一度だけあの日に見た夢を

如月紫苑

一度だけあの日に見た夢を

 ある日、世界中で一斉に感染が爆発した。

 拡がったウイルスにはワクチンも対処方もなく、猛烈なスピードで数多の地域で同時に発症が発見された。発症の翌日には確認が取れない範囲にまで感染が及び、直ぐに外出禁止令が施行されたがもうすでにこの段階で手遅れだった。

 ウイルスの感染は止められなかった。

 『ゾンビ・ウイルス』――――。質の悪い冗談の様な名前だ。それでも実際にゾンビである。科学名はゾルマノビルという学者が発見したゾルマノビル感染症だ。メディアが騒ぎ出し、直ぐにゾンビウイルスの名称が広まったのだ。

 第一段階は感染。通常約三日から五日で感染が回る。症状は軽い咳と軽度の湿疹が顔に表れる。致死率を発表する前にメディアが崩壊したので詳しくは知られていない。それでも俺が見た中では感染した者は確実に次の段階へと進む。

 治る事は、ない。

 第二段階は感染者の脳死。死は素早く激しい痛みもなく、寝る様に息絶える。脈拍は一時間に二、三十回程度の心拍に留まる。この時にウイルスは脳内での感染拡大と生命維持の為の優先順位が書き換えられる。もはや生命維持する為の免疫は機能しなくなりこの時点で体の弱い個体はすぐに他の病気や細菌、ウイルスに感染する。一番発症が多いのは壊死性筋膜炎、人食いバクテリアである。

 第三段階は蘇生。ウイルスが脳を乗っ取り、心臓を強制的に再起動させる。但し時間差がある為この段階は早ければ数時間、長ければ数日後となる。長ければ長いだけこの後の運動能力は著しく落ちる事になる。再起動された心臓は一時間に百十前後の心拍をカウントする。

 第四段階は徘徊。感染者は立ち上がり徘徊を始める。未感染者を発見するとその血肉を体内に取り込もうと噛み付く。咀嚼し飲み込む。噛まれた者は感染する。同時に起こるのが感染者同士の淫行、または非感染者との淫行である。そこでは性別は重要でなく、陰部同士の摩擦から挿入まで様々な形を取る。そしてどれも最後は互いを噛みあって終わる。このウイルスの交換で変異したウイルスなども拡散しているのであろう。

 第五段階の皮膚や体の部位の壊死はその数日後から始まる。細胞の自己融解によって人間の体が自分の内側から死んでいくのだ。感染前に健康体であった人もこの段階では人食いバクテリアに感染しやすくなる。

 このゾンビ・ウイルスが世界中で爆発感染をしたのだ。

 甦生直後の感染者は著しく低下した知能に加え、エネルギー源となる食欲、その後ウイルスの拡散を促すための爆発的な性欲増強に支配される。至る所でこの三段階が入り混じる大量のゾンビが徘徊し始めた。人肉嗜食が出来なければその分肉体の壊死とその後の腐敗の開始が早まる。

 自衛隊、警察、消防士等の危機管理職がなくなった。

 マスメディアがなくなった。

 国がなくなった。

 気付いたら生きた人間は少なく、ウイルスの拡散は最初に報道されてから約二ヶ月経つ。餓死し完全に死んだ感染者も多くいるが、腐敗の進んだゾンビもまだ数多く徘徊している。連日起きていた火事や巨大な破壊音が少しずつ収まってきた。

 食料は缶詰、冷凍物、インスタントに限られてきた。たまに家庭菜園の物や農園を見付けると久し振りの新鮮な野菜の味に泣きたくなる。民家の冷凍庫を漁ると肉類や魚介は手に入る。人間の数自体が少なくなってきたのだ。食料は探せば、ある。但し料理は気を付けなければならない。他の人間や感染者に匂いや明かりで気付かれて襲撃される事もある。例外として街の中心部は食料が少ない。俺はこの中心部から抜け出たばかりだ。ゾンビの群衆に追いかけられ、やっと今日落ち着いたところだ。

 感染が広まった最初の二週間で数年前まで住んでいた孤児院の仲間全員を埋めた。彼らの近くでこのウイルスの影響と過程を見てきた。嫌な物をたくさん見た。数年前まで一緒に生活し、一緒に笑い合った人をこの手で一人、また一人と殺した。ともに仲間の墓を掘った友人の墓は最後に一人で掘った。

 テレビやネットは地球が人間という寄生虫を駆除しようと働きかけたのだと騒いでいた。すぐにテレビもインターネットも止まってしまったので世界はどうなっているのか今は知る由もない。ただ身近で体験した感じでは、空気感染では滅多に感染しない。感染は噛まれる接触感染や飛沫が目や口に入った飛沫感染に限定出来ると思っている。

 避難先だった孤児院を出たのは食料が尽きたのと、ただ単に寂しくなったからだ。皆が亡くなりその後何度か生きた人間を助けたが、もう一ヶ月近く生きた人間を見かけていない。

 会話が恋しい。

 人肌が、恋しい。

 独りだけで残るのは嫌だ。

 いつ噛まれるか分からない恐怖や感染者に追われる時の恐怖感に精神をやられそうである。それでも、誰か生きた人間に会いたい。誰でもいいから、普通の日常を少しでも味わいたい。そう思って二週間ぐらい町から町へと移動している。

 まだ、人間は、見当たらない。

 隠れているのかもしれない。それとも俺しか生き残っていないのかもしれない。

 後者だとは、思いたくない。

 どこもかしこも鼻が曲がりそうな程の悪臭が充満している。

――――おいおい、少しぐらい散ってくれよ

がぅうう

ぐ……あぁ

 壁からちらっと覗いてすぐに頭を引っ込める。コンビニを発見したのは良いがその前の駐車場には五体のゾンビがいる。一体腐敗がかなり進んでいて、四体はまだ比較的新しい感じがする。

 腐敗が進んだ者は動きが遅い。筋肉の壊死が酷いのであろう。走りながら体の肉片や四肢を落として行く奴もいる。死臭が酷いから視界に入る前に気付きやすいのは助かる。反対に新しいゾンビの動きはきびきびとしている。人間程ではないが、俊足だ。怖いのは持久力だ。人間の体のように心拍や酸欠で休憩を必要としない。

 虚ろな目に獲物を見据えた時の止めどなく溢れる涎。喉を鳴らしながら全力で掴みかかってくる光景は、本当に背筋が凍る。

 そして、感染者同士の淫行。これが一番見ていて戦慄する。多少見かけるのも慣れはしたが腐敗の進んだ感染者同士の淫行は、吐きたくなる時がある。実際に挿入しているセックスはそこまでの嫌悪感が沸かない。いや、見たくはないが、無視は出来る。腐敗ゾンビのオーラルセックスは、出来れば、もう二度と見たくない。性器が腐って口の中で取れ、それを相手が咀嚼するのを見た事がある。何度かある。絶対に、見たくない。腐敗の少ないゾンビはまだましである。コンビニ前の男二体もそうだ。

 その二体はお互いの性器を貪り合っている。垂れ下がる肉片に血。道路に直接寝転がっている。柔らかな皮膚組織がアスファルトに擦れて少しずつ削がれていく。

 ゾンビはいつも全裸か半裸だ。脱ぐだけ脱いでそのまままた別のゾンビと淫行するまで徘徊をする。

 こんな世の中じゃ生き残った者も気が狂う。

 自殺をした者以外は精神を病んだり、異様に攻撃的になったり、他の人間に依存したり、生存本能が爆ぜて性欲が増したり。一カ月前に会った人がそんな人間ばかりが残ったと言っていた。人間には気をつけろ、と。人間の方が怖い、と。

 俺はまだ自分がどれに当たるかは、分からない。今のところ孤独感に押し潰されそうだが、誰でも隔離した生活を送っていれば孤独に気が狂いそうになるだろう。

――――どうしよう。コンビニで何か食べ物があるか調べたいけど、このままじゃ近付くのはマズいな

があああぁぁ

 少し前にスーパーを通ったが軽く覗いた感じだと店内にはゾンビが大勢いた。食料を求めて集まった人間が次々と感染したホットゾーンとなっている。これ以上食べないでいると空腹で注意力も落ちるし体力も持たない。

 下に転がっている石を一つ拾って少し離れた場所に投げてみる。音に反応した三体がそっちの方へと流れていく。淫行に耽っている二体は音に反応さえもしない。地面でお互いの性器を口で愛撫している。よく噛みちぎらないものだと感心をする。死んで白く濁った目が半分開いたままだ。口から黒い体液が止めどなく溢れて肉棒を染めている。

ヌチュ

ぐ……ふぅうう

 濡れた音が離れた俺にまで聞こえてくる。暗い紫の舌が器用に動くのが口からちらちらと見える。この二体は煩いタイプらしい。さっきから唸り声が途切れない。

――――うわぁ。どうすればいいんだ?

