第3話 真理

「国王様が悪人なんて、そんなはずありません」


 少女は狼狽した。

 俺の言葉を否定する材料を必死に探しているようだった。


「だって、だってみんな言ってました。いまの暮らしがあるのは、国王様のおかげだって」


 健気だ、と思った。

 与しやすいとも思った。


「だがそのみんなの中に、君は含まれていなかった。違うかい?」

「そ、れは」


 少女の目が泳ぐ。

 見たくない現実から目をそらすように、偽り続けてきた本心と向き合わずに済むように、そんな魂胆が丸わかりだった。


(まあ、時系列的に考えて、彼女が困窮した状況を放置してたの俺なんだけどね)


 俺一人で百人を超える人々の暮らしの細部に至るまで気を配るのはさすがに無理がある。


 全員が全員幸福な国なんておとぎ話だ。

 何故ならそれを実現するには徹底管理社会が必要になるが、ディストピアには自由も幸福もありはしないからだ。

 個々人に裁量権を与える以上、幸不幸の多寡はどうしても生じてしまう。


(俺が表舞台に立つことは二度と無い。彼女は俺が前王だと気づいていない。つまり、彼女が自らの不幸の原因を俺だと気づく機会は永遠に失われたわけだ)


 完璧な采配だ。

 と、自画自賛したいところだが、彼女の説得は難航していた。

 先ほどからしゃくりをあげてばかりで、いまいち俺に全幅の信頼を寄せてもらえない。


 性急過ぎただろうか。


 まあいい。

 未育成の駒の替えなどいくらでも効く。

 彼女が俺に不信感を持つようなら、他に都合のいい人物を勧誘しに行くだけだ。


 作戦に抜かりは無い。


「……私は、どうすれば、いいですか」


 だが、結論から言うと、替えを用意する必要はなくなった。


「これ以上、私のように苦しむ人を、見たくありません。どうすれば、みんなが幸せになれますか?」


 心優しい少女に、俺は俺に都合のいい嘘をプレゼントする。


「大丈夫。俺が君を導いてあげる。俺の言うとおりにすれば、みんなが幸せになれる」

「は……い……」

「いい子だ。君の名前は?」

「……ハク」


 かくして、俺は手駒を一つ手に入れた。


「ハク。この世界には、天でも裁けない悪がはびこっているんだ」


 ゆっくりと、時間をかけて、彼女に偏った知識を埋め込んでいく。


「誰かが天に代わって誅罰を下さなければならない」


 俺の都合がいいように、望む神話を描くために。


「悪しきを討つ、これは天の御心で、君はその執行者だ。正義の代行者である君は常に正しい」


 無垢で心優しい彼女の在り方を、その根本から捻じ曲げていく。


「君を非難する者こそが悪だ」


 善に強い者は悪にも強い。


「用心しろ。追い詰められた人間は、ありとあらゆる策を弄し、君を陥れようとするだろう」


 だから、俺は心優しい彼女を選んだ。


「君が信じていいのは俺だけだ」


 彼女はきっと、俺が望む巨悪に育ってくれるはずだ。


  ◇  ◇  ◇


 彼女は俺を、親愛をこめて師父と呼ぶ。

 本来両親から受け取るはずだった愛情の代わりを求めるように俺を慕い、俺の関心を惹くために有能であることをアピールする。


 事実彼女は優秀だった。

 こちらが教えたことは、スポンジが水を吸うように次から次へと吸収していく。


 だから、知識を偏らせてやれば簡単に俺の都合のいい手駒に堕ちた。

 そんな愛らしい彼女を、俺は今日も打算を隠した優しさで迎え入れる。


「ハク、君にしか頼めないお願いがあるんだ」

「なんなりとお申し付けくださいませ。師父の願いとあらば、どんな無理難題でも実現して御覧に入れましょう」


 俺が申し訳なさそうに彼女を頼ると、彼女は嬉しそうな表情で恭順を示した。


(頃合いだな)


