第五話「海と水着と友達と」

次の日の昼過ぎ、日陰が目を覚ますと、スマホに通知が届いていることに気づいた。寝ぼけ眼で確認してみると、クラスメイトで同じ写真部の坂本さかもとりょうからのメールだった。


『日陰!もう写真部の課題の写真撮った?まだ俺撮れてないんだよね!今日一緒に撮らないか?』


亮は入部初日から話しかけてきて、流れで連絡先を交換した相手だ。

学校やメールでもこうしてたまに声をかけてくるが、今日もそのパターンかと少し面倒に思い、一旦スマホを閉じた。

だがすぐに、また通知が届く。


『おーーーい!行こうぜー!!』


その強引さに少し呆れながらも、仕方なく返信を打つことにした。


『俺はまだいいかな』


美晴と一緒に行った海で既に夏らしい写真は撮ってある。

ただ、わざわざ亮に説明するのも面倒なので、曖昧に断ろうとした。

しかし、送信してすぐにまた返信が表示される。


『まだってなんだよ!夏休みなんてすぐ終わるぞ!行こうぜ!海!海!』


その言葉に、日陰は「海って…」と心の中で呟く。すでに海には行ったし、普通にめんどくさいのでこのまま断ろうと指を動かそうとした瞬間。

ふとあることに気がつく。


あの日の写真はほとんどが──いや、全部が美晴を写していて、海はあくまで背景にすぎなかった。

あの写真をそのまま提出するのは、どう考えてもまずい気がしてきた。

クラスメイトや先生が見たら、突然知らない女の子がずらりと写っているわけで、「誰これ?」ってなるのも想像に難くない。

注目を浴びるのはできるだけ避けたい。


「……女の子ばっかり撮ってるって、俺、変な目で見られないか?」


独り言のように呟き、スマホを手に握り直しながら、日陰は少し悩んだ顔で再び亮からのメールを見つめた。


---


「ぉおおおお!来てくれてマジでありがとう!!」


駅に着いた日陰を見つけるや否や、亮は勢いよく声を上げた。相変わらずテンションが高い。朝の駅前の空気には少し浮いているほどだ。

エネルギッシュで明るい雰囲気で髪は短く、ツンツンと立てたようなセットが特徴的だ。

どちらかというとスポーティーな印象で、程よく筋肉質な体つきをしている。

また、日陰と比べると少しだけ背が高い。その体格や快活な性格が相まって、どこかスポーツ部のエース的な印象を与えるが、実際には写真部というギャップがある。


「やっぱ夏休みといったら海だよな!海!テンションぶち上げてきたからな!」


亮の勢いは止まらない。日陰の返事を求めることもなく、一人で話し続けている。テンションが高いのはいつものことだが、今日の亮はさらに拍車がかかっているようだった。


「おいおい!どーしたよ日陰!そんな怖い顔して!」


亮が明るく突っ込むと、日陰はうんざりした表情で彼を見つめた。その視線には明らかな不快感が含まれている。

その理由は亮の後ろにあった。


日陰が怪訝そうに視線を移すと、亮の後ろには二人の女の子の姿があった。

一人は藤本ふじもと翔子しょうこ。写真部の同級生だ。学校ではあまり目立たない彼女だが、よく見ると整った顔立ちをしている。黒髪を三つ編みにまとめ、眼鏡の奥から少し控えめな瞳でこちらを見つめていた。地味で控えめな雰囲気だが、清楚で知的な印象がある。今日の彼女は、花柄の白系ワンピースに麦わら帽子、肩から斜めにかけられたシンプルなバッグという夏らしい装いだ。普段の印象とは違い、可愛らしさが際立っている。

そしてもう一人──梅澤うめざわ星奈せな。彼女は学年で「マドンナ」と呼ばれるほどの存在感を持つ。色素の薄いボブヘアが軽やかに揺れ、目を引く整った容姿に思わず視線を奪われるほどだ。黒の短めのスカートと、インナーが透ける白のシースルーシャツを羽織っていて、右腕には黒のバッグを掛けるように持っている。そのコーディネートは洗練されていて夏らしい。

脚は驚くほど長く、すらっと伸びて綺麗だ。人目を引くその姿に、日陰も一瞬見とれた。

だが、日陰の中でそれは単なる感心で終わった。確かに目立つ容姿ではあるが、もし自分が彼女の立場なら、容姿だけで注目を集めるのはきっと窮屈だろうと考えてしまう。


亮と二人で気楽に行くつもりだった日陰は、思わぬ状況にげんなりして口を開いた。


「ちょっと用事思い出したから帰るわ」


棒読みの口調でそれだけ告げると、日陰はくるりと背を向けようとした。だが、すぐさま亮が慌てて日陰の肩を掴む。


「おいおい!待て待て待て!」


亮は慌てて耳打ちをする。声を落とし、周囲に聞こえないように小声で話し始めた。


「ごめんって!二人のこと黙ってたのはマジで悪かった!だけどな!一年のマドンナ星奈さんを誘うにはこうするしかなかったんだ!」


必死に言い訳する亮に、日陰は眉をひそめながら深いため息をつく。


「はぁ?どういう意味だよ」


亮の言葉の意図を測りかねる日陰の声には、苛立ちと戸惑いが入り混じっていた。


---


亮の説明を聞きながら、日陰は次第に全貌を理解してきた。

どうやら亮は星奈に好意を抱いており、何とかして夏休みに彼女と出かける口実を作りたかったらしい。星奈と翔子は親友同士でいつも一緒にいることを知っていた亮は、そこで「写真部の課題」を巧みに利用する作戦を考えたようだ。

