第2話 再会の日――シュゼットの場合

 少女シュゼット・フローレスは、その時を一人静かに待ち望んでいた。


 ふわ、ふわとウェーブがかった春に咲く桜色のロングヘア。卵形の顔に、砂糖菓子のような甘い相貌そうぼう

 長い睫毛まつげに抱かれた大きく丸い藤紫ふじむらさきの瞳は満月の形に似ていて。乳白色の肌は未踏みとうの銀世界のような透明感を帯びている。


 小柄で華奢きゃしゃな身をピンクの上衣じょういとズボンの病院着に包んで、決まり切ったように白一色の病室にいる。


 たおやかに野に咲く一輪の花のようでもあり、夜空に月虹げっこうをまとい現れる神秘的な月のようでもあり、すべてを等しく儚い白銀に染め上げる雪のようでもある。


 雪月花せつげつかの美を有する可憐な少女。


 人に好みは数あれど、彼女に限って言えば百人中百人が美少女だと認めるだろう。そのくらい人を魅了できる容姿の持ち主だった。


「ホクラニさん……」


 その小さな唇から紡がれる声は、飴細工あめざいくみたいに甘く澄み渡っている。

 どこか異国の姫君と言われても納得してしまいそうなこのシュゼットは、ごく短期間でありながらも実際にある国の第二王女であった頃がある。


 世の中には様々な事情がある人間が存在する。

 シュゼットがこれまでの人生から抱えてきた事情は、並大抵の者なら迷わず逃げ出すであろう程重苦しいものだった。


 こん、こん、こん。軽やかにドアがノックされた。


「シュゼットちゃん、具合はどうかしら?」


 白い引き戸が滑らかに開く。玲瓏れいろうな声が無機質な病室に響いた。


 現れたのはこれまた美しい女性だった。


 シュゼットが大自然に悠然とたたずむ雪月花とすれば、こちらは後世に至るまで語り継がれる完成された一つの芸術作品のようだった。


「こんにちは。セレスティア様」

「こんにちは」


 セレスティアは今彼女らがいる都市の『代表』を務めている女神だ。


 このアタラクシアでは、ありとあらゆる種族が『人間』として人権を認められている。


 何を隠そう神族や天使といった天上種てんじょうしゅと呼ばれる者たちにも、この世界では人権があった。


 無論地上に住まう種からすれば理解しかねるような、超然とした力を平気で操る天上種たちだ。

 あちらにはあちらでルールがあり、そのお陰で天界と地上界という異なる次元の『人間』同士が共生できている。


 神にも色々いて、天界にいることを好む者がいれば、積極的に地上との交流をする者もいる。


 人は神様を敬愛し、また神も人の子に慈愛を尽くす。

 そんな愛のサイクルが自然と成り立っていた。


「ちょっとだけ様子を見に来たの。そろそろチトセくんが来る時間でしょうから、すぐお暇するわね」


 愛と夢の女神たるセレスティアは、言いながら優美な微笑をたたえる。


「セレスティア様は、ホクラニさんが来るのにはご一緒されないのですか?」


「私は時折チトセくんにはお会いしているし。今回シュゼットちゃんはせっかく久しぶりにチトセくんに会えるのだもの、二人きりのほうがいいでしょう?」

「そ、そうですか」


 二人きり、という言葉にシュゼットの心臓が反応した。ばくんと爆発みたいな音を立てる。


「わたし、今のままホクラニくんに会って大丈夫でしょうか……」

「何も問題はないわよ?」


「ですが……わたし、あの頃とはずいぶん変わってしまいましたし……」


 シュゼットは以前チトセとメモリアで交流していたことを言っている。

 あの時チトセは入院していたしシュゼットもわけがあったしで、交流していたのはこの病院の中ばかりでだった。


「何であれ変わるものと変わらないものがある。チトセくんだってそう、シュゼットちゃんだってそうよ」


「ただ……わたしは、かなりたくさんのことがあって……。こころが、壊れたような、時期もありましたから……」


 少女の途切れ途切れの言葉に、女神は切なげに眉を寄せた。


 心が壊れていた。

 チトセとシュゼットが離れている間に、シュゼットが打ちのめされて立ち上がれなくもなるような出来事があった。


 ろくに言葉も発せなかった時すらあったことは、セレスティアも知っていた。


「あれは私があなたを助けられなかったせいでもあるもの。シュゼットちゃんは気にしなくて良いの」

「…………」


 まだ何か言いたげなシュゼットだったが、セレスティアが言うことは正しいと黙ってうなずく。


「じゃあ、時間でしょうからこれで失礼するわ。またお話しましょうね」

「はいっ」


 セレスティアが退室して、数分も経たないうちに。


 その時は来た。


 ――来てくれたのだわ。


 こん、こん、こん。またドアがノックされた。

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