 もう一つ石を拾ってもう少し近くに投げてみる。同じく無反応だ。

ぐうぅぅぅうう

 その二体の唸り声のみが返って来る。少し見ていると今は二体の目が閉じられている。ゾンビは手を使わない。今まで見てきたどのゾンビもそうだった。手は攻撃に備えているのか、オーラルだろうがセックスだろうがその最中は力なくだらんとしている。どの個体も口と性器のみだ。

 また二体が唸る。終わりそうなのだろうか。どうだろう。ゾンビは射精するのだろうか。それとも最後のあの噛む行為が射精に当たるのだろうか。そこはさっぱり分からない。だが終わってしまえばすぐにまた徘徊し始めるので今の方が殺しやすいのかもしれない。

――――無理矢理行くか? 食料はどうしても必要だ

 手に持っていたバールをきつく握り締め、壁の裏から少し離れて近付く。まだ気付かれた気配はない。

 すぐ近くでゾンビが横向きで顔を相手の股間に埋めて動かしている。髪が脂と血肉でごわ付いて固まっている。相手ゾンビの力が抜けきった足は俺の足に触れそうだ。足先の皮膚が陥没して壊死している。暗いゼリー状の体液がその壊死した部分から流れ出ている。吐き気が込み上がる程の肉の腐敗臭が強烈に漂う。

 俺はバールを頭上に上げてそれを一気に手前の後頭部へと突き刺す。

グシュッ!

 嫌な音と共にバールに硬い振動が伝わる。柔らかくなった頭を突き抜け、相手の大腿骨へと突き刺さる。

ぐわあぁぁあああああああ!

 もう一体が邪魔されてか怒り狂う。上半身を起こし俺の方へと掴みかかる。ゾンビの胸部に足を蹴り込んでバールを腿から引き抜く。

 バランスを崩して俺は尻餅をつく。

 迫った濁った目に自分の姿が映る。口から血と黒い液体と泡が飛び散る。拡げられた指が真っ直ぐ俺に向かってくる。腐った伸びた爪が触れそうだ。

「うわっ!」

グシュッ!

 ゾンビは目を開けて俺に歯を見せたまま崩れ落ちる。脳天から木の杭が突き出ている。

「へえ、びっくり。生きた人間見るの、一週間振りだ」

 見上げると男の頭の反対側にある太陽が眩しい。

 目を窄めて頭を傾けると若い男が俺を見下ろしている。黒いシャツにズボン、リュック。俺と同じように黒いマスク。耳には小さなピアスが光る。

「コンビニ狙い?」

「あぁ。俺も生きた人は久し振りだ。ありがとう」

 彼が手を差し伸べてくれてそれを掴む。温かくって乾いた手だ。俺より少し背が低く運動神経は抜群に良さそうだ。彼は黙ってコンビニの扉をこじ開けるのを助けてくれる。すぐに後ろ手に閉める。

 彼がマスクの上に人差し指を立て、反対の手で指を二本立てる。俺はそれに頷いて通路をゆっくりと後ろの方へと歩いて行く。彼は逆にレジの前の方へとゆっくりと足を進める。

 床は血で汚れている。蠅が飛び交っている。ブンブンとした音がそこら中からする。

カラン ガッシャ……ン

がぁぁぁあああああ!

 彼の方向から音がして俺は急いでそちらへと向かう。

 気が散っていた。隣の通路を通過する時に真横から飛び掛かられる。

――――マズイ!

 バールをゾンビの顔に押し付けて止めるのと後ろの冷蔵庫に叩き付けられるのが同時だった。

バリン!

「うわああっ!」

 ギリギリと棒を掴んでくる。硬いステンレスの棒の反対側で歯をガチガチと音を鳴らして俺を噛もうとする。濁った眼が俺を捉えて離さない。口からの腐敗臭が酷く、歯が黄ばんで変色をしている。黒い泡立った体液が飛び散る。そして、力が強い。

「手を貸そうか?」

 近くで声がしたと思ったら真横から黒いブーツがゾンビの頭に蹴り込まれる。ゾンビの顎がずれて吹き飛ぶ。そのまま男はゾンビの頭に新たな杭を刺す。僅かに血が跳ね上がっては落ちる。

 男の動作に全く躊躇がない。

「あり、がとう」

 耳元で煩く鳴る鼓動の合間に酸素を貪る。口の中に体液の飛沫が入っていたかも知れない。マスクがあってよかった。男は『気にすんな』と軽く笑う。

「何を探しているんだ? 飲み物?」

「食料。昨日から食べてない」

「あっちにまだ食える缶詰があったぞ」

 男に付いて行くとゾンビが二体折り重なっている。脚が歪な形で曲がっている。上のゾンビは仰向けで首が皮一枚で繋がっているのみだ。床一面黒い血で染まっていて靴跡がくっきりと形を残っている。ゾンビの横のシェルフを見ると確かに缶詰がいくつか残っている。飴玉もある。俺はリュックを下ろして男を見上げる。

「あんたは?」

「俺は大丈夫。今さっき補充したばかりだ」

 俺は頷いて次々に食料を鞄に詰めて行く。彼はそれを眺めながら尋ねてくる。

「拠点はあるのか?」

「いや、先々週までは籠っていたんだけど出てからずっと移動している。あんたは?」

「俺は適当にぶらついているよ。一ヶ所に留まるのは落ち着かねぇ」

「分かるよ。……あのさ、邪魔をしないから、一緒に行ってもいいかな?」

 男は俺を見ると目が少し笑う。

「俺の邪魔をしねぇんだったら、どうぞ」

 声も少し笑っている気がする。

――――優しい人で良かった

「さっきも助けてくれてありがとう。俺はごう

理玖りく。生きた者同士助け合おうぜ、剛」

 最後に水を鞄に詰め込む。水は、あまり持っていけない。一番必要な物だが、一番重い。ゾンビから走って逃げる場合は負担にしかならないし荷物も嵩張って危険である。幸い大抵の場所は水道がまだ使える。水分の事はそこまで心配していない。

「取り敢えずここはまだ危ねぇし移動しようぜ。あっちの方に車屋っぽいのがあったからそこに行かね?」

「いいよ」

――――車屋? 遠くへ移動するつもりか?

「付いて来な。逸れるなよ」

 二人でまたコンビニの入り口をこじ開ける。すぐにもう少し新鮮な空気が流れ込んでくる。匂いはまだ酷いが店内よりずっと楽に呼吸出来る。軽く見渡すと駐車場にゾンビはいないが、少し離れた場所にかなりの数がウロウロと歩き回っている。まだ俺達には気付いていないらしい。

 ドアの隙間から理玖が出てから俺も後を追う。先程殺したゾンビ二体は他の散乱したゾンビの遺体や腐敗した四肢に埋もれている。烏がその比較的新しい遺体の肉を突っついている。小さな嘴がせわしなく動く度にプチプチした音が絶えず聞こえる。

 とても俊敏な動きで理玖は車や障害物の合間を縫っていく。屈んだ時ベルトの後ろに木の杭があと二本括り付けてあるのが見える。

あああぁぁぁぁぁ

 すぐ後ろから唸りが聞こえ弾かれたように振り返る。真っ直ぐ俺に向かって一体がゆっくりと向かって来る。上半身裸で腕が一本欠損し、黒い液体が少し見えている上腕の骨に絡みついて後ろに飛び散っている。鼻が壊死していて真っ黒で陥没している。唇へと繋がっている人中も酷く変色している。そして半分垂れ下がった唇。黒く紫色の歯茎が口内の黒い唾液に絡まった汚い歯を辛うじて支えている。

 後ろに強く引っ張られて彼が固まった俺を立たせてくれる。振り向き様すぐに彼に付いて走り出す。

があああああぁぁぁぁ!

「ちっ! 後ろの奴、煩ぇな!」

 唸っているゾンビの声に反応した別のゾンビも追いかけ始める。後ろをまた確認すると今度は六体いる。唸り声が重なり大きなシグナルとなる。彼が時々振り返りながら町の中を走って行く。細い道の住宅地に迷い込む。

「おい! 次の角で前にゾンビがいなければ家の門か駐車場に入るぞ!」

「誤魔化せると思うか?」

「無理そうだったらそのまま走れ!」

 次の角が見えてきた。後ろを確認するとゾンビは少し離れている。それでも全速力疾走で辛うじて少しの距離が空いただけだ。足が速い。

 角を曲がる。

「入るぞ!」

 彼は僅かに空いた車庫のゲートに駆け込む。俺もそれに続く。

 停まっている車の後ろに身を捻り込む。

 なるべく静かに酸素を貪る。

――――来た!