まず、同じ写真部である翔子に連絡を取り、「夏らしい写真を撮りに行こう」と提案。そこで「星奈さんも一緒にどうかな?」と、いかにも自然な流れを装って誘いをかけた。ここまでは順調だった。


しかし、亮には一つ大きな問題があった。それは、好きな子である星奈と、その親友である翔子。この二人の間に男一人という構図だった。いくら彼が勢いのある性格とはいえ、さすがにこの状況にひとりで臨む勇気は持ち合わせていなかったようだ。

そこで亮は、次なる策を思いついた。それは、翔子に対して「日陰も一緒に行く」と勝手に付け加えることだった。もちろん日陰本人には何も伝えていない。

だが、翔子にそう伝えることで「本当に夏の写真を撮りたいだけなんだ!やましい事なんて何もないさ!」という安心感を与え、計画をさらにスムーズに進めることができたらしい。

そして、この状況が出来上がったというわけだ。


「な、分かってくれたろ?頼むよ日陰!ここで帰られたら、俺がマジで困るんだ!」


亮が必死に懇願するように言い募る中、日陰は深いため息をついた。状況を無理やり作り上げた亮の行動には呆れを覚えたものの、彼の努力や必死さを想像すると、完全に拒絶するのも少し罪悪感が湧いてきた。

日陰は納得しきれない部分を抱えつつも、諦めたように大きくため息をついて口を開いた。


「……わかった。行くけど、写真撮ったらすぐ帰るからな」


その言葉に、亮の顔はパッと明るくなり、手を叩くように喜びの声を上げる。


「ありがとう!!!心の友よー!!!」


亮のテンションに呆れながらも、日陰は肩をすくめて小さく頭を振った。そのまま亮が「よし!行こうぜ!」と勢いよく地面に置いていたボストンバッグを持ち上げる。バッグは亮の肩にしっかり掛けられたが、その大きさがやけに目についた。


「おい!なんでそんなに大荷物なんだ」


日陰は怪訝そうに眉をひそめる。亮はその指摘に対して得意げに笑みを浮かべた。


「楽しみにしとけってー!!」


亮のハイテンションぶりに、日陰は再びため息をつく。どうせまたろくでもないことを考えているのだろう。しかし、日陰は心の中で決意を固めた。


(俺は海の写真を撮ったらすぐ帰る。それだけだ)


そんな日陰に、ふいに優しい声がかけられた。


「日陰……くんだよね。今日はよろしくね」


振り向くと、星奈がこちらを見て微笑んでいた。日差しを浴びて輝くようなその姿に、日陰は一瞬息を呑む。顔立ちはまるで絵画から飛び出したかのように整っている。「マドンナ」と呼ばれるのも納得の容姿だった。


「……あ、あぁ。星奈さん。こちらこそよろしくお願いします」


なぜか同級生にもかかわらず、敬語で返してしまった自分に驚く日陰。彼のぎこちなさに気づいたのか、星奈はくすりと小さく笑ってから、柔らかく頷いた。


「ありがとう。今日はいっぱい写真撮ろうね」


その声に、日陰の緊張が少しだけ和らいだが、続いてまた別の声が聞こえた。


「よ、よろしくね。日陰くん……」


遠慮がちな声とともに、今度は翔子が一歩前に出た。控えめな仕草だが、黒髪を三つ編みにまとめた清楚な印象の彼女は、花柄の白いワンピースに麦わら帽子をかぶり、まさに夏の少女という雰囲気だった。透き通るような肌と知的な眼鏡越しの瞳が、一歩下がったような控えめな立ち振る舞いと相まって、不思議な存在感を醸し出している。


「あ、こ、こちらこそです」


またしても日陰は敬語になってしまった。

翔子は小さく頷いて、少しホッとしたように微笑む。

その様子を見ていた亮が、やれやれといった表情で口を挟む。


「おいおい!日陰、俺を置いて楽しんでんじゃねーよーー!!」


ひとりでテンションを維持し続ける亮に、日陰は心の中で軽く呆れるが、なんとか自分を落ち着けるために視線を外し、亮の背中を追うように歩き始めた。


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新幹線に揺られ、静岡駅に着いた一行はさらに電車を乗り継ぎ、ついに目的地の最寄り駅にたどり着いた。駅舎は小ぢんまりとしているが、どこか観光地らしい雰囲気が漂っている。

ふと、日陰の鼻を潮の香りがかすかにくすぐった。そして、その駅名を目にした瞬間、彼の記憶が鮮明に蘇る。


(ここ……美晴さんと行ったあの浜辺から、そんなに遠くない場所じゃないか)


美晴と海に行く前に地図を眺めていた時のこと。この駅名を確かに目にした記憶がある。電車で少し移動すれば、あの静かな穴場の浜辺へと辿り着ける距離だろう。


(美晴さん……今、何をしているんだろう)


ふと、彼女の笑顔が脳裏をよぎる。波打ち際を駆け回り、陽の光の中で笑っていた彼女の姿。その無邪気な表情や、海辺でシャッターを向けるたびにこちらを振り返った彼女の仕草。まるで数時間前のことのように鮮やかに蘇り、日陰の胸に微かな痛みを伴った感情を残した。


