第14話 エヴォルと次元の狭間
「うわあ……すっごい」
オルスでは山岳地帯に近い場所に住んでいたため、海を見るのは初めてだ。
映像ではなんども見たオルスの海。
地球の海もそうだった。
だけど、本物を目にするとやはり感動が違う。
玲は深い感動めいたものが胸に湧きあがり、その場に座ってじっと昇る太陽を見つめた。
そうしているといつの間にか、さきほどの白猫が玲の足元にじゃれついてきて、ごろん、と横になってしまう。
その背中を撫でつつ「ここにつれてきてくれて、ありがとうね」と言葉にすると、猫はふっ、と笑って見せた。
本当に念話ができるかもしれない、と玲が思ったときだった。
海の向こうにある太陽が、一筋の強いきらめきを放った。
途端、天眼が作動してこれまで歩いてきたマップを立ち上げ、その一角に赤い光点を点滅させる。
「え、待って! せっかくいいところなのに……」
赤い光点は昨夜、撃退したエヴォルの発生を意味している。
「ナー」
とすりよる猫をひと撫ですると「ごめんね」と言い、玲はオートリテを全開にした。
すっとたちあがると、意識をこめて合言葉を放つ。
「アストレヴァ・エクラ!(星よ、目覚めよ、輝きを放て!)」
Astreballe!(アストレバル)と呼称される装甲を身にまとうためだ。
アストレバルは普段、目に見えない形で玲のまわりに浮かんでいる。
粒子化したアストレバルを物体化して、変身する必要があった。
合言葉を発すると星のまたたきのように眩しい輝きに包まれて、玲たちスカッドは特殊な装甲を装着できるのだ。
昨夜は駄目だったが、いまの玲のオートリテは満タンだ。
朝日の放つ輝きより幾分、柔らかく銀色の光が周囲に充満する。
「ナー」
猫が驚いてさっと距離を取ると玲は、いままでとは違う服装を身にまとっていた。
純白の装甲姿の玲――上下にまとうのは軍服をイメージさせる長袖のジャケットに、裾の短いショーパン。太もも部分は露になって銀色のレザーブーツを履いたようなイメージだ。膝にはガードがついていて、足首やかかと部分も同じ素材のガードで守られていた。
ジャケット、その他の各所に黄色の彩色が施され、これはアイドルグループ、アンジュバールで玲が担当する黄色をそのまま模したようなデザインになっている。
頭部には額から頬までをほっそりとした銀色の髪飾り――王冠のようなもので覆われていて、はちみつ色の玲の髪色ととてもよくあっていた。
「ごめんねーお仕事になっちゃった」
「ニャー」
猫にひとつあやまると、頑張ってこいといった意味を込めてくれたのか、力強く一鳴きしてくれる。
玲は笑顔でこたえると、自分の周囲にオートリテを拡散し、円筒形の結界を成型して他人から姿が見えないようにした。
もし、この姿が見えるのなら、それは天眼をもつ他のアンジュバールか……オルスからやってきた犯罪者たちや、エヴォルということになる。
「いってきます。素敵な所に案内してくれてありがとう」
玲は猫に礼を述べると、軽やかに地面を蹴ってその場から飛び上がった。
結界に守られて周囲から見えなくなり、隔絶された状態で玲は空をかけた。
飛び続けること、数秒で猫と会った河川敷を飛び越え、ちょっと行った先には、まだ夜明けをむかえたばかりのビル群が、壁面のガラスで陽光を反射して目がくらみそうになる。
結界の光の透過度を無意識に調整して眩しさを感じなくなったころ、玲はビル群の端の方に作られた公園で散歩している人々を視界に収めていた。
「どれかしら……」
こちらが天眼で存在をキャッチしているということは、もしかしたら相手方にも自分の居場所がばれている可能性がある。
玲は防御結界でその身を包んでいるとはいえ、どんな探索方法を相手がもっていて仕掛けてくるかわからない。
ビルとビルの谷間でさまざまな種類の波長から身をよじるようにして、地上付近へと近づく。
天眼の索敵範囲を絞って、玲が見たのは初老の杖を突いた男性が、よろよろとよろめきながら地面に倒れそうになっている瞬間だった。
ドサっ、と音がして男性が地面に伏せてしまう。
「きゃー!」
「なんだよ、おい。大丈夫ですか?」
「どうしたんだ、不整脈か? 歩いていて無理が出たのかもなあ」
「救急車、誰か救急車呼んで!」
周囲を歩いたり、散策していた人々が慌ててかけよってきて、老人の周りに集まる。
危険があるなんて彼らはまったく考えていないに違いない。
それどころか自分のことを置いて他人の心配ができるなんて――日本はなんて生き方に余裕がある国なんだろう、とさえ玲には感じられた。
ふらふらと起き上がった老人は「いや、だいじょうぶですから……」と息をするのも苦しそうに言い、自力で起き上がってベンチを目指していく。
男性のひとりが付き添ってベンチに座らせると、老人はだいじょうぶだから、とさらに告げ、彼等の介錯を断っていた。
「本当にだいじょうぶですか? 心配だなあ」
「いやいや、ちょっと休んでいたら楽になりますから、ありがとう」
「そうですか。なら……無理しないで。なにかあったら声をあげてくださいね」
「ああ、そうさせてもらいます。ありがとう」
と短い会話をして男性が老人のもとを離れた。
まだひとびとの視線は老人に向かっている。あと少し……もうちょっと興味がそがれてくれたなら、結界を起動できるのに。
と、玲は歯がゆい感覚にじっと耐えた。
ここから老人までの距離は半径五百メートルほどもない。
この距離なら、『次元の狭間』(ワールドポケット)を発動できるな、と玲は思った。
ワールドポケットはアンジュバールの特殊装備の一つで、文字通り、次元の狭間を作り出し、そこにエヴォルを閉じ込めて無効化することができる能力のことだ。
成獣に進化してしまったエヴォルであれば、ワールドポケットのなかで戦って核であるアマノダイトを取り出すことになるし、いまのようにまだ覚醒前なら、ワールドポケットを起動し効果範囲内に対象を取り入れることで、苗床となっている人とエヴォルの核を分離させることができる。
「……戦いにならないのがなんてたって一番!」
さらに百メートルほど距離を近づけ、ここなら確実、というギリギリの場所で玲はワールドポケットを作動させた。
ブンっ、と乳白色の空間が玲を起点として半径五百メートルに展開される。
周囲に合った光景がモノクロ状態に転換され、まるで鏡面世界のように現実そっくりの光景がコピーされていく。
それに触れた老人は一瞬、雷に打たれたようにビクンっと全身を激しくのけぞらせた。
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