 二体が激しく唸っている。そのまま家の前を走り過ぎる。続いて五体が通る。そして、遠ざかる。

 二人共長い溜息を吐いて肩の力を抜く。

「拘りがねぇんだったらこの家にするか?」

「ここでいい」

 玄関のドアを軽く捻ると鍵が掛かっている。他の窓を試してみるがどこも閉まっている。彼に促されて上の階を見ると二階で網戸になっている窓がある。ちょうど位置は車庫の真上だ。

「お前、あそこまで登れそうか?」

 隣の家の位置や車庫の柱、屋根を見上げる。

「多分?」

「じゃ付いて来な」

 彼は軽やかな身のこなしで屋根に登り上げるとバランスよく柱の上を窓まで歩いて行く。やっぱり凄い運動神経だ。彼がやるととても簡単に見える。俺はもう少し時間を掛けて屋根によじ登るとゆっくりと一歩一歩バランスを取りながら窓に辿り着く。最後の方は彼が伸ばしてくれた手を掴んで中に入る。

 家の中は静かだ。二人で警戒しながら先に家の中を確認して回る。隅々までゾンビがいないのを確認するとやっと体から力を抜く。

「……疲……れた」

「お疲れさん」

 マスクを取るとやっと落ち着く。それをテーブルに放り出す。使い捨てマスクの替えは武器に次いで必須アイテムだ。

 彼は俺の顔をまじまじと眺めてから自分のマスクを取る。少し伸びた感じの髪の毛をかき上げる。毛先だけ茶色く、根本は伸びた黒い地毛だ。思っていたのよりも若く少しやんちゃな感じのする男だ。めちゃくちゃ格好良い訳でもないが悪くない顔。目付きは鋭い。

「ねぇ、助けて貰って早速で悪いけど、先にシャワー浴びてきていいかな? ゾンビの体液が付いている気がして落ち着かない」

「いいぜ。もし替えの服がないんだったら先に服漁ってきたら?」

「そうだな。助言ありがとう」

 幸い俺が着られそうなシャツはすぐに数点見つかる。シャワーへと向かうと理玖は別の部屋にいるのか見当たらない。俺は返り血や汗で汚れた服を洗濯機に放り込む。身に染み付いた習慣はなかなか抜けない物だ。

 換気扇をつけずに頭からシャワーを掛ける。熱いお湯に生き返った気がする。数日振りにシャンプーで髪を泡立てて洗う。滑りのいいボディソープで全身を洗う。忘れていた花のような非日常的な香りに複雑な気持ちになる。

 曇った鏡を手で拭う。隈が出来た疲れた目が見返す。少しやつれたのか、以前よりも顎のラインがシャープになった。

 体が温まったまま出ると理玖がいない。静かに家の中を探し回るが見当たらない。暗く静まり返った廊下に寒気がする。

――――まさか早速置いて行かれたとか?

カタ……ン

 庭から小さな物音がする。

ぐぅううう

ヌチュ…… ヌチュ ヌチュ

 濡れた音がして俺は警戒をしながら近くの花瓶を手にする。ゆっくりと隠れながら裏のドアの向こう側を覗く。

 理玖がいた。庭のベンチに男のゾンビの上半身を押さえつけ、後ろから挿入している。ゾンビは猿ぐつわをしている。セックスのせいか、ゾンビは大人しくしながら小さく唸っている。暴れる様子はない。ここからゾンビの顔は見えないが例の如く両手は身体の横で力なく降ろされている。理玖は少し舌なめずりをしながらゆっくりと腰を揺らしている。気持ち良さそうに目を細めて見下ろしている。ゾンビの体が少し痙攣している。濡れた音が彼の腰の動きに合わせて聞こえてくる。理玖は奥歯を食い縛って動きを少し早め、腰を打ち付ける。

パチュ パチュ プチュ プチュ

「……っ」

 腰の動きがピタリと止まり、彼は空を見上げて長い満足そうな溜息をする。彼に組み敷かれたままのゾンビが歯をガチガチと鳴らして唸っている。少しずつゾンビが動き始める。俺はゾンビから理玖の顔にまた視線を戻すと、顔を前に向けた理玖の目と合う。

――――あ、マズイ

 ドアからすぐに離れたが、多分間違いなく俺が見た事を理玖に気付かれた。

――――どうしようか

 ゾンビを犯す人達がいる事は知っている。まさか彼もその類だとは思わなかった。全然その素振りがなかったのだから。しかもあれは男のゾンビである。

――――でも、今のところ俺には暴力的な素振りがないのも事実だ。逆に面倒見がいいし助けられている

 会って間もないのにもうすでに彼には何度も命を助けられている。根っからの悪い人って訳ではないのだろう。そして何よりも人間が恋しい。あの孤独をまた感じるのは絶対に嫌だ。

 彼がドアから入って来る音がする。洗面所から音がして彼がシャワーに入ったことを知る。

 俺は先ほどの缶詰を開けると久し振りの食事を噛み締める。生き返った気がする。

 少ししてから彼が部屋に入って来る。新しい黒い服を着ている。開いた缶の中身を勧めると彼も自分のリュックからいくつか出して開けてテーブルに並べてくれる。二人でそれを無言で食べる。

「……」

――――……気まずいな

 彼も俺の座っているソファに腰掛けている。俺と同じように靴を履いたままだ。彼の方をちらっと見るとまた目が合う。彼が微かに俺の心を見透かすように笑っている。

――――あ、これ、誤魔化すつもりのないやつだ

「思っていたのよりもシャワーが早かったからタイミングをミスった」

「……のんびり入るのは落ち着かないから」

「ははっ。確かにもう裸でいるのは落ち着かねぇよな」

 彼は笑いながら『これもな』と言いながら靴を履いた足を動かす。

「感染が怖くないのか」

「怖くねぇな。一応体液には気をつけているけどゾンビは性病じゃねぇしな。俺も今のところ感染してねぇから噛まれたり引っ掻かれたりしなけりゃ大丈夫みたいだぜ」

「今のところって……」

「最初に突っ込んでから一カ月以上経っている。感染するんだったらもうすでにしているって」

「……マジか」

 理玖はソファに深く沈み込んで笑う。

「温いけどビールあったぞ。飲むか?」

「あぁ、貰う。ありがとう」

 一本受け取り、その生温かな液体を煽る。飲むのは久し振りだ。一人だと酔っぱらうのが怖くってなかなか飲みたいとは思えない。でも今は理玖もいる。落ち着かない話題ではあるが理玖と話す事自体が楽しくってそれもすぐに気にならなくなる。

「ゾンビは純粋に気持ち良いぞ。ウイルスの性質のせいか分かんねぇけど、イキっぱなしみたいに中が凄ぇ濡れて畝んだよ」

――――……ん?

「それに奴らは突っ込んでいる間は絶対に大人しいんだよ。ウイルスの繁殖が目的だからだと思うけど、とても犯しやすい。別に生きた相手がいる訳でもねぇしゾンビも喜んで大人しくやらせてくれるから別に困らねぇ」

「そんなもんなのか」

 ビールをまた飲む。懐かしい苦い刺激が口の中に拡がる。俺が何かを言えばそれに何かが返ってくる。嬉しい。朝から晩までくる日もくる日も無言で空や壁を眺めていた時よりもずっと幸せだ。

「そんなもんだぞ。我慢して欲求不満で注意散漫になるよかいいだろ」

「よく分かんないな。溜まっても俺はゾンビとはしたいと思わないかな」

「オナホに突っ込む感覚と言えば分かるか?」

「やっぱり、分からん。俺はもう少し気持ちが通じ合うセックスの方がいいや」

「ロマンチストか」

 理玖が笑う。

「俺に止めろって説教する?」

「しないよ。あんたの自由だと思うし、あんたのやる事は邪魔しない約束だからな」

「へぇ。いい子おぼっちゃまだと思っていたけど案外ドライだな。付き合いやすくって助かる」

「そりゃどうも。あのさ――――」

 質問しかけて途中でちょっと躊躇する。彼は視線で先を促す。聞かない方が良い気もするがどうしても気になる。

「なんで、男なんだ? 女のゾンビもいるだろ」

「ああ、俺、男が好きだから」

「あ、そう……」

――――じゃ、やっぱりさっきのは経験上での発言か。世の中は意外と狭いな

 あんなにウイルスが蔓延する前は同じ性癖の人を見付ける事は難しかったのに。こんな時に似た嗜癖を持つ人とこうやってお酒を飲んでいる。

 理玖は黙ってしまった俺が違う事を考えていると思ってか少し苦笑する。

「なんだ。ゾンビとセックスするのは別に良くって男が好きなのは気にするのかよ」

 少し気を悪くしたように俺に冷笑を向ける。

「あぁ、ごめん。違う、そうじゃない。俺もゲイだからびっくりしただけ」

「は?」

「だから、俺も男が好き」

「へぇ……世の中狭いな」

「俺もそれを考えていた。以前はバーかSNSじゃなきゃ出会えなかったのに、外出て最初に会ったのが理玖だ。偶然って面白いよな」

 理玖は笑ってナイフを取り出し、カバンに入っていた木の棒の先をとんがらせていく。とても手慣れた様子で彫っていく。

「……それにしてもゾンビねぇ」

「いや、流石に最初は全然そんな事考えなかったよ。ゾンビに突っ込む奴等って何考えているんだ、気持ち悪ぃって思ったし。けどゾンビ同士ですら気持ちが良い事していんのにって考えたら途中から自分の手で抜くのが阿保らしくなってな。実際他の奴がゾンビとやっているのを見て興味が沸いた」