「おーい!なにぼーっとしてんだよ!行くぞ!」


亮の声が響き、日陰はハッと我に返る。軽く首を振って美晴の姿を追う考えを振り払うようにして、彼らの後を追った。

駅を出て少し歩き始めると、潮風が肌を撫で、青く広がる空と白い砂浜が視界に広がり始めた。いくつかの家族連れやカップルが歩いているが、ぱらぱらと点在する程度の人影。混雑はしておらず、どこか静けさが漂う。


「わー!綺麗だね!」


星奈が感嘆の声を漏らす。その表情はどこか嬉しそうで、眩しいほどに輝いていた。


「す、すごい……綺麗……」


翔子も控えめに声を漏らしながら、帽子を押さえて風になびく髪を整えている。花柄のワンピースが風に揺れ、どこか懐かしい夏の風景の中に溶け込んでいた。


「でっけー!すげぇ!」


亮は声を張り上げながら砂浜に向かって駆け出していく。その無邪気なテンションに、日陰は思わず苦笑した。


(……広いし、綺麗だな)


日陰も心の中でその景色に感動していた。一昨日訪れた静かな浜辺とはまた違うが、開放感のある広い海に心が少しほぐれるようだった。人影もぱらぱらと点在するだけで、多すぎないのが心地よい。


(悪くない……かもな)


気持ちを切り替えるようにして、日陰も砂浜へと足を踏み入れた。

すると亮が勢いよく声を張り上げた。


「よーーし!じゃあ水着に着替えるぞー!」


その一言に、日陰は眉をひそめた。だが、星奈と翔子は特に疑問も抱かず、亮が指さした更衣室の方向へと向かう。


「ありがとう!」


星奈が明るい声で礼を言い、翔子と並んで歩き出す。その後ろ姿を確認した亮が、満足げに頷いてから日陰に振り返り、腕を引っ張るように言った。


「ほら!行くぞ!」


しかし、日陰は亮の言葉に不満げな顔をしながら足を止める。


「おい。写真撮るだけなんだよな?なんで着替える必要があるんだ!そもそも水着なんて持ってきてない!」


写真を撮るだけだと聞いていたのでもちろん日陰は水着など持ち合わせていない。

怒りを滲ませたその声に、亮は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐにどこか得意げに胸を張った。


「ばかやろう!高校生にもなって【TPO】もわからないのか?海に来たら水着に着替えるのは当たり前だろ!それに、私服でカメラ持ってウロウロしてる男なんて警戒されまくり、下手したら監獄行きだぞ?」


わけのわからない理論を並べ立てる亮に、日陰は苛立ちを隠せなかった。


「俺は嫌だぞ!もう今から写真二、三枚撮って帰る!」


そう言って、首にかけたカメラを両手で持ちながら、半ばヤケクソのように海へ向かって歩き出した。だが、亮は慌ててその肩を掴み、引き止める。


「何言ってんだよ!星奈ちゃんと俺との恋のキューピットになってくれる話はどうなったんだよ!」


「そんな役割引き受けた覚えはない!それにもう目的地には一緒に来れたんだから、俺必要ないだろ」


「いやいやいやいや!流石に1人は無理!緊張する!無理だから!マジで頼む!日陰の分の水着も持ってきてるんだよ!」


「……は?」


呆れる日陰をよそに、亮はさらに声を張り上げた。


「心配するな!新品だぞ!昨日買ったばかりのやつだから!袋からも出してない!」


亮の必死な様子に、日陰は心底ため息をついた。ここで突っぱねるべきだと思いながらも、亮の熱量に圧倒される形で言葉を飲み込む。


「あーーーもう、なんなんだよお前」


そう言って顔をしかめたものの、亮の勢いに押されるように渋々歩き出した。


「わかったから……早く着替えよう」


諦めたようにそう告げた日陰の顔には明らかな怒りが浮かんでいたが、その内心には少し違う感情も混ざっていた。


(……水着で海なんて、小さい頃に家族で行ったくらいだよな)


だが、その記憶もほとんど覚えていない。こうして同年代の人間と、しかも男女で浜辺にいること自体が、彼にとって初めての経験だった。


(なんだこれ……妙に落ち着かない)


怒りに隠れるようにして、自分でも気づかない浮ついた感情が胸をくすぐっているのを感じる。亮に引きずられるように更衣室へ向かいながら、日陰はこっそりと深呼吸をした。


---


着替えを終えた日陰と亮は、女子更衣室の近くで待機していた。日陰は無地のシンプルな黒の海水パンツを身に着け、腕を組みながら目線を海の方に向けている。対照的に、亮は黒地に蒼いドラゴンが大きく描かれた、どう考えても派手すぎる海水パンツを着用していた。


「……おいおい、どこの小学生だよ」


日陰は心の中で呆れながら、幼い頃に見た習字道具や裁縫セットにドラゴンのイラストがプリントされていた記憶を思い出していた。あれと同じようなセンスじゃないかと思いながら、顔をしかめる。


(センス無さすぎだろ……)


内心そんな評価を下していると、亮が胸を張りながら自信満々に言った。


「あー?なんだ日陰、お前もこっちが良かったか?流石にこれは勝負海パンだからな!悪いが、いくら日陰でも貸してやれねぇよ!」


日陰はその発言に一瞬驚きながらも、すぐに冷めた視線を亮に向けた。


(貸してほしいとも思わねぇよ……むしろ罰ゲームだろこれ)


