第四話「夏の匂いに誘われて揺れる心」
家に戻り、玄関で「ただいま」とつぶやいた日陰。するとすぐに、母親の光が駆け寄ってきて、少し慌てた様子で声をかけた。
「あー!日陰!どこ行ってたのよ!心配したじゃない!電話もしたのに!」
光は日陰の顔を確認してほっとした表情を浮かべながら、続けている。言われて日陰が携帯を取り出して確認すると、「どこにいるの?」「いつ帰ってくるの?」といったメッセージが何十通も届いており、着信履歴には母からの電話が繰り返し残されていた。どうやらマナーモードにしていたせいで、全く気づかずに過ごしていたらしい。
母の気持ちを思い、少し反省しながらも、日陰は素直に謝った。
「ごめんなさい。今度からは気をつけるよ。心配してくれてありがとう」
その一言に、光は驚いたようにじっと日陰の顔を見つめた。
「どうしたの、日陰……今日はずいぶん素直ね」
母の驚きの表情に、日陰自身も少しだけ驚き、瞬きをする。いつもなら、軽く受け流してしまうような会話なのに、今日は自然と感謝の気持ちが口をついて出たのだ。
ふと、美晴の無邪気な笑顔が頭に浮かび、胸が温かくなるのを感じた。
きっと、彼女と過ごしたこの夏のひとときが、少しずつ自分に変化をもたらしているのだろう。
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日陰はシャワーを浴び、歯磨きを済ませると、寝巻きに着替えて自室へ向かった。ベッドに腰を下ろし、スマホのアラームを7時にセットする。画面に映る「7:00」の文字を確認しながら、ふと小さく呟いた。
「明日も……」
けれど、すぐにその言葉に自分で違和感を覚える。明日も?何か約束でもあっただろうか?……いや、今日のところは、ひまわり畑に行くことは話に出たけれど、次に会う具体的な約束なんてしていないはずだ。
日陰はベッドに転がり、頭の中でひとり考え始める。
「会う約束もしてないのに、明日行ったら……なんか、キモくないか?友達なら普通か?」
小さく頭を抱えながら呟き、しばらく考え込む。
「いや……もし美晴さんに何か予定があったら迷惑かもしれないし……でも、美晴さんは幽霊だから、他に先客は…多分いないよな?」
そう言いながら、また少し悩む。今度はベッドの天井を見つめ、じっと考え込む。
「いやいや、もしかしたら、ひとりでいたいって時だってあるし……うーん、でも、そもそも約束もしてないのに、急に会いに行くなんて……やっぱりダメ、だよな」
一人ベッドでボソボソと呟きながら、日陰は自分でもまとまらない思考を巡らせていた。
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「……うるさいな……」
ほとんど眠れないまま、アラームがけたたましく鳴り響く7時を迎えた。
結局、夜中の間ずっと、美晴に約束もしていないのに会いに行って良いものかどうかを考え続けていた日陰。
目をうっすらと開き、手を伸ばしてスマホを手探りで掴むと、アラームを止める。
少しだけ目をこすりながら、ぼんやりと窓の外の光に視線を向けた。
何やってんだろう、と呆れたような後悔が心に広がる。
結局、答えも出ないまま朝を迎えてしまった自分に、疲れとため息が押し寄せてくる。
「はぁ……寝よ」
そう呟くと、日陰は再び枕に顔を埋め、眠気と諦めに身を任せるように二度寝へと身を沈めた。
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日陰が再度目を覚ますと、部屋はすっかり薄暗くなっていた。手探りでスマホを手に取ると、表示された時刻は21時。窓の外は闇に包まれ、静かな夜が広がっている。自分でも驚くほど長く眠ってしまっていたことに気づき、日陰は思わずため息をついた。昨日の遠出の疲れもあったし、慣れない状況に緊張もしていたせいかもしれない。
「やれやれ……」
小さく呟き、ベッドから体を起こして階段を下りてリビングへ向かうと、両親がくつろいでいる姿が目に入った。母親の光は日陰の顔を見ると、驚きと安堵の入り混じった表情で微笑んだ。
「あ!日陰、起きたのね!いつまで寝てるのかと思ってたわよ」
その言葉に日陰は肩をすくめる。そして、父親の
「昨日は遅かったんだろ?どこに行ってたんだ?」
その問いに、日陰は一瞬返答を迷わせながらも、素直に答えることにした。
「海に……行ってたよ」
その答えを聞いた瞬間、両親は顔を見合わせて驚き、すぐに嬉しそうな声をあげた。
「海!?素敵じゃない!」
「海か!いいなぁ!写真撮ってきたのか?」
久志が身を乗り出すようにして尋ね、光も満面の笑みで日陰に視線を向けている。日陰はその期待に少したじろぎ、照れ隠しのように小さく苦笑した。
「まぁ……写真も撮ったよ」
「おお!じゃあ見せてくれよ!」
久志がさらに身を乗り出し、期待を込めた視線を向ける。だが、日陰はふとカメラの中の美晴の姿を思い出した。彼がレンズ越しに追っていたのは海だけではなく、美晴の笑顔や姿だったことを今さらながらに実感し、少し顔が熱くなるのを感じた。
寧ろ海は殆ど背景だったよな、、、。
「いや、カメラは部屋にあるし……」
「じゃあ取ってきてくれよ!」
日陰は苦しい言い訳を続けるように言葉を重ねる。
「……あんまりうまく撮れてないから、人に見せられるほどでもない」
その言い訳を聞いて、久志は少し腑に落ちない様子で眉をひそめたが、やがて諦めたように小さく頷いた。
「そうなのか?」
そのとき、光が柔らかな声でそっと言った。
「でもね、昨日帰ってきた時、なんだか楽しいことがあったんだろうなって、お母さんは感じたわ」
その言葉を聞いた瞬間、美晴の無邪気な笑顔が日陰の頭に浮かび、彼の顔が赤くなった。光は彼の表情を見てさらに微笑み、そっと続けた。
「いい友達でもできたのかな?って」
母親にそこまで見透かされていたのか。自分でも全く意識していなかったが、そんなに普段と違う様子を見せていたのかと思い返す。
「ま、まぁ」
その曖昧な返答を聞いて、久志もようやく気づいたように顔を輝かせ、さらに嬉しそうな顔を見せた。
「そ!そうか!友達と海に行ったのか!」
その言葉を聞いて、日陰はますます照れくささを感じ、思わず視線を逸らしながらも、どこか心地よい温かさが胸の中に広がっていた。
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