第12話 自由

 頬を撫でる心地よい風、曇りの無い快晴の空。四日分の食料と、二人分の身支度を詰め込んだ大きなバックパックを背負い、ダリルとサンゴはデイゼルの町を旅立つ。


 近所の子供達とダヴィット夫妻、ジャンク仲間に見送られ、ネイブの手料理が入ったバスケットと、「倍返しだぞ」と言い張るダヴィットが無理やり貸してきた袋いっぱいの金を抱えて、二人はヴィクドリア・シティを目指す。


 海に面しているデイゼルの町から西へ行った所にある蒸気機関車の町、トレピシック。トレピシックはダリル達の住む大陸の中央付近に位置し、町と町を繋ぐ蒸気機関車のレールが大陸の果てまで引かれている。大陸内の長距離移動をする際は、必ずここに行く必要がある。


 トレピシックから蒸気機関車で半日ほど行った所にある飛行船の町、ジファールにて飛行船に乗り大陸を渡る。そこから再び蒸気機関車で移動すると、目的地であるヴィクドリア・シティへ到着するのだ。


 トレピシックの町までは行ったことがあるダリルだったが、飛行船はおろか、産まれた大陸から出たことが無かった為、その先は未知数だ。


 こうして、ダリルとサンゴの小さな旅が始まった。


「はぁ、徒歩ってのがここまで厳しいとは……あぁ、車欲しいぜ、くそ」


 開幕早々、音を上げるダリル。背中の今にもはち切れるそうなバックパックを睨むと、自身の夢である、車の製作を頭に思い浮かべた。


「ダリルって体力ありそうなのに、結構だらしない」

「ほっとけ、お前は手ぶらじゃねえか」

「違うよ、ちゃんと地図見てるもん!」


 サンゴはえっへんと腰に手を当てると、ダヴィットから渡された皺入りの薄汚れた地図を握り締めた。


「そんな古くせえ地図ちゃんと機能すんのかよ」

「いいの、これは、ろまんなんだから!」


 サンゴは、放っておくと緩みそうになる頬を小さな手でぱちんと叩くが、にこにこと機嫌の良い表情を辺り一面に撒き散らし、ふふふんと鼻歌を歌う。


「ロマンねえ……ずいぶんご機嫌じゃねえか」

「えへへ、だって旅してるんだもん、旅だよ旅」


 サンゴは物語に出てくる旅人に憧れを持っているらしい。旅、旅と執拗に口に出すと、ダリルが持たせてあげた、小さな腰ベルトのスパナを取り出した。


 彼女はスパナを旗にでも見立てているのか、満面の笑みで、辺り一面荒野のハイウェイの中心を進んだ。


「おいこら、勝手に先に進むな、はしゃぐのは構わねーが、あんま遠くに行くな」

「はーい」


 随分距離を離してしまったサンゴに、ダリルが苛立ちながら声を上げた。

 心地よい風が吹く、真っ青で綺麗な空を、鳥が自由に舞う。


 誰がこの自由な空を止めることが出来るだろうか。いや、誰にも出来ないだろう。


 こんなにも開放的で広大な場所がこの世に存在していたのか、と思う。そんな場所に、今、自分は地に足を着けて立っている。これが楽しくなくて何なのか。この感情を他に何と表現すればよいのか。


 サンゴは顔いっぱいに、この気持ちの良い快晴の青空を表現した。

 気持ちが良い。楽しい。嬉しい。喜びの中にも沢山の顔が合った。


 自分は今、生きていることを実感できる。生きているのって凄い。

 ただ、この地に立ったからそう思ったのでは恐らく無い。


 きっと、ダリルと二人でこの地に居るからそう思える。


 サンゴは頬をにっこりさせると、身体を後ろに向けて満足そうな声でダリルに言葉を送った。


「ダリル~! 鳥は何で空を飛べるのかな!?」

「はあー!? いきなりなんだよ、知るかよ、そんなこと」


 息を荒げながら、ようやくサンゴに追いついたダリルは、目をきらきらとさせたサンゴからの質問攻撃を受けた。ダリルは怪訝そうな顔をしたが、空を舞う鳥をしばらく眺め、口を開いた。