面倒くさくなり、返事をせずに無視することに決めた。

そんなやり取りをしていると、女子更衣室の扉が開き、翔子と星奈が姿を現した。

翔子は黒地に花柄のワンピース水着を着用しており、麦わら帽子をそのまま合わせている。首にはミラーレス一眼カメラを掛けていた。

少し小柄な彼女の可愛らしい雰囲気と、そのカメラと水着のデザインのバランスが絶妙に合っていた。日陰は一瞬「ほぼ服じゃないか?」と思ったが、よく見ると体のラインをさりげなく強調する巧みなデザインに驚かされる。


(……水着ってすごいんだな)


少し感心しつつも、次に目に入った星奈に、思わず息を飲んでしまった。

星奈は真っ白なビキニを着用していた。大胆に肌を露出したデザインが、彼女の抜群のスタイルをこれでもかと際立たせている。特に胸元や腰回りの曲線は驚くほど滑らかで、彼女が高校一年生だとは到底思えないほどの大人びた色気を放っていた。


(……あれ、本当に高校生か?)


日陰は思わずそのスタイルに見惚れてしまい、慌てて視線を逸らそうとしたとき、隣の亮の方を見て固まった。

亮がゆっくりとぱたりと砂浜に倒れ込んでいたのだ。


「おい!亮!だ、大丈夫か!?」


日陰が焦って声をかけると、亮は地面に右手で作ったグッドサインをつけながら、気絶したように弱々しく呟いた。


「……さ、最高だぜ……」


その姿に、日陰は一瞬驚いたものの、すぐに何とも言えない感情が胸をよぎった。


(なんなんだ、こいつ……)


思わず顔を手で覆いそうになるのをこらえながら、日陰の口元には少しだけ笑みが浮かんでいた。


「おい!亮!星奈さんたち来るぞ」


その一言に反応した亮は、まるで電気が走ったかのように「ぴきーーん!」と直立し、次の瞬間には全力で手を振り始めた。


「よっ!こっちこっちー!!!」


亮の派手なアピールに、遠くから歩いてきた星奈が思わず吹き出した。


「ふふっ、亮くん、相変わらず元気だね」


その屈託のない笑顔に、亮のテンションはさらに上がっているようだった。一方で翔子はというと、少し顔を赤らめながら恥ずかしそうに視線を下げ、歩みを緩めて近づいてきた。


(……亮、お前、恥ずかしくないのか?)


日陰はちらりと亮を見やり、ため息をつきながらも、こちらに向かってくる二人を見つめていた。


「よーし!全員揃ったな!」

と意気揚々の亮が、地面に置かれた大きなボストンバッグのチャックを勢いよく開け始めた。日陰はその光景を訝しむように見つめる。


「おい、何するつもりだ?」


「見てろよ~!俺の完璧な準備力を見せてやる!」


亮は得意げにバッグの中をゴソゴソと探り始めた。そして最初に取り出したのは、大きく畳まれたブルーシートだった。


「ほらな!まずはこれ!海といえばブルーシートだろ!」


「お前……ここに長居するつもりだな」


冷めた声で突っ込む日陰。しかし、亮は意に介さず手際よくブルーシートを広げ始める。さらに、バッグの中から折り畳み式の簡易テントを取り出した。

「そしてこれだ!簡易テント!日陰、お前も感動していいぞ!準備万端ってやつだからな!」


「……」


呆れたような視線を向ける日陰だが、亮は気にも留めず黙々と準備を進める。


「女子もいるんだし、これくらいやっておかないとだぞー!」


その言葉に、翔子が少し恥ずかしそうに微笑み、星奈も「流石〜!」と手を叩いて亮を褒める。


「流石って……」


日陰はため息をつきつつ、亮がブルーシートをきっちり広げ、簡易テントを組み立てる様子を見ていた。


「ほら日陰!お前も手伝え!」


「いや、俺は写真撮りに来ただけだって……」


「いいからいいから!これが終わったら写真撮れるから!」


渋々亮の勢いに押され、日陰もテントの組み立てを手伝うことにした。数分後には、ブルーシートとテントを組み合わせた簡易キャンプスペースが完成していた。


「ふぅ!これで準備オッケー!どうだ、完璧だろ?」


胸を張って自慢する亮に、日陰は冷ややかな目を向ける。


「……まあ。準備だけは完璧だな」


その口調は素っ気なかったが、内心では少しだけ感心していた。ここまでしっかり準備をしてきた亮の情熱には、それなりに理由があるのだろう。


(これも……全部星奈さんのためなんだろうな)


そう思うと、亮の必死さが少しだけ理解できたような気がする。だが、その瞬間、不意に美晴の顔が脳裏をよぎった。

波打ち際で笑う美晴の姿。


(いやいやいや。美晴さんは……そういうのじゃないだろ…)


慌てて頭を振り、思考を打ち切るようにして、美晴のことを心の奥に押し込めた。


「よし!じゃあ写真撮るぞー!」

亮がバッグからスマホを取り出し、声高に号令をかけると、星奈がすっと手を挙げて答えた。


「あ!じゃあ私、撮ってほしいで〜す」


その一言に亮は一瞬ビクッと固まり、日陰も横目でその様子を伺う。だが、亮はすぐに照れ隠しのように戯けて声を張り上げた。


「お、おうよ!いっぱい撮らせていただきますぜ!」


亮は星奈を先導しながら海の方へ向かい、パシャリパシャリと写真を撮り始めた。星奈は高校生とは思えないほどのスタイルと自信に満ちたポージングを次々と決めていく。白いビキニが太陽を反射し、まるで砂浜に輝く一輪の花のようだった。

