第4話 無才

 嫌悪感。

 胃の内容物が込み上げてくるような嫌悪感に苛まれ、ハクは吐き気を覚えた。


(手を触られる? 師父以外の男に?)


 血の気が引く。指先から、体の芯まで、冷たくなっていく。


(嫌だ、この体は師父だけのもの。他の男に触れられるなんて、死んでも嫌)


 ハクは内心を必死に隠していたつもりだったが、まるで隠しきれていなかった。


 彼女の態度の変化に気付いた青年が、慌てた様子で早口に弁明する。


「ご、誤解しないで! ま、魔法は、誰にでも使えるんだけど、使うための器官は多くの場合眠ってるんだ。だからまず、それを目覚めさせないといけなくって、そのためには触れた状態じゃないとダメで」


 ハクはいよいよ苦虫をかみしめたような表情になった。


 最悪、他に6人も魔法使いがいるのだから、今回はチャンスを見送り、他の魔法使いから秘密を聞き出すことも考えていた。

 だが、それも難しいことが判明する。


 魔法を使えるようになるためには、肌と肌が接触している必要がある。


 その報せはハクを絶望させるに十分な内容だった。


 もっとも、始まりの7人のうち2人は女性なのだが、この時点でハクはそれを知らなかったのだった。


(うぅ……っ、師父! 申し訳ございません!)


 本気で嫌だな、と思いながらハクは手を差し出して、青年は嬉しそうにその手を取った。


 そして。


(熱……っ⁉)


 握った手から、激しい熱が蝕んでくる。

 手のひら、手首、前腕、肘、上腕、肩口、鎖骨、胸、そして心臓。


「か……っ!」


 背中を背後から手のひらで強打されたような衝撃が、ハクの胸を突き上げる。


「な、なに、これ」


 気づいてしまえば、どうしていままで感じ取れなかったのかと不思議に感じる、熱源。

 ちょうど心臓と重なるように、奇妙なエネルギー源が、蛇がとぐろを巻くように渦を巻いている。


「そ、それが魔法の源、魔力だよ。こ、この杖を握って、意識を杖の先に集中してみて」


 ハクはしれっと青年の手を振りほどきながら、しかめっ面で、青年の所有物である杖を受け取った。

 まるで汚いものに手を突っ込んでいるようなぞわぞわした悪寒に苛まれる。

 内心で、こんな状態で集中なんてできるわけない、とハクは悪態をついた。


「魔法の系統は4つに分かれるんだ。ま、まずは水をイメージしてみて」


 ハクが杖の先に水球をイメージする。

 しかし変化は現れない。


「じゃ、じゃあ石は?」


 今度は手のひらサイズの石を思い浮かべてみるが形にならない。


「か、風なら」


 何も起こらない。

 もしや騙されたのだろうか。

 ハクが青年を疑い始めた、その時。


「火」

「え、きゃぁっ⁉」


 杖の先から、ボウと勢いよく火柱がたった。


「す、すごいよ! まさか初めからこんなにすごい火を出せるなんて! 君は天才だ!」

「あ、ありがとう」


 どうやら、騙されていたわけではなかったらしい。

 ハクは心からの笑顔で、青年に聞こえるように、杖を返しながら感謝の言葉を口にした。


 青年はまんざらでもない様子で杖を受け取ると、照れくさそうに頬をかいた。


(別に、魔法を使えるようにしてくれてありがとうって意味じゃないけどね)


 二人の間には微妙なすれ違いが生じていた。


 ハクが言うありがとうとは、ロギアにいい土産話ができたから嬉しいという意味だ。

 彼の思っているような、彼に向けて放った好意の表れというわけではない。


 彼女は青年の勘違いを正しく理解したうえで、あえてそれを訂正せずに微笑んだ。

 馬鹿なやつめ、と。


「ね、ねえもしよかったらこの後――」

「ごめんなさい。私、急ぐ用事があるの」

「え、あ。うん」


 早く伝えないと。


 ハクは強迫観念めいた使命感に突き動かされて、ロギアの待つ北部へと急いだ。


(魔法の仕組みをお伝えして、いっぱい褒めてもらわないと)


 頭を撫でてもらう未来を夢想する。

 口の中にじっとり、唾液があふれ出していた。


  ◇  ◇  ◇


「師父、いらっしゃいますか?」


 まだ日も暮れないうちに、ハクが帰ってきた。

 何か問題でも起きたのだろうか。


 まさか、暗示が解けて、報復に来た?