「飛びたいからじゃねえか」

「飛びたい……から……」


 二人は広大な海原のような雲の無い大空を見上げると、自由に飛び回る鳥に目を奪われた。


 飛びたいから鳥は空を飛んでいる。したいことをして生きているだけだった。そんな簡単な理由だった。生きるとは、そういうことなのかもしれない。


 ダヴィットも言っていた。誰もが、生きていると実感しながら生活してはいないと。ふと振り返ったときに、生きてきた道筋が見えるものなのだと。


 それを実感できたとき、それが、今まで生きてきた軌跡となる。

 最初から、理由を求めることが間違っていたのかもしれない。

 ダリルと二人で生活をして覚えたことが山ほどある。前居た所では、何一つ教えてもらえなかった。


 ダリルを振り返ったときに、彼と一緒に生きてきた二人の軌跡が少し見えた。これが自分にとって生きてきた証になるのかもしれない。


 今まで自由という概念が無かったサンゴにとって、先程のダリルの何気ない一言は胸の奥底まで響くものだった。


「へへ、ダリル……こういうの楽しいね」

「なんだ、お前……おかしいぞ、大丈夫か」


 はにかむサンゴを横目に、心配そうな顔を露にし、ダリルはサンゴのおでこに触れた。


「ん、うふふ」

「熱はねえな、変に満足そうなのが気になるが」


 目を閉じ、無邪気な顔でサンゴはダリルのごつごつした大きな手を待った。温かく、優しい手だった。肌に触れるとそれだけで体温が上がった。


「ダリル、はやく、いこ」

「今日は鬱陶しいくらい元気だな、疲れるわ。こいつ」


 ダリルの服を引っ張り、先を急かそうとするサンゴ。

 お気に入りの服を引っ張られても、ダリルは口元を緩めるだけで、特に何も言わなかった。



 しばらく道なりに進んでいると、元気の良かったサンゴの口数が次第に減ってきて、ついにはハイウェイのど真ん中で、尻もちを付けてしまった。


「……はあ。……どうした」


 ダリルはうずくまって断固として動かない鉄鉛のようなサンゴに声をかけた。


「……足痛い」


 ダリルは大きな溜息を吐くと、バックパックを地面に置いた。


「だから言ったろうが、はしゃぐのも良いけど、絶対こうなると思ってたんだ。ペースを考えないからこういうことになる。ほら立て、歩くぞ。まだ先は長いんだ」


「……やだ」


 組んだ足に顔を埋めるサンゴの二の腕をぐいっと掴み持ち上げようとするが、その力に反発するように、踏ん張りを効かせて意地でもその場を動こうとしないサンゴ。


「ちっ、てめぇ……良い度胸じゃねえか!」

「んっ~」


 ダリルは疲れた身体に鞭を打ち、意地でも動こうとしない鉄鉛のサンゴと格闘する。

 争うこと数分……。


 お互いに無駄な体力を消耗すると判断したダリルは先に折れた。


「はあ、はあ、くそっ」


 ダリルは荒い息を吐きながら身体を上下させた。サンゴの隣にしゃがむと、親指で背中を指示する。


「な、なにっ……」


 サンゴは頬を膨らませ、返事をする。身体も大分火照っていた。


「これで文句ねえだろ、早く乗れ!」


 ダリルがやけくそ気味に怒鳴ると、サンゴは頭を傾げた。


「乗れって言うこと?」

「そうだよ、ガキお嬢様!」

「ガキじゃないもん、サンゴだもん」

「うっせ、めんどくせーなお前、良いから早く乗れ!」

「命令されるの、やだ」

「……~っ!」


 しばらくは口喧嘩を続けていたが、しぶしぶサンゴはダリルの背に乗っかると、そのまま肩の上に移動することを指示される。俗に言う、肩車という奴だった。


「く、重くて死にそうだ」

「高い、すごいねこれ。ダリルは大きいんだね」


 途端に見える景色が変わった。自分の背丈では決して目にすることの出来ない世界が目の前には広がっていた。


「空に近い気がする……わあ、凄いなあ」

「こんなことが楽しいのか」

「うん、とっても」

「そうか」


 ダリルは耳を少し赤くすると、バックパックを何とか担ぎ、歩き始めた。

 夕色の光は二人が歩くハイウェイへ注いでいた。


「あ、なんか見えてきたよ」

「やっとか……」


 煤煙がもくもくと上がる蒸気機関車の町、トレピシックが見えてきたのである。

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