日陰はブルーシートの端に腰を下ろし、その様子をぼんやり眺めていた。


(すごいな……別の世界の住人すぎる)


亮が時折星奈に褒め言葉をかけながらシャッターを切る光景は、どこか非現実的に見えた。日陰は自然とため息をつく。

その時、不意に小さな声が聞こえた。


「と、隣……いい……かな」


日陰はその声にビクリと反応し、視線を向ける。そこには、恥ずかしそうにこちらを見ている翔子の姿があった。黒地に花柄のワンピース型の水着に麦わら帽子を合わせた彼女は、控えめな雰囲気ながらもその清楚な魅力が夏の日差しの中で際立っている。


「あ、ど、どうぞ」


ぎこちなく返答すると、翔子はホッとしたように安堵の表情を浮かべ、そっと隣に座った。しばらく二人の間には沈黙が流れ、翔子は自分の首にかけられたミラーレス一眼カメラにそっと触れる。そして、日陰の首にかけられた一眼レフカメラをちらりと見つめながら、口を開いた。


「しゃ、写真って撮るの楽しい……よね」


日陰はその言葉に少し戸惑い、楽しいのかなと考える。廃校の写真を初めて撮った時、言葉では表せない不思議な安心感を覚えた。それから何度か引き寄せられるように廃校を訪れた。美晴と出会った時のこと、そして海でのこと――その記憶がふと蘇り、ゆっくりと口を開いた。


「……ある人に言われたんですけど、カメラって何か特別なものを切り取るための道具……らしいです。綺麗なものとか楽しい時間とか、そういうものを切り取って忘れないように残すために写真を撮るのかなって……最近、気づきました」


その言葉を発した瞬間、自分でも驚いた。いきなり何を言っているんだ俺は、と自己嫌悪に陥り、慌てて言い直す。


「い、いや、今の無しでお願いします!ごめんなさい!変なこと言いました」


翔子は驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐに微笑みながら小さな声で返した。


「す、素敵ですね……それ」


自分のカメラを両手で支える翔子の姿に、日陰は恥ずかしさと少しの安堵を覚えた。


「……写真とか全然興味なかったんですけど、今はもうちょっといろんなものを撮ってみようかなって思ってます。楽しいかはまだ分かりませんが」


日陰の言葉に翔子は首を小さく縦に振りながら続けた。


「す、凄く高そうなカメラを持ってるから、てっきり……写真を撮るのが好きな人なんだと思ってた……」


「あぁ、こ、これは……父親が写真部に入るならって、いい物を使った方が良いって感じで、勝手に買ってきました……」


「そ、そうなんだ……凄いね……結構高いのに」


翔子の言葉に、日陰はようやくその事実を改めて実感した。父親が買ってきたこの一眼レフは、間違いなく高価なもので、日陰はそれを当たり前のように使っていた。


(そうだよな……言われてみれば、結構な金額するよな)


何も考えずに使っていた自分が恥ずかしく思えてきて、日陰は小さく息を吐いた。

そんな日陰の様子を見ながら翔子が静かに自分のカメラに触れ、ぽつりと呟いた。


「私……は写真を撮るのが……好き」


その言葉に、日陰は自然と視線を向けた。翔子は少し恥ずかしそうに自分のミラーレス一眼カメラを両手で持ち、そっと画面を操作している。


「これ……」


カメラを日陰の方へ向け、画面を見せてくる。日陰は戸惑いながらも、反射的に答えた。


「あ、はい」


画面に目をやると、写真が一枚ずつスライドされていく。それらは四季折々の風景を背景にした、星奈の写真だった。春の桜並木で満面の笑みを浮かべる星奈。夏の緑濃い公園でアイスを食べる姿。秋の紅葉を背にポーズを決める横顔。そして冬の雪景色の中で、マフラーに顔を埋めた温かみのある表情──それぞれが、季節ごとの美しさを鮮やかに切り取っていた。

写真から伝わるのは、星奈をただ「綺麗に撮る」というだけではない、翔子の深い愛情と尊敬だった。何気ない日常から特別な瞬間まで、どの写真にも星奈という存在の輝きが凝縮されている。

日陰は写真を見つめながら、素直に感想を口にした。


「綺麗な写真ですね……あと……星奈さんと本当に仲が良いんですね」


その言葉に、翔子は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに顔を赤らめて視線を落とす。そして、ぽつりと呟いた。


「うん……中学時代から一緒にいる…本当に星奈は綺麗で……憧れ、だから……」


ぎこちないながらも懸命に言葉を紡ぐ翔子。その顔には照れと、日陰に星奈を褒められたことへの嬉しさが浮かんでいた。

そんな翔子の様子に、日陰はふと疑問を抱く。


「しょ、翔子さんは一緒に写真を撮らないんですか?」


何気ない問いだった。写真を見る限り、旅行やイベントの場面が多いように見える。仲が良いのなら、ツーショットの一枚くらいあっても不思議ではないはずだが、翔子自身が写っている写真は一枚もなかった。

