目を閉じて…

からし

目を閉じてはいけない


その夜、月は雲に隠れ、まるで世界を暗闇に包み込むようだった。

町外れの古びたアパートの一室で、若い女性、真理は、心臓が高鳴る音に耳を澄ませていた。彼女の心の奥底には、何か不吉なものが潜んでいるように感じられた。

壁は薄く、隣の部屋からはかすかな物音が漏れ聞こえる。

真理はその音に怯えながら、何度も時計を確認した。午前0時を過ぎたところだった。


「大丈夫、何も起こらない…」

そう自分に言い聞かせるものの、目が覚めてからずっと感じていた不安は簡単には消えなかった。彼女はカーテンを引き寄せ、暗い外の様子を覗いた。月明かりが差し込まないその場所は、まるで死んだ街のように静まり返っていた。



真理は、数日前に友達から聞いた噂を思い出した。

「このアパートには、目を閉じたまま死んだ人がいるらしいよ」と。

友達は冗談交じりに言っていたが、真理はその言葉が耳に残り、心の奥に恐怖を根付かせていた。



彼女は思わず目を閉じた。

暗闇の中で、何かが動く気配を感じる。

心臓がドキドキと早鐘のように鳴り、冷や汗が背中を流れる。

目を閉じたままでは何も見えないが、何かが自分を見つめている気がしてならなかった。恐怖に耐えきれず、再び目を開けると、そこには何もなかった。

ただ、静寂が広がるだけだった。


「やっぱり、目を閉じちゃダメなんだ…」と小さく呟く。

彼女は再びカーテンを引き寄せ、外の様子を見る。周囲は静まり返っている。

だが、彼女の心の中には、何かが潜んでいるように感じられた。



その時、隣の部屋から微かな声が聞こえた。

「助けて…」という響きは、どこか遠くから届くようだった。

真理は耳をそばだてる。

声は次第に大きくなり、彼女の心に深い恐怖を植え付けた。


「誰か…いるの?」

真理は恐る恐る隣の部屋の扉に耳を当てた。

すると、再びその声が聞こえる。


「お願い…目を閉じて…」


その瞬間、真理は全身が凍りつくような感覚に襲われた。

は、まるで彼女を誘う呪いの言葉のように響いた。


恐ろしさに駆られた真理は、逃げるように自分の部屋に戻り、ドアを閉めた。

心臓は今にも飛び出しそうで、手が震えていた。

彼女は再びカーテンを引き、外の様子を伺う。

だが、何も変わらない。暗闇がただ広がっているだけだった。


「目を閉じるなんて、絶対にダメだ…」

真理は自分に言い聞かせ、目を開けたままソファに腰を下ろした。

すると、また隣の部屋から声が聞こえてきた。


「真理…目を閉じて、お願い…」


その声は、まるで彼女の名前を呼ぶかのように、心の奥を掴んできた。



真理は恐怖に震えながらも、意を決して隣の部屋の扉を開けた。

薄暗い廊下に出ると、心臓の鼓動がさらに速くなった。

恐る恐る隣の扉を叩く。

「誰か、いますか?」と声をかけると、返事はなかった。


ただ、静寂が広がるだけだった。

真理は戸惑いを感じながらも、ドアを開ける勇気を振り絞った。

部屋の中は薄暗く、家具が古びている。

そこに誰かがいる気配はなかったが、どこか不気味な空気が漂っていた。

彼女の心に、「目を閉じて」という言葉が響き続ける。


「お願い、目を閉じて…」


再び声が聞こえた。

真理はその声に引き寄せられるように、部屋の奥へ進んでいった。

すると、床に倒れ込むようにして、見知らぬ女性が横たわっていた。

彼女の目は開いていたが、その視線はどこか遠くを見つめているようだった。


「目を閉じて…私を助けて…」

その言葉が、真理の耳に響き渡る。

彼女は背筋に冷たいものを感じながら、恐る恐るその女性に近づいた。

すると、女性は急に真理を見つめ返し、笑い声をあげた。


「もう遅い、目を閉じてしまえば…」


真理の心臓は爆発するかのように高鳴り、彼女はその瞬間、何かに取り憑かれたような気持ちになった。

目を閉じた瞬間、彼女の意識は闇に飲み込まれてしまった。

目を閉じることが、彼女をどう変えてしまうのか、その恐怖を感じる間もなく、世界は真っ暗になった。


そして、そのまま目を閉じ続けた真理は、二度と目を開けることはなかった。

彼女の心の中には、ただ「目を閉じて」という声が響き続けるだけだった。


目を閉じてはいけない。そう思いつつも、彼女はその運命に抗えなかった。

恐怖は、いつしか彼女の心の奥底に深く染み込み、消えることはなかった。

それは、彼女の存在を忘れさせるまで、永遠に続くのだろう。


そして、誰もがその声を聞くことになる。


「目を閉じて…」と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

目を閉じて… からし @KARSHI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画