「直進型だなぁ」

「こんな世の中だ。長生きするのは無理だから、死ぬまで楽しめればいいや」

 彼は杭を作っている手を止めて俺を見る。

「剛はそういうのに興味は沸かねぇの?」

「ゾンビを犯す予定は暫くはないかな。今のところ自分の手で十分事足りている」

 彼が笑う。出来た杭を置いて新しい棒を削り始める。

「剛は性欲少ないタイプか。ちょっと羨ましい」

「少ない訳じゃないと思うけど。相手に拘りがあるだけ」

「顔? 体?」

「いや、外見よりも雰囲気かな。ギャップある奴とか優しい奴とか。俺に興味ある奴とか」

「好かれると断れないタイプか」

「そこまで押しに弱くない」

 俺ってそんなにナヨナヨしいイメージかと苦笑する。

「理玖はどんなのがタイプなんだ?」

「ピチケツした新鮮なゾンビ以外でか?」

 彼が含み笑いをする。

「そりゃ可愛い顔は好きだぞ。引き締まった尻も好きだし。後はエロいのとか」

 つい吹き出してしまう。

「全部肉欲に繋がってない?」

「お前のは逆に全部甘ったるい」

 俺達は笑い合いながらビールを飲む。

「俺もその杭を作るの手伝うよ」

 新しい棒を貰って俺は自分のナイフを出し、彼が先程削った物をお手本にして杭を作っていく。

「なんで杭なんだ? 作るのが面倒にならない?」

「まぁ、面倒だけど夜は他にやる事なかったからな。時間潰しで作って使ってみたら思いの外使い勝手良いし。今は作るのも嫌いじゃねぇから習慣になっている」

「じゃあ俺も理玖の手伝いを習慣にしてみるか」

 彼は人懐っこそうに笑う。

「話し相手がいるっつうのは、嬉しいな」

「俺も。感染よりも独りが怖い」

「それはよく分かる。……宜しくな、剛」

 

 

    ◇

 翌日。

 理玖は意外にも一緒にいるのが面白い男だ。大雑把だが歯に衣着せぬ物言いが逆に変に気を張らなくってリラックス出来る。

 今日は朝から移動をしている。

 もう少しで夕方になる。そろそろ寝床を探し始める頃だ。

「……おい、ちょっと休憩しようぜ」

 俺は彼がいる車の影に隠れる。

「いいけど。どうかした?」

「どっか入る前に、抜いておきてぇ」

 本当によくも悪くも素直な男だ。彼の股間をちらっと見ると見事に立っている。一体何にそんなに興奮したのか全然見当も付かない。

「いきなりだな、おい」

「生存本能か分かんねぇけど性欲が波になってくるんだよ」

 理玖は困ったように笑いながら視線を伏せる。

「取り敢えずそこら辺の新鮮なゾンビを捕まえてくるわ」

「危なくないか。その内マジで感染するぞ。最中に別のゾンビに襲われたらどうするんだよ」

「それは十分あり得る死に方だな」

 理玖は楽しそうに笑う。

――――全く。何も考えてないのか、こいつは

「俺が見張りをするよ」

 口から出た台詞で初めてその意味を考える。自分でもびっくりする。見て見ぬ振りとは違う。まさか彼のゾンビとのセックスを受け入れるようになるとは思わなかった。

 理玖も同じだったみたいで驚愕している。

「何、お前、何でそこまでやってくれるんだ」

「理玖がいて楽しいし嬉しいからかな。感染して欲しくないだけ」

「そりゃ、俺も助かる。……代わりに今日も覗いていくのか?」

「あれはやっているのを知っていて覗いた訳じゃないって」

 少し含みのある顔でにやりと笑った気がする。彼はポケットに手を突っ込んでゴムがあるかどうかの確認をしている。

 比較的新しく若い男のゾンビを見付ける。

「あの尻がいい」

 見てみると確かに引き締まったいいお尻のゾンビだ。下半身だけ露出している。前にぶら下がっているのも壊死していない。こちらからは顔が見えない。

「顔は興味ないのか」

「ゾンビにそこまでの贅沢は言わねぇよ」

 彼は上手にゾンビの背後に回るとは長い布を取り出して手にする。目が笑っている。角にいるゾンビが俺達に背を向けたままのんびりと動いている。腐敗も少なそうだ。後ろから忍び寄ると一気に口をタオルで塞いで後頭部で結ぶ。簡易的な猿ぐつわの出来上がりだ。猿ぐつわは最中に噛まれるのを防ぐ為だろうか。彼の動きに躊躇も無駄もない。

 理玖が暴れるゾンビの尻を鷲掴みにすると一瞬でゾンビの体の動きが止まる。彼はそのままゾンビのシャツを引き上げてゾンビを壁に押し付ける。ゾンビは本当にスイッチが入った様に大人しくなる。俺は近くの車のボンネットに上がって座る。目線が少し高くなって周りが見やすくなる。

 彼の方も見やすくなった。

 ゴムを付けた指をゆっくりとゾンビのお尻に擦り付ける。ゾンビが唸る。彼はそのまま指をゾンビのお尻の割れ目に擦り付け、少しずつ指を出し入れし始める。

――――あぁ、確かに一応体液には気を付けているのか

 間違いなく彼が言った通り、ゾンビは大人しくされるがままになっている。されるがまま、というよりも悦んでいるようにも見える。理玖は慣れた手付きでゴムを素早く着ける。そのままゆっくりと腰を進める。

「ふっ」

 ゾンビの背中に手を乗せてゾンビを押さえ付けて動きを封じる。その体制のままゆっくりとした動きで気持ち良さそうに自分の肉棒を抽挿する。すぐに濡れた音が聞こえてくる。

ヌチュ プチュ

 ゾンビは気持ち良さそうに小さく唸る。これは、喘いでいるのだろうか。

――――……全然タイプじゃないんだけどな

 彼の腰に目が行く。単調にゆっくりと動いている。シャツの裾からちらちらと見える彼のお尻をじっと眺める。

――――理玖って意外と抱き心地良さそう

 微かに揺れる髪。彼が僅かに顔を横に向けて背後の方にいる俺を見る。目が合う。マスクから覗く彼の目元が笑った気がする。俺は急いで視線を外して周りを見渡す。

――――やべ。また覗いていたって笑われそう

 俺は周りに視線を走らせながら聞こえてくる濡れた音とゾンビの唸り声に、僅かに反応し始めた股間に溜息をする。

 小さく彼が唸る。そっちに視線を戻すと彼がゆっくりと自身を抜いている。ズルンと精液がたっぷりと入ったゴムを自身から抜き取るとそのままそれを捨てる。見た感じ、確かに彼が言っていたようにセックスというよりもオナニーに近い気がする。挿入はしているけど、単調で全く感情がない。

 ゾンビが少し暴れ始めてきた。セックスが終わってからの反応が早い。理玖はベルトから杭を抜くとそのままゾンビの後頭部に打ち込む。杭から手を離して自分の股間をズボンに仕舞う。振り返った彼とまた目が合う。理玖は、また、笑う。

「せめてもの感謝として最後は殺してあげている」

――――あぁ、なるほど。あれは彼の優しさなのか

 彼が車の上に座っている俺の近くに来る。ベルトを締めている。

「お前、また見ていたろ」

「あぁ。楽しませて貰ったよ」

「……へえ?」

 また目が合う。少し脈が速くなる。俺は車から滑り下りて彼の横に立つ。

「剛もやってみるか?」

「いや、ゾンビは、止めておく」

――――あんたとはやりたいけど

 理玖の動きが一瞬止まり、俺を見上げてくる。この少し緊張する遣り取りが楽しい。もう二度と出来ないかと思っていたから尚更楽しい。

「……すっきりした」

「良かったね」

 つい笑っちゃう。

「理玖、今夜も家にしない?」

「シャワーあるから?」

「それも最高だけど。映画見ないか?」

「映画……いいな! すっげー久し振りだ!」

「音抑えてカーテン閉めたら大丈夫だと思う?」

「いや、いけるだろ! 心配ならば雨戸ある所探そうぜ」

 理玖も物凄く楽しみにしているのが分かる。昨日よりも浮足立って家を探している。

 比較的短時間で望みの家を発見する。玄関の鍵は開いていた。

 家の中の安全を確認すると、シャワーを済ませる。理玖が洗面所へ向かうのを後ろから眺める。先程色っぽい動きをしていた彼のお尻に目が行く。

――――やっぱ、いいな

 色んな缶詰や冷凍庫を漁っては温かい夕飯を用意する。今夜は缶酎ハイを発見したので理玖とまた一緒に飲んではゆっくりと過ごす。映画も数年前のいいアクション映画があったので音量を押さえてそれを流す。