その言葉に翔子は、ピタリと動きを止めた。そして、自分のカメラをそっと見つめながら、小さな声で答える。


「わ、私は……星奈と並んで写真なんて撮れないよ……」


その言葉には遠慮が滲んでいたが、どこか本当は撮りたいという気持ちも透けて見える。星奈に対する強い憧れと、自分との違いを痛感しているからこその言葉なのだろう。

翔子の言葉を聞いて、日陰はそっと息を吐いた。写真には翔子の視点が映し出されている。星奈を撮ることで、彼女はきっと、自分が一緒にそこにいた証を残しているのだろう──そう思った瞬間、日陰の口から言葉が飛び出した。


「今日……俺が……2人の写真を撮りますよ」


言葉を発した途端、自分で何を言っているのかとハッとなる。顔がじわじわと熱くなり、恥ずかしさがこみ上げてきた。反射的に出たらしくなさすぎる発言に、自分でも動揺を隠せない。


(なんだこれ……俺、何を言ってるんだ……)


ただ、彼女の中に星奈と一緒に写真を撮りたい気持ちがあるのでは、と直感的に感じたからこそ出た言葉だった。

翔子はその言葉に少し驚いたように目を丸くし、それから顔を俯けて小さく呟いた。


「わ、私はダメだよ……星奈みたいに綺麗じゃないし……星奈を撮れるだけで幸せだよ」


その言葉には、遠慮とともにどこか寂しさが滲んでいた。星奈への憧れと自分との比較が、翔子にそう言わせているのだろうと日陰には感じられた。

日陰は一瞬ためらったが、思わず口に出していた。


「しょ、翔子さんも……綺麗ですよ」


その言葉に、翔子は息を呑むように目を見開いた。次の瞬間、顔を真っ赤に染め、慌てて俯いて両手で顔を隠してしまった。


(あっ、やばい、やばい……)


日陰もその反応に焦り、慌てて手を振りながら謝る。


「ご、ごめんなさい!急に気持ち悪すぎました!」


頭を下げる日陰だったが、彼女の心の奥に隠れている本音を感じた気がした。本当は星奈と一緒に写真を撮りたい──そんな思いが、彼女の中にあるように思えてならない。

ぎこちない沈黙が二人の間に流れる。そんな空気を破ったのは、少し離れたところから聞こえてきた亮の声だった。


「おーい!日陰は撮らないのか?」


亮が砂浜の方からやってきて、日陰の顔を覗き込むように問いかけた。次いで、星奈も後ろから軽快な足取りでやってきた。

「お待たせ!翔子にも撮ってほしいな」

星奈は柔らかく微笑みながら、翔子に向けて声をかける。その視線を受け、翔子は少し照れくさそうに微笑み返した。


「うん」


短く答えた翔子の表情には、どこか穏やかな光が宿っている。

そんな二人のやり取りを見ていた日陰は、心の中で覚悟を決めたように口を開いた。


「星奈さん。」


星奈は振り返り、日陰に目を向ける。


「ん?日陰くん、どうしたの?」


星奈の問いに翔子も視線を日陰に向ける。二人の注目が自分に集まったことで、日陰は一瞬戸惑いながらも、声を絞り出した。


「……星奈さんと翔子さんのツーショット、撮ってもいいですか?」


勇気を振り絞ったその言葉は、波音にかき消されることなく、しっかりと二人の耳に届いた。

星奈は日陰の提案に少し驚いた様子を見せたが、すぐにその意図に気づいたのか、柔らかく微笑みながら翔子に声をかけた。


「翔子、どうかな?日陰くんにお願いしてみない?」


その優しい誘いかけに、日陰は星奈もまた翔子とツーショットを撮りたいと思っていたのだろうと察した。きっとこれまでも星奈は何度か提案してきたのだろうが、そのたびに翔子が遠慮して断ってきたのだろうと感じる。

翔子は再び視線を俯け、小さな声で呟いた。


「わ、私は……星奈を撮れるだけで……」


また同じ言葉を繰り返そうとする彼女を見て、日陰は思わず声を強めた。


「俺が撮りたいんです!夏休みの課題だから!」


勢いのあるその言葉に、翔子は驚いたように目を丸くした。星奈も一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに微笑む。


「だって!翔子!日陰くん、同級生女子の水着姿がすごく撮りたいみたいだよ!」


星奈は日陰の意図を汲み取りながらも、わざと誇張してからかうように言った。


「あ、そ、そういうことでは……」


日陰が慌てて否定する間もなく、亮がオーバーリアクションで割り込んできた。


「おい!日陰!どういうことだよ!!!まさかお前も……!?」


(お前は黙ってろ)


