第15話 強欲のアマノダイト

「やった?」


 と安堵したのも束の間、老人はにたり、とおそろしい笑みを浮かべて全身をのけぞらせる。

 ワールドポケットが作り出した特殊空間に囚われたことを自覚したエヴォルは、戦闘態勢に移行してしまい、老人の肉体から数倍の大きさへと進化した。

 肉や骨がめきめきみしみしと音を立てて変形し、メリっといやな音がしたところで背中が二つに割れた。


「嘘ッ!? もう成獣になっていたの? ちょっとしっかりしてよ天眼!」


 と玲は責めるように叫んで、空中へと駆け上がる。

 身長三メートルを超える毛深い猿の化け物に変化したエヴォルの顔だけが老人のままで玲は薄気味悪さを覚えた。


 猿獣は二、三度首をコキコキと鳴らすと、玲を見つけてニタリと嫌な笑顔を作ると、足元に転がる岩や、ベンチなどをはぎ取った。

 凄まじい怪力――、と驚く玲に向けて、猿獣はベンチを投擲槍のようにして投げつけてきた。


「うわわっ」



 頭にぶつかる寸前で避けると、ベンチはガキンっ、という音とともに後ろのモノクロの建物にぶつかり砕け散った。


「とんでもない威力だわ」


 ぶつかったらただじゃ済まない……でもあの程度なら結界が弾いてくれるはず――と玲は敵の投擲してくる岩だの木材だのをかわし、時には結界で弾いて上空を取っている優位性を逃さない。

 猿獣は物を投げるのにあきたのか、今度は大きく息を吸い込んでぴたっ、と口を塞いだ。


「なに?」


 続いてパカっと顎まで大きく開かれた口内は、集約されたエネルギーが溜まっていて、キラキラと煌ている。


「砲撃!?」


 かわせない――素早く判断をした玲は、本能的に前面の結界を厚くした。

 ブォンっと蠅が大きく羽ばたきしたような音とともに、光の奔流が玲に向かい押し寄せてくる。


「くっ! こんなもの――負けるかあ!」


 猿獣の砲撃に焦りを感じたものの、玲は全身の力をこめて結界を強化し、そのまま奔流を遡る。


「ぐばあっ……!」


 自身を錐のように回転させた玲の一撃は、敵の砲撃を跳ね返し、さらにエヴォルの核まで抜き取っていた。

 猿獣だった老人が元の姿に戻り、彼の胸辺りから赤い結晶がころんっ、と地面に向けて転がり落ちた。


「はい、回収成功っと」


 特殊装甲アストレバルを解除して普段着になった玲は、足元に転がってきた核を拾い上げる。


「これ、なんでいつもこうなんだろう?」


 ワールドポケットのなかで起こったことは、通常の現実に対し影響を及ぼさない、という説明はオルスの技術者から聞いていた。


 現に、モノクロの世界が消えたら色づいた普段の現実が戻ってきて、ベンチによって破壊されたビルや、岩や砲撃により傷ついたビル群は修復され綺麗なままだ。

 しかし、破れて四散した老人の服までもとどおりになるのは、なんだか違和感が強かった。


 玲は老人がエヴォルと分離したのを確認して、結晶を隔離空間に移動させてからワールドポケットを解いたのだ。そのときに、特殊装備も解いた彼女は家を出たときと同じ格好になっている。

 玲はうーん、と老人がうなったのを聞いて、声かけをする。


「ねえ、おじいさん、おじいさんってば。大丈夫ですか?」

「うー、うーむ……? 大丈夫? お前さんなに言って、ああいかん、これはわしのもんだ! わしが先に見つけた宝物だ。こんなでかいルビーの塊は、わしの物だからな、絶対に譲らんぞ!」