 二人でソファに凭れ掛かり、直接地面に座る。彼の距離が昨日よりも近い気がする。

「俺からしたら今の世の中は別に悪くねぇけどな」

「マジで? どこら辺が」

「別に仕事好きだったわけでもねぇし、やりたい事あった訳じゃねぇ。食べ物は探せば見つかる。ゾンビだったら好きなだけやらせてくれるし」

「なるほど。そういう見方もあるのか」

「剛はどうなんだ。何も言わないけど」

「俺は……知り合いが死ぬのは嫌だ。話し相手がいないのはもっと嫌だ。今、理玖とこうして話せるのが、本当に嬉しい」

「なんか……デートみてぇ」

「ははは、そうだね。少し甘酸っぱいな。それが心地いいけど」

「剛ってタチネコどっちだ?」

 俺を真っ直ぐに見て訊いてくる。

――――一応ちゃんと聞いてくれるのか

「バリタチ」

「……へぇ、意外」

「なんで意外なんだよ」

「やたらと可愛い事言っていたからな」

「いつ、そんなこと言ったんだよ」

 顔を顰める。

「気持ちの通じ合うセックスがいいって言っていたじゃねぇか」

「そりゃゾンビと比べるとな。ちゃんとした反応はないじゃん」

「分かりやすく快がるぞ」

「いや、なんか、ちょっと違う」

 俺の言葉に笑う。

「……バリタチかぁ」

 ぼそっと呟いた彼に少し苦笑する。

 今夜は少し緊張した夜になりそうだ。



   ◇

 翌日リビングで目を覚ますと真横で寝ている理玖を見る。

――――まだ俺と一緒にいてくれている

 その確認と認識をすると非常に嬉しい。言葉に出来ない安心感がある。俺はそっと二人で掛けていた毛布から抜け出し、顔を洗ったりお湯を沸かしたりする。昨日レトルト米飯を発見したのでそれを二つ電子レンジで温めてから見付けた瓶詰めのご飯に合う物をテーブルに出していく。

「いた。お前に置いてかれたかとちょっと焦ったよ」

 まだ少し眠そうにしながら理玖がキッチンに入ってくる。同じ心配をしている事に軽く笑いながら米飯をもう一つ出して彼に見せる。

「食べる?」

「お前の分は?」

「ある。なめ茸や海苔、ふりかけ、サバ缶、味噌汁もあるぞ」

「最高じゃねぇか」

 二人でゆっくり食べると久し振りのちゃんとした温かな朝食にお互いの顔が綻ぶ。

「感染前、味噌汁はそこまで好きじゃなかったけどよ、今こうして飲むと最高だな」

「俺は逆に毎朝お味噌汁とご飯は欠かせなかったなぁ。久し振りで美味いし、理玖がいると物凄く食事の味の感じ方が違う」

「普通に照れるから止めろ。剛はこうなる前は何やっていたんだ?」

「福祉。老人ホームで働いていた。理玖は?」

「ああ……なんか納得。俺は引っ越し屋」

「……うん、なるほど。確かに想像出来るかも」

「俺と会う前はどこかに向かっていたのか?」

「目的地はなかったけど、一応街からは離れようかと。理玖は?」

「俺は適当にブラブラ歩き回っていただけだ。でも街を出るのはいいかもな」

「その内農園を通ると嬉しいけど」

「農園?」

「新鮮な野菜が採れるなら鍋が出来るじゃん」

「……鍋か。確かに食べたいな」

「今日どうする?」

「……これが楽しい。このダラダラ。久し振りだし」

「うん、俺も。出掛ける前にまた映画見ない?」

 理玖が楽しそうにテレビの横を漁っている。彼が自分と同じような感覚の持ち主でよかった。

 俺達は午前中は喋りながら映画を見て、食べ物を摘まんで過ごした。

 最高だ。

 一応危険を避ける為に夜は別の家に移動する事にした。

 移動距離は最小限にする事にした。荷物は軽めにして住宅地の中を通っていく。

 もう夕方だ。色の替わり始めた空が血のように赤い。

 少し近くで大勢のゾンビ達が騒いでいる。人間の笑い声が聞こえる。

 俺と理玖は顔を見合わせる。

「他に生きている人間か?」

 車の音に笑い声がどこからは響いてくる。ゾンビの唸り声が大きくなる。

「……剛はどれぐらい人間に会いたいんだ?」

「……このタイプは……避けたい」

「俺もだ。隠れるぞ」

 俺達は駆け出す。音が大きくなる。最初の小道に入り走る。ゾンビが数体いる。ゾンビを避ける為にまたすぐの角を急いで曲がる。

「くそっ!」

 角を曲がると大量にゾンビが出迎える。恐怖に顔が引き攣る。

 群衆だ。

 掴みかかって来るゾンビを避ける。新鮮なゾンビもいるが殆どのゾンビは腐敗が進んでいる。鼻や口の周りが壊死した者が多く、下の筋肉が露出していたり更には下の骨まで露出しているのも多い。壊死した皮膚が溶けた黒い液体がその患部を覆う。強烈な匂いだ。

 掴んできた女のゾンビを避けてバールで頭を叩き割る。脳と黒い汁が飛び散り露出したおっぱいに垂れ落ちる。その横のも叩き割る。男ゾンビの濁った目玉が衝撃で抜け落ちる。理玖の後ろの一体も叩き割る。赤黒い体液と肉片が跳ね上がる。俺に掴みかかってきたゾンビを避けると、避けた先に別の一体がいる。

 次から次へとゾンビが襲ってくる。後ろの道もすぐに見えなくなる。俺のすぐ横のゾンビの顔に理玖の杭が刺さる。息が上がる。理玖も疲れが滲み出ている。

ヒュンッ

 甲高い音が耳のすぐ横を飛び過ぎる。どこから音がしたのかが分からない。

ヒュン シュンッ

 立て続けに聞こえる。

「剛!」

 理玖の声が聞こえてきて俺の頭を下に押す。すぐ頭上を矢が飛び過ぎる。

 日が陰り始めている。

「ひゃはははははは! 大量だぜぃ!」

 力強い声が聞こえてくる。そちらを見ると大きなトラックに乗った三人の男達がこの方角に向かって弓を構えている。

「ひゃっはー! おい、生きた人間だぜ!」

「あはははは、マジでか! 久し振りだな!」

ぐあぁああああ

 トラックの荷台に乗った二人が大きくニヤ付きながらゾンビの頭にバットを打ち込む。バットは釘が打ち込んであり、血だらけである。黒い髪が釘に絡まっている。

がぁぁああ!

「ひゃははははは、おい、お前等! ここは俺等の縄張りだぜ!」

 理玖がゾンビの顔に蹴りを入れながら背後に向かって叫ぶ。

「そりゃ悪かったな! 邪魔するつもりはなかったんだ! 迷い込んだだけだ!」

「通行料は払ってくれるんだろうなぁ」

があぁぁぁぁぁぁ

「勿論だ! 問題を起こしたい訳じゃねぇ。俺達二人だけだ。何が欲しい?」

 荷台の男が俺達を見下ろしながら舌なめずりしている。冷汗が出る。俺は横でまた掴みかかって来るゾンビにバールを叩き込む。黒い液体が飛び散る。少しマスクにかかった気がする。ゾンビが耳元で騒いでいるように煩い。

「そうだなぁ……どちらか残っていけや」

 俺達は男を見る。目がヤバい。瞳孔が開いている。間違いなく危険なタイプの人間だ。矢を持っている男が大声で笑っている。

 俺は理玖を見ると彼もちょうど俺に目を向ける。この状況に彼も緊張をしているのが表情で分かる。それが余計に俺の焦燥感を駆り立てる。

あああぁあああああああああ

――――人間に殺されるのはごめんだ

ギリ ギリギリ

 俺がバールをきつく握り締め直す。

「それは無理な相談だ」

 理玖の方を見ると彼が男を睨んでいる。こんな時にも動じないのは凄い。

 男は笑いながら理玖に弓矢を向ける。戦慄する。こいつらは生きた人間を狩りたいのか。

「剛! 右!」

ぁぁぁぁあああ!

 俺は屈みながら右にバールを振る。ギリギリとバールをゾンビの手が掴み掛かって来る。バールに当たった歯がガチガチとずっとバールを噛み切ろうとしている。ゾンビが煩い。でも集中をすると人間に殺される。

 怖い。

 もうすぐで完全に太陽が沈む。

 男が二人トラックの荷台から飛び降りる。ドアも開いて運転手も加わる。

――――マジでヤバい

 理玖が少しずつ俺の方へと寄って来る。背中を合わせる。

「俺はトラックを狙う。剛は通路の入り口に移動しとけよ」

「分かった。気を付けて」

「捕まるなよ」

 理玖が俺の背中に少し体重をかける。そっちをちらっと見ると俺の方を振り返っている。

「大丈夫。ちゃんとお前を拾って行くから」

「……頼むよ」

 彼は俺の背中を軽く叩くとゾンビの腕を潜って離れる。

――――マジで頼むぞ

 俺は見えなくなった男達のいる方向を大きく避けるように移動し始める。

「ひゃはははは! だーるまさんが、転んだ!」

 想像していたのよりも近い場所で声が聞こえる。俺は建物の方へと移動する。

 急速に周りが暗くなってきている。

 ゾンビが見辛くなってきた。ゾンビの唸り声が家の壁から跳ね返って音量が増していく。自分に伸びてくれる数え切れない程の手、手、手、手。

 ゾンビの隙間からこちらを見て狂ったように笑っている男と目が合う。

 俺は弾かれたように走り出す。男も笑いながら俺を追いかけ始めてくる。奥で車のエンジン音がする。

――――理玖か?