心の中でそう呟きながら、日陰は深くため息をついた。


「はい!はい!はい!!!俺も2人の写真撮りたいです!!!日陰に独り占めはさせません!!」


亮は興奮気味に手を挙げながら叫んでいる。周りの空気などお構いなしのその様子に、日陰は再び呆れつつも心の中で亮を完全にスルーすることに決めた。

星奈はそんな二人を見て微笑み、翔子に視線をやる。


「2人の課題の手伝いに来たんだし、協力してあげないとね」


そう言いながら、優しく翔子の手を取る。その言葉に促されるように、翔子は顔を赤くしながらも意を決したかのように、ぽつりと呟いた。


「私なんかで……いいのかな」


その瞳にはかすかに涙が滲んでいて、不安と迷いが入り混じっていた。

星奈はそんな翔子を真っ直ぐ見つめ、満面の笑みで答える。


「もちろん!」


その言葉に翔子の表情が少しだけ和らぐ。そして、星奈は日陰たちの方を向き、楽しげに言葉を続けた。


「寧ろ、綺麗な私たち2人の写真が撮りたいんだよね?」


彼女は「綺麗」という言葉をわざと強調しながら、誇らしげに笑った。

日陰は頷き、亮は即座に叫ぶ。


「当たり前だよ!!!早く撮らせてほしいくらい!」


翔子はまだ少し照れくさそうだったが、それでも星奈の手を握り返しながら、小さく頷いた。

翔子は恥ずかしそうに目を伏せながら、小さな声で言った。


「…お願いします」


その言葉を聞き、日陰は自然と緊張を感じながらも、2人を海辺へと誘導する。背後には広がる青い海、輝く砂浜。その風景に2人の姿が映えるようなポジションを見つけ、ようやく日陰はカメラを構えた。


「じゃあ撮ります!」


日陰の合図に、星奈はすぐにピースのポーズをとり、眩しい笑顔をカメラに向ける。しかし、隣の翔子は顔を伏せたままで、頬が赤く染まっていた。その様子に、日陰はカメラのファインダーから目を離し、どうしたものかと考え込む。


「えーーーい!」


突然の声とともに、星奈が翔子の脇腹を指先でくすぐった。


「あッ……ん」


驚きとくすぐったさが混じった声が翔子の口から漏れる。その瞬間、日陰の頭に「なんかちょっと……エッcだ」という不埒な感情が浮かんだが、すぐにそれを振り払った。

翔子は体をくねらせながら必死で笑いを堪えようとする。


「ほ、星奈……やめッ……死んじゃう!」


それを楽しむかのように、星奈はクスクスと笑いながらくすぐり続けている。翔子の顔には涙が浮かんでおり、笑いながらも懸命に逃げようと体を捩っていた。


「じゃあ笑って!一緒にピースしよ!」


星奈はそう言いながら、くすぐりをやめてピースの形を作り、翔子を促した。涙目になりながらも、翔子はぎこちない笑顔を浮かべてピースのポーズをとる。その姿に、日陰はようやく安心して再びカメラを構えた。


「じゃあ撮りますね」


ファインダー越しに見えるのは、広大な青い海とその前で笑顔を浮かべる2人の女の子。星奈の華やかさと、翔子の控えめながらも可憐な表情。それが不思議と調和し、夏の風景とともに美しい構図を描いていた。


——カシャ


シャッター音が静かな波音の中に響く。その瞬間、日陰の胸にじんわりとした高揚感が広がった。

(これが……大切なものを切り取るということか)


美晴が言っていた「写真の意味」がふと頭をよぎり、その言葉が胸の奥に温かく染み込む。自分が今ここで切り取ったのは、きっとかけがえのない瞬間だ。日陰はその事実に、少しだけ誇らしい気持ちを抱いた。

写真を撮り終えると、星奈が日陰のそばに歩み寄り、カメラを覗き込んでくる。


「どんな感じかな?」


その笑顔を見て、日陰は少し照れながら答えた。


「2人とも……すごく綺麗ですよ」


カメラの画面を2人に見せると、星奈は満足そうに頷き、翔子は涙目のままその写真をじっと見つめた。


「日陰くん……ありがとう」


まるで心の中にあった何かが解き放たれたかのような表情で、翔子は涙を浮かべながら嬉しそうに笑った。その姿を見た星奈は、優しく翔子を抱きしめる。


「良かったね、翔子」


その優しい言葉に、翔子は一層目を潤ませた。


「お、俺のも見てほしいなー!」


亮が気まずさと強いアピールの気持ちが入り混じった声をあげながら、無理やり場の空気に割り込んできた。星奈は彼の様子に少し笑いながら頷く。


「見たい見たい!」


その言葉に亮の顔がパッと明るくなり、「ぉおお!どーぞどーぞ!」とスマホを差し出した。

翔子が画面を覗き込み、少し引きつったように呟く。


「た、大量……」


そこには連写されまくった星奈と翔子の写真がずらりと並んでいた。一瞬、場が静まり返るが、次の瞬間、星奈が大きな声で笑い始める。その笑いに、翔子もつられて微笑んだ。

日陰はそんな和やかな雰囲気を眺めながら、シャッターを切った瞬間の高揚感を思い返しつつ、日陰はもう一度カメラを構えた。その時、不意に翔子が駆け寄ってきて、恥ずかしそうに言葉を紡いだ。


「わ、私のでも……撮ってほしい」


小さな声でそう言いながら、自分のカメラを日陰に差し出す。日陰は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しく頷いた。


「もちろんです」


その返事を聞いた翔子の顔がぱっと明るくなり、彼女は小さく「ありがとう」と呟きながらカメラを日陰に手渡した。星奈の隣に並ぶと、今度は自然な笑顔をこちらに向ける。その笑顔は、先ほどまでの控えめで緊張した雰囲気を吹き飛ばすような、心からのものだった。

日陰は軽くシャッターボタンに指をかけ、改めて二人の姿をフレームに収めた。


「じゃあ、撮りますね」


そう言ってから、静かにシャッターを押す。


——カシャ。


カメラ越しに見る二人の笑顔は、まるで太陽のように眩しかった。翔子の表情には、何かが解き放たれたような晴れやかさがあった。その瞬間、日陰はカメラという道具が持つ力を改めて実感する。

