルシアンドは言ってくれた。
『僕は君さえ傍にいてくれればいいんだ。子供はいずれ傍系から養子を迎えればいい。君はいつも僕の隣で笑っていておくれ』
そんな彼の想いに打たれて付き合い始め、プロポーズを受けた。
性行為のない夫婦生活が長く保たれるはずもないと、どこかで思いながらも…
けれど私も人並みに結婚したかった…女性としての人並みの幸せを得たかった。
何よりもルシアンドを愛していたから…
そして一度だけでも彼に『女』として愛されたかった。
初夜の時、夫は私の身体を心配し、戸惑いながらも行為が始まった。
けれどあまりの痛みと激しい動きに発作が起きてしまった。
いつもなら治まるはずの薬を飲んでも治まらず、夫は慌てて侍医を呼び事なきを得たが……最低な初夜だった。
恥ずかしくて…みじめだった…
夫も中途半端になりつらいであろう…けれどそんな様子はおくびにも出さず、私をただ抱きしめてくれた。
その日以降、寝室は別々に使う事にした。
私からそうして欲しいと頼んだ。
彼を受け入れてあげられないから…
その内、夫は娼館に通うようになった。
結婚して2年目の事。
私なりに、男性の生理事情は理解しているつもりだ。
まして、ルシアンドはまだ20代。
つらかったけれど…娼婦ならば…と割り切る事にした。
これは裏切りではなく献身。
だって…彼の愛は変わらず私へと向いていたから…
彼が抱くのは娼婦だけ…
彼が愛しているのは私だけ…
そう思っていたから耐えられた。
それなのに…っ
彼はメイドに手を出した!
こんな事初めてだった。
…いえ…もしかしたら今までにも関係したメイドがいたのかもしれない。
私が気が付かなかっただけ…?
「…どこまでまぬけなのかしら……っ」
彼女の事を愛したの…?
私より若くて健康的で…もちろん子供も望めるであろう彼女を…!
私が健康でさえあったなら…
少なくとも今、こんな思いをする事はなかったのだろうか。
いいえ…最初から…彼と結婚するべきではなかったのかも…しれ…ない…
け…れど…彼に愛された…幸せは……
……確かに…あった……
…………あった…の……よ……
「…………」
◇◇◇◇
「これを」
僕はリヴィに避妊薬を渡した。
避妊具を使用しているが、念には念を…だ。
「…あの…避…妊…しなければ…なりませんか…?」
「…………どういう意味だ」
「わ、私なら旦那様のお子を身籠る事ができま……きゃあ!」
僕はリヴィの髪を片手で引っ張り上げた。
「…いいか? お前はただの性処理係だ。最初にそう言っただろ? その代わり給金は3倍にすると。お前はそれでいいと納得したはずだ。立場を
「は…はいっ」
青い顔をしながら薬を飲むと、あわてて部屋を出て行った。
冗談じゃない!
ティスモア以外の女と子を作るつもりは毛頭ない。
「やはり…娼婦の方が面倒がなくていいな…」
葉巻に火をつけ、一息。
リヴィはクビにするか。
後々やっかいな事になりかねない。
愛しているのは妻だけだ。
けれど、心臓の弱い彼女を抱くのは殺人行為。
僕に気を遣い、一度受け入れようとしてくれたけれど、ひどい発作を起こしてしまった。
あのまま死んでしまうのではないかと、怖くて怖くて仕方がなかった。
彼女は僕に何度も泣きながら謝っていた。
可哀そうな事をしてしまったと僕は後悔した。
僕は、愛しい君が傍にいてくれればそれだけで本当に幸せなんだよ…
でも、時々どうしようもなく起こる性欲を発散する為に、娼館に通うようになった。妻に後ろめたさはあったけれど、彼女にこの
そこに愛などあるはずもない。
金で買う身体だけの関係。
けれど二か月前に新しいメイドとしてリヴィが入って来た時…何か妙な
最初はそれが何か分からなかった。
それは、窓から洗濯物を干しているリヴィが目に入った時に気が付いた。
「後ろ姿がティスモアに似ている」
背の高さも腰の細さも全てが…
そして、ほつれた髪を直すためにほどいたストレートの長い金髪。
妻そっくりだった。
百合のように凛と美しいティスモアがそこに立っている。
この時、僕の身体は反応してしまった。
そしてリヴィに愛人契約を提案した。
メイドと関係を持ったのは、これが初めての事。
行為はいつも後背位。
まるで妻を抱いているようだった。
僕はこうして彼女を抱きたかったんだ。
僕が今抱いているのはティスモアだ―――…
「リヴィとは終わりだ…それに…」
僕は床に落ちている
それは、隣国の医師からの手紙だった。
妻の心臓を治す事ができる医者がいないか、あらゆる人脈、手段を使って探し出した。
今まで検査した妻のデータを送っており、今日その返事が来た。
“同じ症例で完治した患者を何人も診て来ました。
奥様も完治する可能性は高いです”
そう書いてあった。
この
妻が人並みの生活を送れるようなれるかもしれない!
そうすれば、もう他の女を抱かなくてすむ。
そしていつか僕たちの子供が…いや…まだ気が早いな。
「ふっ」
明るい未来を想像したら、自然に笑みが零れた。
「今日は遅いから、明日伝えよう! 絶対に喜んでくれる!」
葉巻を消し、部屋を出た。
階段を上り切った時、
コツン…コロコロ…
小さな小瓶が足元に当たった。
拾い上げると…
「これは!!」
僕は走り出した。
この薬瓶はティスモアのものだ!
どうしてここに!!
彼女には決して気づかれないように、注意をしていた。
リヴィと会うのは深夜すぎ。
場所は使われていない北棟地下の物置部屋。
南棟にある僕たちの自室とは真反対にある。
逢瀬は月二回。
なのに…っ
…まさか見られて…
僕は最悪な事を考え、一気に血の気が引いた。
妻の寝室の前に立ち、乱れた呼吸を整える。
しかし、心臓は早鐘のように鳴り響いていた。
そっとドアを開け、小さく声をかける。
「ティスモア…?」
返事はない。
寝ているのか?
もし気が付いていなければ、こちらから言う事もない。
けれど…見られていたとしたら…!
ゆっくり寝所に近づくと……
ベットの上で横になっている彼女の腕はだらりと床に落ち、そこには薬がちらばっていた。
何が遭ったのか一目で分かった!
あわてて妻を抱き起す。
「ティ、ティスモア! ティスモア!! ああっ! そんな!!!」
息をしていない!
激しく呼び鈴を鳴らす。
サイドテーブルの明かりで見えたのは、妻の涙の痕だった……
【終】
愛と欲と裏切りと… kouei @kouei-166
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