妖精狐が歌姫を愛す御伽話

七草かなえ

第1部 哀が愛に変わるまで

序章 再会の日

第1話 再会の日――チトセの場合

 魔法世界アタラクシア。


 世界地図の中央に座するラウレア大陸の内陸に位置するアルコバレーノ王国の、諸事情により地図にはらない都市『メモリア』にて。


 メモリア市役所庁舎にいくつもある小会議室の一室に、二つの人影があった。


 一人は十三歳の少年、もう一人は二十代半ばの青年だ。


 青年は整髪剤でばっちり整えた薄茶の髪にヘーゼルの瞳で、役所にいるにしてはラフな服装をしている。 

 まるでホストクラブで指名ナンバーワンでも取れそうな華美かびな雰囲気をまといながら、誠実な人柄で周囲の信頼を得ていた。


 そんな容姿だけみると場違いな青年が、重々しく口を開ける。


「メモリア市未成年退魔師部隊テンペスタース所属、未成年退魔師チトセ・ホクラニ。君を今日これからシュゼット・フローレスのメインアテンドとする」


「ありがとうございます」


 少年がうやうやしく深い一礼をした。


「後日正式に任命式が行われるが、君の仕事は今日から本格的に始まる。退魔師としてアテンドとして、同い年の女の子の心と体を守ってもらうことになる。俺たち職員も全力でサポートする。だから決して一人で抱え込んだり、無理したりはしないように」


「はい」


 少年はしっかりとした返事をした。


 美しい少年だった。


 雪白せっぱくの長髪は瑠璃色のリボンでポニーテールに結わえられて、さらりと背中に流されている。

 にきび一つない色白の肌に、優しげに整った東洋系の顔立ち。爽やかな空色の瞳は、唯一無二の輝きを宿している。

 細身ながら引き締まった体つきで、手脚てあしは長い。


 そして。少年チトセは妖精狐ようせいきつね、妖精種の一種だった。


 妖精狐たる証として、頭からは大きな狐の耳が、腰からは柔らかそうな尻尾がはえていた。

 雪白の尻尾をくゆらせ、姿勢正しくたたずむ姿はまさに妖精。

 精巧に作り上げられた雪像せつぞう氷像ひょうぞうの思わせるように繊細で涼やか。性別を超えた美少年だ。


 美しい妖精狐は、子どもながら退魔師をしていた。魔物を戦って倒し、人々や街を守る戦闘職業だ。


 アタラクシアでの魔物は、抑制された人々の負の感情が邪気となって空気中に流れだし、邪気同士が結びつき合うことで発生する。


 世の中には運悪く、生まれつき邪気を引きつけやすい体質の人もいる。

 これからチトセたちがアテンドとして守護することになるのも、そういう体質の持ち主だった。


 アテンドというのは、特定人物の心と体両方を守る役割のことをいう。単なる護衛とは異なり、身の回りの世話を行う場合も多い。


 今回のチトセのように退魔師がアテンドとなることも多いが、退役騎士などが着くこともある。


 十三歳の少年一人に業務すべてを負わせるのは難しい。

 なのでチトセと親しい退魔師仲間二人がサブアテンドに着き、大人たちによるサポート体制も万全としている。


「さっそくこれからシュゼットと顔合わせだが……心の準備はいいのか?」

「はい、いつでも。大丈夫です」


 あまりにもチトセがしっかりと返事を返すから、青年は一拍おいてこう言った。


「チトセ。君はずっと、シュゼットとの再会を心待ちにしてきた。何なら彼女との再会のためだけに生き延びてきたところがあるだろう?」


「……それは、そうですね」


 チトセは守護対象であるシュゼット・フローレスと、以前にこのメモリアで交流していた時期があった。


 あれは今から三、四年ほど前のことだ。当時チトセもシュゼットもまだ十歳だった。今目の前にいる青年ベンジャミン・アンドレイアは今の職に就いたばかりの頃だったと記憶している。


 一緒に話して遊んで、笑って泣いて。


 いつの間にか、チトセはシュゼットにはじめての恋をしていた。


 しかしシュゼットはメモリアを去ることになってしまった。

 そうなった理由は簡単にああそうですか、と納得できるものではない。言ってしまえば、大人たちの勝手な事情からだ。


 チトセからしてみれば、愛しい少女を奪われたに等しい。それでも再会の約束を交わして、笑顔で見送ったのだ。



「フローレスさん」


 ベンジャミンの後について、シュゼットの待つ場所へと移動する最中に。

 チトセは誰にも聞こえない音量で彼女を呼んだ。


 シュゼットに会えることも、彼女のアテンドになれることもずっと楽しみにしていた。


 それでも不安は尽きない。

 シュゼットがこれまでってきたたくさんのことを考えると、抑えきれない怒りと悲しみが同時に沸き上がり呆然としてしまいもする。


 たくさんのことがありすぎて、一度は心を壊してしまったという彼女のことを。


「……今も好きだよ。フローレスさん」


 かつて別れる際、愛の告白をした女の子のことを、ただ想った。

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