第2話 きっかけ
中学を卒業した僕は、高校生となった。
僕の新しいクラスには、知っている顔の方が多かった。
それも当然だ。
高校進学も、国によって、予定調和に割り振られる。
だから、クラスメイトの中には亮太もいるし、橘さんも含まれていた。
橘さんの席は、僕の斜め前。
ちょうど僕の席から、彼女の黒髪ボブカットの後ろ姿がよく見えた。
クラスの中で、目立たない存在であることに中学の頃から変わりなかった。
高校に入学しても、相変わらず、僕たちはほとんど言葉を交わさなかった。
もちろん同じクラスメイトとして、顔を合わせれば挨拶や最低限の会話は交わすけれど、他愛のない雑談すらなかった。
それでも、何となく彼女の存在が気になってしまうのは、やはり「配偶予定者」だからなのだろう。
*
ある日の放課後、忘れ物を取りに教室に戻ったら、自席でノートに鉛筆を走らせる橘さんを見かけた。
彼女は作業に没頭しているようで、室内に入ってきた僕の存在に、気づいていないようだ。
一瞬、教室から出ていこうか迷って。
「何してるの?」
僕がそう声をかけると、橘さんはびくりと身体を跳ねさせたあと、おずおずとこちらに振り返った。
「仙崎……くん、あ……えっと……」
彼女は慌てた所作で、机のうえに広がっていたノート両手で覆い隠す。
ノートの傍らには、鉛筆が数本散らばっていた。
「もしかして……絵を、描いてた?」
「えっと、その、うん」
「橘さん、絵を描くんだ」
「下手、だけど」
橘さんは、消え入るようなか細い声で、そう答える。
「よかったら、見てもいい?」
「え?」
「橘さんの絵、見てみたいな」
「でも、下手だから」
「下手でも、みたいな。もちろん無理強いはしないけど」
「……笑わない?」
「絶対に笑わない」
橘さんはためらいがちに、机から手を離した。
ノートに描かれていたのは、人の顔のスケッチだった。
「これ……もしかして、僕?」
僕がそう問うと、橘さんはおずおずとうなずく。
「仙崎くんのこと、あんまり知らないけど……こうして絵にして描いたら、人となりがわかるかもって……」
「それで、僕を描いてくれたんだ」
「わたし、お話しするの、苦手で……」
橘さんは恥ずかしそうに視線を落とす。
そんな仕草が愛らしくて、僕は思わず微笑んでしまった。
橘さんは、ちょっと恨めしげに僕を見つめて、小さく頬をふくらませる。
「笑わないって、言ったじゃん」
「ごめんごめん」
僕は謝りながらも、口元から笑みを消すことが、しばらくの間できなかった。
橘さんが、彼女なりに、僕のことを知ろうとしてくれていたことが、嬉しかったんだ。
*
その日を境に、僕たちの関係は少しずつ変わり始めた。
授業中や休み時間、橘さんのことを気にするようになり、たまに目が合うことが増えた。
そのたびに、彼女は視線をそらすか、微かに頷いて応じてくれるだけだったけれど、それでも何かが動き始めた気がした。
ある昼休み、僕は勇気を出して彼女に声をかけてみた。
「一緒に、食べない?」
彼女は一瞬戸惑ったようだったが、やがて小さく頷いた。
僕たちは裏庭まで移動すると、端に置かれたベンチに並んで腰かけて、お弁当を広げた。
「橘さん、お弁当なんだ。自分で作ってるの?」
「うん、そうだよ」
「えらいなぁ……」
「……仙崎くんは、いつも焼きそばパンだね」
「なんで知ってるのさ」
「お昼休みに焼きそばパンを食べてるのを、いつも見てたから」
僕の問いに、橘さんは、いたずらな笑みを浮かべて答えた。
「まいったな……見られてたんだ」
「見てました」
なんだか無性に照れ臭くなり、僕は焼きそばパンを頬張りつつ、話題を逸らすことにした。
「そうだ、橘さんに、提案があるんだけど」
「なに?」
「これ……」
僕は学生服のポケットから、一枚のチケットを取り出す。
「これ……美術館の?」
「うん、今度さ、一緒にいかない?」
「いいの?」
「うん、橘さんは絵を描く人だって分かったから……喜ぶかなって」
彼女は少し迷うような素振りを見せたが、やがて小さく頷いた。
「うん……いく。ありがとう、仙崎くん」
「よかった」
その一言が嬉しくて、僕の口元からは自然と笑みがこぼれた。
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