 頭のすぐ横を矢が飛ぶ。弾かれたように後ろを見るとゾンビの集団を抜けて男が俺に弓で狙いを定めている。横に避ける。矢が俺の肩を掠める。

「だぁるま、さんが――――」

 男が大きく笑う。俺の心臓が煩く暴れる。

「転んだぁ!」

 矢をまた放ってくる。

 車が一気に目の前に走り出てきて急ブレーキを掛ける。俺のすぐ横に止まる。

 矢は車に当たって落ちる。

「剛!」

 俺は助手席を開けて転がり込む。理玖を見ると俺を見ている。目が合う。丁度彼の窓からゾンビが口を開けて彼に噛みかかっている。

「伏せろ!」

 俺は理玖の頭を抱えるとバールをゾンビの口の奥へと真っ直ぐ突っ込む。耳障りで溺れるような音がする。

ぐああぁぁあっ!

 理玖はそのままギアをドライブにしてアクセルを踏み込む。車がブォォォォンと悲鳴を上げるように急発進する。

がっ、ああああぁぁあ!

「てめぇら! 絶対に探し出してぶっ殺してやる!」

 男達の怒鳴り声が聞こえてくる。ゾンビの声が反響してオオォォォオと耳障りな音となって車を追いかけてくる。

 俺はハンドルをきつく握っている理玖を見る。

「置いて行かないでいてくれて、本当にありがとう」

 理玖は軽く俺をちらっと見ると小さく笑う。

「俺もお前がいる方がいい。お前の横は首かっ切られる心配しないで安心して寝られる」

ゾンビが次々と車に向かって走って来る。何度も衝突する音がする。フロントガラスが徐々に撥ねた赤黒い血や体液で汚れていく。理玖はウォッシャーでフロントを洗う。

「あんまし長く運転出来ないぞ。こんなに体当たりされていちゃ車が壊れる。あいつらに見つからなさそうな家を探せ」

「車庫ある所がいいよな?」

 少し運転してから隠れている車庫がある家を見かける。

「あの家はどう?」

「ああ、そうしよう」

 トイレの窓を割って入る。侵入はゾンビに見られていなかったし、侵入した後ドアを閉めておけば多少は安全だろう。

 理玖がシャワーを浴びている間食べ物を物色する。冷凍物があるが匂いに気付かれる可能性があるので止めておく。今夜は缶詰とナッツなどのおつまみになりそうだ。

「お前も入って来いよ」

 出てきた理玖に言われて俺も熱いシャワーを浴びに行く。

 さっきのは別の意味で怖かった。ゾンビよりも人間が怖いと思うようになるとは思わなかった。

 少し念入りに体を綺麗にする。

 シャワーから出てズボンだけ履く。髪を拭きながら廊下に出ると理玖が階段の下に立っている。俺をちらっと見ると無言で二階に上がっていく。無言で彼に付いて行く。

 彼に付いて広い方の寝室に入る。二人共、靴を履いていない。出会ってから初めてだ。俺は意図的に、彼はどうだろうか。

 ベッドに腰掛ける俺を見て彼が少し苦笑する。

「今日は疲れたよな」

「あぁ、怖かった。あんなタイプの人達って多いのか?」

「……ああ、多い。逆にお前はよく今までそういう奴らに遭遇しなかったな」

「暫く閉じ籠っていたからな」

「さっき剛が車で助けてくれたの、格好良かった」

 彼が目を細めて俺を見る。

「俺も剛がいて嬉しいよ」

 少しその視線にドキッと心臓が鳴る。

 彼がそのままベッドに腰掛けている俺の横に座る。矢で出来た小さな傷をなぞる。彼の腕を掴んで引き寄せたい衝動に堪える。

 理玖は俺の両膝に手を置いて少し身を乗り出す。顔が近い。

 鼓動が煩い。

「お前、俺をよく見ているよな」

「あぁ、よく見ている。抱き心地良さそうだなって。……理玖が」

 理玖は無言で俺の股間をちらっと見る。もう期待で立ち上がり始めている。

「……剛、咥えさせてよ」

「……なんで」

「流石にゾンビ相手にそれは出来ん」

――――本当、ストレートな人だなぁ

 俺の膝に力を入れてもう少し俺に近寄る。洗ったばかりのいいシャンプーの香りが髪から漂う。

「なぁ、いいだろ? お前、いい男だし。さっき嬉しかったし。……ちゃんと生きているし」

 流石に今のはちょっと笑ってしまう。どれだけ口説き慣れてないんだ。彼の指が俺のズボンの裾にかかる。目が合う。

 俺が腰を浮かせると彼はズボンを引き摺り下ろす。相当やりたかったのだろうか。すぐに俺の半立ちした股間に舌を這わせて咥える。

――――気持ちが良い

 俺は彼の頭に手を乗せて彼の愛撫に目を細める。熱い舌が絡みつく。亀頭を軽く吸われて舌で捏ね回される。

 思っていたのよりも髪が柔らかい。彼の後頭部を撫でながら俺のとは違う髪質に指を遊ばせる。

――――あー……我慢出来なくなる

 理玖の耳に触れると彼が微かにたじろぐ。そのままゆっくりと耳朶をなぞったり指の間に挟んだりしていく。

チャリ

 ピアスが小さな音を立てる。

「剛――――」

 剛が俺の肉茎から口を離した瞬間、彼の顔を手で引き上げて唇に吸い付く。優しく舌を絡め取るとキスし返してくる。濡れた音に興奮する。目を開けたまま彼の気持ち良さそうな表情を見て興奮する。

 キスをしながら彼をベッドに押し倒し、ゆっくりと彼に跨る。理玖のものが硬く反り返っている。俺を咥えて興奮したのかと思うと嬉しい。彼のズボンを足から抜く。

 それに指を優しく這わせてから自分のと擦り合わせる。硬い感触にしっとりとした皮膚の感触を堪能しながらまた唇を重ねる。

チュ チュプ

 お互いの息が上がってくる。彼の手が優しく亀頭を掴んで合わせてくる。俺はベッドに肘を付いて腰を揺らしながら舌で彼の口内を愛撫する。彼が両手で俺達の猛りを握り締める。溢れた透明な体液で滑りやすくなる。腰をゆっくりと突き上げるように動かす。彼の腰が一緒に揺れる。

「……熱い」

 彼の小さな呟きに少し笑う。

「ゾンビと比べんなよ」

「悪ぃ」

 優しく啄むようにキスをする。首を甘噛みする。

「剛」

 キスの合間に名前を囁かれる。俺は自分の指に唾液を絡ませてから彼のお尻を撫でる。奥の方へと指を滑り込ませて、窄まった上を優しく何度も指で撫でる。指を入れようとすると理玖の体が強張る。

――――ん?

「初めて?」

「……違う。物凄く、久し振りなだけだ」

 俺が体を離すと彼がしがみ付いて睨んでくる。

「止めるなよ」

――――意外と可愛い所あるな

 俺は彼の後頭部に手を添えて軽く音を立てて唇にキスをする。

「止めない。というか、止めるのは無理。何か潤滑になる物探してくる」

 立ちあがろうとすると離してくれない。

「いらねぇ」

「久し振りだったらかなりきついよ」

「……じゃよく解せよ。俺が痛いか気持ち良いかはお前次第だぞ」

「それは重大責任だな」

 俺は彼のシャツを脱がせてから四つん這いにさせ、恥ずかしそうに窄まったそこに舌を這わせる。彼の体がビクッと震える。何度も舌で優しく往復しながら指で撫でる。

「……っ……」

 彼の体から力が抜けた瞬間指先を少し入れる。そのまま軽く入れたまま彼の肉茎に指を絡ませる。緩やかに手を動かすと少しずつ彼の体が拓き始める。少しずつ指を進めて優しく解していく。そうやって繰り返していく内に指を一本ゆっくりと動かせるようになった。

 俺は彼を仰向けにすると先程からずっと硬く立ち上がっている猛りを口に含む。

「っ……ぁ」

 舌を亀頭からゆっくりと絡めて飲み込んでいく。唾液が陰茎に沿って垂れ、彼の陰嚢からお尻の方へと濡らしていく。俺はヌル付くそれを指に絡ませて中の指を二本に増やす。彼の体がビクッと跳ねる。