 いや、それなら師父とは呼ばないか。


「ハクか、どうした」

「やりました、やりましたよ! 私、魔法が使えるようになりました!」

「……は?」


 え、いくらなんでも早すぎない?


「見ていてください」


 ハクは近くの木から枝を一本無造作に折って杖代わりにすると、まぶたを閉じて呼吸を整え始めた。

 まるで精神の統一、杖の先へと意識を集中させる儀式。


 そして、枝の先に小さな火球が灯る。


「おお、すごいなハク。まさかこんなに早く魔法の秘密を持ち帰ってくれるなんて予想もしなかったぞ」

「えへへ」


 ハクが頭をこちらに差し出したので、彼女へのご褒美としてお望み通り優しく頭を撫でる。


「ハク、それは俺にも使えるのか?」

「もちろんです。では、少し失礼して」


 ハクは俺の背後へと回り込むと胴体に腕を回し、鼻の頭を押し付けるように俺を抱擁した。


「……ハク? 何してるんだ?」

「魔法を使うための儀式です。魔法を使うための器官は普通眠っているので、それをいまから揺り起こします」

「それは、この体勢じゃないとダメなのか?」

「ダメです」


 俺の疑問が言い終わらぬうちに、ハクが被せるように食い気味に答える。


「ハクもそうしたのか?」

「あ」


 盛大に、しまったといった様子でハクが声をこぼした。


 なるほど、嘘か。

 なんとまあ、ここに来たばかりのころは純真な子だったのに、平然と嘘をつくようになってしまうだなんて。

 いったいどんな悪いやつの毒牙に掛かったのやら。

 俺、悲しいよ。


「えい!」


 すべてを誤魔化すように、ハクが大きな声を出した。

 背中を鈍器で殴られたような衝撃が走る。


「……なんだこれ、心臓のあたりに、変な感覚が」

「それです。それこそが魔法を使うための素、魔力というらしいです。ささ、師父、この枝を握り、杖の先に意識を集中させてください」

「わかった」


 ひとまず、火の玉をイメージしてみるが何も変化が無い。


「魔法には四つの系統があるらしいです。順に、水、石、風、火。どれに適性があるかは人それぞれだとか」

「ハク……よくこの短時間でそんなに詳しく調べられたな」

「偉いですか?」

「ああ、偉い偉い」

「えへへ」


 先ほど火をイメージしても変化が起こらなかったのは、俺に火属性への適性が無かったからか。


 それなら風は? ……起こらない。

 水は? ……生成されない。


 微妙な気分になった。

 消去法から、俺の適性は石になる。


 石、石かぁ。

 いや、バナナ型神話をはじめとして、永遠の命の代表格ではあるけれど、飾らずに言ってしまえば、地味だ。


 本音を言えば、俺だって炎や水や風でカッコいい魔法を使ってみたかった。ちくしょう。


「……あれ?」


 杖先に石を生み出すべく、岩石のイメージを思い浮かべてみる。


「師父? どうしました?」

「何も、起きないんだ」

「苦手属性だったのでは? 他の属性はいかかでしょうか?」

「試したんだ、4属性、すべて」


 しかし、何も起こらない。


「ハク、魔法の系統は4つだけなのか?」

「は、はい。そのように申しておりました」


 嫌な汗がじっとり、肌に溢れる。


「もしかして俺って、魔法の才能無し?」

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