そんな余韻に浸っていると、後ろから亮の声が響いた。


「じゃあ次は、みんなで撮ろうぜ!」


日陰が振り向くと、亮はお馴染みの大きなボストンバッグを開け、どこからか三脚を取り出していた。

(……4次元ポケットか?なんでも出てくるな)

呆れるように思いながらも、思わず苦笑いがこぼれる。亮は手際よくスマホを三脚にセットし、タイマー撮影の準備を整えていく。


「ほらほら!日陰も行くぞ!」


亮が満面の笑みで手招きする。そのテンションの高さに呆れながらも、日陰はため息をつき、重い腰を上げた。だが、内心では少し嬉しい気持ちもあった。同年代の人たちとこうして写真を撮るなんて、自分には縁のないものだと思っていたからだ。

日陰は翔子と星奈の元へ駆け寄り、翔子の隣に並び、次いで亮が星奈の隣に並んだ。

それぞれがポーズを取る中、日陰は慣れない手つきでピースをし、翔子も星奈も自然な笑顔を浮かべていた。


「タイマー5秒前!」


亮がそう叫び、全員がフレームに収まるように肩を寄せ合う。


「4……3……2……」


タイマーのカウントダウンが進む中、日陰はふと自分が今どんな表情をしているのか気になった。慌てて表情を整えようとした瞬間——


——カシャ。


シャッター音が響き、4人の姿が記録された。


「オッケー!撮れたぞ!」


亮がスマホを確認しながら大きな声を上げる。日陰は小さな安堵の息をつきつつ、ぎこちないポーズを取った自分の姿を想像して、内心少し恥ずかしくなった。


「どう?いい感じに撮れてる?」


星奈がスマホの画面を覗き込み、楽しそうに笑う。その隣で翔子もそっと画面を覗き込み、微笑みを浮かべていた。

日陰はそんな3人の様子を見ながら、自分も一緒に笑みを漏らした。ほんの少しだけ、胸の奥が温かくなるのを感じた。


---


電車が駅に滑り込み、ホームに降り立った一行は、それぞれの自宅の方向へ向かう準備を始めていた。あっという間の一日だった。あと後は海で遊び、写真を撮り、また遊んで──そんな時間を過ごした。日陰にとってはどれも新鮮な時間で、胸の中にじんわりと温かさが残っていた。

改札口の前で、星奈が振り返り、女神のような笑顔を浮かべながら手を振る。


「今日は楽しかった!亮くん、誘ってくれてありがとうね!日陰くんもありがとう!」


その明るい声に、亮は心臓を打ち抜かれたように硬直し、すぐに全力でテンションを爆発させた。


「お、おおおお!俺もめっちゃくちゃ楽しかった!!!またこのメンバーでどっか行こ!!!」


星奈はその勢いに笑いながら応じる。


「行こ行こ!」


隣で控えめにしていた翔子も、恥ずかしそうに小さく手を振りながら、少し噛み締めるように言葉を紡ぐ。


「あ、ありがとう……本当に楽しかった」


その小さな声には、今日の思い出を噛み締めるような特別な響きがあった。亮は満足そうに胸を張りながら頷いている。

その時、翔子がふいに日陰の方へ駆け寄ってきた。


「えっ?」


日陰が戸惑う間もなく、翔子は日陰の目の前に立ち止まり、まじまじと見つめてきた。大きな瞳には真っ直ぐな感情が宿っている。緊張した面持ちで、彼女は小さく息を吸い込むと、頑張って振り絞ったように声を上げた。


「ひ、日陰くん!あ、ありがとう!!」


その声は、翔子にしては驚くほど大きく、そして力強かった。周りの音が一瞬消えたような気がして、日陰は動揺し、頬が熱くなるのを感じた。


「あ……あぁ、うん」


返事をしようとしたが、言葉がうまく出てこない。だが、彼女の真っ直ぐな感謝の気持ちが伝わってきて、胸が温かくなるのを感じた。


「こちらこそ……ありがとう」


ようやく紡いだ言葉は、自分でも驚くほど自然で、敬語が外れていることにも気づかないほどだった。


「なんか、自分の中の大切なものが少しわかった気がする」


翔子はその言葉を聞くと、ぱっと笑顔を浮かべ、嬉しそうに頷いた。


「うん……」


それだけを言うと、翔子は星奈の元に戻り、再び彼女と笑顔を交わしながら改札へと向かってこちらに手を振り、歩みを進めた。

日陰はその後ろ姿を見送りながら、胸の中に言葉にできない温かいものが残っているのを感じた。


「なぁ、日陰!」


亮が横から声を掛けてきた。

日陰は彼に視線を向け、今日一日のことを思い出しながら、素直に感謝の気持ちを伝えようと思った。


「今日は……ありが」


だが、亮はその言葉を最後まで聞くことなく、急に拳を突き上げて叫んだ。


「あーーーー!!!!星奈さん可愛すぎんだろおおおおお!!!!!」


その雄叫びに、日陰は一瞬唖然としたが、次の瞬間には小さく苦笑いを浮かべていた。


「……はは…本当に好きなんだな」


亮のテンションは変わらず天井知らずだったが、そんな彼の姿を見ていると、日陰は少しだけ肩の力が抜けた。改札の向こうで星奈と翔子の姿が見えなくなり、日陰はふと空を見上げた。

今日の空も、また写真に撮りたくなるような、どこか特別な色をしていた。

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