ヌチュ クチュ クチュ

 指を少しずつ早めると強張っている以外の反応が混ざり始める。彼の手が俺の頭に添えられる。脚から力が完全に抜けている。

「もう、イッちまう。離せよ」

 口を離して手で前と後ろを同時に愛撫する。

「っ!」

 彼は眉毛を少し顰めて俺の手の中に熱い精液を放す。抑えた喘ぎ声が熱い。俺は彼の舌を絡ませながら指を抜き取って先程髪に使っていたタオルで手の精液を拭う。彼をうつ伏せにする。ゴムに手を伸ばす。彼が俺の手を掴んで頭を振る。

「……生がいい」

 黙って彼の解れた後ろに自分の欲棒を当てる。後ろから覆い被さり、両手指を彼の指に絡ませながら少しずつ腰を進める。

「うっ……!」

 彼の上半身が反れる。俺は彼の首に舌を這わせて少しずつ入っていく。半分ぐらい入れてから少し止まって彼の背中にキスする。

「はいっ……たぁ?」

 舌足らずな言葉が、可愛い。

「まだ半分」

「も、無理。むりぃ……っ」

「ごめんね。すぐに良くなるから」

 俺はまた立ち上がり始めた彼の前に指を絡ませて亀頭を優しく愛撫する。彼の吐息に熱が混ざってくる。腰をゆっくりと揺すりながら手を緩く扱く。少し濡れてきた後ろをゆっくりと陰茎で味わっていく。

ニュプ ニュプ ニュプ

 ちょっとずつ腰を奥の方へと進めて行く。きつい中が擦れて泡立ってくる。

 絡めた指先に少し力が入る。

「ちょ……待っ、て」

 俺はゆっくりと動かしていた腰を止めて後ろから彼の顔を覗き込む。

「痛い?」

「イっ……ちゃいそう。待、て」

「イっていいよ」

「俺だけ、は、嫌だ。剛は、まだ、だろ」

――――可愛い事言われると、ちょっといじめたくなるよな

「何度でもイかせてあげるから。イくの、見せてよ」

「おい、止まっ――――!」

 彼の顔を手でこちらに向かせて口を口で塞ぐ。喘ぎを飲み込む。舌を絡ませたまま同じスピードで抽挿すると中の痙攣が止まらなくなる。前を扱いている手に彼の熱い精液が掛かる。体がブルブルと痙攣をする。中がきつく締まって気持ちがいい。

――――温かくって、気持ちが良い

 俺は理玖と繋がったまま彼を仰向けにして、彼の足を持ち上げて奥まで突っ込む。先程より早く、深く彼の中を抉る。腰を捻ると彼の腿が痙攣する。

グチュ グチュ ヌチュ グチュ

「はっ……ぁ、っ……」

 理玖は一生懸命声を抑えながら俺の肩にしがみ付いている。

トンッ

 一番奥まで腰を擦り付ける。両手で彼のお尻を鷲掴んで俺の肉棒に擦り付けるように腰を動かす。彼の手足がずっと痙攣している。

 理玖がすすり泣くように喘ぎながらお腹の上に精液を再び放つ。

「理玖」

 彼の目が少し彷徨ってから俺と目を合わせる。

「ごめん。少し強くするよ」

グチュ ヌチュヌチュ ヌチュ

 理玖の中は凄く気持ちが良い。彼のお尻に俺の指が食い込む。

「俺も、もうイク」

 腰を早める。理玖の足が俺の腰に絡まって押し付けてくる。至近距離で彼の顔を見ると何か言いたそうに俺の顔を見返している。脚が強く巻き付いてくる。

――――本当、可愛いな

「中に出すよ」

 俺は彼の後頭部に手を添えて自分の肩に押し付ける。

「……っ!」

 彼の奥に俺の熱い体液が迸る。精液を放しながら彼の腰に強く押し付ける。彼も小さく喘いで背中を逸らす。中がきつく俺自身を締め上げてくる。

「……ぁ」

 痙攣が収まるとゆっくりと俺自身を抜いた。彼の顔に両手を添えて優しく何度も舌を絡ませる。どこもかしこも熱くって気持ちが良い。二人で事後のお互いの体温を感じ合いながら抱き締め合う。

 暫く休んでから理玖がシャワーへと向かう。俺はリビングに夕飯を持って行って待っていると理玖が俺の背中に圧し掛かってくる。

「お前……いつもあんな抱き方をしているのか?」

「俺、優しくなかった?」

「優しい。優し過ぎて……。あれは恋人を抱くようなセックスだろ」

「嫌だった?」

「……嫌じゃない。嫌じゃないから、困る」

 俺が軽く笑うと彼はゆっくりと唇を重ねてくる。彼の首に両手を回しながら優しく舌を擦り合わせる。

「俺としては慣れて欲しいかな」

「お前は怖くないか」

 死と隣り合わせの日常だから誰かに心を開くのは怖い。その気持ちはよく分かる。それでも。

「理玖と一緒にいる事に慣れるのは怖くない。お前と会ってから感染以後初めて生きているのが楽しいんだ」

「……俺も剛といるのは楽しい」

「別に急いでいない。どんな形にしろ俺が隣にいる事にゆっくりと慣れてくれれば、嬉しい」

 


    ◇

 俺達は抱き合って寝た。

 とてもいい夢を見た気がする。

 理玖と一緒に笑いながらいちゃついている。暖かな陽の光が窓から入ってくる。それだけの夢だと思う。

 優しくって心地良い夢。

 優しく頭を撫でられる感覚に目を覚ます。理玖は俺を見ながら髪を撫でている。顔が濡れた感覚に触ってみると目から涙が流れている。理玖は無言で俺の目の上を何度かキスをする。俺は彼を静かに抱き締めると彼が抱き締め返してくれる。

 暫くしてから俺達は起きた。

 軽く朝食を取る。今朝は外に匂いが漂わないように食べ物を温めない。この家でもテレビとネットを調べてみるが何も反応はない。

「なぁ剛、よくあるゾンビ映画みたいに田舎へ逃げるのはどうだ?」

「船で無人島に逃げるっていうのも多いぞ」

「あんまし現実的じゃねぇよなぁ」

「まぁ、でも田舎へ行くのは一番得策かもな」

「お前はどこに行きたいんだ?」

「寒過ぎて冬の食糧に困らないような場所だったらどこでもいいかな。理玖だって寒過ぎる場所は嫌じゃない?」

「俺も誘っているの?」

 理玖が笑う。

「あんたと一緒だというのが前提だったけど。俺だけ田舎に行っても詰まらないし。それにあんたがいないと俺はすぐに死ぬ可能性高いぞ」

 彼が少し嬉しそうにする。

「確かに剛は少しどんくさいよな」

 理玖はカーテンの掛かっている窓の方に顔を向ける。

「海岸沿いだったら冬でも食べ物釣れそうだと思わねぇか? ここに留まっている理由もねぇし、今から行ってみるか?」

 彼の方を見ると僅かに耳が赤くなっている。俺は漏れてしまう笑みを浮かべて彼の肩に手を回して横から抱き締める。

「行く」

「じゃあもう行こうぜ。あいつ等と遭遇したくねぇ」

 俺達は新しい服や残っていた缶詰と飲み物をかき集める。

「この家の車で行こうか」

 昨夜のトラックはそのままにして、止まっていたセダンに荷物を詰め込む。急いで逃げる場合のリュックに加え、大きな問題に遭遇しなかった場合の為に使えそうな物も少し詰め込む。理玖がまたハンドルを握る。

 お互いに少し浮きだっている気がする。

 夜の熱がまだ続いている気がする。

 理由はないがお互いに脳裏に鍋の事を考えているのかもしれない。昨日散々どんな鍋が好きか話し合っていたのだから。

 だから気付くのが遅かった。黒い大きなバンが追いかけてくる。

――――ヤバい! 気付かれた!

「理玖、後ろに車がいる!」

「嘘だろ!?」

 理玖がバックミラーを手で調整しながら後ろを見る。

「ああ、畜生! 奴等だ! ちょうどこの辺りにいやがったのか!」

 俺は念の為バッグシートに積んでいた小麦粉の袋と武器を引き寄せる。鼓動が耳の中で暴れているようだ。理玖は右に急ハンドルを切ってバイパスへと向かう。

「スピード出せるんだったらこっちの方が速い。飛ばすぞ」

 俺はナイフで小麦粉の袋の上を裂く。窓を下げて車から散らすようにそれ後ろに投げる。後ろの視界が一気に真っ白な粉末で隠れる。バックミラーには相手の車が見えない。

「上手くいったのか?」

キキキキキィィィィィィ

 甲高いブレーキ音がする。

 続いて凄まじい衝突音。

 背後の白い靄の隙間からより濃い煙が立ち上がるのが見る。

がぅう!