「ルビー? ああ、宝石の?」

「ああ、そうだ。わしが散歩していて先に見つけたんだ、そこで……、あれ、どこにいった?」


 目覚めた老人は自分がどうして倒れているのかわからないようだった。玲は彼に向かって優しく手を差し伸べ微笑んだ。


「おじいちゃん、無理しないでね。私向こうから歩いてきたらいきなりふらって倒れたのよ。ベンチから崩れ落ちるみたいに。びっくりしちゃった。ルビーってそんな高価なもの、どこにあるの?」

「なに? 倒れた、わしが? そんなばかな……いや、しかし――あれ、おかしいな?」

「ルビーの塊なんてどれくらいの大きさだったの?」

「むむむっ!? ない……そうか! お前がルビーの塊欲しさにわしを殴って奪ったんだな?」

「なに言ってるのよ、私は歩いてきただけ。歩いていただけで、おじいさんがいきなり倒れたのよ? 嘘だっていうなら周りの人にきいてみて」

「言われなくてもそうするわい。おい、そこの若いの! お前さんさっきから見ていただろう?」


 と、玲を強盗だと勘違いした老人は、手近にいたサラリーマン風の男性を呼んだ。


「その子の言うとおりですよ。さっき別の人たちがおじいさんをそのベンチに運んでくれて、いきなりふらっと倒れたんですよ」

「え……、そ、そうだったのか」

「ほらね、おじいさん。私は関係ないでしょ?」

「いや、しかし、あんな大きな塊……隠せるところはないな……どういうことじゃ」

「それはこっちが聞きたいわよ。ほら、私の肩につかまって。ベンチまで運びますから」

「いや、しかし……すまんな、お嬢さん」

「いえいえ」


 彼の声色が猫なで声になり、呼び方がお前からお嬢さんに変わる。玲は心に気味悪さを感じてしまい、早くこの場を離れたくなった。

 老人はバツが悪そうな顔をして玲の手を取り、立ち上がる。彼の玲を見る視線にはまだ疑いの眼差しが含まれていた。


 そっかあ、この人、アマノダイトをルビーの塊と間違えたのね。エヴォルの幼生はアマノダイトの形をしているから。それで、手にした途端、欲望を嗅ぎつけられて操られたんだわ。

 と、玲は脳裏で推察する。


 オルスから地球にエヴォルが転移してくるときは、アマノダイトの形を取って飛来するのだ。

 エヴォルの幼生は人間の欲望や憎しみ、悲しみと言った強い感情を好んで寄生する。特に欲深い人間は彼等の標的になりやすかった。

 強盗だなんて冗談じゃないわ、助け鳴きゃよかった……。と、玲は心でぼやいてしまう。老人の肩を抱いて、彼をベンチにきちんと座らせた。


「じゃあ、私はこれで。無理しないでね、おじいさん」

「すまんの、お嬢さん。……しかし、おかしいの、わしのルビー。確かに手にしたつりだったのに」


 老人は落ちているアマノダイトを独占して自分だけが利益を得ようする悪者だったのだ。

 また変な疑惑の目を向けられる前に、玲は彼にさよならを言った。

 周囲のひとびとの目がこちらに集まる前に、そそくさとその場をあとにしたのだった。


 公園を離れて歩くことしばし、玲は道端に立ち止まり空を見やる。

 実際には他人からは見えない天眼で自分のいる位置などをマッピングして、帰宅の道順を確認しているのだ。


「あーあ、もう海が見えない。まだ見たかったなあ……次、もし会えたら道案内を頼んでみようかな、猫さん」


 天眼の映し出すマップは、視線でも指先でも動かすことができる。

 空を見上げてあーでもない、こうでもないと言いながら指先をうごかしている玲は、他人から見たら奇異に映ったかもしれない。

 しかし、いまは早朝でこの通りは人の行き交う姿がまばらだ。


「とりあえず、戻りますか……早朝の運動はきちんと終わらせたし」


 うん、とうなずいて玲は来た道を迷いながらマンションへと戻ったのだった。


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