 彼女の中で唯一絶対の指針は俺となった。

 ここまでくれば暗示はそう簡単に解けないはずだ。


「ハク、国へ帰るんだ」

「……ぇ」


 短く言い放った言葉は、ハクを金縛りにした。

 短くない沈黙が続いたのち、ようやっと思考を取り戻したハクが、酷く狼狽した様子で泣きすがる。


「ど、どうして、ですか。わ、私が、邪魔になりましたか?」

「違う。言っただろう、これは、君にしか頼めないお願いだと」


 ハクは俺に上目遣いの視線を送った。地獄の底で天から伸びる蜘蛛の糸を見つけたように。


「アルカヘイブンを統べる7人の魔法使いたち、その誰からでもいい。魔法の秘密を聞き出してきて欲しい。いわばこれは、諜報活動だ」

「で、では私が不要になったわけではないのですね?」

「手放すわけがないだろう。ハク、お前はずっと、俺のものだ」


 そう言って彼女を抱きしめると、ハクは俺の腕の中で声を殺すように泣きじゃくった。

 安堵の色合いの強い声だった。


「頼めるか?」

「先に申し上げました通りです。それが、師父の望みだというのであれば」


  ◇  ◇  ◇


 かくして少女、ハクは生まれ故郷であるアルカヘイブンへと舞い戻った。

 目的は敬愛するお方からの使命を果たすこと。

 その他一切は目的を果たすための手段。


 この極端な思考がロギアによってもたらされた英才教育の成果であり、彼女が生涯大事に抱えることになる恒常不変の真理である。


(師父は私に大役をお任せくださった。期待に応えないと)


 絶対順守事項、『ロギアの言葉は絶対』だ。


 どうしてそう感じているのか、彼女自身にもよくわかっていない。

 だが、それを疑問に思うことはない。


 何故なら、『彼の言葉を疑う必要はない』からである。


 二つの命題が互いの真を取り合って、疑問を抱くことを許さない。


「こんにちは、この国に、始まりの7人と慕われる魔法使いさんがいらっしゃると伺ったのですが、どこへ行けばお目通りがかなうでしょうか?」


 ハクはひとまず情報収集のため、近場にいた優しそうな青年に声をかけた。


「え、やだなぁ、僕ってそんな風に呼ばれてるんです? 照れるなぁ」

「もしかして、ご本人ですか?」

「えっと、まあ、はい」


 ハクが知らずに声をかけた相手は、偶然にも始まりの7人の一人だった。

 彼女は内心でしたり顔を浮かべ、やや大仰に喜びを表現した。


「きゃーっ、感激です! お話を聞いて、一度お目にかかりたいと思っていたんですよ!」

「ほ、本当? じゃあ、少しだけ、魔法を見せちゃおうかな……水よ!」


 青年が咳払いをして杖を振るうと、杖の先にこぶし大の水球が浮き上がる。


「わぁ、すごーい」


 ハクは胸の前で指先だけを合わせるように手を合わせて魔法を盛大に称賛した。

 少しわざとらしいくらいの言葉を、しかし、気をよくしている青年は素直に受け取る。


「実は難しいことじゃなくて、ちょっとしたコツがあるんだ」


 少し恥じらいながら照れくさそうに語り出した青年を、ハクは内心で嘲笑した。


(どうやって魔法の仕組みを聞き出そうかと思ったけど、手間が省けたわね)


 その嘲りが一切表に出ない表情操作で愛らしい笑顔を張り付けて、ハクは青年に問いかける。


「えー、それって私にもできるってことですか?」

「も、もちろんだよ! あ、いや、同じ属性が使えるかはわからないけど」

「属性?」

「うん。人によって、得手不得手があるんだ。僕が得意なのは水」


 目の前の青年と会話のやり取りをしながらも、ハクの頭の中の大半はロギアのことで占められていた。


 魔法使いから情報を引き出すことには成功した。

 広義の意味では使命を果たせたとも言える。

 ではここで情報を持ち帰るべきだろうか。


 否。


(引き出せる情報、全部引き出してあげる)


 どうすれば魔法を使えるのか、それも含めて。


「私も、魔法を使いたいなぁ」

「ええ⁉ えっと」

「コツ、教えていただけませんか?」


 ハクが瞳を潤ませて上目遣いに詰め寄ると、青年は声を詰まらせてたじろいだ。


「こ、困ったな……むやみやたらに魔法使いを増やすなって厳命されてるんだけど……」


 はっきり言って、このひと月と少しでハクは見違えるほど美しくなった。


 近代、顔が左右対称の人物を魅力的に感じることが判明しているが、これは一説には左右対称である人物は免疫力が強い、つまり健康であり、遺伝子競走で有利だと感じるからだと言われている。


 ロギアのもとでしばらく暮らしていたハクの健康状態はかなり上等な部類。


 青年が先ほどからしどろもどろなのは、ハクがあまりにも魅力的だったから、というのがある。


「わ、わかった。で、でも、誰にも秘密だよ?」

「ええっ! いいんですか?」

「と、特別にだからね」

「ありがとうございます!」


 ハクは内心でちろっと舌を出した。

 簡単に秘密を引き出せた。

 これでロギアにまた褒めてもらえる、と。


 だが、


「ただ、その、手を、つないでもいいかな?」

「……え?」


 青年から切り出された条件を前に、ハクは笑顔が凍り付かないようにするので必死だった。

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