 ゾンビが一体、真正面から車に突き当たる。

「うわ! 何だ!?」

 衝突音と共にフロントに真っ黒な体液が飛び散る。ウォッシャーで洗い流すと間近にゾンビ二体顔が迫っている。

 目を見開く。

 ゾンビの濁った眼が俺達を見据えて両手を車に伸ばす。

ドン ドンッ

 ゾンビの頭がフロントガラスに爆ぜる。ゾンビに気を取られて道の真ん中の物体が見えなかった。

 衝突で体が前に投げ飛ばされる。俺の体がガラスを突き破る。周りのガラスが雨のように空から飛び散り、落ちてくる。

 無意識に頭を庇って丸まった上半身を急いで起こす。ガラスが肩や髪から落ちる。ゾンビの上半身は跡形もない程潰れている。

 理玖が見えない。

「理玖!」

 俺はふら付く足で急いでドライバー側のドアへと駆け寄る。シートに力なく横になっている。大きな外傷は見えないが鼻血が出ている。俺は急いで力が抜けた彼の体を車から引っ張り出す。頭を強打したらしく意識が朦朧としている。俺は彼の体を抱えながら近くを見渡すと大きな建物の真横だ。後ろを振り返ると少し先に例の男達が二人程こちらに向かっているのが見える。向こうも事故が酷かったみたいで出血してふらついている。俺は理玖を抱えて建物に入る。

 何台も大型車が展示されている。その隙間に体を押し込めて奥へと入って行く。

「……剛。俺が最初車屋に行こうって言ったからって、別に今行かなくってもいいぞ」

「頭どう?」

「割れるように痛い。吐きそう」

「脳震盪を起こしている。どこかで隠れられる場所を探そう」

 肩に回した理玖の腕が重い。少ないがゾンビもいるみたいで何処かからか声が漂ってくる。廊下を数回曲がると倉庫みたいな場所で何台もの大型車が停められている。奥の横の方の一台を覗き込んでドアに手をかける。鍵は掛かっていない。俺は理玖が入るのを助けると後から入ってドアを閉める。

 息を潜める。

 理玖を横にして優しく髪を撫でる。頭痛が酷いみたいでずっと顔を顰めている。

 あの人間が俺達を追って建物に入ってきたらしい。ゾンビが騒いでは、また静かになる。

カタ ……ン

 倉庫の中でどこからか音がする。俺は窓から覗くが何も見えない。

いきなりすぐ真横の窓が飛び散る。目を反射的に閉じる。

 すぐに窓の方を向くと狂ったような表情の男がナイフを振り上げている。

 恐怖でスローモーションに見える。

 俺が狙われる。ナイフを俺に突き刺そうとしている。

ヒュッ

 喉が鳴る。体が動かない。

 理玖が腕を引っ張って俺の体に追い被さる。

 彼の体が強張る。

ブシュ

 ナイフが彼の腕に突き刺さる。

「理玖!」

 俺は彼のベルトに括り付けられている杭を掴み引っ張る。振り上げて窓から身を乗り込んでいる男の首に突き刺す。

「ぎゃああああ!」

 真っ赤な血が溢れ、溺れるような音がする。男の体が窓の反対側に崩れ落ちる。

 理玖の上腕が血で染まっている。

「腕を見せて!」

 俺は彼の上着を脱ぐと深そうな傷を急いで止血する。

「頼むから、もう俺を庇って怪我するな」

「気付いていたら、体が、動いていたんだよ」

 理玖が痛みに顔を歪める。少し息が上がっている。

うがぁあああ!

 間近でするゾンビの唸りに弾かれたように車の外を見る。

 ゾンビが三体倉庫に入っている。

「理玖、悪いけど出るぞ。今行かないと出られなくなるかも知れない」

 理玖が無言で頷く。顔色が悪い。俺はドアを開けて下で崩れ落ちた男を踏み越えて出る。理玖が降りるのを助ける。

 俺はバールを近い方のゾンビの頭に突き刺す。他の二体も向かってきている。次のはバールを強く振り回して頭を叩き潰す。

 片手で理玖の体を支えると入口の方へと向かう。最後の一体はゆっくりと腐敗した腕を伸ばしてくる。俺はバールを振り回してまた頭に叩き込む。柔らかく腐敗の進んだ頭がぱっくりと裂ける。

「やれば……出来るじゃねぇかよ」

 理玖が笑う。俺は苦笑しながら彼が歩くのを助ける。入口の方の車へ向かう。

 廊下には誰もいない。何も聞こえなくって少し安心する。隣の理玖の鼓動が少し早い。

 ドアを通って外へと出る。少し眩しい太陽が目を指す。

「剛、あっちの車はどうだ?」

 理玖が腕を伸ばして端っこの車を指差す。

 真っ直ぐ伸びた指先に目を向ける。

 その瞬間。

 ゾンビが落ちてきた。

がうぅがあぁぁ!

 ドアの上にいたのであろうゾンビは俺達の真上に飛び乗る。重い冷たい肉体が流血している理玖の肩に噛み付く。

 ズブズブと歯が彼の皮膚に喰い込む。

 俺はそのゾンビの頭を掴むと思いっきり引き剥がして地面へと放り投げる。バールをその頭に突き刺す。

「くっそぉ!」

 理玖が肩を押さえて蹲る。急いで彼の手を退かすとはっきりとした歯型が刻まれている。黒いゾンビの液体がその噛み痕を濡らす。

 喉から空気が漏れてヒュッと変な音が出る。

「畜生! 畜生、畜生!」

 理玖が毒づく。

――――どうすればいいんだ!?

 すぐ中にある給水機に走って行くと僅かに水が残っている。俺はそれを急いで備え付けのコップに何度も組んで理玖の元へと走ってはその噛み痕を洗い流す。理玖の傷を強めに洗い流す。彼の皮膚に触れる指が震える。

 何度も洗い流す。

「大丈夫だから。まだ大丈夫だから!」

 何度もそこを綺麗にしようと指で擦る。

 声が震える。

 涙が溢れてくる。

「畜生……。これだったらお前ともう一回キスしときたかったよ」

 俺は流れる涙をそのままに彼の顔に手を添える。

 理玖が急いで俺の唇を掌で覆う。俺は彼の掌にキスをする。目を合わせる。

「まだ大丈夫な筈だから」

「駄目……だろ」

 俺は理玖の手を退かして唇にキスをする。優しく唇を唇で挟んでキスをする。舌をゆっくりを入れると彼の体がビクッと跳ねる。彼の頬に触れている手に彼の熱い涙がポタポタと垂れる。

「……っは」

 絡み合う舌が熱い。

 熱くって、涙の味がする。

「行こうぜ。五日ぐらいは、ある筈だ」

 彼を支えながら車の間を歩いて行く。

「お前の作った熱々の鍋……食ってみてぇなぁ」

「いくらでも作るから! 理玖の欲しい物なんでも作るから!」

「あと……剛の恋人とするようなセックス……がしたい」

「好きなだけしよう!」

「……はは。それは……楽しみだなぁ」

 車にたどり着くと俺はドアを開けて理玖を座らせる。顔が青白い。

「……剛、俺が……死んだ後――――」

「てめぇら! ぶっ殺してやる!」

 俺に矢を放っていた男だ。俺は理玖の前でバールを構える。その男は完全に焦点の会っていない目で掴みかかって来る。ゾンビそっくりな姿だ。ナイフを振り上げる。俺は男の腕を摘かむとそのナイフを持って手をギリギリと絞める。

 目の端で男がもう片手でナイフを振り上げるのを見える。

 理玖が後ろから俺の服を掴み、俺を引っ張る。

ヒュン

 男のナイフが振り下ろされる。

 目の前で理玖の胸部から血が吹き出る。

 理玖は杭を男の喉深くに突き入れる。

 血飛沫が上がる。

 そのまま、崩れる。

 俺はうつ伏せに倒れた理玖を急いで起こす。

 目が開いたまま、動かない。

 胸の血が広がっていく。

「理玖。理玖。理玖。……理……玖」

 彼の顔に触れる。

 動かない目。

「う……」

 彼の頬に俺の涙が落ちる。

 強く、強く理玖の体を抱き締める。

「ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」



    ◇

 理玖は戻ってこなかった。

 あの日、俺は彼の体を抱き締めて泣いた。

 そしてそのまま助手席に彼を乗せて走った。

 ゾンビとして戻ってくるかわからなかった。まだ感染して間もなかったのだから。心臓も完全に止まっていた。

 彼は、戻らなかった。

 起きている間、少しずつ腐っていく彼の体をずっと眺めて過ごした。

 人間はなんて脆いんだ。

 彼に会いたい。

 彼と話したい。

 彼と一緒に笑いたい。

 彼を抱き締めたい。

 冬が来る。ゾンビはかなり死に絶えてきた。餓死と腐敗が原因だろう。地球は見事に俺達寄生虫を駆除した。

 今日も俺は彼の墓に寄る。

「今日は二匹釣れたよ。なんか、よく分からない魚だけど。今日も鍋にしようかと思ってさ。ちょうどカボスもいい感じだしポン酢を作ろうか。また後で夕飯持ってくるよ」

 石碑の代わりに積み重ねた石に軽く触れる。

 俺は立ち上がって独りで家の方へと帰って行った。



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一度だけあの日に見た夢を 如月紫苑 @kisaragishion

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